セカンドライフ 

歳を重ねるのも悪くはない

叔父との別れ

2016-11-28 | セカンドライフ
  亡母の弟、11月23日(水)勤労感謝の日、叔父は86歳の人生を終えた。
昨年から調子の悪い事が数回あり、姉から電話が入るたびに、南房総の亡母の実家や、病院に足を運んだ。肺がん、肺気腫、肺炎を患い、精一杯戦い、力尽きた。
悲しい事の多い人生だったと思う。弟2人(21歳、24歳)は、先の戦争の犠牲になり、腕のいいパイロットだったと聞くが、サイパン、硫黄島の海に散った。祖父母の家には足しげく通ったが、先ず二人の凛々しい遺影に手を合わせ、叔父達にお線香を上げてから、囲炉裏の周りに座ってお菓子を頂くのが、習わしだった。もう一人の小叔父は、高校生だった。学校の先生になると夢を私達姉妹にも聞かせ、優しい優しい人だった。姉にはいつも「解らない所が有ったら何でも教えて上げるから」と声をかけていたそうだ。しかし大学病院で白血病の治療を長く受けながら、快復叶わず、自宅に返され数日で亡くなってしまった。みんな声を上げて泣いた記憶がある。祖父母の精神的な悲しみは想像に難くない。私の孫のみっくん(高2)と同じ歳だもの。
昨年叔父に「今の時代でも助からなかったのだろうか?」と訊いてみたが「病状は進行性の悪性白血病だったから無理だったな」と答えた。4人も男兄弟が居ながら3人も、自分を残して逝ってしまったのだから叔父も、皆の命の分まで生きたいと思っただろう。
それでも自分の子供達3人がそれぞれ結婚、孫達も子供に恵まれ、ひ孫迄7人に囲まれた最期だった。  
   叔父が命をかけた牛舎

      

  叔父夫婦は酪農に専念し、私と食卓を囲んだ事は記憶に無い。朝から晩まで、働き続けた人生だった。私の兄には酪農にかける夢や計画を話して聞かせていたそうだ。通夜、葬儀に集まった本客(通夜振舞・精進落とし迄、列席)は、兄も例を見ない程の人数だったそうだ。「これだけの立派な付き合いをして来た人なんだ!」と、私に説教の如く言った。亡くなった日が「勤労感謝の日」何とも・・・。葬儀場の都合で11月25日(通夜)26日(葬儀、初七日)が厳かに無事執り行われた。叔父にかける言葉が見つからなかった。ただ手を合わせた。


   屋敷の庭を3回廻る           その日の内の納骨


戦死2人(21歳、24歳)叔父の墓   子供の頃遊んだ赤まんまの花
  皇帝ダリア

最新の画像もっと見る

コメントを投稿