愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

石原都知事親子の暴言・妄言、民自代表選と総裁選で日本国民の文化と民主主義の成熟度がためされている!

2012-09-17 | 日記

ブログを訪問していただいた皆さんに感謝申し上げます。復活です。

金曜日から昨日の深夜と言っても翌日まで、山梨・長野に行ってきました。日本の美しい風景・文化・庶民の知恵などに触れてきました。

同時に山梨の武川では、新米の線量検査のため、新米が市場に出るのは1週間後と言われて、ここでも原発の影響があることを実感してきたところだ。今週も墓参のため、官邸前行動に参加できないが、気持ちは原発ゼロ・再生可能エネの実現に向けて、模索していきたい。

され、今朝は、早朝より畑に行き、雑草の勢いと作物のしたたかさに舌を巻き、収穫したものをいただき、午後は新聞を読みながら、昼寝していました。

土曜日と日曜日の新聞を読みながら、思ったことは、民自代表選と総裁選で現を抜かしている時に、中国の愛国者たちが、「反日」を掲げて、日本企業を襲撃している写真などを掲載しているマスコミに呆れてしまったところで、記事をかくことに。

こういう事実を「扇動」というのだろう。中国国民の圧倒的多数がどんな感情を抱いているか、そのあたりをどう報道させていくか、課題だろう。それについては、後日に。

まず石原親子。「朝日」は、15日に親父の慎太郎の「追い払え」発言を39面で取り上げている。「気が狂ってんじゃないかと思う。俺の物は俺の物、おまえの物も俺もものという形でやられたらたまったもんじゃない」と言ったことを「朝日」は「非難」と書くべきところを「批判」と書いている。

さらに「追っ払えばいいんだよ。体当たりしたらいいんだ」とも「述べた」と「朝日」。さらに「朝日」は「日中関係を悪化させているとの指摘には」との問いかけ、「経済利益を失ったっていい。あの国の属国になることの法がよっぽど嫌だね」と言わせている。

このことの意味は、こうだ。石原都知事に、こんなことを言わせてしまっている日本のマスコミの責任は重い。同時に、この程度のマスコミしか育てていない「日本国民」の歴史認識と文化の程度を世界に晒してしまったとも言っておかなければならい。

偉そうなことを言ってしまったが、これは自戒を込めて言っているのだ。それは中国の愛国者たちの反日行動を観る日本国民の眼は、そのまま自分たちのところに木霊となって戻ってくるということだ。

理由をあげよう。石原都知事の言葉を、かつての天皇制政府と軍部の侵略行為にあてはめてみれば明瞭だ。中国大陸に泥足で踏み込み、その責任すら果たして来なかったばかりか、正当化しているのだ。正当化のことで言えば、NHKの吉田茂のドラマを見れば明瞭だ。

まさに中国人からみれば「気が狂っているのは、中国を属国にした石原都知事のような人間」ではないのか?こういう人間を即刻退場させ、侵略戦争責任反省博物館へ送ってやろうではないか。その最大の責任は、堂々と登場させ、妄言を吐かせているマスコミにある。勿論、それを見逃している国民にもあることは周知の事実だ。だからこそ、邪論を吐いているのだ。以下も参考にしてほしい。
http://news.nifty.com/cs/economy/economyalldetail/yucasee-20120914-12015/1.htm

「体当たりしろ」と言っているが、誰に向かって「体当たりしろ」と言って(命令して)いるのか、体当たり後のことはどうするのか。1937年7月7日の盧溝橋事件、さらに言えば、1931年9月18日の柳条湖事件を想い出さずにはいられない。まさに無責任極まりない話だが、石原は扇動の意図ををもって、己の言葉の意味を熟知して、こういう言葉を吐いているのだから、まさに確信犯と言える。レッドカードを突きつけ即刻退場させるべきだろう。

次は、石原ジュニアだ。15日「朝日」の3面には、「失言の石原氏、乏しい安定感」と題して、コラム的に書かれているが、「第一サティアン」発言など、これまた政治家の資質を疑うような発言だが、そうした記事にはなっていない。以下参考にしてほしい。
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/gendai-000175544/1.htm
http://news.livedoor.com/topics/detail/6958248/

ところで、「朝日」は15日の3面の記事「解散戦略に濃淡」の最後に、このように書いている。まさに有権者を愚弄している。
「とはいえ、各候補に個別政策の違いはあまりない。林氏はこう語った。『大事な問題について5人はそんなに違わない。(分裂した)民主党と比べれば明らかだが、決して悪いことではない』」と語っていることを無批判的に掲載している。民自公3党合意はなんだったのかだ。

これは民主党が自民党化したことで、5人とも、「そんなに違わない」ところで代表選をしているところを、自民も民主も、「朝日」をはじめとしたマスコミも誤魔化している。テレビなどは、それぞれ集めて「そんなに違わない政策」を語らせているのだから、呆れるばかりだ。さらに言えば、橋下市長の「維新」復古の会との連携を「模索」させて、新しさを強調しているのだ。

最後に、以下の読者の「声」を紹介しておこう。谷垣氏を含めた民自の「姑息」政治に対する常識的な指摘だ。この二大政党政治の「姑息」を打ち破るために何ができるか、模索していかなければならないだろう。

民事の動き「姑息」を連想   会社員長谷川聡 (神奈川県茅ヶ崎市 25)
 よく誤用される言葉に「姑息」がある。本来は「一時しのぎ」だが、「ひきょう」の意で使われることも多い。
 自民党の谷垣禎一総裁が総裁選に立候補できなかった。
 「近いうち」の解散も実現できず、出馬断念を迫られていた。一方、立候補を届け出たのは、谷垣氏を支えるはずの石原伸晃幹事長をはじめ乱立の様相だ。
 私が疑問に感じるのは、総裁選に立候補した5人が野覚転落直後の総裁選には出ていないということだ。「野党総裁の椅子には見向きもしなかったのに、政権復帰の可能性が高まり「総理総裁」の目が出た途端、谷垣氏をお役ご免にして、野心をむき出しにする節操のなさは何なのか。そうした行動が野党としての3年間の自己否定になりかねないことを自覚すべきだ。
 民主党では、若くて人気の高い細野豪志氏を担ぐ動きがあった。選挙の顔として利用するため党首を選ぶのは一時しのぎ」だ。有権者に対する目くらましの魂胆を考えれば「ひきょう」でもある。
 政治家の小手先の弥縫策が狡猾に映るからこそ、「姑息」があしき意味合いを帯びているのではなかろうか。