グリーンブレーカーズ by 高木肥料店

農業の現場の おはなしなどなど。

薩摩を豊かにした男。

2015-12-01 09:46:13 | Weblog
薩摩を豊かにした男。


薩摩の国は、 もともと火山灰土譲のやせた土地であるために農作物生産
性の低い土地柄でした。しかし、その薩摩半島南部一帯の知覧・頴娃〔え
い〕地方を、菜種/ナタネの一大生産地に改良した男がいます。

それが知覧の覚兵衛〔かくべえ〕さん・・・江戸時代の薩摩藩知覧ご出身
の海運業を営む商人です。

彼はどうやって痩せた土地を改良したとおもわれますか?

答えはリンサンです。彼は火山灰土壌にリンサンを施用することで土地を
改良しました。その効果は、前述のようにめざましいもので、施用から約
10年後の天明6(1785)年、知覧領主であった島津久邦より 名字
帯刀を許されるほどの成功を収めます。

これ以降、晴れて覚兵衛さんは、仲覚兵衛/なかかくべえと名乗ることに
なったわけです。 
じつに、素晴らしい・・・施肥技術指導に携わるものにとって、尊敬の念
を抱かずにはいられない業績だとおもいます。

のの 覚兵衛記念碑
 こちらは ↑ 山川港のはたにある屋敷跡の船と波をあしらった記念碑  

さあ、そこで問題になるのが、覚兵衛がおこなった土壌改良の方法です。
彼はいったいどうやってリンサン分を効かしたのでしょう。

正解は獣骨です。
サコンタロを用いて獣骨を砕き、もって田畑に施したとされています。

その獣骨ですが、覚兵衛は 大坂渡邊村の皮革商人岸部屋六兵衛と契約し、
大坂から船で獣骨を薩摩の国まで運びました。さらには獣骨を運んだ帰り
荷で、薩摩の特産・農産物を上方に運んだといわれています。

船を使って、薩摩[南西諸島も含む]と上方を起点とした流通網を完成
させたわけです。九州内の各港や瀬戸内の港港にも物産を卸せるわけで
すし、この海運事業はいま考えてもなかなかおおがかりなものだといえ
ますよね。

土壌改良に成功して土地を豊かにしただけでなくダイナミックな海運業
をおこなった覚兵衛さん。 いゃぁ、あこがれますよ。

 現在の山川港と貿易の記念碑 →    山川港 記念碑 


◎ そして前回の謎。骨をつぶした工場です。なぜに人の
  こない川の上流に 隠されて作られていたのか・・・。
  じつは「骨を畑に撒くという土壌改良法」は、薩摩藩
  の門外不出の重要機密とされていたからだといいます。
  秘密の寒天工場の回は、こちら。 薩摩焼のはなしは、こちら

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜