グリーンブレーカーズ by 高木肥料店

農業の現場の おはなしなどなど。

関税ゼロが招いた環境破壊。

2012-12-14 22:42:08 | Weblog
関税ゼロが招いた環境破壊。


「丸太の自由化を受け入れれば、工業輸出が増えますから」というの
が、1950年代当時に海外産の丸太の輸入に反対していた中山間地
に対する国の担当者の説明だったといいます。さらに1964年には
丸太だけではなく、製材された木材製品も関税ゼロになりました。
そして現在・・・台風や集中豪雨のあるたびに海岸に大量の漂流物が
打ちあがるようになってきました。そんな現状をお知らせした当ブロ
グの記事となります。
つぎの〔林業からいよいよ農業という〕段階となって、農産物の関税
をゼロにした場合におきるであろうさらなる災害のご参考として、よ
ろしかったら。

 ↓

『豪雨災害の置き土産』

台風や湿舌などの豪雨を伴う水害の置き土産となるもの・・・それが
流木です。 

流木.jpg

映像は2007年7月に宮崎を直撃した台風4号・5号における台風
後の海岸の様子です。このときに宮崎県の県北部の海岸では、このよ
うな情景がそれぞれの大きな川の河口付近に数キロメートルほどの長
さにわたって続いていたものでした。

山から流れでる無数の流木は、まずは海に運ばれ、その後このように
大量のごみに混じって、海岸線に打ち上げられるのです。

この流木が再び海に流れでると、船にぶつかれば船体を傷つけるのは
もとより、スクリューやシャフトといった船の動力関係部分を壊して
しまう危険性があります。またひっかかって魚網を破ることによる漁
業関係の被害を引き起こす場合もあります。

そこでこの流木の山がでるたびに、県や市町村の職員をはじめ、地域
住民や各種団体がボランティアでかたづけることになるのですが、

 数百人の作業人員がでて大量のゴミを作業し、回収された流木は
 大型トラック数10台分にも上った


などといった光景が繰り広げられることになるんですね。

残念な話しではありますが、このような光景は、もはや地方ではちょっ
と激しい水害がくる度に繰り返される日常になっています。
そしてこれからはこういった流木のニュースは、皆さんお住まいの地方
でも、そして大都市圏であっても、ふつうにおこってくることになる。

そう、それはこういった災害の原因が、「日本の国土に高い割合で存在
している人工林がある
」こと、そして「放置された人工林が日本中に増
え続けている
」ことにあるからです。

そういった意味では、海に流れ込む多量の流木が引き起こす災害は
人為的な環境破壊が引き起こす災害”、すなわち人災でもあるともい
えそうです。


◎ 2007年9月のニュースですが、「関東を直撃した台風9号の
 影響とみられる大量の流木などのごみが東京湾で確認されました。
 場所は千葉県船橋市日の出の千葉港葛南港区で、幅約700メー
 トル、奥行き100メートル前後の帯状になって滞留しています

 というものを記憶しております。水は川上から川下に向かってっ
 て流れるもの。山の荒廃が招く災害は、川下にある大都市圏にと
 って、けして無関係なものではないのです。
 
51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg 「夢で終らせない農業起業」「 本当は危ない有機野菜





維新政府の治山治水対策。

2012-12-14 10:59:04 | Weblog
維新政府の治山治水対策。

前回関連として・・・明治維新政府のとった治山治水対策のお話。
維新”という名まえは同じでも、その政策には大きな違いがあるのだ
なぁとおもいつつの再録となります。よろしかったらご参考に。

 ↓

「治山治水の父/デ・レイケとエッセル」

水と安全はタダ・・と思ってきた日本。ついでに治山治水もタダだと、
おもわれている方はおおいのではないでしょうか。ところがですね、
じつは日本の治山治水には、多くの優秀な人材と多額の資金が投入さ
れていた時期があったのです。

たとえば、山に植林する治山とともに、全国に点在する代表的な明治
期の治山治水例として・・・次のような堤や堤防があるのだそうです。

神田下水道(東京都)     ・ エッセル堤(福井県三国町)
デレーケ堰堤(群馬県榛東村) ・ オランダ堰堤(滋賀県大津市)
巨石積み堰堤(岐阜県中津川市)・ 羽根谷巨石堰堤(岐阜県海津市)
石積み堰堤(岐阜県中津川市) ・ 常願寺川改修(富山県)
デレーケ堰堤(京都府山城町)  ・ 鳥取港築港(鳥取県鳥取市)
デレーケ堰堤(徳島県美馬市)・ 木曽川・長良川・揖斐川河川改修(愛知県)

などです。近くにお住まいの方も、おられることと思います。

これらの明治時代の治水工事施設は、現在もしっかりとその役目を
はたしている現役の施設が多いというのですから、当時の技術は、じ
つにたいしたものだと驚嘆せずにはおられません。

そしてお気づきになられたことだと思いますが、この工事に冠せられ
た デ・レーケ と エッセル という言葉、これはじつは人の名前
となります。
そう、デ・レーケさんとエッセルさん、このお二人は明治初期にその
持ち前の技術を買われて日本政府に雇用された欧米人、いわゆるお雇
い外国人の方なのです。明治5年に来日したお二人は、オランダ低水
技術〔山腹については緑化を特に重視する技術〕をもって、近代日本
の治山治水に尽くされた方たちです。

工事が終わってしまってからでは、その重要性がついつい軽くみられ
がちになってしまいがちな治山・治水工事にあっても、ちゃんと名前
が残っているのですから、このお二人の持っておられた当時のオラン
ダの優秀な治山治水技術の存在が、どれほど現場で重宝されたものだ
ったかを窺い知ることができますよね〔お雇い外国人のなかではオラ
ンダよりもイギリス出身者のほうに、重きが置かれたという明治政府
内部の事情もあったにもかかわらず・・なのだそうですから二重にた
いしたものです〕。

また、苦しい財政事情であったはずの開明期の日本において、先進の
欧米の技術を導入することで、これほどの治山治水事業を展開した
時の日本政府の指導者たちの先見の明
には、しょうじき頭が下がるお
もいでいっぱいになります。

「昔から、なにもしなくても、ただ存在しているだけのもの」と、つい
つい思ってしまいがちな、山や川などの自然に対する防災技術や施設と
いったものが、本当はわれわれの祖先が残してくれた、貴重な「お金の
かかった人工」の財産である場合も多いものなのですねえ。

・・・余談ですが、エッセルさん。

じつはエッシャーさんともよばれています。
息子さんの名前は マウリッツ・エッシャー/Maurits Cornelis Escher!

そうなんです、『科学者の目で見たかのような緻密なタッチで、現実では
ありえない世界を表現し、見るものを迷宮へと誘う』作品を数多く創作さ
れたオランダを代表するあの版画家なんですよ。


◎ 1873年(明治6年)にデ・レーケとエッセルは、オランダから来日。
  国内の修復工事の設計、指導を行った。 デ・レーケは 都合30年以
  上日本に滞在し、1903年(明治36年)離日。日本の土木の基礎を
  築いたとして勲二等瑞宝章を授与されています。
  1988年(平成10年)にはデ・レーケの孫が来日し、木曽川などを
  視察、話題になりました。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染