50歳からの海外移住生活

風とカモメの街に暮らして                               

平成最後の日、久々に、母のミシンを使った!

2019-05-01 09:52:31 | 日本に帰国中
今日から、新しいERA(時代)

ずっと、日本に帰ったら、イギリスの我が家のバスルームの為のカーテンをミシンを使って
縫おうと思っていた。

以前に縫って、窓に付けていたカーテンは、カビが生えて黒くなってきたので、取り替えなければと思っていた。

しかし、残念なことに、イギリスの家は狭くて、ミシンを置く場所がないのだ。
滅多に使わないので、買う必要もないと思って、やり過ごしてきた。
でも、ずっと、ミシンを使わないと、使い方を忘れそうだ、恐かった。

まずは、昨日は、少し遠くまで、自転車を走らせて、大きなスーパーまで行き、
既製品のカーテンを買ってきた。
何と、2枚で千円と安売りのカーテンがあった。
うちの近くには、昔は、大型のスーパーがあったのだが、数年前に姿を消した。
だから、この少し遠いスーパーに行くには、ちょっと覚悟して、行く必要がある。

でも、いざ自転車で行ってみると、案外、近いもんだな、なんて思ってしまった。
いい運動にもなった。それに連休だから、大型のダンプなどは少なくて、排気ガスも少ないので、マスクも必要なかった。

昨日は、息子が幼稚園の時から、仲が良かったJ君のママ友のTさんに電話をした。
久々に、お電話させていただいて、また、私の愚痴や、息子のことなどを話した。
いつもいつも、私の家族のことなどを、快く聞いてくださり、適切なアドバイスを聴いて下さる方だ。
縁があって、イギリスに行った後も、日本に帰ってきた時に出会うことがあり、今もたまに電話で話したりする方である

私の息子のこと、お嫁さんとのことなどを話すと、「あなたは、何も悪くは、ないわ」と言ってくださった。

私がお嫁さんから嫌われてる理由は、東北の震災のあと、東京に住んでいた息子夫婦の間で、お嫁さんが子供を連れて、実家の九州に帰ってしまった時、その震災のあと、私がイギリスから帰ってきた時に、息子の住む東京の家に行き、掃除などをしたことが悪かったようだ。腑に落ちないが、お嫁さんが、私のことを気に入らない理由は、息子からは、そのような説明しかない。

でも、親が子供の家に行って、掃除するのは、当たり前のことではないか?
と思うのだけど、それが、お嫁さんの怒りを買ったようだった。

息子は、震災のあと3年くらい、その広い家で一人暮らしをしていた。
震災のあと、掃除をしてから、「もう、こっちに来ないで」と言われるようになった。
お嫁さんの怒りを買ったからのようだった。

Tさんから、「あなたは、親として当たり前のことをしただけのことよ」と言われ、また涙がボロボロこぼれてきた。
そして、「息子さんが、そこで暮らし続けるには、お嫁さんの嫌いな母親である、あなたのことを、自分の中で抹殺しないと、生きていけないんだと思う」とおっしゃった。
まったく、その通りだと思った。

疲れ切った様子の息子。私が行くと、お嫁さんにいびられ、余計、ストレスを与えるに違いないと思う。水をこぼしただけで、大急ぎで、ぞうきんをもってきてふき取っていた様子が忘れられない。昔の息子の姿からは、想像もできない。もっとリラックスしていたのに。

夕方は、2階に上がって、久々に、母の愛用していたミシンを取り出した。
いったんは息子が結婚した時に、このミシンをお嫁さんのためにと、あげたのだけど、不要だというので、また送り返してもらった。

このミシンを使うのは、何年振りだろう?
母の大切にしていたミシン。
まだまだ使える。

でも、私はミシンが上手に使えない。
父に似て手の先が不器用だから。
いつも、そう思い続けてきた。

中学の時、私と私の親友のEさんだけが、家庭科の先生に、さんざん、怒られてから、ミシンを使うのが嫌いになったのだ。

私は料理は好きだけど、裁縫や、アイロンがけが大嫌いなのは、この中学時代の家庭科の先生に、さんざん怒られたからだと思う。

そして、私は、自分が、すごく不器用だと思いこむようになった。
私は、裁縫が出来ない、ミシンが使えないと思い込んでいた。

だから、母が生前、ミシンの使い方を教えてくれようとした時も、ろくすっぽ、聞かなかった。今は、そのことを、とても後悔している。

何年か前に、母のミシンを使ってカーテンを縫った時も、近所の親切なIさんに、ミシンの使い方を聞いた。彼女は、何かと親切にしてくださる、たった一人のご近所さんなのだ。

そして、今回も、ミシンを何年かぶりで開けた時、どこに糸を通すのか、頭が、こんがらがってきた。YOutubeのビデオを見てみるも、余計わからなくなり、Iさんに電話したら、早速、忙しい夕方時刻というのに、来てくださった。

そして、親切に教えてくださった。
よくよく、ミシンを見ると、前回の時に、ミシンの糸を通す順番を、マジックで番号を書いていた。
なあんだ!と思ったが、やはり、それでも、Iさんに聞かなかったら、こんなにスムーズにミシンが使えなかっただろう。

夕食前に、済ませようと、ミシンを縫い始めたら、あっという間に縫いあがった。

ミシンを使っている時の、あの至福に満ちた時間、幸せだなと感じた。
お母さん、有難う、こんな素晴らしいものを残してくれてと、また有り難く思った。

母は、私と反対で、とても器用な人だった。母の祖父は、大工の棟梁をしていたという。
その血筋を受けてか、裁縫も大工仕事も、庭仕事も器用にこなしていた。
父は、反対で、ものすごく不器用で、何もできず、大工仕事も、すべて母がやっていた。
水道のパッキンの交換なども、母は自分でやっていたのを思い出す。

そんな母の思い出を思い出しながら、平成最後の夜は、平安な気持ちで過ごすことが出来た。

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