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浄土真宗の味わい 電話法話の原稿 みなさんの一言

遇い難くして 今遇う

2022-12-28 09:48:25 | 日記

「お釈迦さまが この世にお生まれになったのは、阿弥陀如来の
本願を説くためであった」と、親鸞聖人は 正信偈に
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と著していただいています。
今から 800年前 鎌倉時代のことです。

 八万四千の法門といわれるようにお釈迦さまは 人々の問いに答えて
数多くの教えを お説きいただいています。
しかし、その教えの多くは強靱な精神と強固な体力を持つ 
優れた一部の人しか実践することが出来ない難しい教えでした。

 ところが、全ての人がもれなく救われる お念仏の教えがあることを
法然聖人から聞かれた親鸞聖人は、 お釈迦さまの目的は
本当に説きたかったのは、この念仏の教えであったと これこそが
仏教であると 受け取られたのです。
そして、この教えでなければ 自分は救われないと 
『教行信証』をまとめていただきました。

 それから 800年 令和五年が 本願力の念仏の教えである浄土真宗の
立教開宗の年であり、親鸞聖人ご誕生850年にもあたります。

 生涯をかけてまとめていただいた『教行信証』のはじめに 
この教えに 「遇ひがたくして いま遇ふことを得たり」と
なかなか会うことのできないこのみ教えに 遇えた喜びを
お念仏の教えに遇えた喜びを述べておられます。
お念仏の教えに遇えたお陰で 喜び多い人生を受け取ることが出来た。
もし、遇えなければ 無意味で 虚しい人生で終わったであろうと
 「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき・・・」と
ご和讚に読んでいただいています。

 親は 子どもや孫の幸せを願っています。
自分のことよりも子供たちのことを心配し続けています。
生きている親だけではなく この世の命を終えお浄土に生まれた
先輩たちも 子どもや孫が 充実した生きがいある生き方をして欲しいと 
願い呼びかけ続けておられることでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏に遇い、信じ 生きてほしい、どうか
お浄土へ生まれて来て欲しいと はたらきかけでおられることでしょう。

 お釈迦様は 本願力のお念仏の教えを説くためにこの世にお生まれになったと
親鸞さまは 味わっておられますが、その教えがあることを
お念仏一つで 救われお浄土へ生まれ 仏になれることを私たちに
教えていただいたのは 親鸞さまであり、多くのご縁のあった方々であった。
親鸞さまのお陰、また直接のご縁を結んでいただいた方々に、
有り難うございます。お蔭さまで、南無阿弥陀仏と 

お礼を申したいものです。


何事も お念仏の助縁

2022-12-19 10:54:23 | 日記

仏教でいう信心、親鸞聖人の信心とは、
「イワシの頭も 信心から」というような、自分勝手な
思い込みや、かたくなになって信じ込むような態度とは、
まったく違う心のありかたです。 

仏教にご縁を得る、仏さまに出遇うということは、今まで
見過ごしていたもの、気づいていなかったことに
気づかされて、ああそうだったなあ、常に仏さまはいらっしゃるのに、
この私は気づいていない生き方をしていたなあ、
という実感を恵まれたところに成り立っていると言えるでしょう。

 同じものが、その時その時、自分が体験することを通して、
今まで気づかなかった深い尊いものとして見えてくる、
知れてくるのならば、私にとって、仏さまに出遇うきっかけと
なったものは何でしょうか。

 身近な所でいえば、仏壇、本堂、名号(南無阿弥陀仏)、
仏像、法座(お聴聞)、最近ならオンライン法話などです。
ところが、ものの見方を変えてくれるのは
そればかりではありません。

 今まで、無駄で、邪魔で、無価値で、無ければよいと
思っていた出来事も、実は、私を気づかせるきっかけになっています。
多くの人にとって、家族との別れ、仕事の失敗・挫折、自分の老い・
病などなど、自分の思い通りにならない事実とのであいが、
目覚めることのきっかけになることがあります。

 さらに考えると、私が念仏を生活習慣として
称える身に育てられていなかったならば、このような深い
実感は生まれてこなかったでしょう。
その時に、苦しみ悩みも 私を育てるものと気づかされます。

「この世のできごとは 何事も何事も お念仏の助縁とおもうべし」
(信
楽峻麿、元龍谷大学学長)〔※助縁=助けとなってくださるご縁〕
という法語を改めて思いおこします。

 この世の出来事 都合の良いことも 不都合な出来事も、
お念仏を称える尊いご縁、助縁となるのです。
お念仏を軸として、お念仏称えることにより、気づかされる
心の世界や生き方が恵まれます。

 そこに先立っていった人びと、思い通りにならない出来事と
改めて出遇いなおしが生まれてくるのではないでしょうか。

         万行寺 本多 靜芳師の文章を参照しました

 

 


お仏壇の前で

2022-12-13 11:13:01 | 日記

 毎月 毎月 月命日に 月忌参りをしています。
つくづくと。 時代の変化を感じるようになりました。
お仏壇に供えるお花は どの家でも自分で育てたものか、
野菜や魚など売り歩く行商のおばさんが運んできた
素朴な花が多かったものです。

住宅地では 大きな音楽をならしながら、小型トラックで商品を
売る、移動販売の花もありました。
しかし、現代は、近くの店で簡単に買えるようになったのか、素朴な花から
色鮮やかな洋花が ほとんどになってきました。

 また、お勤めを始めようとして、キンのバチが 
見当たらないことがよくありました。
小さな子供が お仏壇の前で遊んで、どっかへ行ってしまい みんなで
探すこともありました。
一昔前までは、子供や孫が、一緒に生活したり、よく訪ねてきて
お仏壇にお参りしていたためでしょう。

 しかし今 ほとんどの家では、年寄りは年寄りだけ、若い人は若い人と分かれ
同居といっても、別棟に生活する時代になったようです。
このため、お仏壇のある家で育つ子供はだんだんと
少なくなったのではないでしょうか。


 リンの棒で、リンのバチで思い出すことがあります。
リンの当たるところが、削れてささくれ立って、くびれていたお宅が
ありました。
朝晩毎日お参りして、リンを強く打ち くびれてしまった有り難い棒です。

 ご主人を戦争でなくし、お子さん三人を立派にそだてあげ、
同居のお舅、お姑さんを看取られた方でした。
そっとリンを打つのではなく、感情にまかせて力一杯たたかれた
その結果だと思います。

 怒り、腹立ち、苦しみを日常生活の中では素直に表すことが出来ず、
せめてお仏壇の前で 抑えきれない思いを 力一杯 強く
たたかれていたために、年がたつにつれてえぐられ、くびれていった
ものだったと思います。

 そのおばあちゃんが亡くなられると、その思いのこもったリン棒も
手垢のついた膨れ上がったお経本も、消えてしまいました。
若い人から見ると、古くなって使い物にならないものだったのでしょう。
いつのまにか美しい新しいものに変わってしまいました。

 ぐっとこらえ 耐えて生きる時代ではなくなってきたのではないでしょうか。
お仏壇の前だけが、感情むき出しにしても大丈夫な、安心できる、
こころやすらぐ場所だったという時代は、もう
遠くなったように思います。

 


伝え 伝えて

2022-12-07 13:55:41 | 日記

 令和5年の春から 親鸞聖人御誕生850年と、浄土真宗 立教開宗800年の
慶讃法要が、ご本山・京都 西本願寺で30日間勤まります。
それを前にして、お待ち受けの法要を、私どものお寺では 11月の上旬に。
組では 12月の上旬。
教区では11月の末に 近くの文化会館大ホールで勤まりました。

 コロナの影響で、 人数制限しての開催でしたが、それでも、
たくさんの方が参集され、新しく制定された法要作法の 
新しい節で、正信偈を みんなでお勤めしました。
親鸞聖人の説き示してくださった浄土真宗の教えに出遇うことがなければ、
今の私はあり得なかったという聖人への感謝と、
その教えに出遇えたことの喜びを込めて、聖人のご誕生を祝い、
『立教開宗』に感謝する」法要です。

 ご法話は、熊本地震で本堂が倒壊したという、特別講師の方が 
コロナには ワクチンを打ち、免疫を高めているが、
南無阿弥陀仏をちゃんといただいて、すべての人間が、受け取らねばならない
苦悩である、老病死への免疫を 高めたいとのお話がありました。

 最後の アトラクションでは、近くのお寺の若院さんの
バイオリンの演奏でした。
僧侶も いろいろの特性を持つ専門家いますが
音楽大学でバイオリンを専攻 プロの演奏者の方です。
この方が、小学生の時のピアノの先生と一緒に演奏されました。

 残念ながら仏教讃歌はありませんでしたが、ポピュラーな音楽とともに
最後には 演歌にも挑戦いただき感動的な演奏会でした。
よくお寺の報恩講などでも 演奏しておいでとのことですが、
多くの方から そのバイオリンの値段は、とか 古いものでしょうねと
質問されるとのこと、バイオリンの値段は、企業秘密ですが、
このバイオリンは、273年も昔に製作されたものだそうです。

 これまで多くの方々が、 大切に使い
それを、受け継いで 今自分がこうして演奏させもらっている。
何代にも渡って、大切に大切に使ってくださったお陰で、
いまここに私は 使わせていただいて演奏している、大変なものです。

 273年というのは 大変古いものですが、後ろにあるパネルには
立教開宗800年とある、このバイオリンよりも もっともっと前から、
800年前にから、それぞれの時代、その時代の方々が、
ちゃんと受け取り、次に伝えていただいた。
そして、今の私たちに伝わっている。
私たちも、お念仏をちゃんと受け継ぎ 次の世代に確実に
伝えていかねばならないと、感じています。
と話を結ばれました。

伝統というものは、それぞれの時代 時代の方々が
精いっぱい、それを受け取り、次の世代へ伝えていただいたもの。
バイオリンも お念仏の教えも先輩たちのお陰で、今日の私たちに
伝わってきている、私たちには 大きな責任があるのだと、
つくづくと味わわせていただきました。

お念仏を 相続するといいます。ちゃんと受け取り、確実に
次の世代に 受け継き、豊かな人生を受け取ってもらいたいものです。