南三陸タイ料理 aimakiへ ようこそ!!

aimakiの日常やお知らせ。3年9月から新店舗店オープンへの奮闘の日々を投稿。皆さんのご支援をお願い申し上げます!

娘との会話

2011-03-31 23:02:58 | Weblog
只今、明日のお弁当仕込中。
日中さっさとやればいいのに。

娘が手伝ってくれています。


くうしゃちょう「社長、わたしお手伝いをする決心をしました。」

だいご社長「おねがいします」


だいご社長「玉ねぎ剥いてください」

くうしゃちょう「はい。かしこまりました。」


だいご社長「たまご割ってください。」

くうしゃちょう「はい。わかりました。」

くうしゃちょう「しゃちょう、たまご落としました。」

だいご社長「、、、、。あとで片付けます。」


音楽聴いて踊っていたら、、、、。

くうしゃちょう「ふざけない!」

だいご社長「はい。すみません。」


只今休憩中。

仕込みはつづく。

春の日差し

2011-03-31 12:42:56 | Weblog
陽が出てきて暖かいです。

自宅から本吉に向かう時、水仙ロードという道があるのですが
春になると一キロくらい水仙が咲き乱れ、出勤前からとても気分の良い道でした。
あの辺りも波に飲まれどうなったのでしょうか。

お店もそろそろ水仙とチューリップの芽が出てくるころです。

黄色い花が好きで春は菜の花、山吹など道を通る楽しみです。

震災があっても穏やかな日差しは変わらないですね。

日差しとともに皆さまの心も暖まりますように。

避難20日目

2011-03-30 20:47:22 | Weblog
最近、風呂やシャーワーを浴びると風邪気味になります。

一日平均10分も外に出ないので免疫力が落ちているのでしょうか。

今日は半日外にいましたが、ようやく暖かくなってきました。
羽虫が飛んでいるのも見たので、やっと春が来ると感じました。

でも暖かくなって風向きも変わるので、放射能も飛んでくるのではと思っています。

せっかく洗濯機買ったのですが当分は部屋干しです。

最近、ぽつぽつ来客もあるのですが気仙沼、南三陸町は8~9割飲食店が
無くなったらしく、これから開けたら来ると思うよ。
と言われたのですが、ホンとでしょうか。

やり方しだいと思いますが。

やっているお店がないので、お弁当2件注文いただきました。

藤沢、歌津方面20分くらい配達しますのでお電話ください。






洗濯機と格闘

2011-03-30 19:37:12 | Weblog
今日は洗濯機を設置するため外の片付けと、設置に一日終わってしまいました。

ホースや止め具など会わなかったのでホームセンターで買出しし
給水がうまくないので、場所を替え夕方うまく設置できました。

脱水ってすばらしい、これから洗濯の日々が続く。

いのちの食べかたを読み、そして思う

2011-03-30 01:33:20 | Weblog
最近寝る前に、森達也さんの書いた「いのちの食べかた」を
読んでいました。

これは中学生くらいを対象とした本ですが、とても深いです。

内容はお肉。
お肉はどこで作られているのか、生きているところから
スーパーのパックになるまであまり知られていない。

ということでお肉を食べるようになった歴史から場の話
そこから被差別の話へと、内容は重いですが是非みなさん若いうちに
読んで欲しい本です。

特に印象に残ったのは第二次世界大戦当時は皆、騙されていたという話。
誰に騙された、新聞?軍部?上層部?さらにもっと上の一人か二人?

結局は国民が批判力を失い、、思考力を失い信念を失い、家畜的な盲従に
自己ゆだねるようになってしまっていた国民の文化的無気力、無自覚
無反省、無責任、などが悪の本体なのである。
と書いてありました。

僕はこれを読んで今まさに原発問題と似ていると思いました。

東電や政府も悪いですが、許していた無自覚、無責任、無関心な
僕たちも悪いと。

本の中では何度も知ることの大切さを説いていました。

以前、鎌仲監督がイラクに行った話しを聞かせてくれましたが
あまりにもマスコミから流れてくる報道とかけ離れていて
とても驚きました。

自分で体験して知るということは、自分の感性、視点など
聞いたはなしとは、ずいぶん捉え方が違うと思います。


原発の話に戻りますが、もし自分が今、福島にいたら、、、。
想像してほしい。

今回の問題は自分たちが許してしまった、放棄してしまった問題でも
あると思います。

これから何を残していけばいいか、、、、。

何を選択していけばいいのか、、、。

逃げてはいけない。

考えるのをやめてはいけない。

もうこういう過ちは、二度と繰り返してはいけない。

避難19日目

2011-03-30 00:16:03 | Weblog
今日は友人たちから次々に服を送って頂いたり、持ってきてもらったり
いきなり洋服持ちになりました。

本当にありがとうございます。

お弁当も好調だったので、とてもうれしい一日でした。
けっこう店内で休みたいと言われるのですが、かなり生活感があり
申し訳ないですがお断りさせていただいてます。


これからのアイマキの本格営業を目指して、敷地に仮設住宅を
建てようと準備しています。

補助金や助成金などもらえるか、宮城県や岩手県に連絡しているのですが
まだそこまで詳しく決まっておらず、地元南三陸町にも連絡つかず
着工前に補助金がでるか調べたいのですが、誰か詳しい人教えてください。

浜のほうの話を聞くと、まだまだ水や電気が来ていない所も多く、
復興はこれからだという感じです。

もう4月も間近ですね。新しい年度になりますが落ち着いて暮らせるようになるのは
いつ頃でしょうか。

こちらで桜が咲く頃には良い方向に向かっていてほしいです。

池田香代子さんのブログから

2011-03-29 09:20:30 | Weblog
僕たちも疎開についてとても悩みました。
過剰防衛と思われるかもしれませんが、今は分かりません。
多少被爆してもすぐに死ぬわけではないんです。
子供たちの影響もすぐに出てくるわけではないんです。

そして食べ物の心配はこれから一生しなければなりません。

僕たちは留まることを選択しましたが、疎開できる人は
罪悪感を持たず避難したほうがいいと思います。

つらい選択になるかもしれませんが、みな自分を信じて
未来を変えていきましょう。


仙台の苦悩 


残るか残らざるかパレスチナは、イスラエルの入植による浸食やアパルトヘイトウォールと呼ばれる高い塀によって、ずたずたにされています。水も水源がイスラエル側にあり、バルブの開け閉めはイスラエルの思うまま。生活用水にも事欠く暮らしが何十年も続いています。イスラエルでは畑にふんだんに散水して、果物を輸出するほどなのに。水がなくても育てられるのが、オリーブの木です。オリーブの木の1本1本は、パレスチナの農民のたいせつな財産です。なのに、というか、ですから、というか、イスラエルは、この土地から農民を追い出そうと目をつけると、まずオリーブの木をブルドーザーで根こそぎ倒します。

イスラエル国内にも、パレスチナ人は暮らしていますが、二級市民としてさまざまな差別をうけています。そんな人びとを支えるには販路を担うのかいちばんと、長年、パレスチナのオリーブオイルをはじめとする農産品や手芸製品をあつかってきた「パレスチナ・オリーブ」という会社が仙台にあります(サイトはこちら)。わたしも、ここのオリーブオイルを、個人で委託販売している友人をつうじて買ってきました。最近はうちのそばの数件のお店が置いてくださるようになったので、そこで買っています(友人には悪いけど、こうすることですこしでもフードマイレージが減りますから)。

「パレスチナ・オリーブ」を主催する皆川さんは、地震後、ブログを立ち上げられました。生活も仕事も、そして地震後の支援もたいへんななかでの発信です。ぜひ全部呼んでいただきたいのですが、きょうは1本だけ、仙台の人びとの今の気持ちがとてもよく伝わってくる記事をご紹介します。残る人、避難する人それぞれの心の痛み、これはひとごとではありません(元はこちら)。

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011/03/25(金) 15:41
福島原発のこと

地震だけだったら、こんな複雑な気持ちにならなかったのに。みんなで助け合って一緒に復興を目指すはずだったのに。


関東で水道水の放射能汚染が問題になっています。空気中の放射線測定値が東京よりずっと高い宮城県の水道水は?? 計っていないのです……。地震で検査施設が壊れたと言っています。本当に壊れたのが理由なら2週間も経ってるのに怠慢だし、数値が高くて発表できないだけでは?と疑いも捨てきれません。まさか、とは思うのですが。
 
水道水を料理に使おうかどうしようか、悩んでいます。実際には、ペットボトルの水が手に入ったときは使い(たまたま見つけたら買い、探して並んで買ったりはしていません)、そうでないときは水道水を使うという中途半端なことをしています。大人である自分が買っていいものか。外に出るたびカッパを着たり服を着替えたりするのも、50歩100歩のような気がしてやったりやらなかったり。そもそも、そんなに気にするなら遠くに行けばいい。仙台にいると決めたのだから覚悟を決めればいいのに。矛盾した気持ちでぐちゃぐちゃです。外に出るたび、料理のたびに悩んで決断することに疲れても来ました。

避難するか、避難しないか。どちらの選択をした人も苦しんでいます。
 
私自身は、高い数値が出ている福島県の一部はもちろんのこと、福島原発から95kmの仙台とそれより高い数値の出ている宮城県南の人たちは、避難できる人は避難した方がいい値が既に出ていると思っています。本当はみんなが遠くに逃げられるならそうした方がいい。子どもがいてもいなくても。
 
でも、家族がいたり、仕事があったり、動けない人も多い。子どもがいるから避難した、でも自分たちだけ逃げたという罪悪感を持っている人たちがいます。子どもがいるけれど避難できないことに不安を持っている人たちもいます。正解なんてないし、罪悪感なんて持つ必要がないのだけれど。理屈はわかっても気持ちはわりきれないのでしょう。
 
私は、夫に託して子ども(7歳)を関西に避難させ、自分は仙台に残るという選択をしました。仙台でやることがあります。育児を放棄し、避難するという罪悪感を逃れるずるい選択です。でも私にはこれしか考えられませんでした。

原発のことがなくても、小さな子どものいる人は避難した方がいいと思いました。まず物資が不足しているから。避難できる人が被災地から出れば、その分他の人に食料が回ります。また、小さい子どもがいると避難所暮らしも大変だし、食糧を手に入れるため長時間並ぶのも無理。ライフラインの復旧は遅い(遅いのは被害がひどく範囲が広いためで、現場の技術者の皆さんは頑張ってくださっています)。地震直後の仙台から避難する唯一の交通手段であった山形行きのバスに乗るには、寒さの中何時間も並ばなければならず子連れには無理。さらに、子どもがいれば支援にも動きにくい。一時的にでも仙台を離れた方がいいと思いました。
 
でも、交通は限られているし、ガソリンはない。仙台やその近郊から避難したくても出る方法がなくあきらめている人たちがいました。だから、小さな子どものいる家族を中心に声をかけ、仙台から山形経由で新潟に行くバスをチャーターして乗ってもらいました。新潟からは飛行機も電車も通常通りに動いているのでどこにでも行けます。関西で夫と友人たちがカンパを集めて、17日、18日、19日で計5台のバスがチャーターできました。関西では避難した方の受け入れもして頂いています。私は実家のある新潟でバスを待ち、その後の交通や宿泊の案内をしました(友人と両親がサポートを手伝ってくれました。ありがとう!)。その後、交通網が復活したのでこの活動は終わりにし、私も新潟から仙台に戻りました。
 
でも。この活動は家族に悩みももたらしました。バスに乗るか乗らないか、多くの方が悩みに悩みました。電話で泣き出してしまった方も複数いらっしゃいました。迷いに迷ってバスに乗った人、乗らなかった人は半々くらいでしょうか。年配の両親を置いていけない、そう言った人も多くいます(ご両親も一緒にどうぞ、と言いましたが、住み慣れた土地を離れる年配の方はいませんでした)。仙台を動けない人も多いのに、チャーターしたバスの案内をすること自体、避難できない人たちを傷つけるのではとも思いました。実際、不安を与えた面も否定できないでしょう。でも、避難したくてもできない人たちがいた以上、やらないという選択肢もありませんでした。カンパをして頂いた皆さんに大変感謝しています。

福島市などはもう避難地域にするべきでしょう。そう政府に申し入れをしている人たちもいます。避難するかしないか悩み苦しむ人を減らすためにも、政府の定める避難地域をもっと広げてほしいと思っています。

私は、原発にも再処理工場にも反対していきました。自分ではなかなか動けませんでしたが、多くの友人たちが、原発・再処理工場のない社会を目指してがんばって活動してきました。こんなことになって悔しくてたまりません。

そして。仙台あたりでは、まだまだ安否の確認や生活物資の確保が大変で、放射能の心配どころではない人がほとんどなのが現実です。この記事もアップするか悩みましたが、現状をお伝えしようと書きました。


追記1:
夕方のニュースで、今日25日から宮城県でも水道水と一部の野菜の放射線測定を始めたと言っていました。


追記2:
ハイロアクション福島原発40年
 
ハイロアクション福島原発40年実行委員会は、2011年3月26日~2012年3月26日までの1年間を「ハイロ(廃炉)アクション年」にしようという呼びかけに集まった福島県内各地の有志により、2010年11月23日に結成されました。2011年3月26・27日にいわきでオープニングイベントが行われる予定で、私も賛同していました。

避難18日目

2011-03-28 22:37:17 | Weblog
今日は用事があり一関へ、友人に千厩のガソリンスタンドが8時から開くらしいと
情報をいただき、待つ覚悟で8時ちょっと前に到着。やはり皆並んでいるので
最後尾へと向かうが走っても走っても車の列が途切れない。

凄い行列でこのままじゃ何時間待つか分からないので、トイレを済ましておこうと
ずっと先の商店へ。そこで食料を仕入れつつ戻りながら、
もう一件後ろのガソリンスタンドに人がいたので「軽油ありませんか?」
と話してみたところ、今から軽油だけ販売しますと10分ほど待った後
スタンドを開けてくれました。

しかも40リットルも入れてくれて、ほぼ満タン。

ミラクル!!!

給油しないとたぶん帰れなかったので、3時間は並ぶ覚悟でしたが
10分で給油できるとは。

戻りつつスタンドの渋滞を測ったら2キロも並んでいました。

そのあと川崎の道の駅で新鮮な野菜を仕入れ、一関の入浴施設へ。

道中変わらない景色を眺めながら走ると、こっちのほうは平穏だなあと思いました。
もちろんスタンドの渋滞や、スーパーの品不足を見ると影響はあるように見えますが
店もだいぶ開いているし、レストランはやっているしショッピングタウンには
ケーキまであるし、浜のほうからすると異世界です。
正直、温度差を感じます。


入浴施設で震災後初めてのお風呂。

入浴繰り返しながら髪も体も3回づつ洗いました。
こんどいつ入れるか。

普段お店からまったく出ないので、今日は日用品、お店の食材などいろいろ購入。
毎日こつこつお弁当を販売してますが、そんな利益何処へやらと
お金がサササーーサササーーーーーーっと飛んでいきます。
使っていて怖い。
しかも洗濯機も買いました。
当分町へ出るのはやめよう。

二週間くらいはお店から出ずに生活できそうです。

購入した中でも牛乳が買えたのはうれしかったです。
カプチーノ出したくても牛乳が無かったので、でもたくさんの牛乳が販売されてるのを
見ると世界が違うと思いました。しかも野菜の豊富なこと。

物価は一割、二割上がっていると思います。
たぶん、特価とか安売りというのをしていなくて、すべて通常の値段で
買うからだと思いますが。

町へ出て普通の生活をして、逆に非日常な一日でした。

避難17日目

2011-03-27 21:54:31 | Weblog
今日、昨日のブログを見た栗駒高原自然学校の方に連絡をいただき
すばやい対応で午後に家族の服を持ってきていただきました。

どうもありがとうございました。

東和町、鱒淵の廃校でエコツーリズム、アウトドア関係の方々が
50人位ボランティアで物資の運搬をしているそうで
体育館はテント村になっているそうです。
行ってみたい。
なんとモンベルの辰野勇社長も来ていたそうです。
経営、チャレンジ精神、いろいろなサポートなど尊敬しています。
会ってみたかったです。

なんども書いてますがたくさんの方に、支援、励ましの連絡、
本当にありがとうございます。

僕たちはもう大丈夫です。

住宅問題を解決し、前に進んでいきます。

元気です

2011-03-27 21:12:40 | Weblog
毎日、心配のメールや励ましの電話など、たくさんいただき
ありがとうございます。

うれしすぎて、泣きそうです。

家を失っても、大切な人との繋がりが残っているということは
ほんとうに恵まれていると思います。

これからも元気でやっていけそうです。