最終回・・・。
この言葉を使う日がこんなに早く訪れようとは夢にも思っていませんでした。
あいぼん日記の最終回は私のお気に入り写真眺めながら、
あいぼん追っかけた5年半を振り返りたいと思います。
始まりは2001年夏のハロコン。
ちょうど「ザ☆ピ~ス!」が発売された時です。
今思えばこの金ピカ衣装もこのライヴだけでしたね。
それ以降は水兵さんの衣装でしたから。
2002年って今考えると遮二無二活動してた時期かな。
中野、埼玉、長岡、長野、豊田、横浜、そして大阪と。
一番参戦地域の幅が広かったのもこの頃です。
さくら組のツアーは今でも印象深いです。
私が見たのは安倍さんが抜けた後のさくら組でしたが、何て言うんだろ、おとめ組のような活発さ、派手さは無いけど
逆に衣装の色と同じようになんかこう暖かさみたいなものを感じたんですよね。
分割コンで人数が7人ぐらいだったのもよかったです。
ホールツアーだったらこれぐらいの人数が妥当だと思いますし。
娘。卒業の発表で明けた2004年。ホント寝耳に水でしたね。
実際それを知ったの周りの人達からのメールだったとか。
(ノ∀`)アチャー
そして7ヵ月後の代々木で娘。を卒業。
でも私自身は卒業という実感があまり沸かず。
何故なら卒業の2週間後にはダブルユーとしてのツアーが始まりましたし。
(*´∀`)
まぁ、卒業前にダブルユーとしてデビューしていたので、
なんか卒業っていう感じがあんまり無かったです。
あとハロコンでの卒業ってのが最悪だったので、
気分的にそうなれなかったのも原因の一つかな。
ダブルユーとなってからはいろんな仕事が来ましたね。
この名古屋城博のイメージキャラクターもその一つ。
通販で買える写真は全て買ったっけな。
とんでもない量の写真が家に届いてましたね。
あとダブルユーとしての活動の中で最も印象深いのはこのキャラ&メル。
ミュージカルは4回しか観に行ってないけど毎回アドリブ満載でホント楽しかった。
「ずっとあいぼん出続けてるよぉ~」なんてバカみたいな事で感動しまくってたし。
この時期ぐらいから私の中であいぼんが数段近くなったように思えます。
まぁそれを決定づけるのはこのあとのハロパですけどね。
あ、そういえばパシヘブでのイベントも申し込んだな。絶対当たると思って送ってたし。
でも結果は全敗。落選したことよりハガキの雑さに凹む。
_| ̄|○ l||l
あ、香港土産の写真だ。
これを貰ったの武道館だったんですけど、みんなこれ見て「カワイイ~♪」って言ってくれたなぁ。
ずっとこの写真見ててニヤけてた自分がそこにいました。
2005年の11月ぐらいですね、これは。
なんか急に大人っぽくなったように思えたんだよな。
自分の中では特にこの髪型が気に入ってた頃です。
で、私が生あいぼんを最後に見た1月29日の横アリで売られた写真です。
当の本人には干されっぱなしだったけど、今までの中で1、2を争うぐらい楽しかったライヴでした。
結局4年ぐらいはこの1推し、2推し体制でやってきたよなぁ。
まぁ美貴様がソロでいてくれれば表推し、裏推しのままだったんだけど。
(*´∀`)
この時のハロモニは一生忘れないだろうな。
2000年4月に一緒に加入した4期メンバー。
本人はもちろんだろうけど、私もこの人たちには助けられたよなぁ。
当然その推しの人達にもね。
やっぱり4期は最高じゃん♪って思った。
そして約7年間コンビを組んだのんちゃん。
あいぼんを語る上で絶対欠かせない人。
あいぼんの足りない所をのんちゃんが補って、逆にのんちゃんの足りない所はあいぼんが補う。
ホントこれほど息の合ったコンビはないよなって思いながら見てました。
結果的にはそんなのんちゃんを裏切る形になってしまいましたが、
いつまでもこの笑顔は色褪せることなく輝き続けると思います。
最後にあいぼんへ。
こんな形で幕を下ろさなければならないのはホント残念だけど、
今まで5年半ずっと追っかけてきたことに後悔はありません。
というか逆に「ありがとう」と言いたいです。
あいぼんを好きになってハロヲタ始めました。
それまで行ったことなかった所へも行けたし、
何より今でもずっと繋がってる大切なヲタ仲間に巡り会えた。
ホントあいぼんには感謝してます。
これから先、どんな人生が待っているのかは分かりません。
でも今まで培ってきたものをバネにして頑張っていってもらいたいと思います。
あいぼんなら必ずやっていけると信じています。
お体だけは大切に。
最後に一言。
私は
加護亜依のヲタであったことを
一生誇りに思います。
あいぼん、
お疲れ様でした。
アイボンヌ
↓是非行ってみてください♪
この言葉を使う日がこんなに早く訪れようとは夢にも思っていませんでした。
あいぼん日記の最終回は私のお気に入り写真眺めながら、
あいぼん追っかけた5年半を振り返りたいと思います。
始まりは2001年夏のハロコン。
ちょうど「ザ☆ピ~ス!」が発売された時です。
今思えばこの金ピカ衣装もこのライヴだけでしたね。
それ以降は水兵さんの衣装でしたから。
2002年って今考えると遮二無二活動してた時期かな。
中野、埼玉、長岡、長野、豊田、横浜、そして大阪と。
一番参戦地域の幅が広かったのもこの頃です。
さくら組のツアーは今でも印象深いです。
私が見たのは安倍さんが抜けた後のさくら組でしたが、何て言うんだろ、おとめ組のような活発さ、派手さは無いけど
逆に衣装の色と同じようになんかこう暖かさみたいなものを感じたんですよね。
分割コンで人数が7人ぐらいだったのもよかったです。
ホールツアーだったらこれぐらいの人数が妥当だと思いますし。
娘。卒業の発表で明けた2004年。ホント寝耳に水でしたね。
実際それを知ったの周りの人達からのメールだったとか。
(ノ∀`)アチャー
そして7ヵ月後の代々木で娘。を卒業。
でも私自身は卒業という実感があまり沸かず。
何故なら卒業の2週間後にはダブルユーとしてのツアーが始まりましたし。
(*´∀`)
まぁ、卒業前にダブルユーとしてデビューしていたので、
なんか卒業っていう感じがあんまり無かったです。
あとハロコンでの卒業ってのが最悪だったので、
気分的にそうなれなかったのも原因の一つかな。
ダブルユーとなってからはいろんな仕事が来ましたね。
この名古屋城博のイメージキャラクターもその一つ。
通販で買える写真は全て買ったっけな。
とんでもない量の写真が家に届いてましたね。
あとダブルユーとしての活動の中で最も印象深いのはこのキャラ&メル。
ミュージカルは4回しか観に行ってないけど毎回アドリブ満載でホント楽しかった。
「ずっとあいぼん出続けてるよぉ~」なんてバカみたいな事で感動しまくってたし。
この時期ぐらいから私の中であいぼんが数段近くなったように思えます。
まぁそれを決定づけるのはこのあとのハロパですけどね。
あ、そういえばパシヘブでのイベントも申し込んだな。絶対当たると思って送ってたし。
でも結果は全敗。落選したことよりハガキの雑さに凹む。
_| ̄|○ l||l
あ、香港土産の写真だ。
これを貰ったの武道館だったんですけど、みんなこれ見て「カワイイ~♪」って言ってくれたなぁ。
ずっとこの写真見ててニヤけてた自分がそこにいました。
2005年の11月ぐらいですね、これは。
なんか急に大人っぽくなったように思えたんだよな。
自分の中では特にこの髪型が気に入ってた頃です。
で、私が生あいぼんを最後に見た1月29日の横アリで売られた写真です。
当の本人には干されっぱなしだったけど、今までの中で1、2を争うぐらい楽しかったライヴでした。
結局4年ぐらいはこの1推し、2推し体制でやってきたよなぁ。
まぁ美貴様がソロでいてくれれば表推し、裏推しのままだったんだけど。
(*´∀`)
この時のハロモニは一生忘れないだろうな。
2000年4月に一緒に加入した4期メンバー。
本人はもちろんだろうけど、私もこの人たちには助けられたよなぁ。
当然その推しの人達にもね。
やっぱり4期は最高じゃん♪って思った。
そして約7年間コンビを組んだのんちゃん。
あいぼんを語る上で絶対欠かせない人。
あいぼんの足りない所をのんちゃんが補って、逆にのんちゃんの足りない所はあいぼんが補う。
ホントこれほど息の合ったコンビはないよなって思いながら見てました。
結果的にはそんなのんちゃんを裏切る形になってしまいましたが、
いつまでもこの笑顔は色褪せることなく輝き続けると思います。
最後にあいぼんへ。
こんな形で幕を下ろさなければならないのはホント残念だけど、
今まで5年半ずっと追っかけてきたことに後悔はありません。
というか逆に「ありがとう」と言いたいです。
あいぼんを好きになってハロヲタ始めました。
それまで行ったことなかった所へも行けたし、
何より今でもずっと繋がってる大切なヲタ仲間に巡り会えた。
ホントあいぼんには感謝してます。
これから先、どんな人生が待っているのかは分かりません。
でも今まで培ってきたものをバネにして頑張っていってもらいたいと思います。
あいぼんなら必ずやっていけると信じています。
お体だけは大切に。
最後に一言。
私は
加護亜依のヲタであったことを
一生誇りに思います。
あいぼん、
お疲れ様でした。
アイボンヌ
↓是非行ってみてください♪