「大空は 恋しきひとの 形見かは
物思ふごとに 眺めやるらん」
古今集の歌である。
「大空は 大好きな人の思いを映してでもいるのだろうか。物思いにふける度に
眺めてしまう」の意である。
高校生時代、私が古文が得意科目で大好きだったのは何度か述べた。
理由は実に不純である。
ラブレターの中に古文の歌や文章を入れたら、相手に受けるのではないかと思ったからだ。
平安人ではあるまいに、古文の嫌いな相手に受ける訳もない。
失敗ばかり繰り返した後でラブレターとは自己満足の為に書くものと思う様になった。
ただ、歌のやり取りで恋人同士が互いに相手の教養や感性を理解するのは王朝の慣わしだったのだ。
私は和泉式部の歌や道綱母の『蜻蛉日記』を読んでひたすら感激していた。
古文の読書が受験勉強も兼ねてたので一石二鳥である。
今から考えてよくあんな難解な文章を読めたと思う。
『蜻蛉日記』など今は付いていけない。
若い時の脳とは可塑性に富んだものだ。
愛とは言葉であろうか、心であろうかなんて本気で考えてた高校生だった。
よく考えれば王朝文学は悲劇ばかりだった。
そんなのを読む位だったら、現実に側にいる相手に「この幾何の問題の証明の仕方、ちょっとヒントを教えてくれない?」とか尋ねた方が効果的である。
何気ないキッカケの積み重ねが恋を成功に導く。
この様な簡単な事を50年経ってやっと分かった。(つまり相手が違っても、50年間ドジでした)
もう一つ分かった事は、恋しい人はどんな気持ちだろうと生きてる限り同じ空の下にいるという事だ。
やはり、「大空は恋しき人の形見」なのかも知れない。
今頃になって何故自分が昔の和歌を覚えられたのか分かった。
母(写真お下げ髪の乙女)が実は慰問文で古今集や万葉集の歌を載せたのだ。
相手は父でない人。母が娘の時の恋人である。
彼は戦地にいる。
そこで一緒に語れない思いを歌で語った。
彼の手紙を母は結婚後も取っといて中学生の娘に見せた。
そこから和歌が私の頭に刷り込まれたのである。
平気で見せる方も見る方も浮世離れしてると思う。
幼い私にとって「好きだったら手紙を出すものだ」と時代錯誤を起こさせたのはこれであった。
母のロマンスとはまさに古今集の世界で、そのような文学的な躾(?)が私の国語の成績をぐんと向上させて、大学に入れてくれたのかも知れない。