読書の森

蜂の一刺し



昭和50年代、元総理大臣田中角栄ら政界の大物が収賄の罪で投獄されて、世間に衝撃を与えのがロッキード事件である。
アメリカの大手航空会社ロッキード社が、自社の旅客機を導入させる為に不正な献金をしたと言うのだ。

田中角栄と言えばポジティーブな政治家の代表というイメージがある一方、金権政治家として有名だった。

当時、田中の弁護団は事実無根のデマと無実を主張していたが、裁判において、一人の女の証言で全て水泡に帰した。
その女の名は榎本三恵子、田中元総理秘書の元夫人である。
大柄で華やかな美女が「蜂は一度刺したら死ぬというが私も死を覚悟で証言する」と言い切って、丸紅を通じて5億円の献金があった事実を明らかにした。
彼女は田中のふところ刀、榎本秘書のパートナーで事務方も任されていたいたから、事件の詳細は手に取るように知っている。

かなり芝居がかったせりふではあったが、パッと人目を惹く美女のパフォーマンスとして受けた。
田中御殿と言われる邸宅を持ち、妾宅もどうどうと構えた裕福なかっての宰相に対して、民衆の目は冷たかった。
マスコミや世間は彼女の言葉を「ハチの一刺し」と言ってもてはやし、この年、昭和56年の流行語となった。

私はリアルタイムに、当事者の顔を見聞きしたが、豪胆な田中角栄が、事件後脳溢血の後遺症で見るも無残に年老いていくのを見せつけられた。
聞けば元夫の榎本敏夫も脳溢血の後遺症で立ち直ることが出来なかったという。
経済的には豊かだった訳だし、病気と三恵子の証言と直接的な因果関係はない。
ただ、彼女の証言で決定的になったロッキード事件の敗北で、彼らの社会的生命は絶たれた訳で、この事が病気の誘因になったと思える。

当時の私は家庭の主婦として夫を立てるという甘い夢を未だ持っていたため、愛情に薄い自己顕示欲の塊だと彼女に反感を持った。
そして、世相も美女の発言を面白がるだけで、特殊な女性としか見ていなかったようだ。
識者の批評も賛否両論で様々だった。
「真実の叫びを堂々と言ってくれた。正義は強い」
「妻としてはどうだろうか?自分も犯罪に加担したくせに夫の不正ばかり暴いている。人間的に共感できない」

そして、40年近く過ぎた今、紆余曲折の人生を経て、榎本三恵子は健在であるという。
この「ハチの一刺し」が妙に気になって、私はかって嫌悪した彼女の足跡と、ロッキード事件の裏側を少しだけ調べてみた。

それは彼女自身の「人を刺すという行為は失うものが大きい」という言葉に打たれたからだ。
おそらく彼女は夫や恩人を陥れた「悪女」の汚名を一生被る事になったろう。




三恵子は富山の裕福な薬問屋で可愛がられて育ったが、世相の変化で家運は傾き、おまけに父は中学の時に病死した。
高校を中退し、姉の伝手を頼って銀座のバーでレジ係をしている時に、榎本に見初められたのである。
当時彼女は18歳、榎本は40歳、22も年が離れていたのである。
まるで、ドラマの筋書きのような結婚である。

ここからは私の想像であるが、気品のある美貌でピチピチ若い妻を榎本は甘やかした事だろう。
その代わり重要な家計や仕事の裏側、夫の本音は隠した結婚生活ではなかったろうか。
怖いほど親分の角栄は出世して榎本のところににも金は集まり隠し財産もあったようだ。
それについても妻はツンボ桟敷に置かれた。
「豊かな生活が保障され、可愛がってはくれるが、人間として認めてくれない」
とプライドの強い三恵子は不満だったのではないか。

有事が起きた時、即ちロッキード事件の混乱の中で、夫の隠し財産の名義が全て夫の身内と子供になっていたのに気づいた時、三恵子はとうとう切れて家を出た。

何故本心を打ち明けてくれないか、何も信頼をせず、悪口ばかり流した事を謝って欲しかった、と三恵子は言っている。

もし、それが法廷での告白に繋がったとしたら、かなり感情的なものだと思う。
庶民にとっては相当の慰謝料を貰っても不満を持ち、それを「正義」に結び付けたとしたら、不快に感じる。
ただ、一番大きな原因は、離婚を申し出てから夫が地位を利用して流した彼女についての悪い噂だった。
彼女を低く見て、普通に住めなくしてやるという意図が見え見えだったからである。

彼女には人間らしく生きる為に、元夫は障害物となった。
悪い噂を消さないと彼女は社会的に生きていけない。
言わば自分が刺されない前に刺すというのが、例の「蜂の一刺し」だったのではないか。
蜜蜂は自分からは刺せない生き物で、殺される前に刺すのである。

事件後、一時彼女は芸能界に入った事がある。
又、訳ありの男と婚約したり、銀座のクラブのママになったり、事業に失敗したり、と経歴を見ていくと見掛け倒しの女としか思えない。
しかし、彼女を知る人からは「人扱いの良さや頭の切れの良さは他の追随を許さない」と絶賛されている。

我儘な点はあっても、才色兼備で自分に正直な女性なのかも知れない。
正直過ぎるこの人がロッキード事件の当事者である事に今回のブログの意味がある。

彼女が例の証言の後に、芸能界に入るなど急に浮ついた行動を取った本当の理由は「殺されるかも知れない」恐怖からだったという。
つまり芸能界に入れば、顔が覚えられ、何処に居ても目立って、人が寄って安全だという感覚だったのだ。
今はこの逆の気がするが、彼女の当時の気持ちとしては、それほど自分を狙う刺客が怖かったのだろう。
実際、田中角栄の運転手は数々の秘密を知っているが最期は自殺したという。
これが真相は他殺だったのだと、彼女は人に告げている。

本当の事を言うと国益に反する。
国益に反する輩は消えてもらう、ひょっとして今も世界のどこかでそんな話が出ているのかも知れない。

古今東西大きな事件の裏側に何が潜むか、それは当事者にしか分からない深い闇があるようだ。

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