相対性理論によれば、3次元空間においては何者も光の速度を超えて早く運動することは出来ない。
なぜ光の速度なのか?
3次元空間には速度の上限値があり、光は無限の速度が出せるのだがその上限に押さえつけられているから、我々は速度の上限値を光の速度として認識しているのだ。
大事なのは光の速度ではなく、3次元空間には速度の上限があると言うことなのだ。
では、なぜ3次元空間の速度には上限値があるのだろうか?
じつは、より高次元空間でこれを考えると違う形になる。
4次元の時空でこれを考えると、4次元の時空における運動は全て光の速度(つまり速度の上限値)で動いている。
つまり、全ての事象は4次元空間において光の速度を一定値とした等速運動をしている。
これが一般相対性理論である。
つまり、3次元の複雑な運動も4次元で考えると一定の速度での単純な運動に置き換わる。
「大所高所」と言う言葉があるが、何事も一段高いところから見るとより単純な出来事の一側面に過ぎないと言うことがよく分かる。
さらに考えを進めて、4次元時空においてはどうして一定速度の運動しかできないのか、4次元時空内を様々な速度で自由な運動は出来ないのだろうか?
これを考えるにはより高次元で考える必要があるのかも知れないし、さらに時空の量子化も必要になってくるのかも知れない。
速度は、距離を時間で割ったものである。
これが一定値しか取れないと言うことは、4次元時空には一定の長さと一定の時間が存在しこれ以上これ以下の構造は存在しない、全ての現象はこの単位セルの中で生じ、この単位セルの連続が空間を構成している。
では、なぜ単位セルなのか・・・
なぜ?なぜ?・・・と子供のように問いつめるのは、物理学者の癖で、複雑な現象をより単純な現象の一側面として捉えようとする。
これを「還元主義」と言う。
我々の世界は、高次元のセルオートマトンあるいはライフゲームではないのか、そんな還元主義に陥ってしまうと、身の回りで起きている些末な現実の世界がイヤになってくる。
どういう訳だか今はそんな心境だ。
う~ん、素人物理学者の考えることはチャランポランだなぁ・・・
物理学者になりたかったおじさんのつぶやきである。