愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

自国民だけでなく国際的に敬意を表される国旗国歌こそ道徳的にふさわしい!血塗られた日の丸の実態!その2

2013-04-28 | 日の丸・君が代

「日の丸」が、その由来とかけ離れて、明治以降の歴史のなかで、いかにして血塗られたものであったか、古茂田信男・矢沢保・島田芳文・横沢千秋編日本流行歌史 戦前編(社会思想社81年1月刊)を調べてみました。

 これらの歌の内容をみると、以下のことに気づきました。

 1.時代とともに、次第に歌の内容は好戦的になっています。

 2.「募集」=国民参加という形式をとりながら、強制性を排除しているように見えますが、逆に言えば、当時の国民の意識状況を見ることができるのではないでしょうか?

 3.戦意高揚を図らなければならないような戦争、その戦争の継続は難しいという国民意識と戦意高揚が浸透していくために何を装置として使ったかという事実が見えてくるのではないでしょうか。

 4.これらの歌に込められた思想と感情は、好戦的・攻撃的なものでした。ということは、攻撃される側からみれば、どのように映ったのでしょうか?戦前において、そのような視点で捉えることができなかったからこそ、今日において、必要な視点ではないでしょうか?

 5.このことは、現代社会では当たり前のこととしてやっていることです。たとえば「伝統の巨人阪神戦」か「伝統の阪神巨人戦」か、東日本大震災の被災者の立場に立つかどうか、あるいは「いじめる側から」か、「いじめられる側から」か、など、日常的に行われていることです。しかも立ち居地によって、見えてくる景色は大きく違ってくるのです。

 6.以上のような諸事実を抜きに、戦後「日の丸」「君が代」が、サンフランシスコ条約締結による「主権回復」後の1952年4月28日以後、再び国民の中に、「国旗」「国歌」として、当たり前のように浸透していった結果、圧倒的多数の国民の中に、疑問すら浮かばない状況がつくりだされてしまったのです。戦争責任問題を含めてです。しかも、反対者たちを孤立させるなかで。さらに言えば、「道徳」の名の下においてです。

 

次に問題は、こうした状況をつくりだしてきた国歌の装置について記事を書いていきます。

つづく

 明治26(1893)年

一月一日    詞 千家 尊福    曲 上 真行

年の始めの 例(ためし)とて     終わりなき世の めでたさを

松竹たてて 門ごとに         祝う今日こそ 楽しけれ

初日のひかり さしいでて       四方に輝く 今朝のそら

君がみかげに 比(たぐ)えつつ    仰ぎ見るこそ 尊けれ

 ※官報第3037号付録で告示発表当時は二番の歌詞は「初日のひかり、明きらけく、治むる御代の今朝のそら」となっていた。大正二年文部省告示で現歌詞に改められた。

 天長節  詞 黒川真頼  曲 奥 好義

今日(きよう)の吉(よ)き日は 大君の    うまれたまいし 吉き日なり

今日の吉き日は 御光(みひかり)の      さし出(で)たまいし 吉き日なり

ひかり遍(あまね)き 君が代を        祝え 諸人(ものびと) もろともに

恵み遍き 君が代を              祝え 諸人 もろともに

 明治43(1910)年

出師営(すいしえい)の会見    詞 佐々木 信綱    曲 岡野 貞一    文部省唱歌

一 旅順開城約なりて 敵の将軍ステッセル  乃木大将と会見の 所は何処(いずこ)水師営

二 庭に一本聚(ひともとなつめ)の木 弾丸あとも著(いちじ)るく  崩れ残れる民屋(みんおく)に 今ぞ相見る二将軍

三 乃木将軍は厳かに 御恵み深き大君の  大みことのり伝うれば 彼畏(かしこみ)みみて謝しまつる

四 昨日の敵は今日の友 語る言葉もうちとけて  我は讃えつ彼の防備 彼は讃えつ我が武勇

五 かたち正して言い出でぬ 「この方面の戦闘に  二子を失い給いつる 閣下の心如何にぞ」と

六 「二人の我が子それぞれに 死所を得たるを喜べり  これぞ武門の面目」と 大将答え力あり

七 両将昼食(ひるげ)ともにして なおも尽きせぬ物語  「われに愛する良馬あり 今日の記念に献ずべし」

八 「厚意謝するに余りあり 軍の掟(おきて)に従いて  他日わが手に受領せば 長く労(いた)わり養わん」

九 「さらば」と握手懇(ねんご)ろに 別れて行くや右左  砲音(つつおと)絶えし砲台に 閃き立てり日の御旗

 ※明治三十九年『尋常小学読本巻十』にのった佐々木信綱の詩に、岡野貞一が作曲し、明治四十三年の『尋常小学読本唱歌』に収められた。

 明治44(1911)年

日の丸の旗    詞 高野 辰之    曲 岡野 貞一  文部省唱歌

1 白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は

2 朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましや 日本の旗は

 この歌は、戦後、昭和22(1947)年文部省著作教科書「一ねんせいのおんがく」では、2番が「あおぞらたかく 日のまるあげて  ああうつくしい にほんのはたは」と変更されました。

 因みに昭和16(1941)年には、

一、青空高く 日の丸揚げて ああ美しい 日本の旗は

二、朝日の昇る 勢い見せて ああ勇ましい 日本の旗は

 昭和7(1932)年

満州行進曲    詞 大江 素天    曲 堀内 敬三

一 過ぎし日露の戦いに 勇士の骨を埋(うず)めたる  忠霊塔を仰ぎ見よ 赤き血潮に色染めし  夕日を浴びて空高く 千里礦野に聳えたり

二 酷寒零下三十度 銃(つつ)も剣も砲身も  駒の蹄(ひづめ)も凍る時 すわや近づく敵の影  防寒服が重いぞと 互に顔を見合わせる

三 しっかり冠(かぶ)る鉄兜(てつかぶと) たちまち造る散兵壕(さんぺいごう)  わが連隊旗翻(ひら)々と 見上げる空に日の丸の  銀翼光る爆撃機 弾に舞いたつ伝書鳩

四 戦い止んで陣営の 輝き冴える星の下  黄色い泥水汲取って 炊(かし)ぐ飯盆(はんごう)にたつ湯気の  温(ぬく)みに探る肌守り 故郷(ふるさと)いかにと語りあう

五 面影去らぬ戦友の 遺髪の前に今ひらく 慰問袋のキャラメルを 捧げる心君知るや 背嚢枕に夜もすがら 眠れぬ朝の大吹雪

六 東洋平和の為ならば 我等が命捨つるとも 何か惜しまん日本の 生命線はここにあり 九千万の同胞(はらから)と 共に守らん満州を

 ※満州事変勃発に伴い、朝日新聞が募集した軍歌の当選歌。昭和最初の軍歌。

 走れ大地を    詞 斎藤 竜    曲 山田 耕筰

一 走れ大地を 力のかぎり  泳げ正々 飛沫をあげて  君等の腕は 君等の足は 我等が日本の  尊き日本の 腕だ 脚だ

二 跳べよ雄々しく 地軸を蹴りて  投げよ堂々 青空高く  君等の力は 君等の意気は  我等が日本の 輝く日本の 力だ 意気だ

三 揚げよ日の丸 緑の風に  響け君が代 黒潮越えて  君等のほまれは 君等の栄(はえ)は  我等が日本の  青年日本の ほまれだ 栄だ

 ※ロサンゼルスの第十回オリンピックの応援歌として募集されたもので、このためでもないが、わが水泳チームは総合成績第一位で「水泳日本」の名を世界にとどろかせた。

 昭和11(1936)年

 日の丸行進曲    詞 松坂 直美    曲 河村 光陽

一 姿やさしく 朝日をうけて  におうさくらは われらの誇り

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 赤は勇気を 正義を示し  白は博愛 平和のしるし

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 強い体に 明るい心  町に野山に 希望はおどる

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 遠い千島の あの果てまでも  風にいさまし 我らの旗よ

「日本よい国 日の丸あおぎ  みんな仲よく 暮らしましょう」

 昭和12(1937)年

露営の歌   詞 藪内 喜一郎    曲 古関 裕而

一 勝ってくるぞと勇ましく  誓って国を出たからは  手柄立てずに死なれよか  進軍ラッパきくたびに  瞼に浮かぶ旗の波

二 土も草木も火と燃える  果てなき礦野踏みわけて  進む日の丸鉄兜  馬のたてがみ撫でながら  明日の命を誰が知ろ

三 弾丸もタンクも銃剣も  暫し露営の草枕  夢に出て来た父上に  死んでかえれと励まされ  さめて睨むは敵の空

四 思えば今日の戦いに  朱に染ってにっこりと  笑って死んだ戦友が  天皇陛下万歳と残した声が忘らりょか

五 戦闘(いくさ)する身はかねてから  捨てる覚悟でいるものを  鳴いてくれるな草の虫東洋平和のためならば  なんで命が惜しかろう

 ※毎日新聞募集「進軍の歌」第二位当選歌。第一位の「進軍の歌」よりこの方がヒットした

 昭和13(1938)年

皇軍大捷の歌    詞 福田 米三郎    曲 堀内 敬三

一 国を発(た)つ日の 万歳に  しびれるほどの 感激を  こめて振ったも この腕ぞ  今その腕に 長城を  越えてはためく 日章旗

二 焦りつく雲に 弾丸(たま)の音  敵殲滅(せんめつ)の 野にむすぶ  露営の夢は 短か夜に  ああ ぬかるみの迫撃の  汗を洗えと 大黄河

三 地平か空か 内蒙の  砂塵(すな)に 勝利の眼が痛む  思えば 遠く来たものぞ  朔風(さくふう) すでに吹き巻いて  北支の山野 敵もなし

四 南の空 雲燃えて  陸戦隊の 陣堅く  逆巻く浪に 沿岸の  航路を断てば 敵の船港に島に 影ひそむ

五 八機 二機 五機墜(お)ちてゆく  敵へ情けの 一旋回(ひとめぐり)り  機首をかえして 更に衝(つ)く  鉄路 トーチカ 幾山河  手柄に残る 弾丸(たま)の痕(あと)

六 大上海(シャンハイ)に 火は消えて  暗(やみ)のクリーク 星凍る  黒い太湖の 北・南  見よ 戦友の肩の霜  もろくも解けし 敵の守備

七 首都南京は 遂に陥(お)つ  焼けた砲銃(ほづつ)の 手をとめて  ニッコリ笑めば 隊長も  莞爾(かんじ)と見やる 城壁に  御稜威(みいつ)かがやく 朝日影  皇軍大捷 万々歳

 ※当時の朝日新聞社懸賞募集の当選歌である。

 愛国行進曲    詞 森川幸雄   曲 瀬戸口藤吉

一 見よ 東海の空明けて  旭日 高く輝けば  天地の正気 溌刺(はつらつ)と  希望は躍る 大八洲(おおやしま)  おお 清朗の朝雲に  聳ゆる富士の姿こそ  金甌(きんおう)無欠 揺るぎなき  わが日本の 誇りなれ

二 起て 一糸の大君を  光と 永久(とわ)にいただきて  臣民われら 皆共に  御稜威(みいつ)に副(そ)わん 大使命  征け 八紘(はつこう)を宇(いえ)となし  四海の人を 導きて  正しき平和 うち建てん  理想は花と 咲き薫る

三 いま幾度か わが上に  試練の嵐 哮(たけ)るとも  断乎と守れ その正義  進まん道は一つのみ  ああ 悠遠(ゆうえん)の神代より  轟く歩調うけつぎて  大行進のゆく彼方  皇国つねに栄えあれ

 ※これも国民から公募した歌である。当選したこの詞の作者は二十三歳の青年。詞が決定してから曲も公募した。この作曲者は当時七十歳の元海軍軍楽隊長で「軍艦マーチ」の瀬戸口藤吉だった。レコード各社が競作し、当時としては空前の百万枚突破の大ヒットとなった。

 日の丸行進曲    詞 有本 憲次    曲 細川 武夫

一 母の背中に ちさい手で  振ったあの日の 日の丸の  遠いほのかな 思い出が  胸に燃えたつ 愛国の  血潮のなかに まだ残る

二 梅に桜に また菊に  いつも掲げた 日の丸の  光仰いだ 故郷の家  忠と孝とを その門で  誓って伸びた 健男児

三 ひとりの姉が 嫁ぐ宵  買ったばかりの 日の丸を  運ぶ箪笥(たんす)の 抽斗(ひきだし)へ  母が納めた 感激を  今も思えば 眼がうるむ

四 去年の秋よ つわものに  召し出だされて 日の丸を  敵の城頭 高々と  一番乗りに うち立てた  手柄はためく 勝ちいくさ

五 永久(とわ)に栄える 日本の  国の章(しるし)の 日の丸が  光そそげば 果てもない  地球の上に 朝が来る  平和かがやく 朝が来る

 ※大阪毎日新聞・東京日日新聞の懸賞当選歌で、国民の間でひろく愛唱された。

 からゆきさんの唄    詞 時雨 音羽    曲 細川 潤一

一 暗い海辺の 船着き場  見送るものは 波ばかり  買われてゆくのは からゆきさん 心ひとつが 身のたより  遠いボルネオ 旅の果て

二 潮(しお)の香りが 身にしみりゃ  日の丸恋し 故郷(さと)恋し  船を見送る からゆきさん  シンガポールの 黄昏に  泣いて暮らして 母となる

三 躍る白波 おどる胸  はるばる帰る ふるさとは  唐から帰る からゆきさん  人は冷たく 身は細く  空の陽までが 目に痛い

 ※“からゆきさん”とは、江戸時代から九州の一部の土地の者で、海外に出稼ぎに行った女を、そう呼んだのである。出稼ぎと言っても女の事ゆえ、多くは半分買われて外人や中国人の妻妾となって外地に赴いたのである。そこに種々の哀話があった。

 荒鷲の歌    詞・曲 東 辰三

一 見たか銀翼 この勇姿  日本男子が 精こめて  作って育てた わが愛機  空の護りは 引受けた  来るなら来てみろ 赤トンボ  ブンブン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

二 誰がつけたか 荒鷲の  名にも恥じない この力  霧も嵐も なんのその  重い爆弾 かかえ込み  南京(ナンキン)ぐらいは ひとまたぎ  プンプン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

三 金波銀波の 海越えて  曇らぬ月こそ わが心  正義の日本 知ったかと  今宵また飛ぶ 荒鷲よ  御苦労 しっかり頼んだぜ  プンプン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

四 翼に日の丸 乗組は  大和魂の 持主だ  敵機は あらまし潰したが  あるなら出てこい お代り来い  プロペラばかりか 腕も鳴る  プンプン荒鷲 ブンと飛ぶぞ

 昭和14(1939)年

父よ あなたは強かった    詞 福田 節    曲 明本 京静

一 父よ あなたは強かった  兜(かぶと)も焦(こが)す 炎熱(えんねつ)を  敵の屍と 共に寝て  泥水すすり 草を噛み  荒れた山河を 幾千里  よくこそ撃って 下さった

二 夫よ あなたは強かった  骨まで凍る 酷寒を  背(せい)もとどかぬ クリークに  三日もつかって いたとやら  十日も食べずに いたとやら  よくこそ勝って 下さった

三 兄よ 弟よ ありがとう  弾丸(たま)も機雷も 濁流も  夜を日に進む 軍艦旗  名も荒鷲の 羽ばたきに  のこる敵機の 影もなし  よくこそ遂げて 下さった

四 友よ わが子よ ありがとう  誉れの傷の ものがたり  何度聞いても 目がうるむ あの日の戦に 散った子も  今日は 九段の桜花  よくこそ咲いて 下さった

五 ああ 御身らの勲こそ  一億民の まごころを  一つに結ぶ 大和魂  いま 大陸の青ぞらに  日の丸高く 映えるとき  泣いて拝がむ 鉄かぶと

 ※朝日新聞社が“皇軍感謝の歌’として国民から募集して当選した歌である。

 愛馬進軍歌    詞 久保井 信夫    曲 新城 正一

一 国を出てから 幾月ぞ  ともに死ぬ気で この馬と  攻めて進んだ 山や河  とった手綱に 血が通う

二 きのう陥した トーチカで  きょうは仮寝(かりね)の 高いびき  馬よ ぐっすり眠れたか  明日の戦(いくさ)は 手強いぞ

三 弾丸(たま)の雨降る 濁流を  お前頼りに 乗り切って  任務(つとめ)果した あの時は  泣いて 秣(まぐさ)を食わしたぞ

四 慰問ぶくろの お守札(まもり)を  かけて戦う この栗毛(くりげ)  ちりにまみれた ひげ面に  なんでなつくか 顔寄せて

五 伊達にはとらぬ この剣(つるぎ)  真っ先駈けて 突っこめば  なんと脆(もろ)いぞ 敵の陣  馬よ いななけ 勝鬨(かちどき)だ

六 お前の背(せな)に 日の丸を  立てて入城 この凱歌(がいか)  兵におとらぬ 天晴れの  勲は 永く忘れぬぞ

 ※馬匹愛護の思想を普及させるため当時陸軍省が公募したもの。詞曲両者がすぐれているためか、この歌を通して馬ばかりでなく兵士への思いがつよく盛り上げられている。

 幻の戦車隊     詞 横沢 千秋   曲 細川 潤一

序 唱

噫々(ああ)悲か壮か はた神か  斃(たお)れて後も 尚(なお)已まぬ  忠勇・武烈の 日本魂(やまとだま)  死にゆく息の 一瞬時(たまゆら)も  起(た)ってぞ邀(むか)う ますらおは-  北支の戦野 かけめぐり  ただ 尽忠に余念なき  兵等がひとしく 威(おそ)れたる  神魂(しんこん)「幽霊戦車隊」-  その不可思議を 君知るや

本 歌

一 戦線百里 荒涼と  風なまぐさき 火の巷(ちまた)  敵撃退の 命(めい)くだり  敢然すすむ 小部隊

二 味方は わずか五十人  敵の干騎に 及ばねど  覚悟は なんで劣るべき  銃火みじんと 地を払(はら)う

三 敵 有力をこと頼み  危うく迫る 幾(いく)そ度(たび)  されども我は 退(しりぞ)かず  たちまち追うぞ 頼もしき

四 脚傷(あしきず)つけば 手にて匐(は)い  手くだくれば 口で撃つ  “撃てよ 退(ひ)くな”と呼交(よびかわ)し  鉄血かたき われの陣

五 かくて 交戦数時間  夕闇寒く 野にみちて  かえり見すれば わが兵の  半ばはすでに 斃(たお)れたり

六 残るも無慙(むざん) 傷ふかく  撃ちつづくるは 五名のみ  折しもあれや 敵軍がこれを最後と 攻めきたる

七 鬼神も辞せぬ 勇あれど  不足の兵を いかにせむ!  無念! 頬(ほ)を灼(や)く血の涙  あわやと見えし 一刹那(いちせつな)

八 重傷(ふかで)に喘(あえ)ぐ 兵士等の  耳に 瞳(ひとみ)に 瞭(あり)ありと  轟然せまる 姿あり!  日の丸たかき 戦車隊

九 夢にか? 非(あら)ず 現(うつ)つにか?  いずれと知らね その勇姿  ましぐら進む 戦車隊―  奮い起たでや 死せる身も

一〇 この時! すでに地に臥(ふ)して  息絶ゆと見し 傷兵ら  “友軍きたる 戦車隊!戦車ぞきたる! 怯れな”と

一一 血ぶるい猛(たけ)く とび起きて  一斉(いっせい) やにわ突貫す!  雄叫びすごく突貫す!  壮絶 悲絶 たぐいなし

一二 残る五名も〝素破こそ!〝と  つづけば高し 鬨(とき)の声  一心凝(こ)って 衝くところ  山も巌(いわお)も 裂(さ)け! 力(ちから)

一三 斯(か)くとは 敵の思いきや  鬼神もひるむ 反撃に  敵は わが兵なお在(あ)りと  あわてて 遠く逃れたり

終 唱

銃音(つつおと)絶えし 戦場に  けぶれる月の ただ蒼く  噫々摩詞不思議(まかふしぎ) たまゆらに  重傷(ふかで)の兵が 見しという  戦車の影の さらに無し

これぞ“幽霊戦車隊“―  斃れて已まぬ 気概もて  絶えんとはする 息のもと  なお奮い起つ 尽忠の  至誠(まこと)が描く まぼろしか

それとも神の 呼ぶ業(わざ)か  戦士(つわもの)どもの 忠魂の  最後を鼓舞し 咲かしめて  常に われをば護るてう  ああ 幻の戦車隊  ああ 幻の戦車隊―

 ※太平洋戦争の時代に当たって唯一つの珍しい本格的な物語詩としての歌謡曲。長いので余り巷間ではうたわれなかったが、悲愴雄渾なメロディと共に作詞の上でも傑作の一つとして賛えられたもの。樋口静雄の歌唱でキングレコードから出され、一般家庭や将兵の間でかなり愛好された。なおこの。“幽霊戦車隊“の現象は、傷兵の心理上の幻党によるものか、実際に当時の北支の戦線で度々あったもので、作詞者は陸軍病院において、その現実の体験者である傷兵たちから聞いて作詞した。

 出征兵士を送る歌    詞 生田 大三郎    曲 林 伊佐緒

一 わが大君に 召されたる  生命(いのち)栄えある 朝ぼらけ  讃えて送る 一億の

歓呼は高く 天を衝く  いざ征(ゆ)け つわもの  日本男児!

二 華と咲く身の 感激を  戎衣(じゆうい)の胸に 引きしめて  正義の軍(いくさ) 征くところ  誰か阻まん その歩武(ほぶ)を  いざ征け つわもの  日本男児!

三 かがやく御旗 先だてて  越ゆる勝利の 幾山河  無敵日本の 武勲(いさおし)を  世界に示す 時ぞ いま  いざ征け つわもの  日本男児!

四 守る銃後に 憂(うれい)なし  大和魂 ゆるぎなき  国のかために 人の和に  大磐石(だいばんじゃく)の この備え  いざ征け つわもの  日本男児!

五 ああ万世の 大君に  水漬(みず)き草むす 巾心烈の  誓い効(いた)さん 秋(とき)到る  勇ましいかな この首途(かどで)  いざ征け つわもの  日本男児!

六 父祖の血潮に 色映ゆる  国の誉れの 日の丸を  世紀の空に 燦然(さんぜん)と  掲げて築けや 新アジア  いざ征け つわもの  日本男児!

 ※講談社が公募した当選歌。曲も公募したが、当選した曲は当時歌手として活躍していた林伊佐緒のものであった。キングレコードより出され全国的に大ヒットした。

 昭和15

空の勇士    詞 大槻 一郎    曲 蔵野 今春

一 恩賜の煙草(たばこ) いただいて  あすは死ぬぞと 決めた夜は  曠野の風も なまぐさく  ぐっと睨んだ 敵空に  星がまたたく 二つ三つ

二 すわこそ行けの 命一下  さっと羽ばたく 荒鷲へ  なにを小癩(こしゃく)な 群雀(むらすずめ)  腕まえ見よと 体当り  敵が火を噴く 堕(お)ちてゆく

三 機首を返した 雲の上  いまの獲物を 見てくれと  地上部隊に 手を振れば  どっと揚がった 勝鬨の  中の担架が 眼に痛い

四 しめたぞ敵の 戦車群  待てと矢を射る 急降下  けぶる火達磨 あとにして  悠々還る 飛行基地  涙莞爾と 部隊長

五 世界戦史に 燦然(さんぜん)と  かがやく 陸の荒鷲へ  今日もうち振る 日章旗  無敵の翼 とこしえに  守るアジアに 栄えあれ

 ※詞・曲とも陸軍省後援で読売新聞社で公募したものの当選作。レコード六社の競作として出され、曲と詞のみごとに合致した名作として愛唱され、大ヒットした。

 昭和16

勇む銀輪-自転車部隊に捧ぐ―    詞 勝 承夫    曲 須磨 洋朔

一 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  勇む銀輪 この軽さ  胸にうれしや そよ風うけて  越える赤道 熱砂の道よ

二 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  山の敵から 弾丸(たま)が来る  目ざす都に 行きつくまでは  無事でいてくれ 大事な銀輪

三 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  鳥も鳴く鳴く ゴム林  車かついで 敵前渡河の  今日のいくさの 苦労も消える

四 ぐんとふめぐんとふめ ぐんとふめば  はずむ銀輪 気がはずむ  明日は入城 日の丸つけて  急ぐおいらは 自転車部隊

 ※これは太平洋戦争の折、マレー半島北部に上陸した日本陸軍が、烈しく戦いながら南端のジョホールまで約一千百キロを、一日平均二十キロという記録的な進撃をしたが、その大活躍をした自転車部隊という特殊な部隊をうたったもの。

 昭和17

戦友の遺骨を抱いて    詞 逢原 実    曲 松井 孝道

一 一番乗りを やるんだと  力んで死んだ 戦友の  遺骨を抱いて 今入る  シンガポールの 街の朝

二 男だ なんで泣くものか  噛んでこらえた 感激も  山からおこる 万才に  思わず 頬が濡れてくる

三 負けずぎらいの 戦友の  遺品(かたみ)の国旗(はた)を とり出して  雨によごれた 寄せ書きを  山の頂上に 立ててやる

四 友よ見てくれ あの凪(な)いだ  マラッカ海の 十字星  夜を日についだ 進撃に  君と眺めた あの星を

五 シンガポールは 陥(おと)しても  まだ進撃は これからだ  遺骨を抱いて 俺は行く  守ってくれよ 戦友よ

 ※作詞者は、シンガポール作戦に参加した海軍主計曹長。実際の姿を歌ったものであろう。実感味が豊かである。作曲者も軍楽隊士。

 ハンケチ日章旗    詞 深沢 健三    曲 上原 げんと

一 野越え山越え 泥濘(ぬかるみ)の  悪路進んで 幾十里  みごとに陥ちた 敵陣へ  戦友(とも)の 屍(かばね)を越えて行く

二 そうだあのとき 戦友(せんゆう)の  赤い血潮で 染め分けた  この日の丸の ハンケチを  銃に結んで 翳(かざ)すのだ

三 聞けよわが戦友(とも) 霊あらば  君が形見の ハンケチを  振りつつ叫ぶ 万才の

 声も涙で ふるえるぞ

四 憶(おも)や去年の 花の春  故郷(くに)を発(た)つ日の 駅頭で  首途(かどで)を送る 母上が  君に渡した ハンケチだ

五 ほまれ輝く 入城だ  とも いのち たましい  戦友(とも)の生命と 魂魄(たましい)が  こもっているのか 朝風に  鳴るぞハンケチ 日章旗

 ※十七年キングレコードから近衛八郎の歌で出されたもの。素直なわかりやすい詩句とメロディの良さに、近衛の魅力ある歌唱が受けて、よく歌われた歌であった。

 南から南から    詞 藤浦 洸   曲 加賀屋 伸

一 南から 南から  とんで来た来た 渡り鳥  嬉しそに 楽しそに  富士のお山を 眺めてる  茜の空 晴れやかに  昇る朝日 勇ましい  その姿 見たこころ  一寸(ちょっと)ひと言 聞かせてよ

二 南から 南から  そよぐソヨソヨ 南かぜ  爽やかに 和やかに  村の鎮守の 森をゆく  深みどり 色も濃く  娘十八 神詣で  その姿 見たこころ  一寸ひと言 聞かせてよ

三 南から 南から  遠く海越え 来た人は  村里に 町かどに  なびく日の丸 たのもしく  じっと眺めて 涙ぐむ  強いお国 日本の  その姿 見たこころ  一寸ひと言 聞かせてよ

 日本軍の緒戦のかんばしさはつぎつぎと南方にも占領地をのばした。それで大陸メロディが流行した。その一つ。

 昭和18

加藤隼戦闘隊     詞 田中 林平 朝日 六郎    曲 原田 正幸 岡野 正幸

一 エンジンの音 轟々(ごうごう)と  隼(はやぶさ)は征く 雲の果て  翼(よく)にかがやく 日の丸と  胸に描きし 赤鷲の  印は われらが戦闘機

二 寒風酷暑 ものかはと  艱難(かんなん)辛苦 うち堪えて  整備にあたる 強兵(つわもの)が  しっかり やって来てくれと  愛機に祈る 親ごころ

三 過ぎし幾多の 空中戦  銃弾うなる その中で  必ず勝つの 信念と  死なば共にと 団結の  心でにぎる 操縦悍

四 干戈(かんか)まじゆる 幾星霜  七度重なる 感状の  いさおの蔭に 涙あり  ああ今は亡き 武士(もののふ)の  笑って散った そのこころ

五 世界にほこる 荒鷲の  つばさ伸ばせし 幾千里  輝く伝統 うけつぎて  新たに興す 大アジア  われらは皇軍 戦闘隊

 ※かずかずの作戦に空中から協力して感状七度という、殊勲の戦闘機部隊の歌だが、曲もよかったので一般にもよくうたわれた。正しくは「加藤部隊隊歌」が歌の名である。

 昭和19

特幹の歌    詞 清水 かつら    曲 佐々木 俊一

一 翼(つばさ)かがやく 日の丸に  燃える闘魂 眼にも見よ  今日も 逆(さか)らう雲切れば  風もしずまる 太刀洗(たちあらい)  ああ 特幹の大刀洗

二 強く雄々しい 若松に  匂う暁 宇品港(うじなこう)  ゆくぞ波風 岩も裂く  船の男児(おのこ)の 心意気  ああ 特幹の心意気

三 吹けよ朝風 初陣(ういじん)の  翼さやかな 肌ざわり  胸の火玉に 昇る陽(ひ)に  命捨て身の 武者ぶるい  ああ 特幹の武者ぶるい

四 叩(たた)く敵陣 矢が尽きりゃ  なんの当て身の 弾丸吹雪(たまふぶき)  母も見ている 聞いている  船とつばさの 勝ち名乗り  ああ 特幹の勝ち名乗り

 ※特幹とは陸軍特別幹部候補生のことである。海軍の予科練と共に当時の若者・少国民の憧れの的であった。読売新聞社の選定歌で藤原義江がうたい、全国に普及した。

 勝利の日まで    詞 サトウ ハチロウ    曲 古賀 政男

ー 丘にはためく あの日の丸を  仰ぎながめる われ等の瞳  いつか溢るる 感謝の涙 燃えてくるくる 心の炎  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

二 山で斧振る おきなの腕も  海の若者 櫓を漕ぐ腕も  町の工場の 乙女の指も  今日も来る来る お国のために  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

三 雨の朝(あした)も 吹雪の夜半(よわ)も  思うは一つ ただただ一つ  遠い戦地と 雄々しき姿  浮かび来る来る ほほ笑む顔が  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

四 空に飛びゆく 翼に祈り  沖を過ぎゆく 煙に誓う  国をあげての この戦いに  湧いて来る来る 撃ちてし止まん  われ等はみんな 力の限り  勝利の日まで 勝利の日まで

 ※同題名の映画の主題歌。明るくてしかもナイーヴなメロディが、四六時中戦意の強制に疲れた大衆の心に、和やかな慰めと救いを与えてくれたので、方々でうたい広められた。



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