※この記事はめずらしくww予約投稿です。
夜中に頑張って書いたので、いつもよりちょっと早く、お昼にUPしてみようかなと。
-----------------------------------------------------------------------
数分のCMを挟んで、後半開始です~
いやいや、それにしても、ピーってばけっこう早口ですわ。
じゅり出演のラジオ書き起こしより、難儀したような気がします。
-----------------------------------------------------------------------
「さあ、今日のですね、ニッポン放送ごごばん!は、瞳みのるさんにお越し頂いてます。ザ・タイガースのドラムス担当で、40年間ずっとこういうところにはまったく、ご登場されなかったということで、緊張されてると」
「ハハハ・・・」
「でもあの・・・」
「出席とって頂ければ(笑)ハイって」
「でも、さっきT君に色々聞いたら、「人見先生は授業中に昔の話をしないわけじゃなかった」みたいな事を言ってたんですよ。思い出話はけこうしてたんですってね」
「ええ、たまにはやっておりました。彼は眠りますから(笑)授業は大体聞かないんです。そういう話は聞くんです」
「なるほど。で、一回か、何回かは全く授業をしないで、ずっとその思い出話をされてた時があった、というふうに言ってましたね。そういうのはよく覚えてるんですよね。」
「そうですね。良く覚えてますね。大体僕が言った下らない冗談見たいなものを良く覚えていて」
「けっこう冗談を言ってたというのは、この本の中にも色々書いてましたね」
「今瞳みのるさんはですね、髪の毛をちょっと長めにして横に・・・後ろにサッと流して、ロマンスグレーで、黄色い丸首セーターで、アスコットタイをされているのかな。茶系の・・濃い茶系のシャツを着ていまして、めがねをかけています。そのめがねがちょっとこう鼻の方におりてますので」
「これは老眼なんです」
「近いところを見る用ですよね」
「そうなんです」
「体重とかそういうのは、この40年間どうなんですか」
「やめた時は48キロだったんです。それでいきなり10キロ太りまして、やめたら。そしてマックス68までいったんですけども、病気2回やったものですから、やるたんびに今度また体重が落ちまして、今だいたい53キロくらいです。」
「あの~病気が、例えば近々のですと2009年の8月に中国に行ってらっしゃったときに倒れちゃったんですよね。」
「中国の雲南省の昆明というところで」
「どうなってたんでしたっけ」
「脳溢血、だったんですけど。」
「いろんなものがちょっとずつ遅かったら大変だったんじゃないですか。」
「そうですね。友人がいて適切な処置を取ってくれたもんですから。まあ、悪運尽きずにこうしてまた生き延びられたと思っております。」
「全然後遺症とか出なかったんですか」
「おかげさまで後遺症は何もないような感じです。ただ、あまりもの覚えがよくないほうなので、あまり僕も気にしてないんですけども」
「今は基本的には北京に住んでらっしゃるんですか、瞳さんは」
「基本的には北京に住んでます、で、またすぐに戻ります。ただ、2月25日に今度の私のほうの自伝がでますので、またそれまでには戻ってきてということになります。」
「そうですか~。で、この後、やっぱり皆さんが気にされてるのが、音楽活動っていうのが、瞳みのるさんの音楽活動、例えば今、朝日新聞の"ひと"の欄には瞳みのるさんの本名が載ってるんですよね。これがタイガースの時には、眼の方の瞳にひらがなでみのるだったじゃないですか。そっちの方にまた戻っていくような活動があるのか、あるいはザ・タイガースが何かやるときに、瞳さんがドラムスとして入っていくのか、このあたりをすごい気にされてるみたいなんですが、これはどうなんですか」
「僕は自分自身では戻っていくつもりですけれども、とにかく仲間もいることですから、そちらの方もやるっていうんだったら、そちらのほうの話し合いがあって、戻る、あるいは戻らない、ということになるかなと思います」
「じゃ、まだその話し合いは、してはいないんですか」
「え~~~~、そうですね、ちょっと微妙ですね。」
(女性の声)「ドラムは・・今でも?」
「今、彼らのこういう話があったときに、あれ?いずれまたドラムを叩かなきゃいけないかなということで、もう2年くらい練習しております」
「あっ、やってますね!」
「ま、これは肉体的なトレーニングを含めて。まあウォーキングと同じような形で。」
「2年前からってことは、38年間ぐらいブランクがあったんですよね。どうでした?」
「スティックって持たないと、バンバンバンバン、スティック同士が当たるんですよ。だから練習して当たらないようにということで、やっぱり1にも2にも練習かなと」
「昔のカンは戻ってきたんですか」
「ええ。なんとか出来ます。昔はすごくパワーもあったと思いますが、今はそんなにパワーは無いかも知れませんが、ま、なんとかできるのかなと。」
「じゃ、スタンバイOKなんですね。話が上手くこう、まとまってったらという」
「そうですね」
「かなり期待してもいい?」
「どうなんでしょう。良くわかりません、私」
「この瞳みのるさんの「ロング・グッバイのあとで」を読んでいて、沢田研二さんが、なんかすごいステキだなと思ったエピソードが、自由ヶ丘のあるお店によく行っている」
「居酒屋ですね」
「居酒屋に行っている・・・そこを、「あれ?沢田研二さんも来てるよ」みたいな話を聞くくだりが、いいなと思って。」
「そうですか。僕もそこの店はずっと行ってたんですけども、で、店の主人はそんな話は一切無かったものですから」
「店のご主人は、瞳みのるさんはタイガースの人でってのは知ってるんですか」
「僕は知らないと思ってたんです。知らないでずっといるんだと思ってたんです。そしたらやっぱり知ってたんですね。」
「でも言わなかった」
「そうなんです。皆僕の周りの人っていうのは皆そういう配慮があって、すごくありがたいんです。だから普通の人間で、普通の感じでいけた」
「はいはいはい・・・」(←関心しきりな様子
「そこに沢田が時々来ていたという。それは聞いたら、僕が面と向かって合うとなると、構えたり、あるいは拒否するかもしれないので、偶然の出会いということで彼自身はそこに店に来ていたそうなんですね。
それを僕は後で、かつてのマネージャがたずねて来て、その話をしたときに、ああそういう思いだったんだと。わざわざその居酒屋に彼が来てたっていうことは、僕との自然な邂逅を、自然な出会いということを、そういう思いで配慮してくれていたんだな、ということがよくわかって、すごく嬉しくて、あったかいものをすごく感じました」
「沢田研二さんっていうのはそういう方なんですか」
「だいたいあの、話はあんまり上手くないとは思うんですが、ちょっと朴訥としてますけど、そういう男気のある人だと思いますよ」
「これはなんか、いいエピソードですよね~」
「日本と北京はどれくらいの割合になりそうなんですか、今後」
「僕は出来れば半分半分くらいにしたいと思ってるんですけど」
「向こうではお仕事として、例えば音楽とか、中国の文学を研究したりとかしてらっしゃるんですか」
「向こうはまだ、何も、一つも売れてないんです。全然売れてない、これから売ろうという音楽家。というか音楽家というのはまだ、おこがましいんですけど。」
「作詞はされてますよね」
「作詞も、作曲も、それから翻訳もやります。作詞作曲だったら、ただのシングソングライターですけれども、翻訳は僕自身中国語にずっとかかわってきておりますので、それはやはり出来なきゃいけないと。
但し中国語の場合、中国語というのは、歌詞なんか特にそうなんですけれども、古典をけっこう使うんですね。ですから古典にある程度通じてないと詞は書けない。それがちょっとね・・・・・・・なんか、教室みたいになりましたよね。すみません。」
「だんだん先生になってきて(笑)メモ取りだしたりなんかして、フンフンなんて」
「立ち入った話なんですけども、あの・・・・離婚されたじゃないですか」
「ハイ」
「今一人じゃないですか」
「はい、そうです」
「でも料理作るの得意らしいですけども、その辺大丈夫なんですか。」
「昔、調理師免許取りましたので」
「調理師免許・・・それ、いつ取ったんですか」
「あんまり言うとこれ、色々と問題があるので。そうですね、もう20年・・・30年くらい前」
「相当中華料理上手に作られるんじゃないかと思いますよ」
「いえいえ・・・好きなんです。」
「一人の生活というのは、どうなんですか」
「そうですね。やっぱり淋しいですね。賑やかなほうがいいかなと思っておりますけども」
「でも逆に言うと、仲間がまた一緒にやるようになっていって、にぎやかな日々がくるかもしれないですよね」
「そうかも知れませんね。そうなったらまた、ケンカが始まるでしょうけど、でもケンカも楽しいですからね」
「あの~、かつみさんももう、全然大丈夫なんですか」(←なにげに核心に・・
「どうなんでしょう。よくわからないんですけど。彼も僕、たまには会うこともあるんですけど、彼自身の本音というのは聞いてない部分があるので、ちょっとよくわからない」
「ああ、なるほど。まあ40年ですからね。これをその間をまた埋めていくには、本当にゆっくり時間をかけて、そして納得していいものを。僕ら待ってますんで」
「今日沢山の方が、あるいはこれを録音して、ニッポン放送の聞こえないいろんな地方でこれをお聴きになると思うんですよ。メッセージを、一つよろしくお願いします。」
「あらたまって何かお話するというのは、すごくなんか照れくさいんですけど、僕自身また音楽の方、また文筆の方もやりたいと思っておりますので、両面でお世話になるかな、また皆さんとそういう関わりができてくるのかな、と思っておりますし、
また、タイガースの方はちょっとどうなるかわかりませんけども、そうなった場合には、またステージの方でですね、よろしく声援して頂ければありがたいなと思っております。本当にありがとうございます」
「「ロング・グッバイのあとで」、瞳みのるさんがお書きになりました本、集英社から定価1260円、2月25日金曜日発売です。瞳さんの人生を通じて、一つの昭和史から平成へ移っていくという、世相もずっとわかる、また中国との関係もよくわかる本なので、ぜひお読み頂きたいと思います」
「ありがとうございます」
「今日は、実は時々震えてらっしゃるので、緊張されてるのかなと思いながら、先生モードになると、ものすごいおしゃべりなんですね。やっぱり30年の教師生活なんだな、なんてことも思ってしまいました(笑)瞳みのるさんにお越し頂きました。今日はどうもありがとうございました。」
「ありがとうございました」
-----------------------------------------------------------------------
<終わり>
上柳アナが言うように、緊張気味な雰囲気ながら、先生モードのスイッチが入ると、カナーリ饒舌になるんですよね~
聴きながら何度か「あら~?アテクシ今、NHK教育ラジオかなんか聴いてるんだっけ?」
みたいな感覚に陥りましたわ。
ハッキリとした意志や、ご自分の取り組んでおられることに対する意欲が、率直に伝わってくるようなトークだなという印象を受けました。
アナウンサーも上手いことズバズバ話を聞きだしてくれて(GJ)、なかなか中身の濃い番組でしたわ
(2/9サンケイスポーツより)
夜中に頑張って書いたので、いつもよりちょっと早く、お昼にUPしてみようかなと。
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数分のCMを挟んで、後半開始です~
いやいや、それにしても、ピーってばけっこう早口ですわ。
じゅり出演のラジオ書き起こしより、難儀したような気がします。
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「さあ、今日のですね、ニッポン放送ごごばん!は、瞳みのるさんにお越し頂いてます。ザ・タイガースのドラムス担当で、40年間ずっとこういうところにはまったく、ご登場されなかったということで、緊張されてると」
「ハハハ・・・」
「でもあの・・・」
「出席とって頂ければ(笑)ハイって」
「でも、さっきT君に色々聞いたら、「人見先生は授業中に昔の話をしないわけじゃなかった」みたいな事を言ってたんですよ。思い出話はけこうしてたんですってね」
「ええ、たまにはやっておりました。彼は眠りますから(笑)授業は大体聞かないんです。そういう話は聞くんです」
「なるほど。で、一回か、何回かは全く授業をしないで、ずっとその思い出話をされてた時があった、というふうに言ってましたね。そういうのはよく覚えてるんですよね。」
「そうですね。良く覚えてますね。大体僕が言った下らない冗談見たいなものを良く覚えていて」
「けっこう冗談を言ってたというのは、この本の中にも色々書いてましたね」
「今瞳みのるさんはですね、髪の毛をちょっと長めにして横に・・・後ろにサッと流して、ロマンスグレーで、黄色い丸首セーターで、アスコットタイをされているのかな。茶系の・・濃い茶系のシャツを着ていまして、めがねをかけています。そのめがねがちょっとこう鼻の方におりてますので」
「これは老眼なんです」
「近いところを見る用ですよね」
「そうなんです」
「体重とかそういうのは、この40年間どうなんですか」
「やめた時は48キロだったんです。それでいきなり10キロ太りまして、やめたら。そしてマックス68までいったんですけども、病気2回やったものですから、やるたんびに今度また体重が落ちまして、今だいたい53キロくらいです。」
「あの~病気が、例えば近々のですと2009年の8月に中国に行ってらっしゃったときに倒れちゃったんですよね。」
「中国の雲南省の昆明というところで」
「どうなってたんでしたっけ」
「脳溢血、だったんですけど。」
「いろんなものがちょっとずつ遅かったら大変だったんじゃないですか。」
「そうですね。友人がいて適切な処置を取ってくれたもんですから。まあ、悪運尽きずにこうしてまた生き延びられたと思っております。」
「全然後遺症とか出なかったんですか」
「おかげさまで後遺症は何もないような感じです。ただ、あまりもの覚えがよくないほうなので、あまり僕も気にしてないんですけども」
「今は基本的には北京に住んでらっしゃるんですか、瞳さんは」
「基本的には北京に住んでます、で、またすぐに戻ります。ただ、2月25日に今度の私のほうの自伝がでますので、またそれまでには戻ってきてということになります。」
「そうですか~。で、この後、やっぱり皆さんが気にされてるのが、音楽活動っていうのが、瞳みのるさんの音楽活動、例えば今、朝日新聞の"ひと"の欄には瞳みのるさんの本名が載ってるんですよね。これがタイガースの時には、眼の方の瞳にひらがなでみのるだったじゃないですか。そっちの方にまた戻っていくような活動があるのか、あるいはザ・タイガースが何かやるときに、瞳さんがドラムスとして入っていくのか、このあたりをすごい気にされてるみたいなんですが、これはどうなんですか」
「僕は自分自身では戻っていくつもりですけれども、とにかく仲間もいることですから、そちらの方もやるっていうんだったら、そちらのほうの話し合いがあって、戻る、あるいは戻らない、ということになるかなと思います」
「じゃ、まだその話し合いは、してはいないんですか」
「え~~~~、そうですね、ちょっと微妙ですね。」
(女性の声)「ドラムは・・今でも?」
「今、彼らのこういう話があったときに、あれ?いずれまたドラムを叩かなきゃいけないかなということで、もう2年くらい練習しております」
「あっ、やってますね!」
「ま、これは肉体的なトレーニングを含めて。まあウォーキングと同じような形で。」
「2年前からってことは、38年間ぐらいブランクがあったんですよね。どうでした?」
「スティックって持たないと、バンバンバンバン、スティック同士が当たるんですよ。だから練習して当たらないようにということで、やっぱり1にも2にも練習かなと」
「昔のカンは戻ってきたんですか」
「ええ。なんとか出来ます。昔はすごくパワーもあったと思いますが、今はそんなにパワーは無いかも知れませんが、ま、なんとかできるのかなと。」
「じゃ、スタンバイOKなんですね。話が上手くこう、まとまってったらという」
「そうですね」
「かなり期待してもいい?」
「どうなんでしょう。良くわかりません、私」
「この瞳みのるさんの「ロング・グッバイのあとで」を読んでいて、沢田研二さんが、なんかすごいステキだなと思ったエピソードが、自由ヶ丘のあるお店によく行っている」
「居酒屋ですね」
「居酒屋に行っている・・・そこを、「あれ?沢田研二さんも来てるよ」みたいな話を聞くくだりが、いいなと思って。」
「そうですか。僕もそこの店はずっと行ってたんですけども、で、店の主人はそんな話は一切無かったものですから」
「店のご主人は、瞳みのるさんはタイガースの人でってのは知ってるんですか」
「僕は知らないと思ってたんです。知らないでずっといるんだと思ってたんです。そしたらやっぱり知ってたんですね。」
「でも言わなかった」
「そうなんです。皆僕の周りの人っていうのは皆そういう配慮があって、すごくありがたいんです。だから普通の人間で、普通の感じでいけた」
「はいはいはい・・・」(←関心しきりな様子
「そこに沢田が時々来ていたという。それは聞いたら、僕が面と向かって合うとなると、構えたり、あるいは拒否するかもしれないので、偶然の出会いということで彼自身はそこに店に来ていたそうなんですね。
それを僕は後で、かつてのマネージャがたずねて来て、その話をしたときに、ああそういう思いだったんだと。わざわざその居酒屋に彼が来てたっていうことは、僕との自然な邂逅を、自然な出会いということを、そういう思いで配慮してくれていたんだな、ということがよくわかって、すごく嬉しくて、あったかいものをすごく感じました」
「沢田研二さんっていうのはそういう方なんですか」
「だいたいあの、話はあんまり上手くないとは思うんですが、ちょっと朴訥としてますけど、そういう男気のある人だと思いますよ」
「これはなんか、いいエピソードですよね~」
「日本と北京はどれくらいの割合になりそうなんですか、今後」
「僕は出来れば半分半分くらいにしたいと思ってるんですけど」
「向こうではお仕事として、例えば音楽とか、中国の文学を研究したりとかしてらっしゃるんですか」
「向こうはまだ、何も、一つも売れてないんです。全然売れてない、これから売ろうという音楽家。というか音楽家というのはまだ、おこがましいんですけど。」
「作詞はされてますよね」
「作詞も、作曲も、それから翻訳もやります。作詞作曲だったら、ただのシングソングライターですけれども、翻訳は僕自身中国語にずっとかかわってきておりますので、それはやはり出来なきゃいけないと。
但し中国語の場合、中国語というのは、歌詞なんか特にそうなんですけれども、古典をけっこう使うんですね。ですから古典にある程度通じてないと詞は書けない。それがちょっとね・・・・・・・なんか、教室みたいになりましたよね。すみません。」
「だんだん先生になってきて(笑)メモ取りだしたりなんかして、フンフンなんて」
「立ち入った話なんですけども、あの・・・・離婚されたじゃないですか」
「ハイ」
「今一人じゃないですか」
「はい、そうです」
「でも料理作るの得意らしいですけども、その辺大丈夫なんですか。」
「昔、調理師免許取りましたので」
「調理師免許・・・それ、いつ取ったんですか」
「あんまり言うとこれ、色々と問題があるので。そうですね、もう20年・・・30年くらい前」
「相当中華料理上手に作られるんじゃないかと思いますよ」
「いえいえ・・・好きなんです。」
「一人の生活というのは、どうなんですか」
「そうですね。やっぱり淋しいですね。賑やかなほうがいいかなと思っておりますけども」
「でも逆に言うと、仲間がまた一緒にやるようになっていって、にぎやかな日々がくるかもしれないですよね」
「そうかも知れませんね。そうなったらまた、ケンカが始まるでしょうけど、でもケンカも楽しいですからね」
「あの~、かつみさんももう、全然大丈夫なんですか」(←なにげに核心に・・
「どうなんでしょう。よくわからないんですけど。彼も僕、たまには会うこともあるんですけど、彼自身の本音というのは聞いてない部分があるので、ちょっとよくわからない」
「ああ、なるほど。まあ40年ですからね。これをその間をまた埋めていくには、本当にゆっくり時間をかけて、そして納得していいものを。僕ら待ってますんで」
「今日沢山の方が、あるいはこれを録音して、ニッポン放送の聞こえないいろんな地方でこれをお聴きになると思うんですよ。メッセージを、一つよろしくお願いします。」
「あらたまって何かお話するというのは、すごくなんか照れくさいんですけど、僕自身また音楽の方、また文筆の方もやりたいと思っておりますので、両面でお世話になるかな、また皆さんとそういう関わりができてくるのかな、と思っておりますし、
また、タイガースの方はちょっとどうなるかわかりませんけども、そうなった場合には、またステージの方でですね、よろしく声援して頂ければありがたいなと思っております。本当にありがとうございます」
「「ロング・グッバイのあとで」、瞳みのるさんがお書きになりました本、集英社から定価1260円、2月25日金曜日発売です。瞳さんの人生を通じて、一つの昭和史から平成へ移っていくという、世相もずっとわかる、また中国との関係もよくわかる本なので、ぜひお読み頂きたいと思います」
「ありがとうございます」
「今日は、実は時々震えてらっしゃるので、緊張されてるのかなと思いながら、先生モードになると、ものすごいおしゃべりなんですね。やっぱり30年の教師生活なんだな、なんてことも思ってしまいました(笑)瞳みのるさんにお越し頂きました。今日はどうもありがとうございました。」
「ありがとうございました」
-----------------------------------------------------------------------
<終わり>
上柳アナが言うように、緊張気味な雰囲気ながら、先生モードのスイッチが入ると、カナーリ饒舌になるんですよね~
聴きながら何度か「あら~?アテクシ今、NHK教育ラジオかなんか聴いてるんだっけ?」
みたいな感覚に陥りましたわ。
ハッキリとした意志や、ご自分の取り組んでおられることに対する意欲が、率直に伝わってくるようなトークだなという印象を受けました。
アナウンサーも上手いことズバズバ話を聞きだしてくれて(GJ)、なかなか中身の濃い番組でしたわ
(2/9サンケイスポーツより)
本当にじゅり達のことを歌っているみたいな詞ですね~
「少しだけ」ではないかもしれないけど・・・
今、このピー祭りのタイミングでその曲は、あまりに
ドン、ピシャ!ですわ。
ママ友さんたちは、ちと驚かれたでしょうけどね(^^;)
もしそれがじゅりファンの集まりだったら、全員に伝染して
一同号泣だったかも・・(ちょっとコワイ?
「その時」に備えて、涙を貯金しておくというのはいかがでしょう(笑)
この数日の「ピー祭り」、特にあいら様のラジオ出演書き起こしには、涙なしにはおれません。
ニッポン放送なぞ、夢のまた夢の局ですのに…ありがとうございます!
ところで私、保育所ママ有志のコーラスサークルなんぞに入ってまして、今日歌った曲が、「逢えてよかったね」ってタイトルで…
♪少しだけ遠回りしたけれど 今はこうして逢えてよかったね とか、
♪いつまでもいつの日も歌い続けたい とかの歌詞が…ピーの話題で持ちきりな今の気持ちにドンピシャで、「いい曲~ジュリーとタイガースを思うわー」とつぶやいたところ、ボロボロ涙が!
ママ友さん達びっくり!(そら、そーやわ)
どーしたん!?の問いかけに、「だって、40年近く会えなくて、でも会えて良かった」「62才のじゅりに、いつまでも、なんて言われたらー」(←アホ)
まぁ、「フツーは、自分のこどもに出会えて良かった、とか思うけど、アナタは、ジュリーが、しかも自分じゃなくてメンバーに会えたのが良くって泣いてるのねぇ…」とあきれられましたけど。
すでに重症です。「その時」がきたらどーなるんでしょう。
邁進しようというピーの姿は、潔くてカッコイイ!ですね。
じゅりがロング・グッバイを歌ってくれて、本当に良かったです(T△T)
じゅりが今も、NHKで特集が組まれるような現役歌手として、
歌い続けてきたから、この再会が叶ったんだと考えると、
ああ、なんて素晴らしいんだろうと思いますわ。
じゅりのステキなところって、沢山あると思うけど、
そういう自然な男らしさとか、平凡な日常を大事にするところとか、
軸足のブレない感じが、とても魅力的なんだわ~って思います。
女性をとりこにするのはもちろん、男性にも好かれたのは
その「男気」ってやつがポイントかもって思いますわ。
ザ・タイガース・・・どうなるのかわからないけど、アテクシは
虎の仲間に囲まれて生き生きと歌うじゅりを、一度でいいから、
この目で見てみたいです。
彼自身の今までのお話はもちろん、やはりじゅりファンのアテクシとしては、
じゅりに関するエピソードのくだりになると、胸がドキドキのきゅ~ん、
って感じでした。
本当の友達なら、何十年も会わなくたって、絆が切れることは無いんですね。
ピーの笑顔の写真を見て、「すがすがしい」って言葉が浮かんできました。
本の発売日にサイン会があったりしたら、そりゃもうたいへんな騒ぎになりそうですが、
日本に戻ってくるということで、何らかのメディア露出は期待できるのでは?と思いますわ。
Sカルゴですが、雪が全然積もらず落胆してまして、先程はテレビに映った新潟県の映像に、
「あそこに遊びに行きたい!」とゴネてました。
ほとんどの方が聴くことができたみたいですね!
アテクシ、つべにそういうのを上げたりするやり方とか、
全然わからないものですから、ほえ~~、すごいなぁって感心するばかりですわ。
関東で聴けないラジオのときも、どなたか4649~ナンチャッテ
雪なんですが、一応ちょっぴり降ったんですが、地面が白くなるには至らず・・・
Sカルゴが白い雪に覆われた地面を見るのは、まだ先のことになりそうです。
よく伝わってくるお話でしたね!
聴いているほうも嬉しかったです。
今年は期待しちゃいますよね~GSといえばやっぱり虎!ですものね。
あ、katyaさまは当時、蜘蛛のカツオさん派でしたっけ・・?
フィギュア実況解説の翻訳って、ロシア語ができて、尚且つ
フィギュアの知識もないとできないですよね?・・・すごいですわ(尊敬~
タイガースファン皆が気になるところですね。
なんでも、先日は彼のライブが中止になったとか聞こえてきて心配ですわ。
元気な6人が立つステージを見たいですね!
物好きでいろいろ書いてますが、楽しんで頂ければ嬉しいです~
こちらでは、昨日はほんの少し雪が降ったんですが、地面が白くなるほどではなくて、
ものすごく期待していたSカルゴはガッカリしてました(^^;)
ピーって若い頃から、しっかり者タイプだったのかな?なんて想像致しますわ。
ロング・グッバイの返歌って、ぜひ聴いてみたいですね。
どんな曲なんでしょう。
じゅり、それを聴いたとき、嬉しかっただろうな~と思うと、
こちらまでうるうるしちゃいます。
きっとじゅりと一緒で、強い意志で日常をコツコツと
頑張るかたなんでしょうね。
ピーの決然とした態度から、彼の心情を感じ取っていた面なんかも
あるかもしれないなー、なんて思いました。
おっしゃるように、まさに人徳ですね~
あと太字の赤いところも素晴らしい~。
じゅりのそういうところって古臭くなく、自然な男らしさなんだと思います~。
草食系とかはダメですねー(笑)
たいへん、もう、ご無沙汰しております。
音源から、これだけ読めるように起こされる集中力ったらナミではありませんねー。
ラジオを聴いてはいましたが、ザル耳ですので、文字にしていただいて感激です。
あいらさんが赤字にされた、あの「男気」のところ、
聴いていて胸が高鳴りました。
やっぱり、ジュリーはそうなんだ!それなんだ!
そう言われるジュリーも、
それを言ってるピーのほうも、
互いに深い信頼を寄せていることが
ピーの声に、言い方ににじんでいました。
それも40年を隔てて。
やはり、タイガースはすばらしいグループだったのね!
ほんとに大変な作業をありがとうございます。
お疲れさまです。何度も聴いて、こちらで、何度も読んで、涙があふれてきます。
ピーの笑顔が、うれしくて、うれしくて、
新聞もあっちこっちに出て、幸せです。
アナウンサーも聞きたいことを聞いてくれて、ピーもいっぱい話してくれました。
25日に戻ってくるって、サイン会とかあるかなぁ?
Sカルゴ氏も雪は、喜んでるでしょうか?
雪だるま作ってね~。
明日の朝は、気をつけなくては、ですね。
この度は長編書き起こしありがとうございます。Aお姉様のおかげで聴く事は出来ましたが、こうして目にするとツルツルの脳細胞にも入って来るような気が致します。
本当に大変だったでしょうお疲れさまでした。
今日はそちらは雪景色ですね。Sカルゴちゃんは喜んでいるでしょうね
でも大人は大変ですね。お気をつけ下さい。
いいブログでした。
本当にありがとう!
私、時々、フィギュアスケートの実況解説を翻訳してネットに載せることがあるのですが、あの4~7分の短い物でも、結構手こずります。
大変な労力だったでしょう。
今年は、私のようなリアルGS世代にとって、大きな楽しみが一つ増えました。
んー トポさん次第 ですか
40年たったのだから雪解けすればいいのに
はーぁ
私は6人見たいな
はじめまして。
聞けない地方にいる者にとって大変うれしいですう。
お礼に、Sカルゴちゃんの、雪遊び担当を
お引き受けいたしたいと思いますー。
お疲れさまでした
あいらさんスゴイっ!!!
ピーの声を聞いて昔と変わらないしゃべり方が懐かしくてうれしくて
先生モードのピーに40年の流れを感じて…
そしてまた何度も繰り返し読んでます
あいらさん ありがとう
こんな日が来るなんて
ロング・グッバイ♪に感謝です
ロング・グッバイの返歌も聴きたいな
いつの日かみんなの心がひとつになる日を信じて
ピー、すっごい、いい笑顔してますね。
ほんとにほんとに、ありがとうございました。
若輩者の感想を述べさせていただくと、ピーさんの周りには、いつでもどこでも、細やかな気配りをしてくれる人たちがいたのですね。ピーさんの真っすぐな人柄が引き寄せていると思います(^_^)