39ギター

35年ぶりに弾き始めたクラシックギター
神経痛と戦いながら
どこまでバッハに迫れるか
蝶も花もアーチェリーもあるよ

ちょっとした体勢の違いで変わるものですね

2009-12-30 23:12:11 | ギター

たっぷり練習したので、指の先がヒリヒリします。

やる人はもっとやるんでしょうけど、まあほどほどにしておかないとまた腱鞘炎・関節炎・神経痛で苦しみます。

ギターの構え方については、落ち着きつつあります。いろいろと微妙に変えてみると弾きやすかったり弾きにくかったりします。なんでもないところで間違えたり、今までちょっとやりにくかったところがすんなり出来たり、ちょっとした体勢の違いで、変わるものですね。

ギターをあまり立てすぎると、左手の動きが上下になるので疲れるような気がしますし、押さえにくくなります。

かといって、寝かせすぎると気がつくと猫背になったりしています。

何事も程々と言うことで、だいたい姿勢が決まってきました。

あと、前にも書きましたが、メガネをかけているとローポジションはネックが曲がって見えたり、ハイポジションは見えているのとは違うところを押さえているような変な感じがあったりして、これも慣れるしかありません。

明日は、大晦日です。やはりお決まりの年末行事として紅白を見るので、夜は練習できません。昼にたっぷりとしておきましょう。


自然は行き当たりばったり

2009-12-30 11:14:22 | 雑談

おはようございます。

今日も朝から曇りです。昨日と違うのは、暖かいと言うことです。

同じ曇りでも、寒い日もあれば暖かい日もある、自然の多様性です。

いくら、物理学や科学が進歩して、ありとあらゆるものの基本が解き明かされても、一瞬先の気象すら正確には予想できないものです。

19世紀の末、科学者たちはありとあらゆるものの基本原則は解明された、これからは精度を高めるだけだと思っていました。

この瞬間のありとあらゆるものの位置と運動を正確に測定すればこれから先の永遠の未来までも正確に予測できると考えていました。人生の行く末も時計仕掛けの操り人形であると考える風潮がありました。

ところが、20世紀に入り、量子力学によりこれが覆され、たとえ一粒の粒子ですら位置と運動を正確に測定することは出来ない、一瞬先のことはすべて確率でしか予測できない、未来はそのときになってみないとわからないと言うことが判りました。

そうです、自然は行き当たりばったりなのです。人生の行く末も可能性の中から行き当たりばったりランダムに選択され続けるのでしょうか。

そこには人間としての選択は含まれていないのでしょうか。

時計仕掛けもいやですが、行き当たりばったりもいやですねぇ。