39ギター

35年ぶりに弾き始めたクラシックギター
神経痛と戦いながら
どこまでバッハに迫れるか
蝶も花もアーチェリーもあるよ

自分の思う「バッハに迫る」

2009-11-08 22:54:10 | ギター

さて広大の学際に行った事で、昔のことをいろいろと思い出してしまったが、昔話はこれぐらいにして、このブログのサブタイトル「・・・バッハに迫れるか・・・」であるが、徐々に本当に徐々に迫っている。

ほんとに徐々になので迫ってないのではないかと言う感じもある。たしかに、腱鞘炎に悩まされ日によっては惰性で弾いていると感じるときもある。

こんなときは弾かないで指を休めた方がいい。

最近はひどい手のこわばりはなくなったが、日によっては人差し指の第2関節、最近では中指の第2関節がチクチクすることがある。痛みを無視してギターを弾いていると痛みを忘れるが、それを続けているとそのうちドンと痛みが来る。

そんなときはボルタレンゲルを塗って指を休める。そんな感じの繰り返しだ。

楽曲としては、いまだに「無伴奏バイオリン組曲1番サラバンド・ブーレ」である。

だいたい暗譜し、いまは最後のドゥーブルで悪戦苦闘中である。

基本的には阿部保夫編の楽譜でやっているが、佐々木忠編の楽譜でも弾いてみていいところは取り入れて、さらに自分のやり方も工夫して、だんだん自分流になってきている。

バッハの曲は、それでいいと思う。もともとギター用にできているのではないので、ギターにはこれが一番良いと思われる編曲や方法を自分で見つけて自分流のバッハに仕上げる、これが自分の思う「バッハに迫る」と言うことである。

結局、今日も身になる練習ではなかったようだ。ちょっとセーハが続くと人差し指と親指が痛くなる。「セーハは手の重みで」と言うコツも覚えたが、やはりこのギターの握りにくさと握力のなさで、悪戦苦闘はまだまだ続きそうだ。

この記事も読んでみると中身のない記事になっている。まあ、いつも中身のある記事を書こうと思ったら続かないし・・・

こんなところかな?


僕たちのメッセンジャー粒子

2009-11-08 14:51:48 | ギター

おそらく41年前の1968年、私が高校2年か1年ぐらいだったと思うが、友達と二人で「世紀のアンドレス・セゴビア」と言う映画を見に行った。

そのときのパンフレットが出てきた。

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出てきたと言っても、実は常に本棚にあることは意識していたのだが、あらためて眺めてみるのは実に何十年ぶりだ。

ギターを始めて弾いたのは、中学三年生のクリスマスで、中のいい友達と集まってパーティーをしているときに、川本君がギターを持ってきていた。

ほかに、中本君、室井君、山田君、植木君もいた。

川本君が、ポロンポロンと弾いた簡単な練習曲は始めてギターを聴いた自分を大いに惹きつけた。早速その場で、その曲を教えてもらい、1日でいいからそのギターを貸してくれ、と頼んでその日一日貸してもらった。家に持ってかえって、一生懸命弾いて、それからギターが好きになってしまった。

早速、父にギターが欲しいとおねだりしたが、貧乏サラリーマンのこと、そう簡単には手に入らなかった。

いつだったか忘れたが高校1年のころだと思うが、その父が誰からもらったのかボロボロのアコギを持って帰って、そのギターに安いナイロン弦を張って、やっと自分のギターが手に入った。

それから、川本君に負けじとギターを猛烈に弾き、常に川本君の方が少しうまかった。高校も同じでクラスは違ったが、部活は一緒で空ばかり眺めている天文少年でした。

私の記憶では高校2年(もしかしたら1年?)の11月、広島にその映画が来ると言うことで二人で見に行った。パンフレットが高いので二人で半分ずつ出し合って買って、1年ずつ交代で所有することにしていた。

そのパンフレットが、ひょっこり出てきた。と言うか、昨日の広島大学でもしかしたら川本君に会えるかもしれないということで、会えたら「今度はお前が所有する番だよ」と言って渡そうと思って、本棚から取り出してバッグに入れておいた。

結局また私のところで所有することになってしまったが、このパンフレットの存在によって常に川本君との間に引力を感じている。

理論物理学では、プラスとマイナスの電荷のような二つの粒子の間に力が働くのは、二つの粒子の間で仮想の粒子がやり取りされるためで、その粒子をメッセンジャー粒子と呼んでいる。

このパンフレットは、僕たちのメッセンジャー粒子だ。

そう言って渡したいのだがいつになることやら・・・


バキバキっと当ててしまった

2009-11-08 13:24:08 | 雑談

車に傷をつけてしまった。

時々、おばあちゃんの家に様子を見に行っている。

おばあちゃんと言っても自分の母であるが、自分の子供から見るとおばあちゃんなので、いつの間にか自分もおばあちゃんと呼ぶようになっている。

おばあちゃんの家は当然おじいちゃんがローンを組んで建てた家だが、土地が狭く小さな車でもやっと入れる小さな駐車場だ。

入り口の横にレンガで花壇が組んであって、反対側の隣の家に気をつけながらバックで入っているときにいつもは気をつけているそのレンガにバキバキっと当ててしまった。

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自分のやったことなので誰にも文句は言えないし、レンガの花壇もその家に入ったときにおじいちゃんと二人でがんばって造った花壇で、その花壇の前で甥や姪や自分の子供たちの写真をたくさん撮ったところなので、レンガのせいにもしたくないし、泣き寝入りだ。

修理はしないつもりなので、せめてさび止めで何か塗料でも塗っておこうと思う。

最近は何をやってもうまく行かず、気分的に沈んでいるところに追い討ちでこれだ、気分を入れ替えて、いやなことはこれでおしまいにしよう。

そのおばあちゃんは、娘(当然私の姉と妹だ)たちと、こんどの13日から日光に観光だそうだ。

2泊3日で、はとバスによる格安ツアーだそうだ。

どこの家も女房たちはのんきに遊んでいる。うちの女房も遊ばせてやりたいけど、もう少しの辛抱かな?


天・地・空

2009-11-08 10:09:35 | 雑談

広島大学の60周年記念行事

東儀秀樹のコンサートもよかったですねぇ。

笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうこ)は、天・地・空を表しているということです。

それぞれ、持ち替えながら演奏していましたが。バックで流れている伴奏も自分で一つ一つ演奏したものを重ねて録音したものを準備してきたそうで、そのとき流れていたすべての音が自分の音なんですね。当然息もぴったりで、すばらしいものでした。

この、雅楽の響きは1400年もの間、日本人のみやびな感性の中で育ち、日本人もこの雅な響きを遺伝子に組み込まれているような気がします。

初めて聞いた雅楽の響きは、雅楽そのものではなかったですが、日本人の遺伝子が目を覚まされたような気がしました。

こう言う伝統は大切にしなければいけないですね。

東儀秀樹は、50歳だそうです。そう聞いてまたまたびっくり。どうみても30代だと思っていました。

こう言う文化は、宮内庁の中でしっかりと受け継がれていくのでしょうが、一般庶民にそれをおろしてくれた業績は偉大なものだと思います。


(続)音楽の表題と情景

2009-11-08 09:45:01 | 雑談

おはようございます。

うす曇の暖かい朝です。いつもの愛犬との散歩から帰って来るころにはうっすらと汗をかいていました。

昨日の広島大学の記念行事では、初めて大学歌と言うものを歌いました。初めてでしたが、歌詞が大変気に入りました。

3番まであるのですが、それぞれの歌いだしが、

1番 光あり・・・

2番 流あり・・・

3番 緑あり・・・

で、私の詩的感性にぴったりはまりました。

「光あり」は日が昇り、生まれ、真理を究めようとする希望にあふれています

「流あり」は時に流されながらも、変わらない理想に向かって努力するエネルギー

「緑あり」理想の木が成長し、明るい道に心地よい影を落とす、そしてさらに道を求める

いいですねぇ、

不肖わたくしめの、過去のブログ記事(10/2~10/5)に「音楽の表題と情景」と言う題名で前後を含めて8回の記事があります。

この中で、「無伴奏チェロ組曲1番」について私の感じている情景を稚拙な文章ではありますが表現しました。

このときの感性と、広島大学歌の感性がぴったり一致しました。感動しました。

いやー、人間いくつになっても感動ってあるんですねぇ。

旧友には再会できなかったですが、新しい感動を手に入れて、大変満足でした。