「エイムの窓口」

なんやかんやで起業から10年超え!日々の業務掲載と日常の出来事を綴るブログ!

奮闘記1「術後」

2009-05-11 18:20:18 | 個人的

写真!入院中に息子が病室で書いた絵

ピカチューなんですかね?本人覚えておりやせん

ドラえもんと吹き出しに書いてますが、ドラえもんを呼んでる??

謎な絵ですなー

 

 

《手術室、続き》

 

覚えているのは、暗くて、深くて、記憶にある限りで
こんな睡眠は経験したことのない深い、深い眠りでした。

「○○さ~ん。終わりましたよ~。起きれますか~。」

という声が聞こえ、目が覚めると手術室で、数人の先生、
看護士さんが私を覗き込んでいる光景が。。

主治医のK先生が「無事成功です。完璧な手術でしたよ」
「どこか痛いところありますか?」

の声に、最初は「あっ!終わったんだ」
と安心し、次にとんでもない激痛が!!
もうどこがどう痛いかもわからず、胸から開腹した辺りまで
とにかく痛い

ストレッチャーで戻る時も、痛さを堪えられず、
かなり大騒ぎした記憶があります

午前9:30に手術室に入り、終わって目が覚めたときには
夕方4:00近くでした。
結局6時間半位手術室に居たことになります。

その日から翌日にかけて完全看護状態で、
感染症や合併症の心配がありましたので、ピリピリした
状況だったように思います。

わたしはというと、多分40度近い高熱と、痛さで半分意識
モウロウとしており、この日の一晩はほとんど記憶が
ありません。
(この普通以上の痛みと高熱には原因がありまして。
 後ほどこの原因については書きたいと思います)

ただ、かみさんが一晩中居てくれたのと、看護士さんが
汗を拭きにやら、点滴交換やらで来ていた事位しか記憶に
ないです。

口に酸素を送るマスクを付けていましたが、高熱による
発汗で、どうも邪魔になるのか、自分で外していたようで
外しては戻しの連続をかみさんはしていたようですね

 

[2001年 7月18日~]

翌朝目が覚めるものの、痛みと高熱は相変わらず・・・
感染症などを心配してか、先生が何度も来てましたが、
やはり自分はもうろうとしてました。

午後位からでしょうか。
痛み止めの薬が少し効いてきたのか、痛みが和らぎ。

この頃からよく覚えてますが、気付けば体中管だらけ
まるで人造人間に改造されているかのような事態に
初めて気付き

主治医の話によると、割腹がいいので、30センチ近く、
開腹したと聞き。。

そりゃ痛いわけだな・・・と諦めました

 

痛みは日に日に和らぐものの、相変わらず熱が38度前後で、
目の前にあるカレンダーの、1週間先位の日を見つめ、
「早く時間が経たないかな・・・」
などと考えておりましたね。

食事は、オモユから少しずつおかゆに変わり、できるだけ
完食するように!と言われますが、ほとんど食べず・・・

「食欲そんなにないですか?」との問いに、
正直食べようと思えば食べれますが、こんな寝たきりの状態で、
「大便」したくなったら大変だと、そんな心配から食べませんでした
それを看護士さんに話したら、思いっきり叱られましたね

でも「いや!車椅子で動けるようになるまでは、絶対嫌!!」
と反論したら今度は主治医に叱られ

看護士さんが「私たちの大事な仕事ですから。あなたの下の世話
だけではなく、みなさんの世話をしているのだから気にしないで」

とのお言葉に負け、その後出された食事を全て食べるように

 

でもやっぱり屈辱的な気持ちになりました
動けない、こんなことも人の世話になるなんて。
カッコつけている場合ではないのは承知してますが、やはり
受け入れがたい、辛い時間でしたね。。。

 

[2001年 7月22日~]

背中の脊髄に沿って入っていた管(痛み止め)を外せる日。
一気に引き抜くのですが、一瞬呼吸が止まるような、
腰が抜けるような感覚でしたね

ところが、この管を抜いたあと、熱も下がり、痛みもほとんど
なくなりました。
(体を動かすと痛みはまだありますが)

その後、2日に分けて抜糸や、傷口のドレン、尿道カテーテル
などが外され、だんだん楽になってきました。

尿袋も最初は真っ赤な血ばかりでしたが、次第にピンク色に
変わり、外す頃には普通の尿の色に変わっており。

初めて2本足で立った時は、さすがに貧血のような状態で、
数秒間しか立てませんでしたが、少しずつ車椅子の乗り降り、
トイレに立つなど動かし始め。

歩く距離も、最初は病室の洗面所まで歯磨きに行くのが
精一杯でしたが、食事の後の配膳まで歩いたり、
来客用の待合室まで歩いたり、少しずつ距離を延ばして。

 

時間と共に無事回復しているのがよくわかりましたね。

 

 

だいぶ長くなってしまいました

この辺はメモがありませんので、記憶を頼りに書いてます

次回あたりで最終回にしますので!!


 


コメント (8)    この記事についてブログを書く
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8 コメント

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凄すぎる! (オスト)
2009-05-13 23:06:46
 闘病記、いえ、挑戦記、かたずを飲む思いで拝読しております。次回で終わるかもということですが、生死を超えて、激痛と闘って、いまのエイムさんが存在しているのだと思うと、胸の奥がじわっと熱くなります。

 ドラえもんを呼ぶピカチュー(もどき?)の絵も良い味を出しているじゃないですか!奥様の存在と愛情を、これまで以上に理解できたのも収穫でしょうし、それが『二人で起業』というバックボーンになったのかな?などと感じました。
 
 ふだん、『いつ死んでも良い』なんてうそぶいている私は、きっと同じ状況に置かれたら、もっとロウバイしてしまうのだろうなあと反省もさせられました。今を生きるって、もっともっと大切にしていきたくなりました。

 辛い思い出でしょうが、明るく、そして、気持ちよく表現されているエイムさんに「一言」激励したくなり、コメントをお届けしました。元気をいただきありがとうございます。
返信する
Unknown (アロマハート)
2009-05-13 23:25:38
8年位前になるんですね。。。
今元気でよかった。。。
返信する
Unknown (tamirin)
2009-05-13 23:26:38
ピカチュウ。。。
ちゃんと、とってあるのが、素晴らしいわ。。。
返信する
オスト様へ (エイム)
2009-05-14 18:46:05
コメントありがとうございます!
私のつたないブログを、見て戴き、
暖かなコメントまで頂きありがとう
ございます

自分の闘病生活を公にするなど最初は
考えておりませんでしたが、同じ病気で
闘病記をブログに紹介されている方を
知り、伝えられるものがあるのなら。。
という気持ちで書き始めました

わたしもこの病気の前は、ぽっくり死んで
家族に保険を残したら本望などと軽々しく
話したことがありました。
でも意思とは反して「死」を意識させられる
場面に直面すると、そうは考えられない事に
気付きました

どうか1日1日を大切に、愉しんで過ごされ
ことをお勧めいたします。

こんなブログにコメント戴き、ありがとう
ございます!
今後も宜しくお願い致します
返信する
アロマハートさんへ (エイム)
2009-05-14 18:48:25
コメントありがとうございます!
そうですね。8年も無事で居れてます
10年、油断できないようですので、
これからも油断しないようにしたいですね
返信する
tamirinさんへ (エイム)
2009-05-14 18:50:56
コメントありがとうございます!
実はこの絵を当時子供達が帰った後で、
見ながら涙したんです
家に帰りたい!という強い気持ちに
してくれた子供に感謝しました

入院当時のメモと一緒に全て保管して
ましたよ
返信する
スリランカでインフルエンザに (道草亭ペンペン草@表の家)
2009-05-14 19:24:46
40度とは大変な高熱ですね。
私はスリランカに居た頃、インフルエンザに感染して最高で39.5度までは出た事があります。
さすがに39度を超えると食欲は一切なくてただ放心状態のような感じでした。
スリランカの解熱剤は即効性がありますが、同時に効き過ぎるので胃を痛めました。
熱は37度台になって初めて食べ物が喉に通りました。
http://omotenouchi.jp/overseas/CCP100.htm#5
返信する
道草亭ペンペン草さんへ (エイム)
2009-05-14 20:20:26
コメントありがとうございます!
外国で高熱出るというのも非常に不安でしょうね
マラリアとかこちらであまりかからない病気も
ありますからね
日本の薬が優秀だと思ってましたが、スリランカの
薬も効き目あるんですね!
でも何やら乱暴そうな薬ですね
返信する

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