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浄土真宗の味わい 電話法話の原稿 みなさんの一言

新しい領解文

2023-05-30 10:54:17 | 日記
 領解文を御存じですか、法座のあと、みんなで声を揃えて
唱和する 「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて・・・・」です。

 蓮如上人が定められたものといわれ、一人一人のご法義の受けとめを、
それぞれに表出する「領解文」として親しまれてきたものです。
そこには、「信心正因・称名報恩」など、浄土真宗の肝要が
コンパクトにまとめられています。
しかし、若い人には なかなか難しいだろうと、新しい領解文が
この度、作成されました。

 ところが、その内容が浄土真宗独特の内容ではなく、誤解をまねく
ところがあると、多くの学者が、問題点を指摘して、それを学ぶ、
勉強会が 各地で開かれています。

 この「領解文」は、お聖教ですから、これまで、何の疑問も持たず
声に出していましたが、
いざ新しいものが出来てみると、これまでの内容が、うまく組み込まれず、
天台宗など従来の仏教と同じように誤解されてしまう部分もあります。

現代人に受け入れられるために優しく、分かりやすくと
努力したことが、逆に、問題を残したようです。

 親鸞聖人は比叡山で20年もの長い間修行されました。
しかし、それまでの仏教では、選ばれた特別の能力ある人だけが
救われて、多くの人には関係無い、一般人には、ほど遠い教えでした。

 法然聖人は、浄土三部経の中に、阿弥陀さまの教えが説かれており、
そこには、出家も修行もできない多くの人、すべてが救われるお念仏教えが
あることを、教えていただき、それを受け継ぎ、親鸞聖人は
私たちに間違いなく受け取れるように、克明に書き残していただいています。

そこで、今、私たちはお念仏の教えに遇うことが出来たのです。
そのことを喜び、この度、親鸞聖人生誕850年、そして浄土真宗の
立教開宗800年の法要がつとまりました。
しかし、新しい領解文には、親鸞聖人以前の古い仏教と
誤解されるような表現が入りこんでいました。

 本願寺派の勧学・司教という 専門の学者さんたちは、ご門徒が
誤解し、将来、大きな間違いを犯すようなことがあってはならない、
もう一度、見直してほしいと、呼びかけておられます。

 今回、新しい領解文が出来たことで、真剣に浄土真宗の特徴を
見直す機会ができました。親鸞聖人が一番大事であると、まとめて
いただいたことを、学び味わい直しています。

 何事も尊いご縁、勝縁も逆縁も尊いご縁、私に南無阿弥陀仏を
勧めていただく、有り難いご縁だと 味わっています。


 

忘れなければ 生きていけなかった

2023-05-25 08:01:26 | 日記
 純粋に泣けるドラマとの宣伝で 「おもかげ」というドラマを見ました。
65歳の定年を迎え、送別会の夜、贈られた花束を手に帰宅する
地下鉄の中で突然倒れ、集中治療室に運ばれた男、心配する妻や娘。

戦後の成長期に仕事一筋に生きてきたサラリーマン世代。
子どもが交通事故で入院した時も、ちょっと顔を見せるだけで、
海に行きたいという子どもの願いもそこそこに聞き、
急いで職場に戻る猛烈社員。

小さな長男は、まもなく命を終え、後悔するものの、
「ちゃんと見てないからだ」「待ってたのに、何で病院に
戻ってくれなかったの」と、妻となじりあうしか無かった
若い日の辛い悲しい過去を持つ。

 今、ウクライナでも、多くの戦災孤児が生まれて
いることでしょうが、主人公の彼も 戦後の混乱期に、
孤児院で育った親を知らない子どもでした。

 ところで、終戦から50年たった頃 父親の50回忌法要が続く中、
こんな話を聞きました。
「父親とは 一度もあったことないんですよ。私が生まれる前に
戦死したもんで、写真でしか知らんのです」と。

  そして、御斎でお酒が入ると、
「悲しいもんで 自分が父親になって子どもと、どう向き合えばいいのか、
よくわからんで、妻にまかせて逃げてばかりいました。
自分の子どもも、父親になって、きっと、どうしていいのか分からんで、
悩むでしょうね。
戦争は酷ですね 何世代も陰を落としていくもんですよ」と。

 ドラマでは、昏睡状態の中、戦争孤児で仲間たちと盗みをしながら
生き延びた老人や、謎の老女や女性に忘れようとしていた過去を
思いおこされ、生きぬいてほしいと赤ちゃんを地下鉄の車内に捨てる
若い母親と、その赤ちゃんを、みんなで拾い上げる人々などを
見せられることで、

自分は捨てられたのではなく、一人で生きてきたのではなく
多くの人々に支えられ、いままで生かされてきたのだと、
感じ取り、感謝しながら生きていかねばと、思わされる物語でした。

 忘れたい、忘れなければ生きていけない、悩み苦しみを持ちながら
生きている人が、私の周りにも一杯いることでしょう。
原作者の浅田次郎さんは「同じ教室に、同じアルバイトの中に、
同じ職場に、同じ地下鉄で通勤していた人の中に、彼はいたのだと思う」と。

 阿弥陀さまは 私たちのことをみんな知って、よく頑張ったね、
辛かったねと見守り、はげまし続けてておられるのです。
どうか、この世を精一杯生き抜いて、やがてお浄土へ生まれて
来てほしい、一緒に、はたらいてくださいと、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呼びかけておられるのです。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 阿弥陀さまの呼び声、一緒に
私の親たちも、よく頑張った、辛かったね。苦しかったね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、呼びかけて おられるのです。

 

お経を聞くと アルファー波が

2023-05-16 19:21:17 | 日記
 経験豊かなベテランの僧侶が座禅を組むと、脳波に変化が出る
という研究を 聞いたことがありますが、東京の築地本願寺で、
ユニークな動画が 出ているということで見てみました。
その内容は

 築地本願寺の本堂では、毎日のお勤めの際に僧侶のお経をききながら、
リラックスして座っている方が大勢いらっしゃいます。
中には朝ということもあり自然とウトウトしている方も…という光景も
珍しくありません。

 実際に、「お経を聴いて眠くなったことはあるか?」と
一般の人500人に調査した結果でも、60%が「眠くなったことがある」と
回答しました。

 そこで築地本願寺の僧侶ではない4名の職員に、お経を聴いてもらい、
その時の脳波を測定してみたところ、α波(アルファー波=
脳がリラックスしているときに出る脳波)の振幅の増大が見られました。

 この結果について予防医学を研究されている亀井勉先生に
検証してもらい、 以下のコメントを頂きました。
「お経を聴いている最中は、アルファ波の振幅の増大が見られました。
α波が増強している状態では 心身ともにリラックス状態になり、
ストレスケアや免疫力の向上、良質な睡眠の促進など様々な
健康促進効果が期待されます。

 このような実験結果からも、昔から伝わる日本人の叡智である、
お経を生活に取り入れることは、現代人にとっても有効な
リラクセーション手法になると言えます。」

 築地本願寺では、これらの検証結果をドキュメンタリー動画にし、
さらに、「お経」×「築地本願寺の風景」をミックスさせた動画を
制作いたしました。
ぜひ築地本願寺YouTubeチャンネルからご視聴ください! ・・・・・

とありました。

 ここでは、お経を聞くだけでの調査ですが、浄土真宗では
自分でお経を読むことがおおく、自分で読み、それを自分で聞くと
もっと変化が、効果が多きかもしれません。

 蓮如上人いらい 真宗門徒は 朝と晩とに 正信偈とご和讚を
くり読みし、御文章を拝読するのが決まりです。
時間をつくって 挑戦してはいかがですか、健康食品を飲むより
ことによると、効果があるのではないでしょうか。


 

葬儀をなぜするの?

2023-05-09 11:06:52 | 日記
 連続研修会の講師担当で準備していましたら、
前回の巡番報恩講の時に作ったパンフレトに
浄土真宗の特徴を 項目別にまとめたものを発見しました。
その中に 葬儀はなぜするの? という項目がありました。
そこには こんな文章を 掲載していました。

 葬儀は なぜするの?
 葬儀は、大切な方の死を厳粛に受け止め、あらためて
命の不思識を感じ、亡き方をご縁に、阿弥陀如来の
救いの真実を学ばせていただく最も尊いお念仏の行事です。

 亡くなった方のための仏教行事と思っている方も
ありましょうが、むしろ、亡くなった方に、本当の人生とは
何かということを、私たちが学ばせていただく場なのです。
生あるものは必ず死ななければならないという諸行無常こそ、
絶対の事実であることを、亡き人が、身を以て私たちに
教えてくださる一生一度の無言の説法の場です。

 亡くなられた方の真の願いを受けとめて、老病死を
解決できる真実の教えに遇い、念仏を称えることの出来る身に
していただくこと、そのことこそが、葬儀の本義なのです。
迷惑を掛けるので簡単に直葬、家族葬で済まそうなどと考えずに、
たった一度の尊いご縁を大切にお勤めしたいものです。

 特に、親元を離れて、都会で生活している方は、
通夜・葬儀で父母の友人や近所の人たちと言葉を交わすことで、
亡き方が心豊かな人生を送られていたそのことを確認出来る
貴重な機会です。

 また、自分の性格や特徴の多くが、実は親から受け継いだ
素養であったことも、発見でき、気づいていなかった
自分の真の姿を見つけ出すチャンスでもあります。

 とありました。

 一生一度の 親の葬儀 そして自分の葬儀 人生最後の
大切なご縁です、意義あるものにしたいものです。

 

問題は内側に

2023-05-02 12:12:41 | 日記
 民族宗教の場合には、人間は自分の外の自然との関係において
考えられています。
たとえば雨が降らずに飢饉が起これば、神々に雨乞いの祈りをする
など、外的環境にどう対処していくかという問題が
民族宗教のすべてです。

 けれどもお釈迦さまの教えはそうではありません。
人間の苦しみの出てくる元は、外界にあるのではなく
自分の内部にあるということの発見から、仏教は始まったのです。
つまり世界は自分の外にだけあるのではなくて、
自分の内面にもあります。

 それまでの人類が知らなかった、このような内的宇宙と
いうものに覚醒するということをはっきり教えられたのが、
お釈迦さまです。
お釈迦さまの覚りというのは、どこまでも自分の内へ入っていく
徹底的な内省の道の果です。

 そしてついに苦しみの元が、自分の存在の奥底にある衝動的な
執着心にあるということを発見された。
真っ暗な自己愛が苦悩の原因だったことの発見とともに、
苦しみの元が断たれた。

 苦しみの元を発見したら、苦しみの根本が断たれたことになります。
苦の元がわからないから迷っていたのです。
それがわかったということは、苦しみからの解放、解脱であり、
大きな平安です。

 これは決して神秘的なことでも、異常な神懸かりでもありません。
それまでの人類の誰も知らなかった、人間精神の一番深みに対して
初めて覚醒した現実的な経験であります。

 ブッダになったということは、心の目が覚めたという意味です。
それまでいろいろなことに迷っていたけれども、迷いの元が今わかった。
今思えば、私は我執にふり回され、真実が見えなかったのだ。
目が覚めてもう迷わなくなったという大きな平和を経験されたのです。
そうして、世界中の生きとし生けるものはみな光かがやく仏性を
持っているのだといわれた。
仏教という世界宗教は、お釈迦さまのこの覚りの経験から生まれたのです。

 阿弥陀の本願にまかせる生きとし生ける衆生はことごとく救われて
仏に成るという、『仏説無量寿経』の根本思想は、お釈迦さまが
覚りの心境のなかで発見された真理であります。
弥陀の本願や往生浄土はお釈迦さまの自覚の内容です。
親鸞聖人はこの真理に直行され、お釈迦さまがこの世に
お出ましになったゆえんは、ただ弥陀の本願を説くためであった
とおっしゃっています。

 これは逆に言えば、お釈迦さまの説法が真理であるのは、
阿弥陀さまの本願が真理であるからだということを意味します。
だから、浄土真宗というのは特別な人びとが信奉する宗派の
名称ではないのであって、宇宙の語りを聞いたお釈迦さまの
仏教の根本精神だということをいわれているのです。

 召喚する真理 正像末和讚を読み 下 大峰顕著 
                                      本願寺出版社発行