はしご / ながたけひさのり

抑圧される側の呻きとして、闇の歌を singin'(呻吟)する。

オーディンのカラス

2014-12-23 13:51:43 | 日記


今年ももう、あと半月あまりになってしまった。暴風が一晩中吹き荒れ、今夜も虎落笛が唸っている。そう書いてから、また幾日かが過ぎ、母の33回目の命日も過ぎていた。街にはクリスマス・イルミネーションのまばゆい光と、惛い深い闇が溢れている。浮かれさわぐ政治と一極化しつつある富の蔭で、いったいどれほどの血と涙が流されているか、このクニのヒトビトには、もう感じとることはできなくなってしまったのだろうか。

水曜日(Wednesday)の語源にもなったオーディン(Woden's day )が登場する北欧神話によれば、チュートンの民の神オーディンは、二羽のカラスを飼っていた。一羽の名は「思考」、もう一羽は「記憶」。オーディンは毎朝明け方にカラスたちを空に放ち、下界で何が起きているかを偵察させた。夜になるとカラスたちは帰ってきて、見たもの聞いたものすべてをオーディンに詳しく話した。ある日、オーディンの頭を疑問がよぎった。一方のカラスしか戻らなかったらどうなるだろうか。生きていくのにどうしても必要なのは、どちらのカラスだろうか。

神話では、オーディンは「思考」はいなくても生きていけるが、「記憶」がいなくては生きてはいけないとさとったという。が、この間の選挙をみれば、このクニのヒトビトは「思考」も「記憶」も喪失してしまっているようにみえる。釘に弾かれながら、「ハズレ」の窖へ堕ちていく、行き当たりばったりのパチンコ玉のように、パチンコ台の中を自由に動き回っているつもりでも、釘に阻まれ重力に支配され、ただひたすらに「ハズレ穴」に吸いこまれていく。途轍もなく高い競争率を突破して、たまたま運よく入賞できたとしても、パチンコ玉にその恩賞が与えられることは決してない。パチンコ玉たちには「思考」や「記憶」があるだろうか。それとも、レーテー(忘却の川)の水を飲み、忘却してしまっているだけなのだろうか。このクニでは、「思考」も「記憶」も喪くしてしまったほうが「お気楽」には生きられるだろう。

古代ギリシア語の「忘却」、あるいは「隠匿」を意味するレーテー(Lethe)は、「真実」や「真理」を意味するギリシア語、つまり「非忘却」「非隠匿」を意味する アレーティア(a-lethe-ia )の対義語になっている。即ち、忘れさることと隠しだてすることが同一であり、「真理」や「真実」の対極であるということだ。いま、過去の事実を忘却するだけにとどまらず、歴史を改竄し、あったことをなかったことにして、真実を隠しだてし、戦争への道をまたつきすすもうとするこのクニには、オーディンのカラスは一羽もいない。未来を信じない人間に明日を生きる資格はない、とだれかが云ったが、忘却と隠匿と思考停止のこのクニに、はたして信じるべき未来はあるのだろうか。




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