39ギター

35年ぶりに弾き始めたクラシックギター
神経痛と戦いながら
どこまでバッハに迫れるか
蝶も花もアーチェリーもあるよ

何を考えているのだろう

2014-07-14 22:19:15 | アーチェリー

こんばんは
今日も特に何事もなく一日が過ぎました。
え?仕事はしていましたよ・・・
まあ、何事も無いと言うのは退屈なようですが一種の幸せかもしれないですね。
・・・
今日は本当に記事に書くことがない。
困った困った・・・
なので、またアーチェリーネタになる。

矢をつがえてから矢を射るまでの一連の動作について最近自分なりにまとめている。
①取りかけ②グリップ③スタンス④重心⑤顔向け⑥ドローイング⑦アンカー⑧エイミング⑨リリース、の順にやり方・やるべきこと・やってはいけないこと・ちょっとしたコツ等を思いつくまま書いているが、書きながら気がついたのは体の動きは気持ちや感覚と密接に結びついているということです。
特に目から入る情報は大量でしかもそれが自動的に体の動きを制御しているところがあり、ちょっとした視線の違いから結果が大きく違うこともある。
視線の先に神経を集中しているときは力を入れて張りつめている筋肉がいつの間にか緩んでいたり、指先や腕を微妙に制御しようとするとつい視線がおろそかになるし、一度に全体をちょうど良く制御するのは非常に難しい。
体全体を調和的に動作させるのは不可能と言ってもいいので、ほとんどの動きを意識の外と言うか無意識に動かすように出来ないとうまくならない。
まあ、大体なんでもそうでさっき弾いていたギターもいちいちひとつひとつの音をどこを押さえてどの指でどの弦を弾いてといちいち考えてやっているわけではない。
アーチェリーのようなスポーツも同じで体の動きのほとんどの部分は無意識にいつもの動きをして神経と言うか感覚だけが鋭く的を狙っている、そんな感じがいいのだと思う。
なかなかそうはいかないんですよね。
・・・
グレン・グールドのフランス組曲を聴いている。
指先の動きに神経を集中させているとき、目はどこを見ているのだろう音は何を聴いているのだろう、何を考えているのだろう、聴衆の存在は意識しているのかな、などいろいろと考えてしまう。
バッハのクラビア曲は以前はチェンバロで弾くものしょうと思っていたのですが、ピアノの表現力が加わると更に良くなりますね。