合間の博物館旅日記

博物館を回りながら日本各地を旅をする過程の壮絶な日記。(2005.4-9月)
旅終了後は適当に随時更新の予定。

アブの多い大島と2000年有珠山噴火

2005-08-14 23:36:34 | Weblog
 朝飯を食い、キャンプ場を出発。洞爺湖方面に向かう。昭和新山と久々に対面。
 壮瞥町郷土資料館・横綱北の海記念館に9時に入館。250円。北の海の土俵入りの等身大人形がある。歴代の横綱や優勝力士の写真、相撲の決まり手七十手などもある。途中からは郷土の展示で、壮瞥発電所の発電機であるとか、橋口文蔵の紹介、おがみ小屋の展示、「さよなら胆振線」、昭和新山など。NHK特集「有珠山噴火」の映像は画面と音の乱れが激しく残念だ。
 隣にはパークゴルフと入浴施設がある。昨日風呂に入りたかったので、1時間ほど風呂に入る。入浴料は370円だが、コインロッカー代は別にかかる。
 壮瞥の道の駅に寄ってスタンプをおし、ゆでたモロコシを食ってから洞爺湖温泉に到着。ホテルの立ち並ぶ温泉街だ。足湯とか手湯がある。十年前にはなかったと思う。ストリップ劇場も以前見かけたが今回は見かけず。通る道が違っただけかもしれない。
 湖中央の島に渡る。何故かというと森林博物館があるからだ。バイクや自転車で回ってる旅人で、この島に渡る人はそうそういないと思う。船代は往復で1320円。博物館は200円だ。1時の船に乗る。船内では弁天島・観音島・饅頭島・大島(僕の地図には中島とある)の説明がなされる。饅頭島は昔アオダイショウがたくさんいたので蛇島と呼ばれたとか、義経が島に渡った伝説があることなど。
 25分後に到着。早速目の前の洞爺森林博物館に入る。しかし入ったのは僕一人で、他の乗客は誰も入ってこない。自然の生き物のジオラマや、洞爺湖がどうしてできたかの展示がある。ここにはシカがたくさんいるのだが、元は博物館が放した3頭のシカらしい。S57年には198頭の生息を確認。ちなみにこの博物館が開館したのは昭和30年だ。
 館を出て土産物屋に。アブがたくさん飛んでいる。店の人は手に手にハエ叩きを持っている。その裏は金網で、その向こうにシカがいる。観光客がやるシカせんべいを待っている風情だ。しかし何でこんなにアブが多いのか。まさか虻田町だからというわけでもあるまい。店の人に聞いても分からないという。
 近くの便所に入ると、床にアブがたくさん死んでいる。しかし生きたやつも飛んできて、おちおち小便もしてられない。事実、僕のすぐ後に入った男性が慌てて出てきた。
 島で行ける所は以上だ。許可を得れば金網にある扉の鍵を開けてもらい、森の奥までいけるらしいがそれも午後3時までらしい。帰りの船にまだ間があったので、博物館に戻り気になったことを聞く。一つはジオラマにあった松ぼっくりについて。赤や緑・黄色に塗られていたが何故かという質問。意味はなく、前任者が「綺麗だから」と塗ったらしい。そうであれば、自然を再現する意味で不適当であり排除してもらいたいものだ。もう一つは「何故アブが多いか?」。これについてはシカについて来るのだという。シカは280頭近くいる。見かけたシカは全部耳に番号のついた札をしているが、これは全部につけているのではないらしい。
 帰りの船に乗る。凄いのは売店の女性が、ハングルで商品の説明を始めたこと。韓国の観光客が乗っているのだが、店の人も韓国人なのか。そういえば白老のアイヌ民俗博物館にも韓国人の団体客が来ていた。ちなみに船内の説明は録音テープに切り替わり、有珠山など周辺の説明をしていた。
 洞爺湖温泉火山科学館へ3時に入館。600円。ここは前にも来ているが、その後に平成12年の有珠山噴火があったので、その変化に期待した。以前は77年の大噴火がメインだったが、今回はそれに2000年のがプラスされている。2Fの記録映像は確かに見ごたえがあったが、3Fの世界や日本の火山に関する展示は淡白すぎる。2000年の噴火についても、例えば新聞記事や避難民の証言など、もっとリアルな展示はできる筈。特に今回は、死傷者こそなかったが家や財産を失った人も多く、避難生活を踏まえてもっと突っ込んだ展示ができる筈だと思う。それが残念だ。
 博物館の裏手、徒歩で3,4分行ったところに災害遺構散策路があったので行ってみる。金比羅火口から発生した泥流が、泥流対策で作られていた流路工から溢れ、国道230号に架かっていた橋を押し流し、公営住宅に激突。住宅団地や町営の公衆浴場、小学校に泥流被害を大きくした。浴場「やすらぎの家」と流された橋、桜ヶ丘団地一棟が撤去されずにそのまま残してある。見てみたが、まったくひどい有様だ。昔、雲仙で火砕流の被害にあった家々を見に行ったのを思い出す。
 明日は峠を越えて定山渓を抜け札幌に行く。博物館を見る予定もない。そこで洞爺湖北にあるキャンプ場に寝ることにする。洞爺湖は広い。富士五胡なんかを思い出すとその広さが際立っている。霧もあって対面がぼやけて見える。海だと言われても信じるだろう。
 午後6時過ぎ、中央公園の隣の小公園のキャンプ場に着く。テントが密集している。一番橋のトイレの裏に空き地があったのでテントを張る。隣では家族がバーベキューの食事をしている。いつもの侘しい食事。
 夜の8時にでかい音量で「ドラえもんの歌」をかけながらたこ焼き屋の車が来た。すぐ近くである。一体いつからキャンプ場に物売りが来るようになったのか。安眠妨害も甚だしい。しかしそんなのは序の口だった。
 8時半頃から湖の対面、すなわち洞爺湖温泉街で本格的な花火が上がり始めた。しかし遠すぎて小さくしか見えない。こちらでもキャンパーが次々に花火を打ち上げている。暫く見た後寝るが、となりの親父が酔っ払って騒ぎ始める、午後十時を過ぎても大騒ぎしている子どもたちがいるで全く寝れない。特に酔っ払い親父。テントに入ってもわめいていて、ようやく静かになった(つまり寝た)のは12時を過ぎてからだ。こんなとこに寝たのが間違いだった。キャンプ場だと思って油断した。今度から、旅人以外の人間がメインのキャンプ場は敬遠して、静かな場所で野宿することにしよう。