世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●「サイレント・マジョリティ」を具現化することは可能か?

2015年04月15日 | 日記
自由にものが言える時代、言えない時代
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●「サイレント・マジョリティ」を具現化することは可能か?

先の統一地方選前半の総括をNHKの解説コラムが以下のように分析している。今どきNHKの解説コラムなど引き合いに出すのはどうかと思うが(笑)、特に嘘などは含まれていないので、抜粋だが、参考引用する。

≪時論公論 「統一地方選挙 深刻化する"政治離れ"」
  統一地方選挙は、前半戦の知事や道府県議会などの選挙が終わりました。自民党が余勢を駆って勢力を伸ばした一方で、知事選挙などの投票率は、いずれも先の衆議院選挙同様、過去最低にとどまりました。今夜の時論公論は、統一地方選挙・前半戦の結果を振り返りながら、そこで見えてきた問題点などについて考えます。
……
道府県議会選挙でも、自民党は、24年ぶりに定員の過半数を獲得しました。一方、民主党は、前回の当選者数を下回る数の候補者しか擁立できず、議席を減らしました。候補擁立に苦しんだ先の衆議院選挙と同じパターンで、党再生への厳しさを改めて印象づける結果となりました。
……
今回、改めて深刻な問題として浮かび上がったのが、投票率の低下、そして、候補者不足による無投票の多さです。
……
全国をあわせた投票率は、知事選挙、道府県議会選挙ともに前回を下回り、初めて50%を割り込んで、いずれも過去最低となりました。 また、道府県議会選挙では、あわせて960選挙区のうち、3分の1にあたる321選挙区で定員を超える立候補者がなく、501人が無投票で当選しました。
……
背景として、▼各党の勢力が固定化して、いわば『両にらみ』の形となり、新しい人が割り込みにくい政治状況になっている、▼県議会の存在感が薄れ、有権者の関心が低いことなどをあげています。
……
そこからは、▼政治勢力が固定化し、選挙の構図が変わらないので有権者の関心が高まらない。▼関心が高まらないので新しい人がチャレンジしにくい。▼新しい人がチャレンジしないので選挙の構図が変わらないという『負の連鎖』が見えてきます。これを断ち切らない限り、『政治離れ』が進むのは避けられません。
……
今回の選挙では、知事選挙などで、各党が現職に『相乗り』するケースも目立ちました。▼争点の明確化や、▼候補者の発掘など、有権者の選択肢を確保することは政治の大きな責任です。
……
統一地方選挙・前半戦の結果について、安倍総理大臣は、「全体として与党に力強い応援の声を頂いた」とした上で、後半国会で、重要法案の1日も早い成立を 目指す考えを示しました。しかし、民主主義の正統性が『多くの人が参加する選挙で、多くの信任を得て選ばれた』ことにあるとすれば、低投票率のもとでの勝利に手放しに喜んでもいられないでしょう。一方の野党も巨大与党の勢力に押され、明確な対立軸を打ち出すことができないようであれば、今回の選挙同様、幅広い国民の支持を得ることはできません。 今回の選挙でより明確になった『政治離れ』への懸念。国民の目を政治に向けてもらうためには何が必要か、与党双方に突き付けられている重い課題です。 ≫(NHK解説委員室:太田真嗣 解説委員―抜粋)


以上の解説は、現在の日本の政治シーンを固定化したものに前提した上で書かれている。無論、厳しく詮議されているNHKの解説だから、まだ存在しないものを前提に、物事を解説することが困難なのは当然だ。しかし、平場のブロガーには、それが許される。筆者が09年以来、グタグタとコラムを書きつづけていられるのも、制約がないからである。謂わば、言いっ放しが許される環境ゆえに書いていられるという事だ(笑)。

そこでだ、NHKの解説に不足しているものを補充する必要があるな、と思って、今日のコラムは書いている。筆者の勝手な達観から見ると、早晩、安倍政権が為政した政策や協定などと云うものは、影も形も亡くしてしまうだろうと思っている。ゆえに、個別の政策一つ一つに、大声をあげて反対もしない。なぜなら、日本人のマジョリティな考えに対立的な為政を行っているのが明らかなのだから、早晩抹消される。

問題は、その日本人のマジョリティが極めてサイレントであり、且つ、各論其々にバラバラなマジョリティがあると云う難題だ。正直、こう云うものを最大公約的にまとめることが、想像以上に難しいと云うことと、日本人が民主主義に参加するとか、現行の選挙制度の中で、自分の考えを実現するとか、論理的に考えると不可能だな、と知的に考え参加を拒否する面もある。また、時流を持ってしか、行動できない人々も、3割程度存在するのが、劣化した国の不都合な事実である。

筆者のように、考えるにいいだけ考えたが、どうやっても、「滅びの美学」に到達しておいた方が、自己防衛的だと認識する人々もいるだろう。つまり、自分の殻に閉じ籠もるわけだが、無論、30キロ圏くらいでは、大いに働き、意見し、唯我独尊的であっても、納税の義務だけは果たしておく。そういう生き方までもが浮かぶほど、日本、否、世界は滅びに向かってリニア新幹線並みに爆走している。

まあ、こんな風に書いてしまうと身も蓋もないので、幾分だけ明るい話題を提供しておこう。それが、以下の古賀茂明氏の存在である。以下は、古賀氏について書かれた週刊プレイボーイのサイトの記事だが、彼が立ち上げた、「フォーラム4」には、見るべきものがある。
URL: http://forum4.jp/

古賀氏の『改革はするが、戦争はしない』を旗幟とする「フォーラム4」のサイトを見ると、筆者は、一つだけ、“そこが無理なんだよ”と云う所がある。それが、政治家にとって「常套句」となっている「経済成長」すると云うお題目だ。大雑把な言い方だが、“日本を改革することで経済成長する”この目標は、如何にも実現するように思えるが、絶対に無理である。古賀氏が経産省出身である事から、具体的に事例を持って、改革さえすれば、中央集権の無駄を省けば…になる気持ちもわかるが、先進諸国の経済成長は構造的に無理なのだ。

まあ、この部分は、サイレントマジョリティの中に、経済成長神話が強く未だに根づいているのであれば、政治的には標榜せざるを得ないのだが、為政的には、本当は経済成長はないだろうと云う思想の下で、国家の仕組みを考えれば良いことかもしれない。筆者は、個人的に、遠い昔に封じ込まれている縄文的日本人のアイデンティティと言える「価値観」を再構築するまで、経済的に豊かになれるくらいの嘘は方便として、目を瞑っても良いかな(笑)、と思っている。古賀氏の動きに国民が連動するかどうか、それは判らないが、新味あるうねりになる可能性が幾分あるような感じだ。もう民主党、維新と云うのは終わっている。早く、次なる政党の軸づくりが必要だが、野党再編はダメだ。イデオロギーが必須なのだから、古賀の「フォーラム4」も動きとして歓迎できる。


≪ 日本は猛烈な勢いで劣化している! 古賀茂明「ドン・キホーテみたいとバカにされてもやる」改革とは?
3月27日の出演をもって『報道ステーション』(以下、報ステ)のコメンテーターを降板することになった古賀茂明氏。 メディアの仕事が減る中、彼はそれでも改革を訴え続けようとしている。その古賀氏が今、危惧していることがある。

「それは日本国が猛烈なスピードで劣化しているということです。このままだと経済力も落ち、年金や保険などの福祉システムも崩壊しかねません。だからこそ、改革をして成長力を取り戻す必要がある。

ところが、安倍政権はアリバイ作りのチマチマした改革しか実行せず、『戦争できる国づくり』に熱中している。原発再稼働に前のめりになっていることにも危機感を覚えます」

そんな中、古賀氏が取り組もうとしていることがある。それが「フォーラム4」の立ち上げである。これは古賀氏が主張する「第四象限の政治勢力」の結集を目指す、ネット空間に開いた市民型プラットフォームだ。

「第四象限の政治勢力」を説明しよう。まず戦争する、しないを縦軸に、改革する、しないを横軸にとる。すると右上の第一象限は「改革はするが、戦争もする」政治勢力ということになる。現状では維新の党や民主党タカ派のポジションだ。

続く第二象限は左上のゾーン。ここは「改革はしないが、戦争はする」。集団的自衛権行使を容認し、列強を目指す安倍・自民の定位置だ。

左下の第三象限は「改革はしないが、戦争もしない」。共産党や社民党、さらにはバラマキ政策をとる民主党の労組系がこのゾーンに重なる。

「今の日本には第四象限、つまり『改革はするが、戦争はしない』という政治勢力がいないんです。僕はこの第四象限の党こそ、安倍・自民に対抗し得る政治勢力になると考えています。

ただ、いきなり党を立ち上げても、たぶんダメでしょう。国民は安易な新党作りには飽き飽きしている。政治家から見ても、そこにニーズがあるかどうか明確にわかるまでは、リスクをとってそこを目指す動きはしにくい。そこでまず、第四象限の基本理念を実現するために様々な人々が集まって活動しているということを見せるのが大事と考え、『フォーラム4』を立ち上げました」

古賀氏は「フォーラム4」は政党ではないとくぎを刺す。

「あくまでも第四象限の基本理念を共有する人々が集まるプラットフォームです。そこでの議論から様々な活動が生まれ、そのひとつの表れとして『フォーラム4』を唱えてひとり、ふたりと選挙に出馬する。気がつくと、第四象限の政治勢力が厳然と存在することがわかる、というのが理想。

音楽でいえば、ストリートパフォーマンスから始め、その動画がネットで拡散され、評判になってCD発売、メジャーデビューにこぎつけるという感じですね」

ほとんど宣伝もしていないのに「フォーラム4」にはすでに300人以上の賛同者が本名で名を連ねた。その中には故・菅原文太夫人の文子氏や川内博史前衆院議員らの名も見える。

「次の参院選が来年夏ということを考えると、今年中に『第四象限の党』が生まれてほしい。僕はそれを陰で支える黒子役を務めたいと思うのですが、その党が立ち上がる時に誰も音頭をとる人がいなければ、僕が一時的にその役目を引き受けて、その後、若い層にバトンタッチすることも考えないといけないかもしれませんね」

官僚を辞職してから約3年半。古賀氏は政権の“外側”から改革を叫び続けた。しかし、今や日本の政治は「自民一強」。外側からいくら働きかけても、権力は変わらないのではないだろうか?

「そうは思いません。権力の内部にいないと、改革はできないという声があるけど、むしろ、内部にいるからよけいなしがらみが生まれて改革ができないのでは?

僕も30年間も官僚として国家に関わったけど、大きくは変えられなかった。だからこそ、ドン・キホーテみたいとばかにされるかもしれないけど、外部から誰かが何かをやんなきゃ、何も動きませんよ」

古賀氏に手帳を見せてもらった。3月まで予定がびっしり埋まっているのに4月は白いところが半分、5月以降はほとんど真っ白だった。報ステでの発言が原因なのか、政府の無言の圧力を感じて番組出演や講演依頼自粛の動きが広がっているのか。古賀氏も「どうしてかな」と首をかしげるが、その顔に暗い影はない。

「僕は、最後のひとりになっても自分の考えを貫くつもりです。それをやめたら自分が自分じゃなくなっちゃいますから。

『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである』

これは僕が一番好きな、ガンジーの言葉です」

≫(週プレNEWS)

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●吉田松陰の国学・復古神道かぶれが、日本の心を消滅させた

2015年04月14日 | 日記
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●吉田松陰の国学・復古神道かぶれが、日本の心を消滅させた

松下村塾の流行り病にはウンザリだが、長州の田舎侍らの欧米かぶれが、日本文化の破壊者であった歴史上の事実が、以下の魚住氏のコラムは暗示している。勝海舟、江戸っ子の心意気こそが、当時の日本の正論であったに違いない。歴史は、この「国学・復古神道」に誑かされた田舎侍の群れに跳梁跋扈されたと言っても過言ではないだろう。もしかすると、鳩山由紀夫の「東アジア共同体構想」も原点は、此処にあった可能性もある。西郷は、欧米人に対して「あんな野蛮な連中」と云う言葉を、何度となく語っているが、まさに、そういう事なのである。

当時の歴史の謎は、完全に解けてはいないのだが、勝の「日本・朝鮮・清国の三国同盟を結び、欧米列強の圧力に対抗すること」は、現代の東アジア共同体と趣旨を同じくしている。これに田舎侍の癖に、男気がなく、ヘタレな西洋かぶれが、欧米列強国に、恐れをなして、ただ唯々諾々と屈したに過ぎない。明治維新こそが、日本の歴史の歯車が狂ったターニングポイントであって、明治維新時代の産業が、世界遺産になるなど、噴飯ものなのである。ネトウヨも、安倍晋三も、勝海舟、西郷隆盛の日本人的血脈を思い偲んでから、己の意見を語るが宜しかろう(笑)。

産経の記者だった司馬遼太郎の本が売れだしたこと、明治以降の日本軍賛美がヒットしたこと、この辺には、メディアコントロールの技が駆使されたのに違いない。司馬と立花隆は同じ臭いがする。明治維新以降、悲哀を味わった政治家や言論人、学者などの書物や研究などを紐解き、白日に晒し、「ここが変だよ、明治維新」と云う発想で、歴史を見直す必要があるのだと思う。筆者も、魚住氏のコラムに触発され、あらためて、国学的過ぎて、オカルトっぽかった吉田松陰を怪しい奴として観察し直す必要が出てきたようである。伊藤博文、木戸孝允など、糞の糞かもしれない(笑)。筆者は、感覚的に、明治維新の立役者、こいつ等は怪しいと云う思い込み論で強弁していたが、幾分筋道が見えて来た(笑)。

このような視線で、現在の長州藩の末裔ツラしている安倍などは、日本の道を最も誤らせた長州の人間である。此の地から「国学・復古神道」の原点があり、安倍政権は、その道に向かってひた走っているのだ。首相が一番多く輩出しているのだから、日本がドンドン悪くなるのは、当然の帰結と言えるのだろう。今や「国学・復古神道」の総本山が靖国神社になっているのも“むべなるかな”である。明治天皇はじめ大正、昭和、今上天皇と「反目」する勢力が、明治維新を成就させた英雄たちであると云う事実は、現在の安倍ら勢力の政治的方向性を観察していると、そっくりなのだ。意味なく強がり、アメリカに傅く、変だろう?我々、日本人は、勝や西郷に関して、もっと学び、解析すべきテーマのようである。

 ≪ 西郷隆盛と勝海舟のナゾ
 歴史家の松浦玲著『明治の海舟とアジア』(岩波書店刊)によると、勝はこのころ明治天皇の側近だった吉井らと連携し、西郷復権に向けて精力的に動いている。

 その第一歩が西郷の遺児・寅太郎を明治天皇に会わせることだった。勝の働きかけをきっかけに明治17(1884)年4月、寅太郎の宮中参内が許された。寅太郎は天皇から<ドイツ留学、留学中一ヵ年金千二百円下賜>の達しを受け、翌年、ドイツへ旅立つ。

 勝は寅太郎の宮中参内を機に西郷の赦免も得ようとしたが、これは伊藤博文宮内卿に阻まれた。再びチャンスが巡ってきたのは、5年後の明治22(1889)年2月、憲法発布の時だった。

  発布1ヵ月前、勝は西郷の赦免を天皇に提案する手紙を書く。勝の希望は叶えられ、天皇の特旨で西郷の賊名が解かれ、正三位が追贈された。西郷復権で世間は安心し、改めて彼をたたえ始めた。

 その直後から勝は西郷=征韓論者説を打ち消す文章を書き<西郷が征韓論と云ふは嘘><朝鮮を征伐して、西郷の志を継ぐなどゝ云ふことが、何処にあるェ>などという発言を繰り返すようになる。

 松浦は<西郷隆盛崇拝者の中には西郷が征韓論者だと信じて(中略)西郷の遺志を継ぐなどと称している手合いが多数いる。それでは西郷隆盛復権が朝鮮侵略、アジア侵略につながってしまう。海舟の真意に反するのである>と言う。

 では、勝の真意とは何か。松浦によると、日本・朝鮮・清国の三国同盟を結び、欧米列強の圧力に対抗することだった。幕末に神戸海軍操練所を開設した時から、この構想は生涯変わらなかった。

 彼は清国・朝鮮の政治家と交流し、両国との友好関係の大事さを説きつづけた。明治27(1894)年の日清戦争に対しても<兄弟喧嘩だもの犬も喰わないヂャないか。たとえ日本が勝ってもドーなる。(中略)支那の実力が分ったら最後、欧米からドシドシ押し掛けて来る>と異を唱えた。

 10年後の日露戦争では非戦論を主張する内村鑑三ですら、この時は賛成に回った。勝は日清戦争に反対したほとんど唯一の要人だった。彼の胸には、清国や朝鮮は同じ文化の<兄弟>だという思いと、三国同盟の戦略があった。

 一方、明治政府の主導権を握る旧尊王攘夷派の志士たちは対等な同盟論を受け付けない。なぜなら彼らの頭には、日本は特別な神の国だという国学・復古神道の教義が染みついているからだ。

 幕末長州の尊王攘夷運動の指導者だった吉田松陰はロシアの外圧にさらされたとき「取り易き朝鮮・満洲・支那を切り随へ、交易にて魯国に失ふ所は又土地にて鮮満に償ふべし」、貿易でロシアに取られた分は朝鮮・満州を占領して取り返せと主張した。

  極端な言い方をすれば、近代日本とアジアの不幸な関係は、吉田の神がかりの侵略思想が木戸孝允ら明治政府の主流派に受け継がれたことに端を発している。朝鮮が無礼だから征伐せよという明治6(1873)年の征韓論の高まりは、その最初の表れだった。

 征韓論と三国同盟論。幕末~明治初期の日本には相反する二つの潮流があった。勝の系譜の先輩格だった横井小楠(肥後藩)は明治2(1869)年に暗殺され、勝や横井と親しかった坂本龍馬も慶応3(1867)年に暗殺された。

 問題は、維新最大の功労者と言われた西郷隆盛である。彼は征韓論と三国同盟論のどちらを唱えたのか。そこに、近代史の謎を解くカギが潜んでいる。

*参考:『西郷隆盛』(井上清著・中公新書)、『新訂 海舟座談』(厳本善治編・岩波文庫)、『氷川清話』(勝海舟著・講談社学術文庫) ≫(現代ビジネス・メディアと教養:魚住昭の誌上デモ「わき道をゆく」連載第124回-『週刊現代』2015年4月11日号より)

勝海舟と西郷隆盛 (岩波新書)
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新訂 海舟座談 (岩波文庫)
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●右巻き産経・WiLL花田が、御用記者長谷川”よいしょ”コメ

2015年04月13日 | 日記
村 百姓たちの近世〈シリーズ 日本近世史 2〉 (岩波新書)
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●右巻き産経・WiLL花田が、御用記者長谷川”よいしょ”コメ

今や、産経新聞にしかポジションのなくなった花田紀凱だが、安倍シンパとして、我が世の春を謳歌しているようだ。今日気づいたが、あのWiLLの編集長になって糊口を凌いでいたのか、知らなかった(笑)。何という意味もない、コラムにもなっていない、一口情報のようなものだが、俗に云うネトウヨとか、ニート君たちは好んで読んでいるWiLLらしいが、安倍関係者の大量購読も噂になっている。

しかし、長谷川幸洋が東京新聞で、既に嘱託なのだから、副主幹なんて名前は温情ポスト。長谷川自ら、「俺は社説を書かせて貰えない」と愚痴っているのだから、他者の週刊誌などで、憂さ晴らしをしているに過ぎない。そういう情報もなく、ネトウヨ的に物を書いて生きていられるのだから、官邸親和言論人は金も貯まるに違いない。

花田がご推奨の「ニューズウィーク日本版」のAIIB関連記事は、最近、世界を揺るがしている中国がアメリカを抜いた?中国は基軸通貨を狙っているか‥等の目次に溢れている。まあ、欧米視点、世界秩序維持がコアにある週刊誌なので、影響力はあまりない。なにも、中国自体、アメリカを追い抜いたなどとは思ってないわけで、対アメリカ覇権防衛に、皆で群れましょうと云うのが、現時点である。ある統計では抜かれるだろうが、すべてが抜かれることは、アメリカの自滅が起きた時だけだろう。隷米さん達も、そんなに慌てなくて大丈夫だよ(笑)。

そのアメリカではヒラリーが大統領選出馬表明したことで、アメリカの政治的興味は民主党ヒラリーに対抗する共和党候補が誰なのか、そこに注目が及び、オバマ政権への興味度はかなり落ち込むものと思われる。アメリカでは、反オバマという意味合いで、上下院を共和党が制しているが、共和党の大統領候補は10人近くが名乗り出てくる混戦で、目玉がいない。現時点ではヒラリーが圧倒的に強いのではと云う下馬評だ。このような状況は、中国に親和的なヒラリーにでも大統領になられた日には、現在の安倍政権の舵取りは、方向舵を失った凧のようにきりきり舞いするのだろう。そういう意味では、米大統領選は、安倍政権の長期化にも、かなりの影響を及ぼすのだろう。

≪前代未聞、東京新聞幹部が自紙社説を『ポスト』で批判
 「文春」「新潮」トップは“上西小百合議員問題” 論説副主幹が週刊誌の連載コラムで自分の新聞の社説を真っ向から斬り捨てる--前代未聞だろう。
 発端は3月14日の東京新聞社説。「財政健全化計画 ご都合主義は通用せず」と題して、政府が財政再建の目標に債務残高のGDP比の縮小を追加する策を出したことを批判。
 これに対し『週刊ポスト』(4・17)のコラムで長谷川幸洋氏(東京新聞・中日新聞論説副主幹)が噛(か)みついた。
 〈この主張(東京新聞社説)は分子ばかりに注目した誤り〉〈主張は本末転倒なのだ〉
 今や朝日より左寄りだといわれる東京新聞で、思い切った発言を続けている長谷川さん。『ポスト』のコラム、「長谷川幸洋の反主流派宣言」、毎号愛読しているのだが、論説副主幹といえば当然、社説作成に関わっているハズで、そのへんはどうなっているのか。
 ついでだが、なぜ長谷川さんが堂々と社の方針に反することも書けるかについては『WiLL』3月号で、長谷川さん自身が書いているのでご一読を。
 上西小百合参院議員(維新除名)の国会病欠、“愛人”秘書同伴旅行問題、『週刊文春』『週刊新潮』(ともに4月16日号)がトップで取り上げている。 『文春』では件の“ヤクザまがい”家城(いえき)大心秘書が、上西議員との男女の関係を問われて、〈「別にかまへんがな、独身同士やもの。別にええんちゃうの(中略)アホか」〉。 『文春』が“バカップル”と断ずるのももっとも。
 『新潮』はちょっとひねって「中身はポンコツばっかり『橋下チルドレン』不祥事一覧」。
 政治評論家の浅川博忠氏があきれる。  
〈「私はかつて、維新が“無法地帯のような政党になる”と予測したことがある。実際、そのようになりました。いや、無法というより、無秩序政党というくらい、政党としての体をなしていないのです」〉
 日本は参加すべきか否か。AIIBに関して詳細に論じている『ニューズウィーク日本版』(4・14)は必読。 ≫(産経新聞:『WiLL』編集長―花田紀凱の週刊誌ウォッチング)

 ≪ 特集:アメリカ<中国?(ニューズウィーク)
2015.4.14号(4/ 7発売)
ヨーロッパ諸国が雪崩を打って参加した中国主導のAIIBは アメリカ一極支配の「終わりの始まり」を象徴するのか
AIIB アメリカは中国に追い越されたか
人民元 AIIBの次に中国が狙う基軸通貨の座
視点 脅威も規模も過大評価?AIIBをめぐる誤解
ヨーロッパ アメリカを裏切る欧州の代償
オピニオン 中国にふさわしい役割を与える時
軍事 南シナ海に築く砂の万里の長城
アフリカ ナミビアでの軍港建設で狙う大西洋の覇権
宇宙 中国が仕掛けるスターウォーズ
戦略 中国がひた走る「100年マラソン」 ≫(ニューズウィーク日本版目次)


≪花田 紀凱(はなだ かずよし)とは?
『週刊文春』の編集長に就任した後は、タカ派の論調を展開。『週刊文春』を週刊誌売上トップへと育て上げ。『マルコポーロ』編集長に異動(初代・2代目では部数が伸び悩み、3代目)。順調に部数を伸ばしていたが、1995年2月号において、ホロコースト否定説を掲載。サイモン・ウィーゼンタール・センターから抗議を受け廃刊。マルコポーロ事件以降は……、
花田自身も編集長を解任され、閑職といわれる『戦後史企画室』に異動。分掌業務とは別に、新雑誌の企画を提案するなどしていたが、だんだんと出社しなくなり、事件の1年後の1996年に文藝春秋を退社した。 文藝春秋退社後 『週刊文春』時代に何度も批判記事を載せた朝日新聞社の契約編集者となり、その“右から左へ”の転身ぶりが話題となる。朝日新聞内外から強い反対があったが、経営陣はこれを無視して花田を受け入れた。 1996年秋に創刊された女性誌『uno!』の編集長に就任。「男も読める女性誌」を目指したが、花田・朝日新聞双方にノウハウのない状態で部数は伸び悩み、2年後の1998年6月に赤字で休刊。同時に角川書店に移籍した。
中から見た朝日について「文春とは全然違う。組織が大きいから官僚的にならざるを得ないし、官僚的でないとうまくいかない」「即断即決ができな いので雑誌作りには馴染みにくい」「(週刊誌で可能だった)10本の記事のために集めた20本の原稿を執筆者に謝って没にする、というようなことができな い」といった感想を当時のインタビューで述べている。
角川では『月刊フィーチャー』発行人(1998年)・『MEN'S WALKER』編集長(1999年)を務めたが長続きせず、いずれも部数が伸びずに休刊した。文春時代から相次いで雑誌を潰したことを西原理恵子に「雑誌クラッシャー」と揶揄されたこともある。 2000年12月に角川書店を退社。2001年に宣伝会議の常務取締役に就任し、月刊誌『宣伝会議』編集長、『編集会議』編集長を務めた。
2004年にワック・マガジンズに取締役として迎えられ、同年11月に創刊された『WiLL』の編集長に就任、現在に至っている。
雑誌以外にも、テレビやラジオでコメンテーターを務めている。『噂の眞相』の元編集長岡留安則と親交があり、花田が『TVウワサの眞相』に出演したり、岡留が『WiLL』に連載を持つこともあった。 また、産経新聞に「週刊誌ウォッチング」の連載をするなど、週刊誌報道のご意見番となり、「最近の週刊誌はネットで資料集めをして取材もせずに書いているというのが読んでミエミエ。それをまたデスクが見抜けない」と苦言を呈していた。
ところが、自ら編集長を務める『WiLL』(2006年5月号)に、社民党(旧社会党)元党首の土井たか子を「本名『李高順』、半島出身とされる」と記述し、慰謝料1000万円と謝罪広告の請求訴訟を起こされる。2008年11月13日、神戸地裁尼崎支部は「明らかな虚偽」として『WiLL』に200万円の賠償を命じた。この判決は最高裁で確定している。
2007年、アメリカ合衆国下院121号決議がなされたとき、「慰安婦問題などなく、売春組織と売春婦が存在しただけ」というチャンネル桜主導の抗議書の賛同者として名前を連ねた。
日中の経済交流を進める愛華訪中団にマスコミ関係者として複数回参加しており、東北地方太平洋沖地震と福島第一原子力発電所事故が発生した2011年3月11日にも勝俣恒久(当時東京電力会長)が団長をつとめる団に参加していた。
『WiLL』や『週刊文春』時代に攻撃的なスタンスを取っている朝日新聞について上記のインタビューで「優秀な人が多い」と認めており、「個人的に話してみたら全然違う話があったりする。論説がどういう仕組みでできるのか、どこかの雑誌で一回レポートすればおもしろいなと思うんですよ」などと述べて いる。 ≫(Wikipedia引用)

反歴史論 (講談社学術文庫)
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●少子高齢化社会の実態と展望 「三択問題」どの道を行く?

2015年04月12日 | 日記
人口減少社会という希望 コミュニティ経済の生成と地球倫理 (朝日選書)
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●少子高齢化社会の実態と展望 「三択問題」どの道を行く?

以下は元大蔵官僚で、政策研究大学院大学名誉教授・松谷明彦氏の“日本の少子高齢化の元凶と問題点、及びその解決の処方箋”に関する、レポートである。ダイアモンドONLINEに3部形式で掲載されていたので、かなり長いが引用掲載しておく。

様々なデータを駆使して、論理的に、立場主義を超えて、当該諸問題を考えている点で好感が持てるし、大いに参考にもなる。ただ、解決法と云う段階において、安倍政権的ではないが、幾分安全圏狙いの処方箋で締めくくっている。同氏の経歴から考えて、それでもかなり主張している事は認められるが、明治維新以降の日本の欧米列強の仲間入りを確実にするため、と言いながら、やはり歴史観、知政観は欧米的なのは致し方ないかもしれない。

ただ、折角ここまで掘り下げたのだから、もう少し、歴史や哲学を踏まえた日本人観にまでウィングを伸ばしてくれると、一層読みごたえがあったと、筆者は思う。少子化において、経済原則上、革命的技術革新でもない限り、日本の経済成長はあり得ない事まで、素直に論じているのだから、経済中心主義からの脱却に関し、もう一歩踏み込んで貰いたかったが、同氏の専門が経済財政である限り、経済に重きを置かざるを得なかったろうが、ゆえに、かなり頓珍漢な経済政策を提唱したり、後半には破たんもみられる。

まあ、小生の「吉里吉里国」的な達観した「孤高の日本」と云う領域まで言及していない。しかし、民主主義ではあるが、天皇を軸に据えた「日本的デモクラシー」を作るに相応しい時代が到来しているのに、そこに考えが至る人がごく少数なことは、幾分寂しい(笑)。まあ、ひねくれ者の筆者のことだから、多数になれば、おそらく、その選択さえも放棄するかもしれない。先ずは、読後の上、皆様それぞれに、処方箋をお考え頂こう。


≪ 日本劣化は避けられるか? 「人口減少社会」の誤解と真のリスク
――松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授
【 「日本で人口減少が始まった」と言われて久しい。先の国勢調査によると、足もとの日本の人口は約1億2806万人。国立社会保障・人口問題研究所の中位推 計によると、この数が2030年に1億1522万人、さらに2060年には8674万人まで減ると予測されている。世間では、少子化、高齢化などの現象に ついて、様々な角度から分析が行われている。しかし、全ての人が人口減少について、正しく理解しているわけではない。なぜ人口減少が起きるのか。その真の リスクとは何なのか。人口減少に詳しい松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授が詳しく解説する。(まとめ/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也) 】

 ■「これまで」と「これから」では違う 誤解されている人口減少社会の実態
少子化、高齢化、人口減少といった現象については、数多くの分析や提言が行われています。 ただ私から見れば、それらは必ずしも正しい議論ではない。誤解されて語られている部分も多いのです。人口減少はなぜ起きるのか――。改めて考えてみましょう。
 そもそも西欧諸国を見ると、将来のある時期まで高齢化は進むもののその変化は緩やかで、さらに人口については、多くの国でむしろ増えていく傾向にあります。だから人口は、さほどの関心事ではありません。 このあたりも誤解している人が多いですが、実は日本は大幅な人口減少に見舞われる珍しい国なのです。それはなぜか。日本には人口減少をもたらす独特な背景があるのです。
 それを考える際にまず理解すべきことは、一口に「人口減少社会」と言っても、「これまで」と「これから」、あるいは「少し先から」ではパターンが違うということです。そこを整理しないと、人口減少の真の原因と対策は見えません。
 まず「これまで」の人口減少ですが、主因は多くの人が思っているような「少子化」ではありません。主たる原因は「死亡者の急増」なのです。日本が 戦争に向かって突き進んでいた1920~40年頃、時の軍事政府は兵士を増やそうと「産めよ、殖やせよ」を国民に強く奨励しました。
 そのときのベビーブームで生まれた人たちが、1980年代後半以降、死亡年齢に達し、年を追って大量に亡くなっていることで、人口が減少している のです。むろん、人口の増減は死亡者数と出生者数の綱引きですから、少子化の進行も関係してはいますが、その影響はまだそれほど大きくはありません。 日本の死亡者数は戦後から1980年代半ばまで、毎年おおむね70万人前後で推移してきました。それが1985年には75万人、90年に82万人、 95年に92万人、2000年に96万人と急激に増え、2005年には108万人となり、ついに出生者数を追い越してしまった。つまり、超高齢化した「人 口の塊」が一気に減っていることが、人口減少の原因です。
 逆に言えば、戦争や疫病などの社会的事件によって若い世代が亡くなっているわけではないので、ある意味それほど深刻な人口減少ではないと言えます。
 ちなみに、よく問題視される地方の人口減少も、「東京に若者がどんどん出て行ってしまうため」と語られがちですが、実は地方に大量にいる高齢者が 次々と亡くなっている影響のほうが、よほど大きいのです。となると、現在の地方の人口減少は果たして問題なのかどうか、冷静な検証が必要でしょう。

 ■これまでは「死亡者の急増」が主因 少子化が危機になるのは2030年代以降
 では、「これから」の人口減少の原因は何なのか。2030年代前半までは、戦前のベビーブーマーに「団塊世代」と呼ばれる戦後の第一次ベビーブー マーが加わることで、高齢の死亡者は増え続けます。したがってその時点までは、人口減少の主因はやはり「死亡者の急増」です。それ以降は、死亡者数はピー クを越えて横ばいになりますが、それまでと同様に出生者数が減少し続けるため 、人口はさらに減っていきます。そこで初めて「少子化」が人口減少の「主因」となるわけです。
 繰り返しますが、そこまでは「少子化」は人口減少の「主因」ではありません。ですから、「これまで」と「これから少し先まで」の人口減少は、どうにも避けられないものなのです。人口政策を語るとき、忘れてはならないところです。
 戦前と戦後のベビーブームによる2つの「人口の塊」が、日本に急速な高齢化をもたらし、その必然的な結果としての死亡者の急増が、人口減少を引き 起こしました。西欧諸国には、そうした「人口の塊」はありません。それが、日本が大幅な人口減少に見舞われる珍しい国である理由です。
 それでは、人口減少を引き起こす「高齢化」や「少子化」の背景を、さらに詳しく探ってみましょう。まず高齢化についてですが、世間で語られること には少なからぬ誤解があります。たとえば、高齢化の「主因」は少子化ではありません。主因は「長寿化」です。寿命が伸びて、個々人にとって65歳以上の人 生の割合が増えているから、社会のなかで高齢者の割合が増えているのです。ですから、出生率が低下しなくても、高齢化は進行します。つまり、高齢化を止める手立てはないということです。 同時に、高齢化の根本原因は個々人にあるのだから、高齢化がもたらす問題を社会だけで、つまり政府の施策だけで解決しようとすることには無理があります。まずは個人の段階で、できるだけの解決を図る。個人ではどうにもならないところだけ、社会で解決すべく努力する。そうした姿勢が必要でしょう。
 人口減少と異なり、高齢化は先進国共通の現象ですが、日本の高齢化の速度は明らかに異常です。その理由は主に2つ。1つは先ほど述べた「人口の塊」ですが、いま1つは日本人のすさまじい長寿化です。たとえば、1950年の平均寿命は61.3歳(男女平均)でしたが、2010年の平均寿命は 83.01歳と、たった60年の間に20歳以上も寿命が延びています。それだけ、戦後の先進国化が速かったということです。

 ■少子化は出生率の低下にあらず 「生む年代」の女性が激減している
 次に、2030年代半ば以降の人口減少の主因となる少子化の背景ですが、実はそれについても根強い誤解があります。「これから」の少子化の原因は 出生率の低下ではありません。「これまで」の少子化の原因は確かに出生率の低下でしたが、「これから」子どもが減る原因は、子どもを生む年代の女性人口の 激減です。
 国立社会保障・人口問題研究所の中位推計によると、子どもを生む確率の高い25~39歳の女性の数が、2010~2060年の50年間で55.1%も減り、現在の半分以下となる44.95%まで低下すると予測されています。
 他の先進国と比較しても尋常ではない減少ペースです。国連の推計では、同期間において、米国は23%、英国は5.2%、フランスは4.2%子ども を生む年代の女性が増えると予測されており、日本だけが激減しているのです。その結果日本では、少子化が世界に類を見ないレベルで進みます。19歳以下の 子どもの数は、米国が21.9%増、英国が13.7%増、フランスが8.4%増と見込まれるのに対して、日本は53%減となります。
 では、なぜそれほどまでに女性の数が減ってしまうのか。大元の原因は、日本政府が終戦直後に行なった大規模な産児制限にあります。当時の日本で は、田畑の荒廃に加え、植民地からの大量の引揚者によって人口が急増し、その上子だくさんでは、国民全員が飢餓に陥るという懸念が高まっていました。 そのため、1950年4月に優生保護法が改正され、人工妊娠中絶が認められる要件に「(妊娠の継続又は分娩が身体的又は)経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」という項目が付け加えられました。それをテコに、大規模な産児制限が実施されたのです。
 結果として、その後20年にわたり出生率が低迷します。年間出生者数は、それまでの260万人から最も低いときには100万人も減り、160万人 となりました。このときの出生者数の大幅減が、さきほどの「子どもを生む年代の女性人口の激減」の原因です。そのとき生まれた女の子は少なく(もちろん男 の子も少ない)、その女性が生む女の子も少なく……という負のループによって、子どもを生む年代の女性が急速に減少し続けるのです。政策によって人口をいじったツケと言えるでしょう。

■政策によって人口をいじったツケ 必要のない産児制限で中絶大国に
 歴史の皮肉でしょうか。実は、この産児制限は必要がなかったのです。なぜかと言うと、優生保護法改正直後の6月25日に朝鮮動乱が勃発し、国連軍の前進基地となった日本では朝鮮特需によって経済が急速に拡大し、国民は戦前よりもはるかに豊かになったからです。
 しかしそうなっても、なぜか妊娠中絶件数は減少しませんでした。年間出生者数が最低水準となる160万人にまで落ち込んだのは、なんと1961年 のことです。そのわずか3年後に、東京五輪が開催されています。「経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの」に該当するケースは、おそ らく皆無に近かったはずです。政府による人口妊娠中絶の奨励が、国民の生命倫理に重大な変化を引き起こしたのかもしれません。
 現在の日本の中絶率は、医学界の推計によると52%にも上ると言われます。「日本は中絶大国」との国際的な非難に、厚労省も優生保護法から経済条 項を外そうと試みましたが、女性の反対運動により、国会上程には至りませんでした。少子化対策を議論する前に、「子どもは誰のものか?」といった議論こそ が必要でしょう。私は、子どもは子ども自身のものと考えます。

■既婚女性が生む子どもの数は 実は1970年代から減っていない  
 最後に、出生率(合計特殊出生率)の低下にも触れておきます。合計特殊出生率とは、いわば1人の女性が一生の間に産む子どもの数であって、 2.07が人口を維持できる水準とされていますが、日本では2013年時点で1.4台となっています。これについて世間では、「女性が子どもを生まなく なったせいだ」とよく言われますが、その考え方は正しくありません。
 というのも、既婚女性(有配偶者女性)だけに限った出生率は足もとで2.0台で、1970年代から変わっていないからです。既婚女性は生涯に平均2人の子どもを産んでいる計算になり、中長期的に見てあまり変化がないどころか、むしろ微増傾向にあります。
 なのに、なぜ女性全体の出生率が下がるのか。それは、女性が子どもを産まなくなったわけでも、家庭の子育てが大変になったからでもありません。結婚をしない女性や、「子どもを持たない」と決めた女性が増えていることが原因です。実際、2010年の国勢調査でわかった女性の生涯未婚率(49歳を越え て未婚の女性が対象)は10.61.%に上っており、私の試算では、2040年にこの比率は30%近くにまで達する見込みです。
 日本政府は女性全体の合計特殊出生率を2.07まで上げることを目標としていますが、仮に私の試算通りに「2040年には3割の女性が未婚」とい う予測が現実となれば、残り7割の女性が1人平均で3人程度の子どもを生まなくてはならなくなります。これは非現実的な目標です。
 既婚女性の出生率が40年間2.0台を続けて来たということは、彼らが考える「家庭」におけるちょうどよい子どもの数のバランスが、2人だったということです。それを無理に3人に増やそうと思えば、夫婦は人生の価値観を大きく変えねばならないでしょう。
 ここまで説明してきたように、一口に「人口減少」と言っても、高齢化や少子化といった現象が複雑に絡み合って起きていること、そしてそれらを食い 止めることが大変難しいことがわかると思います。もはやここまで来ると、日本人はこれから、人口減少社会を前提に考えて生きて行かなくてはならない。人口 が減っても、子どもが減っても、引続き安心して豊かに暮らせる社会をつくっていくほうに、目を向けるべきなのです。
 人口減少社会で起きるリスクとその対策については、稿を改めて述べたいと思います。 ≫(一部終わり)

 ≪未曽有の人口減少がもたらす 経済、年金、財政、インフラの「Xデー」(上) 
【今後、世界に類を見ないスピードとレベルで進むと見られる日本の人口減少。それが我々の生活に与えるインパクトは、想像以上に大きいようだ。経済、年金、財政、インフラに迫るリスクとは、どんなものか。そして、迫りくる危機にどう対処すべきか。前回に続き、人口減少に詳しい松谷明彦・政策研究大学院大学名誉教授が、詳しく解説する。(まとめ/ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)】

 ■日本の経済成長率は 世界で一番低くなる
  前回は、人口減少はなぜ起きるのかについて説明しました。人口減少は、日本の将来を左右する巨大な環境変化です。今回はそれを受けて、人口減少にはどんなリスクがあるのか、どんな対応策を考えるべきかを検証しましょう。
 人口減少は、経済、年金など社会保障制度、財政、そしてインフラなどに様々なリスクをもたらしますが、そのリスクの内容やリスクをもたらす元凶については、かなりの誤解があるようです。具体的に説明しましょう。
 最初に経済についてですが、確かなことは日本の経済成長率が世界で一番低くなるということです。なるだろうではなく、確実にそうなります。その点は、変えようのない未来というわけです。 なぜなら、日本は、どの先進国よりも、労働者の減り方が大きいからです。というより、先進国ではむしろ労働者が増加する国が多く、減少する国でもその減少幅は日本に比べはるかに小さいのです。
 一国のGDP(国内総生産)の大きさは、その国の労働者数と労働生産性(1人の労働者が1年間で生産する量)をかけたものになります。ですから経 済成長率は、労働者数の増減率と労働生産性の上昇率で決まります。そのうち労働生産性上昇率については、先進国の間ではどこの国もほぼ同じです。労働生産 性は、生産の機械化や製品の開発といった技術進歩によって上昇しますが、経済のグローバル化で新技術はたちまち伝播するため、先進国間では上昇率はほぼ同 じになるのです。
 となると、先進国間の経済成長率の相対的な関係は、労働者数の増減率によって決まることになります。ですから、日本は先進国の中で最も経済成長率 の低い国にならざるを得ません。そして、技術輸入国である新興国や途上国の経済成長率は、当然先進国より高くなるので、日本が世界で最も経済成長率の低い 国になるというのは、変えようのない未来なのです。 では、どの程度の成長率になるのかというと、現在の実質1.0~1.5%の成長率が、これから年々低下して、2020年過ぎにはマイナスとなり、そ の後は▲0.5~▲1.0%のマイナス成長が続くであろうと思われます。その場合、先進国でマイナス成長となるのは日本だけです。つまり世界経済のなかで、日本経済だけが縮小します。労働者の減り方があまりにも大きいため、技術の進歩をもってしてもカバーし切れないということです。
 ただし、成長率の相対的な関係と違い、今度は「なるだろう」です。産業革命のような技術進歩が起きれば、マイナス成長にはならないかもしれないか らです。しかし、僥倖頼みというわけにはいきません。私の推計では、これまでの40年間のような急速な技術進歩が今後も続くと仮定しました。かなり楽観的 な仮定です。それでもマイナスなのだから、これは「ほぼ確実な未来」と言っていい。

 ■人口減少そのものがリスクにあらず 真のリスクはビジネスモデルの後進性
 では、そうした変化が人口減少が日本経済にもたらすリスクかというと、そうではありません。確実ないしほぼ確実なことなのだから、リスクとは言え ません。日本経済が抱えるリスクとは、マイナス成長によって日本経済自体が「衰退」するかもしれないというリスクです。ちなみに、日本よりGDPの小さい 先進国はいくらでもあるのだから、経済の縮小自体は衰退とは言えません。人口が少ない国は、経済が小さくなるのは当たり前です。
 経済の縮小が経済の「衰退」にまで発展してしまう理由は、日本企業のビジネスモデルの後進性にあります。他の先進国と異なり、量産効果による価格 の安さこそが、日本製品の競争力の根源です。しかしマイナス成長となり、生産規模が縮小すれば、量産効果が逆に働き、価格は上昇せざるを得ません。競争力 の大幅な低下から、国際収支が赤字に転落し、需要抑制政策や円安・原料不足による生産の低迷で、経済は衰退の一途を辿るといったリスクが考えられます。そ うなると、先ほどの将来予測も大きく下振れすることになります。
 すなわち、リスクをもたらしているのは労働者の減少や経済の縮小それ自体ではなく、日本のビジネスモデルの後進性です。他の先進国なら、もし日本 のような労働者の減少に見舞われて経済が縮小しても、衰退にまでは至らないでしょう。人口減少下の経済のあり方を考えるとき忘れてはならない視点です。  次に、社会保障制度についてですが、現在の年金制度は早晩破綻するでしょう。もともと年金制度は、急速かつ大幅に高齢化する日本には、不向きな制度なのです。まず、高齢化の速度が速すぎるために、頻繁に大幅な負担の引き上げと給付の引き下げを行わなければ、たちまち年金収支は赤字に転落します。 緩やかに高齢化する他の先進国では、制度の改定は15~20年に一度行えばよいのに対し、日本では少なくとも、国勢調査によって人口が確定する5年ごとに大幅な改定を行わなければなりません。高齢者は不安が募り、若い人は勤労意欲が低下するでしょう。年金でも健康保険でも、負担や給付の改定が速すぎると、人はついていけないものなのです。
 さらに他の先進国では、2030年代の中頃にはおおむね高齢化が止まるため、その時点の高齢者と現役世代の比率をメドとして、長期安定的な年金制 度をつくることができます。しかし日本では、急速な高齢化がいつまでも止まらないため、そうした年金制度をつくろうにも、そのメドすらないのです。産児制 限を契機とした出産年齢女性人口の激減による急速かつ持続的な少子化という、日本特有の事情のためです。
 そして最大の問題は、現役世代の負担増の行きつく先にあります。負担側と給付側の関係で見ると、米国、英国、フランスなどは、将来的に年金を負担 する人が7割、もらう人が3割の水準で安定するのに対し、日本は負担する人が5割を切る計算になります。つまり欧米では最終的に2人強の若者で1人の高齢 者の面倒を見るのに対し、日本は1人弱で1人の面倒を見なければなりません。もはや認容の限度を超えています。若い人の日本脱出が増えるかもしれません。

 ■類のない高齢化が進む日本に そもそも年金制度は合わない
 以上の問題の原因は、類例のない急速な高齢化にあります。そして政府による産児制限と、それに続く国民の大幅かつ自発的な産児制限が、その高齢化 を引き起こしました。繰り言にはなりますが、それさえなかりせば、日本人も安定した年金制度を持てたはずだったのです。近年、少子化対策がもてはやされて いますが、それが将来の人口構造に及ぼす影響について、冷静な検証が必要でしょう。
 いずれにせよ、日本は急速な高齢化に見合った新たな社会保障制度を考えるべきです。しかし政府は、破綻が明らかなのに年金制度に固執し、それ以外 の社会保障制度を考えようとしません。このままでは、年金破綻によって、たとえば家賃の払えない高齢者が続出し、大量の「高齢者難民」となって、社会が一 気に不安定化することも考えられます。年金の破綻はほぼ確実なのだから、リスクではありません。それが社会の崩壊にまで発展しかねないことが、真のリスクです。そしてリスクの大元は、高齢化でも社会保障制度でもなく、政府の政策姿勢です。 第三に、財政もこのままでは赤字がどんどん拡大します。しかし、財政赤字それ自体はリスクではありません。その対応策として「増税」を選択したため に、増税に次ぐ増税となって国民が離反し、財政が崩壊するかもしれないというのが真のリスクです。人口減少によって財政を取り巻く環境が一変したのに、依 然として高度成長時代の政策手段、つまり増税で対応しようとする政府の政策選択の誤りです。
 日本では、1955~2005年までの50年間で、1人当たりの租税収入(国税+地方税)は物価上昇を除いて約10倍に伸びました。人口増加時代で、国民のなかで働く人の割合が増え、技術輸入や高度成長の下で生産性の上昇が著しかったからです。一方、国民1人当たりの財政支出の伸びもほぼ10倍でした。そうした状況では、一度増税すれば財政収支は将来にわたって均衡します。収入と支出の変化方向が同じだからです。
 ところが、これからは違います。高齢化で働く人の割合が低下するので、労働生産性の上昇を見込んでも、1人当たりの租税収入は横這いになります。一方、今年度の予算を見ても財政支出は拡大の一途です。これでは、際限なく増税を続けざるを得ないことになります。
 1人当たりの租税収入が横這いなら、1人当たりの財政支出も横這いにして、収入と支出の変化方向を一致させること。つまり、人口の減少に合わせて財政支出総額を縮小すること、それが人口減少時代の正しい財政政策です。政府は頭の切り替えが必要でしょう。

 ■インフラを維持・管理できず 都市部ではスラム化が進む?
 そして第四のリスクは、公共・民間の社会インフラを良好な状態に維持できなくなり、特に都市部でスラム化が進行するかもしれないということです。 経済が縮小するのだから、インフラの維持・更新に回せるお金も減少することになりますが、それだけでなく急速な高齢化で貯蓄率も大幅に低下します。自宅の 建設の場合と同様に、インフラの整備や維持更新には年間収入であるGDPから消費を差し引いた残り、つまり貯蓄が必要なのだから、貯蓄率が低下すれば、イ ンフラの維持更新に回せるお金は経済の縮小以上に小さくなります。
 そうした状況は容易に予想されるわけなので、当然先々の維持補修に回せるお金に合わせて公共・民間の社会インフラの総量を規制するといった動きが 少しは出てきてもよさそうなものですが、実際は逆方向です。政府は景気対策といって公共投資をどんどん増やし、オリンピック招致でまたまた公共インフラを 積み上げていますし、民間のビルラッシュも止まりそうにありません。
 私の試算では、2040年の東京の経済規模は2010年対比76%程度に縮小するため、約4分の1のビルが老朽化したままメンテナンスされず、放置される恐れがあります。スラム化や治安の悪化による都市の崩壊を防ぐため、何らかの建築規制が必要でしょう。  ≫(2部-上)

≪未曽有の人口減少がもたらす 経済、年金、財政、インフラの「Xデー」(下)>>(上)より続く
■世界中から人材を集める欧米と 国内での技術開発にこだわる日本
 それでは、人口減少によって起こり得るこうしたリスクに対して、我々はどんな施策を考えればいいのか。まずは、経済を衰退させないため成長の方策について考えましょう。
 人口減少による労働力の減少を、女性・高齢者などの余剰労働力や外国人労働力などで補填すれば、経済成長が確保できて経済は衰退しない、というのが政府の考えです。確かに、そうすれば生産能力は維持できます。しかし、それだけでは経済成長は望めません。つくった製品が売れなければなりません。そし て、すでに日本の製品は世界市場でどんどん売れなくなっているのです。政府の成長戦略は、絵に描いた餅というわけです。
 原因は新興国・途上国の台頭です。彼らは、日本と同じビジネスモデル、すなわち欧米先進国が開発した製品ををロボットを使って大量に安くつくるというモデルで、世界市場に価格破壊をもたらしました。なにしろ賃金水準が10分の1程度以下なのだから、日本製品が価格競争で勝てるわけがありません。
 では、欧米先進国はどうか。彼らのビジネスモデルは、自分たちで開発した製品を適量つくって高く売るというものです。当然、新興国・途上国との価格競争はありません。
 日本も早く先進国モデルに転換すべきですが、もしそうなれば日本製品は今より高く売れるし、特許料や大量のロボットなどのコストも不要なので、余剰労働力や外国人労働力を使わなくても、少なくなった労働力で十分な付加価値、すなわちGDPを確保することができます。
 しかし、先進国モデルへの転換は、世界第一級の製品開発力があって初めて可能になること、そしてそれを日本人だけの努力で達成することは不可能で あることを忘れてはなりません。現在先進国間で進行中の製品開発競争は、実は人材獲得競争なのです。世界中から優秀な人材を集め得た国や企業が勝ち組とな る世界です。そこにはもはや国境はありません。 我々は「日本人の製品開発力が日本の製品開発力」と思いがちですが、いまや「その国の地理的エリアにおける製品開発力が、その国の製品開発力。その場合、研究者・技術者の国籍は問わない」というのが世界の常識です。
 では、外国人を誘致すればいいかというと、優秀な外国人はまず日本に来ないでしょう。今の日本は「開発水準の低い国」と見られているので、日本に 来ることは経歴上むしろマイナスになります。加えて、研究開発情報が飛び交い、成果がすぐに企業化される彼らのコミュニティを離れることは大変な損失で す。
 ならば、どうしたらいいか。有力な外国企業を大量に誘致することです。欧米先進国では3分の1から半数近くが外国企業ですから、そのあたりをメド に日本経済を国際化するのです。そうなれば、もはや日本市場ではなく国際市場になるため、外国企業も世界から人材を集め、日本に投入してくるでしょう。研 究者・技術者にとっても、前述の問題は払拭されます。「日本もコミュニティの中」というわけです。
 厳しい選択ですが、そこまで徹底して国際化しないと、先進国モデルのための製品開発力は得られません。海外のベンチャー・ビジネスを日本に呼び込むという意見も聞きますが、自分たちの「本体」には影響のないような国際化の真似事では、日本は世界から遅れるばかりです。

 ■「適量をつくり高く売る」 そうしないと日本はもう勝てない
 日本経済を衰退させないという見地からは、別の方法もあります。日本には、世界に冠たる「職人技」があるのだから、その職人技と近代工業技術をコ ラボレートし、ロボット生産ではできない「高級品」や「専用品」づくりを目指すのです。既存の製品分野ではあっても、日本にしかできないということで高い 付加価値が得られます。「適量をつくり高く売る」という点では、前述のビジネスモデルと同方向だし、実際ドイツの国際競争力は、そうした職人技によって研 ぎ澄まされた近代工業技術に負うところも大きいのです。自動車や医療機器は、その好例でしょう。
 日本も、かつては白物家電の生産現場で、溶接工程や鍍金工程など様々な工程に職人技が効果的に使われ、それが製品の魅力や性能を高め、強い競争力 を得ていました。しかし、1990年代以降のコスト削減最優先のなかでそれらはロボットに置き換えられたため、新興国・途上国の製品と大差がなくなり、競争力が急速に失われることになったのです。 今では数少ない例となりましたが、北陸三県の万能工作機産業は、刃物や金属加工における職人技と、コンピュータなどの最新技術の融合による精密な製 品づくりで、圧倒的に高い国際競争力を持っています。職人技の伝統は新興国・途上国にはなく、他の先進諸国と比較しても日本の職人技の水準は高いのです。 ただ現状では、多くが部品生産の段階にとどまっていたり、完成品でもデザイン力に欠けるなどの問題があります。近代工業技術にどう組み込むかが今後の課題ですが、日本経済の目指すべき方向の1つと言えるでしょう。

■住居費負担で高齢者難民が続出 「公共賃貸住宅」の必要性とは?
 では次に、社会保障制度について考えましょう。今の年金制度に未来はなく、日本は新たな社会保障制度を考えるべきだと、前述しました。私は、発想 の転換が必要だと思います。世代間の所得移転というフローでは高齢者を支え切れないことは明らかなので、社会的ストックによって高齢者の生活コストを下げ ようという新たな発想です。
 高齢者の生活コストで圧倒的に大きいのは、住居費です。そこで、比較的良質で低家賃の「公共賃貸住宅」(低所得者向けの公営住宅ではなく、入居に 所得制限がない公共住宅)を大量につくるのです。ポイントは、家賃補助、利子補給などの財政負担なしに家賃を引き下げるスキームを考えること。たとえば、 200年使える公共住宅をつくり、建築費は200年かけて家賃で回収します。民間にはとてもできませんが、国や地方自治体なら200年の借金も可能だか ら、財政負担なくして家賃は相当下がります。
 用地は、区役所をはじめとする公共施設の上や遊休公用地を活用します。土地代がゼロなので、最終的に月額の家賃を2~3万円程度に抑えることも可能でしょう。使ったのは国や自治体の信用力と遊休地・遊休空間であり、財政負担はありません。建築費や維持補修費は家賃で全額回収されるから、そのための借金は別に経理すればいいでしょう。「民業圧迫」と言うのなら、建設や運営を民間が行うPFIやPPPを活用することにします。
 そして、公共賃貸住宅に介護施設を併設し、若い人の入居も可能にすれば、財政の効率化やマンパワーの確保も図れます。年金は出し手がどんどん細りますが、ストックは細りません。欧米先進国では、公共賃貸住宅が高齢社会の安全弁として不可欠の役割を果たしています。人口減少高齢社会にふさわしいシス テムだと言えるでしょう。
 次に、財政崩壊をどう回避すべきか。私は「小さな財政」を目指すべきだと思います。ここまで高度化した都市国民生活は、もはや高度な行政サービス なしには成り立たちません。「小さな政府」、すなわち行政の責任分野を縮小して国民の自己責任を拡大することは、言い得て困難です。 スウェーデンには、民間人が近所の高齢者のケアをすると、国から費用と報酬が支給されるという制度があります。国民の相互扶助を有償で活用することにより、行政サービスの水準を維持しながら、行政コストを縮小するうまい方法だと思います。文化の違いもありますが、考え方は大いに参考にすべきでしょ う。国や自治体はケアのためのハコモノや、関係する行政組織を大幅に縮小することができるのです。
 また、民間取引価格より5割から倍も高い、業者優遇の政府調達価格、いわゆる「官庁価格」は即刻廃止すべきですし、予算が目的とする「人」や「モ ノ」に届くまでに政府機関、関係法人、関係団体を経由することによる「目減り」も、根絶すべきでしょう。問題は「天下り」です。
 税の捕足率、いわゆるクロヨンも全く改まりそうにありません。消費税の増税をするならその前に是正すべきだし、是正すれば増税の必要がないほどの税収が得られます。国民の負担が増加する中で、最も大切なのは税の公平性です。

 ■人口が減っても子どもが減っても 安心して豊かに暮らせる社会に
 そして最後に、インフラの崩壊をいかに食い止めるか。欧米先進国のように、耐用年数が長い丈夫で汎用性のある躯体をつくり、状況の変化に応じて間仕切りや内装を変えて行く「リノベーション」という方法も、有効な手段の1つです。しかし、個々のビル単位の対応だけでは、都市のスラム化は避けられませ ん。やはり、インフラのストック管理を徹底するのが一番です。
 たとえば、一定以上の規模のビルや公共構造物の台帳をつくり、どこにどれだけのビルや構造物があるのか、向こう何年にどれだけが耐用年数を迎え、その建て替えあるいは取り壊しの費用はいくらかかりそうか、という情報を集めます。その上で、新規建設を規制・平準化したり、早期の建て替えや取り壊しを 指導することで、インフラを良好な状態にを保とうというわけです。
 経済、年金、財政、そしてインフラというように、人口減少に伴い発生する日本のリスク、そしてそれらへの対応策を見てきました。
 確かに言えることは、日本人はこれから、人口減少を前提に考えて生きて行かなくてはならないということです。人口減少を阻止しようと考えるのではなく、人口が減っても子どもが減っても、引き続き安心して豊かに暮らせる社会をつくっていくほうに、目を向けるべきなのです。 ≫(2部‐下)

*松谷明彦(まつたに・あきひこ)/1945年生まれ。経済学者。1969年東京大学経済学部経済学科卒、大蔵省入省、主計局調査課長、主計局主計官、大臣 官房審議官等を歴任、97年大蔵省辞職、政策研究大学院大学教授、2011年同名誉教授。2010年国際都市研究学院理事長。『「人口減少経済」の新しい 公式』『人口流動の地方再生学』(共に日本経済新聞社)、『人口減少時代の大都市経済 - 価値転換への選択』(東洋経済新報社)、『東京劣化』(PHP新書)など著書多数 ≫(ダイアモンドONLINE:編集部―「人口減少日本」の処方箋シリーズ)

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●官邸が怖れている古賀茂明「第四の政党」 ドジ踏んだ御用コラム?

2015年04月11日 | 日記
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●官邸が怖れている古賀茂明「第四の政党」 ドジ踏んだ御用コラム?

東京新聞で「社説」を書かせて貰えない新聞社の副主幹が、以下の古賀茂明バッシング・コラムである。反吐が出るとお思いの方は、読まない方が良い(笑)。一見、ニュートラルな観察眼をご披露しているが、官邸がテレ朝・報道ステーションに圧力はかけたことはない、“事実無根だ”菅のこの言葉を擁護しようと、ジャーナリズム精神風味に味つけされた、官邸回し者コラムになっている。

どこが、どのようにそうかと言えば、官邸内に於いて、古賀憎しの話は常在的であるかもしれないがと、現に、そのような会話がなされている事を臭わしている。そのようなことはジャーナリストの世界では日常茶飯事であって、言論界で飯を食う以上、その程度のバッシングには耐えるべきだと云う。その挙句に、リベラル左派はだからイカンと、古賀氏に対してレッテル貼りをしている。この部分は、古賀氏ら「フォーラム4」に対する政治圧力になると感じたのだろう。「フォーラム4」が政党になるのであれば、自分自身が黒子になっても良いなどと、アリバイ文を挿入している。

菅官房長官が、古賀氏の逆襲劇の翌日、「事実無根。極めて不適切。放送法という法律があるので、テレビ局がどう対応するか、しばらく見守っていきたい」と常日頃から、振りまわしている法律の名称が自然と出てきている。この発言自体が、「報道の自由」への縛りである。なぜなら、コメンテータごとき(敢えてこの場合使用する)が、事実無根を語ったのだとしたら、生放送なのだから止めようはないわけで、責に帰するのは、当該コメンテータであって、当該放送局が放送法に触れると言わんばかりの発言こそ、言論の自由への挑戦である。

このように書くと云うことは、長谷川ら、官邸の側に入る人間達は、筆者も左翼になるのだろうが、れっきとした天皇中心主義に傾倒する、真正右翼である。多くの日本人が間違っているのだが、親米の右翼なんて云うのはあり得ないのだ。欧米に右ならえしている連中に、右派などと自称されるのは、極めて不快である。今上天皇の存在を無視するような生き様に、右翼などあり得ない。今までの安倍官邸の政治的動きは、今上天皇が政治的発言をすることが出来ない事を良いことに、都合の良い時だけ、都合よく使ってやれと云う姿勢に終始している。

まさに、戦前の軍人であり、官僚の思考そのものだ。古賀氏の言い分が伝聞であり、傍証的であったとしても、弱者には、それは許されるのである。村上春樹が、≪「エルサレム賞」授賞式の記念講演で「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょ う。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるので しょうか?≫と云う一節を思い出す。

古賀がどこまで頑張っても、官邸の権力に比べれば屁のような抵抗に過ぎない。しかし、もう世間では古賀の逆襲劇を忘れた頃に、長谷川はコラムを上梓している。色々と苦労して書き上げたのはよく分る。しかし、官房機密費から何某か掴まされたと勘ぐるのは下衆なのだろう(笑)。ただ、次期参議院選で、台風の目になるかもしれないと云う不安が、現官邸に存在している事を確認させてくれた点では、有効な情報である。そう、ニュートラルでリベラルな古賀茂明の雰囲気は、安倍官邸にとって威嚇になるに違いない。早目に芽を摘む急を要するのだろう。

また、なぜ菅が、今後のテレ朝がどのように対応するか見定める、と言った中には、テレ朝に対して、あの古賀逆襲劇はヤラセだったのではないか?と疑心暗鬼になっている官邸の姿も見えてくる。つまり、政敵の芽は摘み終わった、統一地方選も参議院選も楽勝だ。株も官製相場に、海外の提灯が付いたので、2万円をつけ、経済不況は当分騙せる。ただ、実は実体経済はすこぶる悪いのだから、化けの皮が早晩剥がれることは、官邸も覚悟している。ただ、その時期が参議院選が重なった時、この新党の動きはかなり気味が悪い。どこまで古賀茂明、フォーラム4が成長するか判らんが、こいつらは胡散臭いと云うプロパガンダを徹底すべきと云う官邸の意志は見えた。

その意味では、この長谷川幸洋のコラムは、官邸の杞憂を反映させたコラムと言えるので、非常に貴重だ。出来ることなら、気が狂った古賀茂明情報で、国民を洗脳したいところだが、かなり古賀茂明が「ニュートラルでリベラル」と世間から受けとめられているだけに、激しい古賀バッシングは仇となるので、こういう長谷川のようなコラムで、味方の顔をしたインテリジェンス手法で、潰そうとしているのかもしれない。また、チャンス到来と思えば、政権交代劇を、朝日新聞、テレ朝が仕掛けてくる事への不安も拭えていないと云うことだろう。二度ある事は三度だからな(笑)。


 ≪ 『報ステ』古賀茂明氏の騒動をどうみるか
元経産官僚の古賀茂明氏がコメンテーターとして出演していた3月27日放送のテレビ朝日「報道ステーション」で、自分の番組降板などをめぐってキャスターの古舘伊知郎氏と異例のバトルを繰り広げた。この問題は「報道の自由」や「言論の自由」とどう関わっているのか、いないのか。

■テレビ朝日も菅官房長官も「圧力」を全否定
古賀氏が番組で指摘したのは、主に2点だ。テレ朝の早河洋会長と古舘プロジェクトの佐藤孝社長の意向で自分が降板することになった。それから、菅義偉官房長官から自分が激しいバッシングを受け、官邸は裏で番組に圧力をかけてきた、という。

当のテレビ朝日は「(官邸からの圧力といった)ご指摘のような事実はない。古賀氏はコメンテーターの1人。降板ではない」と否定している。菅官房長 官はといえば、翌日の会見で「事実無根。極めて不適切。放送法という法律があるので、テレビ局がどう対応するか、しばらく見守っていきたい」とこちらも否 定した。

古賀氏は番組中で「陰でいろいろ圧力をかけたり、官邸から電話をかけてなんだかんだと言ったりとか、そういうことはやめていただきたい」と言っている。さらに番組終了後には、待ち受けていたジャーナリストのインタビューに答えて、こうも語っている。

「菅長官は『とんでもない放送法違反だ』と裏で言っている、と聞いている。それは大変なこと。免許取り消しもあるという脅しですから」「政権が圧力 をかけるのは日常茶飯事」「脅されて、常に不安を持ちながらも『黙ってはいけない』ということで無理矢理、自分を追い詰めていた」「自分の利益でやってい るわけではない」

仮に「官邸から電話」があったのは事実だとすると、問題はいったいどんな電話の内容だったのか、という話になる。古賀氏はそれを「圧力」と受け止めているが、テレ朝も官邸も「事実無根」と否定している構図だ。

もしも古賀氏が録音なり、やりとりのメモでも持っているなら、ぜひ公開してもらいたい。内容次第では、官邸からの番組に対する介入になる可能性もある。それは議論するに値する問題だ。

だが録音もメモもなく、インタビューで自ら言ったように古賀氏の伝聞にすぎないとなると、真相は藪の中だ。電話自体がなかったなら、たとえ官邸の人間であれ、古賀氏や番組への感想を漏らすのは勝手なので、問題は雲散霧消してしまう。

古賀氏は賢明な元官僚なので、こういう重大問題を指摘する際は、たしかな確証を握っていることが決定的に重要であるのは百も承知のはずだ。それがなくて伝聞情報を基に生番組で指摘したとなると、私は古賀氏の判断と意図を疑う。それについては後で述べよう。

■「官邸の圧力」は受け手側の問題
事実関係が判然としないから、以下は一般論として、官邸が報道や識者のコメントに不満を抱いて電話をかけた場合、圧力になるかどうかを考えたい。そ れは話の内容と双方の行動次第ではないか。担当の取材記者やテレビのディレクター、プロデューサーは日常的に官邸の人間と接触している。面談する場合もあ るし、電話で話をする場合だってある。

やりとりの中で、政治家や官僚が「あなたの意見には反対だ」とか「そんなことを書いたら出入り禁止だ」くらいのことを言うケースはあるだろう。「放送法をどう考えているのか」と言う場合もあるかもしれない。

私はかつて資源エネルギー庁長官のオフレコ懇談の内容を当コラムに書いたところ、経産省の広報室長が私の上司に抗議電話をかけてきたうえ、私とは関係のない現場の取材記者が出入り禁止になったという経験がある(http://gendai.ismedia.jp/articles/-/5036など)。これは出入り禁止という具体的処分に及んだから、私は圧力だったと思う。だが、抗議電話を受けた時点では「これは面白いネタが飛び込んできたぞ」程度にしか思わなかった。

実際、電話の内容を含めて、この件の顛末はすべて細大漏らさず数回にわたってコラムに書き続けた。最終的には、出入り禁止処分もうやむやのうちに解 除された。その後、私が経産省からの圧力を心配して書くべきことを書かなかったかといえば、そんなことはまったくない。経産省の論説委員懇談会には呼ばれ なくなったが、だからといって、なにか取材に支障をきたしたかといえば、それもまったくない。

ようするに、圧力が圧力として効果を発揮するかどうかは、受け手側、つまりマスコミとジャーナリストの側の問題なのだ。「官邸から電話がかかってき た。なんとか報道に手心を加えなければ大変だ」と報じる側が受け止めて自制してしまえば、圧力成立である。だが、そんな電話を気にせず報道姿勢も変えなけ れば、何も変わらない。

古賀氏が今回、あえて表で問題にしたのは「自分が降板させられた」と考えたからだろう。逆に言えば、降板させられなければ、あんな行動には出なかったかもしれない。そこで次の問題になる。古賀氏は安倍晋三政権に反対していたから降板させられたのか。

■リベラル左派の破綻
古賀氏は自分が激しい政権批判を繰り返していたから、政権の逆鱗に触れて降板させられたと信じているようだ。だが、私はコメンテーターの起用も降板 もまったく番組とテレビ局の自由裁量の内だと思っている。もっと言えば、それは「報道の自由」そのものだ。もしも番組が自由にコメンテーターの起用、降板 を決められないようだったら、それこそジャーナリズムの死を意味するだろう。

なぜ古賀氏が降板させられたか。私に事情はうかがい知れない。古賀氏が「政権批判のせいだ」と考えるのは自由である。だからといって、もしも「私を 降板させるのは許せない」と主張したら、それは行き過ぎだし思い上がりというものだ。だれを使うかは番組とテレ朝に選ぶ自由がある。その1線を踏み越えて はいけない。

また私の話で恐縮だが、私は現在、東京新聞論説副主幹でありながら、東京新聞の社説を書く環境にない。私が論説責任者の考えと違って、たとえば憲法 改正や集団的自衛権行使に賛成であるからだ。だからといって、私は「東京新聞が私に社説を書かせないのは許せない」とは思わないし、そういう考えを述べた こともない。東京新聞がどういう社説を載せるかは、東京新聞の自由であるからだ。

その代わりにといってはなんだが、私は自分の考えを当コラムを含めて社外の媒体で自由に書いたり発言している。そこで、ときには東京新聞の社説の内 容も厳しく批判している。そのことで東京新聞から文句を言われたことは、ただの一度もない。そういう関係が報道や言論の自由なのだ。

このあたりは、古賀氏も実は十分に認識しているのではないか。私は本人をよく知っている。古賀氏はそれが分からないほど、愚かではない。

では、なぜ古賀氏は勝負に出たのか。考えられる理由の1つは、テレ朝の姿勢に不満だったからだろう。口論バトルの中で、古賀氏は古舘氏が自分の話に承服できないと言うなら「録音を出す」とまで言っている。これまでの2人のやりとりを録音テープで公開するというのだ。

これを聞いて、私はかつての左翼の内ゲバを思い出した。過激派が戦いの途中で日和見主義に転じた穏健派を「お前は裏切るのか」と問い詰める。これとそっくりだと思った。古賀氏は古舘氏をある時期まで「安倍政権と戦う同志」のように思っていたのではないか。

放送の後半部分で古賀氏は「古舘さんにお贈りしたい」と言って「知らないうちに自分が変わってしまって、本当に大きな問題が起きているのに気がつか ないってことがあるんですよと」と指摘している。肝心の視聴者に語るのではなく、隣の古舘キャスターを指して「あなたは変わってしまった」と批判したの だ。

これは、まさしく古舘氏を「お前はオレを裏切った」と責めた台詞である。このあたりは痛々しくて、私は思わず目を背けたくなった。

過激派が穏健派を日和見と切り捨てるのは、何十年と変わらぬリベラル左派のお家芸である。そんな場面がテレビの生放送で報じられるとは、リベラル左派がいよいよ破綻しかかっている証拠ではないか。

古賀氏はそれなりにリベラル左派の立場を守っていた報ステの変身をかぎとって、許せなかったのだろう。ただ本当に変身していたのかどうかは、私には分からない。

■古賀氏の真の意図は?
それはともかく、古賀氏の真の意図はなんだったのか。先に指摘したように、公然と「官邸の圧力」と言うからには証拠が必要だとか、コメンテーターの 起用降板は所詮、番組の裁量権であり、報道の自由そのものであることくらい、古賀氏のような百戦錬磨の元官僚であればとっくに分かっていると思う。分かっ ていて、あえて番組を利用した。こちらが本当の理由ではないか。

古賀氏は「フォーラム4」というネット上のプラットフォームを作っている(http://forum4.jp)。これは「改革」と「戦争」を基準に縦軸と横軸に4分類して「改革はするが戦争はしない」という政治勢力を組織するのが目的だ。別の媒体では次のように、古賀氏はフォーラム4を基盤に新しい政党結成を目指し、自分が来年夏の参院選に立候補する可能性を語っている。

「次の参院選が来年夏ということを考えると、今年中に『第四象限の党』(注:これが4の意味)が生まれてほしい。僕はそれを陰で支える黒子役を努め たいと思うのですが、その党が立ち上がる時に誰も音頭をとる人がいなければ、僕が一時的にその役目を引き受けて、その後、若い層にバトンタッチすることも 考えなければいけないかもしれませんね」(http://wpb.shueisha.co.jp/2015/04/07/46184/2/

これが古賀氏の本当の狙いなのだ。つまり、新党結成への起爆剤として世間の注目を集めるために、今回のバトル騒動を意図して起こしたのではないか。 フォーラム4の書き込みから推測すると、このプラットフォームは最近、立ちあげたようだ。そうだとすると、報ステとテレ朝は古賀氏の政治目的のために、体 よく公共の電波をジャックされてしまった形になる。

私は古賀氏の主張に何から何まで反対ではない。改革志向など共鳴する部分もある。だが、マスコミで仕事をするジャーナリストとしては、今回の騒動は政治運動活動家とコメンテーターの役割を混同した、まことに残念な出来事だったとしか言いようがない。  
≫(現代ビジネス:ニュースの深層―長谷川幸洋

注:古賀茂明氏の「フォーラム4」のサイトは下記URL
http://forum4.jp


国家の暴走 安倍政権の世論操作術 (角川oneテーマ21)
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●世界の「福の神」、日本の「貧乏神」 その名は安倍晋三

2015年04月10日 | 日記
インディアスの破壊についての簡潔な報告 (岩波文庫)
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●世界の「福の神」、日本の「貧乏神」 その名は安倍晋三

「地方の創生、被災地の復興、子育て支援、難病対策。そうした政策を力強く進める ことができる。景気回復の暖かい波を全国津々浦々に届けるため、全力を尽くす」と言いながら、96兆円以上の一般会計予算を参議院で通過させた。一部に日の当たる予算配分も形式上なされたが、各省庁のアリバイ作りの為の予算配分に終始しているので、強調する文言を引き出すことは出来たが、実質的効果は旧態依然の予算配分に過ぎない。それどころか、消費増税の3%の痛みに応じるだけの財政規律が改善したとは言い難い。逆に、実質収入が目減りする中間層が更に減少するような予算になっている。

まあ、霞が関と強力に対峙する気がない以上、官僚と云う悪魔の手のひらから逃れられないのが、日本の政治と云うことになる。岸田と云う人畜無害のような外務大臣が、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に参加するとなると、1000億円以上の負担になると言っていたが、政府の発表では当初の出資だけでも1800億円になると大仰に、さも大金だと云う印象でマスメディアに垂れ流させているようだ。アホ達が聞けば、1800億円も中国に渡すのか!と云う話の流れになるのだろう。

しかし、ちょっと待ってくれ。何千億円なんて話は屁でもない額である事は、チョイと知識があれば、直ぐに気づく話である。安倍政権というか、安倍晋三と云うか、彼らがここ1年半くらいの間に、どれ程の金をバラ撒いたか思い出してほしい。勿論、ODA絡みなので、ひも付きで日本企業の受注がセットとか、円借款とかが込々なので、すべてをバラ撒いたとは言えないのだが、AIIBへの出資も、出資金なのだから、少なくともバラマキとは違う点では、ODA等々と同じ性質を持つ。

そういうわけで、安倍が海外にバラ撒いた金を勘定しようと思ったが、これが意外と難しい。まあ大雑把で良いわけだが、情報が重複している話が、別々に何度も流されるので、意外に厄介だ。安倍は、演説するたびに「何兆円、何兆円」と万雷の拍手が欲しいものだから、喋ってしまう。彼の口から出た支援金は、口から出た数字を加算すると「80兆円」くらいになってしまう(笑)。幾らIQに問題があると云っても、それはないだろう。当然、同じ支援を指しておきながら、大きく括ったり、個別にちょめちょめ話したものを加算すると80兆なわけで、そこまで行ってない(笑)。

報道された範囲の支援金、ODA円借款等々は以下の通り。
 ・2015年1月の中東イスラエル訪問時のカイロで政策スピーチ 中東支援、非軍事3000億円
・14年11月 ミヤンマー 260億円円借款。
・14年10月 ガザ 22億円支援。
・14年09月 エボラ熱対策費用 43億円
・14年09月 途上国の支援 気候変動サミット (1兆7400億円)
・14年09月 インド、官民投融資政府援助含む (3.5兆円)
・14年09月 スリランカ 137億円
・14年09月 パプアニューギニア 200億円
・14年05月 バングラに 6000億円支援
・14年04月 アフリカ支援アフリカ開発会議 3兆円
・14年03月 ウクライナ 1500億円
・14年01月 モザンビーク 700億円
・13年12月 ASEAN5年間で (2兆円)
・13年11月 ラオス 90億円借款
・13年09月 シリア難民 59億円
・13年09月 シリアの女性支援ODA 3000億円
・13年05月 ミャンマー(帳消し分換算含む) 5910億円
・13年01月 米国債ファンド構想 50~100兆円?(実行されたかどうか不明だが金利が付くので出資金の一種)
・その他 ベトナム、1兆4000億円、北朝鮮、2兆円、世界銀行出資金 5000億円、 通年     中国にODA(政府開発援助)300億円 ‥等

判っている範囲で15兆円前後。ASEAN支援とか、途上国支援とか、まとめてドカンと大風呂敷を広げている発言もあるので、かなりの部分で重複がみられるので、その分はカウントしなかった。概ねの数字なので、正確性は期待できない。これに、米国債ファンド構想 50~100兆円の50兆円をカウントすれば65兆円のバラマキになるが、100%バラマキと言い募るには無理がある。

ただし、無理があると云う点では、アジアインフラ投資銀行(AIIB)に1800億円の出資が、屁のカッパみたいな金額である事は歴然。それこそ大した出資金ではないのだ。こういう話をしながら、3%の消費増税で国民生活は厳しさを増し、更に来年は2%増税をすると云う。世界や米国様に好感を持たれたい一心で、15兆乃至は65兆円の大盤振る舞い。そんな国が財政困難だから、生活保護費を減額するとか、原発廃炉費用を電気代に上乗せとか言われても、社会保険料増額や円安値上げ攻撃を受け、ハイご尤もとは言えない。ましてAIIBへの出資金1800億円なんて、安倍の一晩の小遣いだろう(笑)。まさに、世界にとっては「福の神」、日本国民にとっては「貧乏神」。そう言われても、言い訳は出来そうもない。

日本的霊性 (岩波文庫)
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●応援!沖縄のアイデンティティ 「辺野古基金」の拡大を

2015年04月09日 | 日記
普天間移設 日米の深層
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●応援!沖縄のアイデンティティ 「辺野古基金」の拡大を

カーターとか云う米国の国防長官が来日、安倍や菅と会ったらしい。集団的自衛権で、アメリカの普遍的価値に傅き、金色夜叉の“お宮”のように振る舞う安倍政権だ。日本を取り戻すって、こんなチンケなフンコロガシみたいな不様なものとは思いもよらなかった。尖閣の島や竹島に鉢巻しめて乗り込む威勢の好さかと思ったら、死にかけている巨象の足にしがみ付くだけとは、想定外のお伽噺である。何が「引き続き沖縄の負担軽減に協力する」だ。何十年と同じ言葉を繰り返すだけじゃないか、琉球人(沖縄県人)を舐めるのも、いい加減にしたらどうなんだ。恥を知れ、恥を、日米政府。

「安保法制や防衛指針改定を進め、抑止力を高めたい。日米の同盟強化はアジア太平洋地域の平和と繁栄に資する」。未だに、こういう思考停止から抜け出せないのだから、なんとも物悲しい限りだ。まあ、戦後70年の節目と言いながら、結局、同じ過ちを繰り返します。今度は、ドイツの代わりに、アメリカと一緒に戦うのだから大丈夫だよ、「皆さん安心してね」と国民を騙くらかす(笑)。

まあ、安倍政権が何をしようと良いじゃないか。先々の世界の流れがどうなるか、そんなことよりも、今の自分たちの立場主義に立脚している奴らの話を真に受けるのだから、かなりの“ノータリン(昭和初期の俗語・脳足りん)”ということだ。言っておくが、筆者の爺さんがよく使っていた言葉だが(笑)。筆者も思わず、使うことがある。そうそう、沖縄辺野古の話だった。ついつい、安倍政権の悪口を言い出すとキリがない。株価が2万円に近づいた!それがどうした?アンタ儲かったの?である。

ああ又脱線した!そうそう、肝心なことは、以下の東京新聞の記事だ。沖縄辺野古基地建設反対運動を盛り上げていくための、一種の軍資金である。無論、基地反対なのだから、軍と云う言葉は不適切だ。あらゆる国、あらゆる人々に、沖縄の窮状を知って貰うための基金が出来上がった。個人的にも、寄付をするつもりだが、沖縄に対して、申し訳ないと云う気持ちが僅かにでもある人々に知って貰いたい情報である。正直、今日のコラムはプロパガンダ的だが、恥じ入ることはない。堂々、拡散願いたい。


 ≪ 辺野古基地反対で基金 米政府に「民意」直接訴え
 米軍普天間(ふてんま)飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の移設に伴う名護市辺野古(へのこ)への新基地建設をめぐり、地元経済人や有識者らが九日、新基地反対の地元民意を国内外に発信するための基金を設立する。日本政府が強行する新基地建設について、米政府や米議会にロビー活動で反対を訴え、国内でもこの問題への理解を深めてもらい、日本政府を動かすことが狙いだ。 (後藤孝好)

 新たな基金「辺野古基金」は、昨年の沖縄県知事選で当選した翁長雄志(おながたけし)氏を支援した地元の経済人や地方議員、市民団体らが設立。重い基地負担に苦しむ沖縄の現状を訴える有識者らの活動を財政面から支え、世界一危険とされる普天間飛行場の早期閉鎖と、辺野古への新基地建設中止を目指す。

 共同代表には、建設会社やスーパーなどを運営する「金秀グループ」の呉屋守将(ごやもりまさ)会長、ホテル「かりゆしグループ」の平良朝敬(たいらちょうけい)最高経営責任者(CEO)ら地元経済界の重鎮が就任。本土の有識者などにも賛同者や寄付を募る。

 主な活動は、米政府と議会対策。米政府関係者や上下両院の議員へのロビー活動を後押しする。シンポジウム開催も検討し、米国の有識者の理解を広め る。沖縄では昨年の名護市長選、知事選、衆院選の四小選挙区全てで新基地反対派が勝利。この結果を示し、「民主主義」の価値観を重視する米国で直接、建設に反対する地元の意思を伝える。

 県も四月、米ワシントン事務所を新設。在沖縄米国総領事館で特別補佐官を務めた経歴がある平安山(へんざん)英雄氏(66)を駐在員に起用。基金との官民一体で米国への働きかけを強める方針だ。  基金は国内では、新聞への意見広告掲載やパンフレット作成などで建設反対を訴える。全国の地方議会にも、政府に対応を改めることを求める決議などで意思を示すよう働き掛ける。

 九日に那覇市内で設立会見を開き、翁長氏も出席する予定。設立に携わる沖縄県議は「沖縄の民意を無視し続ける政府の姿勢は許せない。国内外から政府に計画の断念を迫る」と話す。  ≫(東京新聞)


≪ 辺野古基金広がる 那覇の不動産会社、収益1%寄付
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対する民意を国内外にPRするための基金設立をめぐり、県内企業の間で基金への寄付贈呈の動きが相次いでいる。既に金秀グループが寄付の意向を示しているほか、不動産管理の大興不動産商事(那覇市、池城光男会長)も7日、経常収益の1%を基金に寄付することを表明した。
 大興不動産商事は自社ビル11棟を管理運営している。池城会長は「県内外の世間一般にも辺野古反対の運動を広げ、うねりを起こしたい」と述べ、自身の寄付を表明することで県内外に動きが拡大することを期待した。
 菅義偉官房長官と5日面談した翁長雄志知事が、強い口調で辺野古反対を訴えたことを本紙記事で読み、賛同を決めた。 「普天間飛行場は銃剣とブルドーザーで強制的に奪われたのに、危険になったから県内に代替施設を造るのは不条理だ」 と県内移設反対への思いを語った。
 米軍基地の跡地開発に携わった池城会長は、那覇市おもろまちの開発を審議した審議会の委員を10年以上務め、返還後に跡地が大きく経済発展を遂げていく過程を見てきた。
 池城会長は、辺野古への基地受け入れで投じられた100億円超の北部振興策が地元の発展につながっていないと指摘し「国の高率補助事業に頼らず自立するためにも、基地は全て返還し経済発展の起爆剤にすべきだ」と訴えた。
 基金は全国紙や米紙に辺野古移設反対の意見広告を掲載するなど、辺野古移設を阻止するための世論喚起を目的に9日に設立される。県内外に賛同者を募り、数千万円から数億円規模を目指す。 ≫(琉球新報:大城和賀子)


注:当該「辺野古基金」の設立は4月9日(本日)の為、このコラム執筆時点では、公式ホームページが見当たらないが、本日以降にアップされるものと思われる。おそらく、≪本土の有識者などにも賛同者や寄付を募る≫(記事の表現が誤解を招きそうだが)。当然、一般国民も寄付を拒絶する理由はないだろう。正式に基金が立ち上がった時点でURL‥等、あらためて紹介することにする。先ずは、お手数でもご拡散願いたい。

中南海――知られざる中国の中枢 (岩波新書)
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●翁長知事訪中!辺野古基地から琉球処分問題へ 安倍訪米に暗雲

2015年04月08日 | 日記
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●翁長知事訪中!辺野古基地から琉球処分問題へ 安倍訪米に暗雲

読売の馬鹿な嘆き記事で、二言三言おちょくろうと思ったが、まったく異次元のインパクトある情報が入ってきた。産経が慌てて一報を流している。

≪ 河野元衆院議長、翁長知事と訪中へ 要人との会談も
 河野洋平元衆院議長が12~17日の日程で中国を訪問することが7日、分かった。自らが会長を務める日本国際貿易促進協会の関係者約65人が同行 し、中国共産党政治局常務委員のいずれかと会談したい考え。北京を訪れる12~14日は沖縄県の翁長(おなが)雄志(たけし)知事も加わる予定で、中国人 観光客の誘致につなげる狙いがある。
 翁長氏が米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古への移設に反対していることから、会談で米軍基地問題が話題になる可能性がある。安倍晋三首相が夏に発表する戦後70年談話も取り上げられそうだ。 ≫(産経新聞)


翁長知事と云う人物を、安倍官邸は完全に見誤ったようである。翁長氏の腹を決めている「沖縄自尊の戦い」は本物のようだ。沖縄の知事など、誰であっても仲井真と五十歩百歩だと、官僚や識者からレクチャーを受けたのだろう。が、しかし、トンデモナイ大事件を、安倍政権は惹き起こすかもしれない情勢になってきた。翁長知事の訪中は、表向き中国観光客誘致だが、このような機会を、中国側が利用しないわけがない。表向きのコメントで、キナ臭い話は出ないだろうが、絶対に、領土問題に絡んだと云うか、「琉球(沖縄)独立」と云う臭いを醸すのは間違いない。

正直、筆者は、翁長知事は、先ずアメリカ行脚からスタートかと思ったが、田中角栄張りの大胆さだ。アメリカの頭越しかどうか別にして、対中外交を沖縄県として独自展開するだけでも、日本政府にとってセンセーショナルである。河野洋平氏(河野談話)が同行することで、夏に発表する安倍の戦後70年談話、或いは安全保障法制などが話題に上るのは確実である。翁長氏の参加で、沖縄米軍基地問題も当然俎上に乗るだろう。我々に、見えるか、見えないか別にして、絶対に、中国は、その辺に唾をつける。世界の外交とはそう云うものだ、外務省のアメリカンスクール育ちは気の抜けたサイダー以下の人間の巣窟に過ぎない。

昨年の沖縄の収入は観光収入が10%と顕著な伸びを示し、米軍基地関連収入は5%前後となり、今後も減少傾向にある。翁長知事は就任時、「アメリカ軍基地こそが沖縄発展の最大の阻害要因」と言い切ったが、事実的に裏付けされている。軍基地を返還された跡地には、ショッピングセンター、ヒルトン、フォーシーズンズホテルと、雨後の筍状態なのである。USJの進出も、アジアの観光客を見込んでの話であり、何も政府の後押しがあってもなくても関係ない話である。

香港、台湾、中国‥等の資本は、沖縄を目指せ状態になっており、雇用も劇的変化を現実化している。なぜこれ程までに、目端の利く資本が沖縄に上陸するのか、そこを徹底的に考えるべきだ。そのような観点に立てば、世界有数のサンゴ礁があり、ジュゴンが泳ぐ海を、ランボーのような乱暴者や日米安保マフィア共の草刈り場にしてはならないくらい、小学生でもわかる。わざわざ官僚に聞く必要などないじゃないか。やっぱり……なのだな。

ここまでだと、沖縄が独自経済で自立していくのだから、政府は縁の下の力持ちとなり、辺野古基地など意味不明なことを取り下げるだけで済むのだが、ことはそれ程単純ではない。何が困るか?筆者はまったく困らないが、愛国精神豊かな人々にとっては悪夢だろう。安倍晋三にも無論悪夢だ。アメリカ天皇にとっても、厄介な問題に引きずり込まれた辺野古基地だと、臍を噛むに違いな。この状況で、のこのこホワイトハウスに行くであろう安倍晋三は、玄関で待ちぼうけを食い、塩まで撒かれるかもしれない。

中国の考え方には、尖閣列島どころか、琉球も中国の固有の領土の一部だったと云う説にスポットを当てる政治的動きさえあるので、この沖縄県の動きは、タイミング一つでは、鳩山由紀夫がクリミアを訪問した以上のインパクトを国際社会及び日米政府に与える可能性がある。中国の主張の一部を紹介すれば≪1879年の「琉球処分」の効力を巡る琉球の地位問題は、論争に値する。第二次世界大戦後、琉球は「敵国領土」として日本から取り上げたのだ。サンフランシスコ平和条約では“潜在的な委託管理領土”と規定し、その法的地位は未確定とした。その無根拠において、日米政府が勝手に見做し返還を行ったにすない。この問題は、あらためて、国際司法の場で確認されるべき帰属問題である≫

まあ、以上のような考えもあるので、安倍政権の沖縄イジメは、日本政府の命取りに危険を孕んでいる。国際社会の潮流から見ても、アメリカが真正面から中国と遣り合う事は考えにくいので、沖縄を挟んだ領土問題にまで発展してしまうリスクを生みだしてしまったようだ。時代を「琉球処分」まで遡らないで、石原慎太郎、野田佳彦、安倍晋三の流れだけで、中国につけ入る隙を与えたのは事実だろう。昨夜に関する限り、NHKも報道ステーションも、この翁長訪中のニュースに価値を見出してない。もしかすると、判り過ぎているから、どのように解説して良いものか、戸惑っているのかもしれない。


以下はオマケだが、バカバカしい政権の体たらくを、バカバカしい新聞が嘆いている風刺画に出来そうな読売の記事である。国際社会の流れを、歴史的観点から眺めれば、そこそこのIQがあれば、自動的に見えてくる世界の権力構造の変化である。なにも、AIIBに関して、思考停止が決定的な瑕疵である財務官僚や外務官僚からレクチャーを受ければ、自ずと、反中国的オーム返しが返って来るのは自明で、判っているパブロフの犬の知恵を借りようとすること自体が、バカバカしい行為なのだ。

 ≪ アジア投銀「欧州参加」届かず…情報収集に課題
中国が設立を主導している「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」をめぐり、G7(先進7か国)の対応は割れた。
 英国などがAIIBの組織作りに関与する「創設メンバー」に参加表明したのに対し、日本と米国は参加を見送った。だが、日本政府の対応を検証すると、安倍首相には財務・外務両省から英国などの動きが伝えられておらず、情報収集態勢の危うさが浮かび上がった。
 ◆「想定外」
 中国が創設メンバーへの参加表明の期限とした3月31日。首相は、首相官邸で財務省の山崎達雄財務官、外務省の長嶺安政外務審議官らから現状の説明を受け、「焦ることはない」と慎重な対応を指示した。
 政府内では当初、AIIBへの参加はインフラ建設の資金が必要な発展途上国に限られるという見方が大勢だった。特に直接の担当である財務省は「G7から入ることはない」という情報を首相の耳に入れてきた。
 しかし、英国は3月12日に参加を表明。ドイツ、フランス、イタリアとG7からの追随が相次いだ。カナダは「参加検討」を表明した。

 「想定外」
(首相周辺)の展開に、首相は「財務省も外務省も、英独仏が入るという情報はまったく持ってこなかった。『米国は入りません』という情報だけだった」と周辺に不満を漏らした。創設メンバーへの参加国は、最終的に約50か国にふくれあがった。
 ◆巨額出資
 「英国ショック」に慌てた財務、外務両省は「英国は、米国にも参加を相談していなかった」と弁明したという。
 財務省は、AIIBをライバル視するアジア開発銀行(ADB)に総裁を多く輩出している。政府内には、「財務省はAIIBに否定的な情報ばかりを報告していた」との声もある。 ≫(読売新聞)

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●日本の憂鬱 本質的に相反する安倍政権と天皇の良識

2015年04月07日 | 日記
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●日本の憂鬱 本質的に相反する安倍政権と天皇の良識

昨日のコラムでも書いたのだが、最近の皇室をキャッチアップするマスメディアや出版社の動きは不気味である。天皇皇后や皇太子ご一家をスルーして、秋篠宮家に異様なほど光を当てている。ひとつには、今上天皇が過去の歴史を踏まえて、日本の良識(サイレントマジョリティ)を代弁する欧米諸国よりはむしろアジアに目を向けた“国際社会全体”に配慮した談話に対し、挑戦的な特集や報道がなされている。マスメディア連中が、自主的に、このような行為に出ることはあり得ないので、何らかの意図が隠されていると推論しておくことは重要だ。

たしかに、天皇皇后や皇太子ご一家のリベラルな民主主義への尊重の心や、近隣諸国との友好平和姿勢、国民の安寧こそ、最も大切だと云うお考えが、現政権の方向性に異を唱えているように感じるのは事実だろう。しかし、昭和天皇の晩年、及び今上天皇においては、一貫して、現在と同じことを語っているわけで、何ひとつ、そのお考えやお言葉を変えてはいない。しかし、そのお言葉が、自分たちの耳には、皮肉や批判に聞こえてしまう輩が、少なからず存在することを指し示している。

安倍や菅は、都合の悪い事で、世が世であれば内閣総辞職に追い込まれるような振舞いを、日常的に行っている政権だけに、「問題ない」「粛々と」を連発せざるを得ない日々を送っている。菅は「粛々」を封印するそうだが、腹の中は、更に企てを複雑にして「粛々」から「黙々」に肝に銘ずることになるのだろう。普天間移設騒動で、国民目線が沖縄だけに向けられているが、天皇、皇后様の何十年来の念願であった「パラオ諸島」のご訪問への報道姿勢が疎かにされている。本来であれば、パラオ諸島の終戦直前の日本軍が、どのような軍事作戦を選択したのか、NHKなどは、率先して国民に歴史の事実を報道する義務がある。

終戦直前の沖縄において、同じくパラオ諸島において、日本軍、延いては日本政府や、それを実質的に動かしていた官僚組織と云うものが、どのような価値観で、国民の生命財産を扱ってきたか、それを知るには、今こそ絶好の機会ではないかと思う。目の前で、沖縄辺野古の海を重機で蹂躙し、カヌーで平和に抗議する人々に船舶ごと体当たりに近い蛮行をするのだから、呆れてものが言えない。道路の白線を越えたと言っては、抗議運動のリーダーを米軍に引き渡すなど、同国人とは思えない恥ずべき行為を行う。挙句に、県民の民意と真逆な政策を、お国の為だと言い募り、金の力で何とかしようと、守銭奴のような目つきで迫る。

そんな折、沖縄戦における棄民作戦同様に、当時植民地化していたパラオ諸島においても、同じことがなされていた。そのことに心を痛めていた今上天皇が、風邪をおしても、パラオを訪問すると云うことは、“日本の良心は、本当はこう云うものです”と世界、特にアジアの国々に明示する最高の機会なのである。天皇には、国事行為の制限が設けられているが、天皇が象徴として、日本の良心の象徴的行為をなさることは、極めてシンボリックだが、有効なメッセージである。

このニュースを、どこまで重要に報じるかどうかは、世界の報道機関の注目の的になっている。おそらく、この天皇のパラオ諸島訪問のニュースを矮小化させる為に、官邸は死に物狂いで、メディアコントロールをしているに違いない。古賀の反撃も、こう云う面を含めて考えると、“むべなるかな”である。しかし、親安倍な人々は、右翼だと聞き及んでいるが、今上天皇の言葉や行動を、好ましくないと思っている節があり、非常に奇異な右翼連中である。一昔前に、日本の天皇はマッカーサーに代替えしたと言われたようだが、その事実を目の当たりにしているようだ(笑)君たちの天皇は、いつ、アメリカ様になったのかな?

冒頭で危惧するような動きが、安倍を取り巻く連中の中にいるようだ。それは、部外者が知ることは現時点で不可能だ。しかし、沖縄と政府のガチンコや、今上天皇や皇后の存在を蔑ろにせんと云う試みは、アメリカ天皇と云う鵺を戴く勢力によって、着々と画策されている傍証は散見する。つまり、昭和天皇、今上天皇、皇太子と云う流れに異議申し立てしようと云う輩が動いている痕跡だ。権力的であることを好む皇室も、探せばそれなりに存在するのも事実だろうから、国民は、余程注意深く、その辺を観察しておく必要はあるだろう。

ただ、直近の統一地方選の流れを観察していると、国民全体に、政治離れが加速しているようだ。現時点を見る限り、無駄な抵抗はやめておこう、“命あっての物種”という傾向が顕著になっている。このままだと、政治的無風状況が継続し、「心棒が抜けた全体主義」が加速することで、更なる国民の政治離れが生まれるかもしれない。参議院選が間近になれば、またネジも巻かれると考えるのは安易すぎる。いやしくも民主主義国家を標榜し、主権を得ていながら、象徴である天皇陛下や皇后陛下の言動に期待するのか忸怩たるものもあるが、現実的には、それが最も合理的に見えると云うのは、あまりにも逆説的でもある。

≪ 攻めた翁長氏「政治の堕落ではないか」 菅長官と応酬
 ようやく実現した菅義偉官房長官と沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事による5日の会談は、厳しい空気に包まれた。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設への理解を求める菅氏に、翁長氏は口を極めて反論。辺野古移設をめぐる対立は収まりそうにない。
 「30分で、何か言い尽くしたような感じがしました」。那覇市のホテルでの会談後、翁長氏は満足そうに報道陣に語った。
 事務方も同席しない2人きりの会談は1時間。冒頭から10分間程度を報道陣に公開する予定だったが、菅氏、翁長氏の順に約15分ずつ持論を述べ、30分余りが公開された。
 翁長氏は辺野古移設を「唯一の解決策」とする菅氏に徹底的に反論した。
 菅氏が辺野古移設の根拠とした「普天間の危険性の除去」については、「普天間も含めて基地は全て強制接収された。普天間は危険だから、危険除去のために沖縄が(辺野古で)負担しろと。こういう話がされること自体が、日本の政治の堕落ではないか」。70年前の沖縄戦で奪われた土地を返してもらうために、なぜ沖縄が基地を提供するのか、と問いかけた。
 強い姿勢で臨んだ翁長氏の胸の内を、周辺は「知事は菅氏の向こうに本土の国民を見ている」と解説する。翁長氏は基地問題をめぐる沖縄と本土の温度差を嘆いてきた。最近、周囲にこう語った。「本土に何を言ってもすぐ忘れる。ならば石を投げた方がましかも知れない。痛みは忘れないから。ウチナーンチュ (沖縄の人)は、ずっとその痛みに耐えてきた」
 それだけに翁長氏は今回の会談に、挑発的とも取れる発言で政権に「石を投げる」思惑を込めた。会談用の原稿には「このまま政府が埋め立てを強行するなら、県は今後いかなる行政手続きにも応じられない、と申し上げる」という一文すらあった。
 ただ、ここにはペンで大きく「×」。翁長氏が冒頭発言で行政手続きに触れることはなく、政治的な議論に持ち込む策をとった。背景には、移設阻止に向けた戦略の変化がある。これまでの行政手続きによる対抗策が「やや無理筋になっている」(県幹部)という認識があるからだ。
 知事就任後、翁長氏は辺野古の海底ボーリング調査の「停止指示」など、行政手続きを駆使して作業を止める道を探ってきた。だが3月末、国に指示の効力をいったん止められた。県の最大権限である辺野古の埋め立て承認の取り消しや撤回に踏み切るかの判断は早くても7月となるため、移設阻止へ向けた成果をすぐには出しにくい状況にある。
 そうした中、菅氏は1日に沖縄訪問を宣言。翁長氏側もすぐに会談に応じる意向を表明した。4日には翁長氏側近の安慶田光男副知事が菅氏と非公式に協議。翁長氏によると、会談の段取りを調整したという。
 「行政手続き面で手詰まり感のある翁長氏にとって、会談はちょうどいいタイミングだった」。県関係国会議員の一人は翁長氏の胸中をこう読む。
 会談後、翁長氏は報道陣にこう語った。「(移設問題の)原点をお話ししたから、これから沖縄の主張は話しやすくなった」(山岸一生)

■菅氏「話し合い、第一歩」
 局面を打開しようと沖縄に自ら乗り込んだ菅氏だったが、待っていたのは翁長氏の「上から目線」という激しい言葉だった。
 菅氏は米軍の新型輸送機オスプレイの訓練の本土受け入れや嘉手納以南の米軍基地返還への取り組みのほか、3千億円台の沖縄振興予算を確保していることを訴え、辺野古への基地移設について理解を求めたが、翁長氏は「絶対に建設することができない」と譲らなかった。想定を超える翁長氏の強硬さに、官邸幹部は「日本と米国の約束は、辺野古への移転と引き換えの普天間返還だ。辺野古移設ができなければ、米国が普天間を返すわけがない」と不快感を隠さなかった。
 唐突な方針転換にも見えた菅氏の沖縄入りだったが、菅氏は3月上旬から、水面下で訪問に向けた準備を進めていた。
 翁長氏は昨年12月に沖縄県知事に就任して以来、たびたび菅氏との会談を求めた。だが、菅氏は選挙後の内閣改造や国会審議などを理由に一貫して拒否。記者会見では、「粛々と工事を進める」「この期に及んで」という言葉を繰り返した。官邸の強硬姿勢には、野党だけでなく自民党内からも「『この期に及んで』と問答無用な感じで発言するのは非常に心配だ」(山本幸三衆院議員)などと懸念する声が上がり始めた。
 こうした世論を感じ取った菅氏は沖縄行きを決意。3月中に数度、沖縄と関係の深い衆院議員と面会し、沖縄訪問の意思を伝えた。選んだのは4月4日の西普天間住宅地区返還式典。米軍が接収していた土地の返還式ならば、埋め立て工事で注目されがちな辺野古から、菅氏が「問題の原点」とする普天間の現状に世間の関心を移すことができると計算した。
 菅氏は、普天間の危険性除去と基地負担の軽減、沖縄の経済振興を「政府の最重要課題」に掲げる。目に見える形で世論に訴えることができる返還式典に出席し、翁長知事との会談に臨むという日程は「最高のタイミング」(官邸幹部)のはずだった。
 しかし、安倍政権は予想を超える翁長氏の国に対する強い不信感を目の当たりにすることになった。菅氏は今回の会談について「話し合いを進めていく第一歩になった」と評したが、安倍晋三首相と翁長氏の会談の見通しは立たないままだ。沖縄県選出の野党議員の1人はこう突き放す。「首相訪米をにらんだパフォーマンスに過ぎないと県民は分かっている」(星野典久)

■国と県の攻防、今後は…
 普天間飛行場の移設計画をめぐる国と県の攻防は、今後も続く。
 翁長氏が設けた、仲井真弘多(ひろかず)前知事による埋め立て承認の経緯を検証する第三者委員会は7月に結果をまとめる予定だ。翁長氏はこれを受け、承認の取り消しや撤回が可能かどうか判断する。夏ごろをめどに訪米し、米政府に直接、辺野古移設阻止を訴えることも検討している。
 また、移設阻止をめざし抗議行動を続ける人たちは今月9日、活動を支える全国的な基金を設け、翁長氏の側面支援を続ける。
 一方の国は、現在進めている辺野古の海底ボーリング調査関連の作業を6月までに終え、夏にも埋め立て工事を始めたい意向。6月23日の沖縄「慰霊の日」の式典には例年、首相が参加しており、翁長氏はこの頃までには安倍晋三首相との会談を実現したい考えだ。 ≫(朝日新聞)


≪パラオご訪問を検討 天皇、皇后両陛下 戦後70年で戦没者慰霊へ
 
天皇陛下が戦後70年となる2015年に、戦没者慰霊のため先の戦争で激戦地となったパラオなど太平洋諸島の国々を訪問される希望を示されており、天皇、皇后両陛下の訪問について宮内庁などが検討していることが6月2日、分かった。NHKニュースなどが報じた。
 両陛下は、戦後60年にあたる平成17年、天皇陛下の強い希望で太平洋の激戦地サイパンを訪問されましたが、当時も検討されたパラオなどへの訪問は、相手国の受け入れ態勢が整わないなどとして見送られました。
 天皇陛下は、その後も、太平洋諸島で亡くなった人たちへの思いを抱き続け、パラオなどでの戦没者の慰霊について再び強く希望されたということで、宮内庁がパラオを含む太平洋諸島の国々への両陛下の訪問について検討を進めているということです。(NHKニュース「戦後70年 両陛下のパラオなど訪問を検討」より 2014/06/02 19:32)

 訪問の日程は、戦後70年の節目にあたる2015年の8月15日より前の時期で検討されているという。

 今回の訪問の検討は、両陛下の強い気持ちを受けたものとみられる。天皇陛下は、海外での戦没者やその遺族にも心を寄せ続けていた。
 両陛下は長年、国内はもとより、遠く海外で命を落とした戦没者への慰霊のお気持ちを、強く持ち続けられている。通常、両陛下の海外ご訪問は、相手国からの招請を受けて国際親善などを目的に行われており、戦没者慰霊のためだけにサイパンを訪問されたのは、前例のないことだった。今回の検討も、こうした両陛下の強いお気持ちを受けたものとみられる。
 陛下は、昨年12月の80歳のお誕生日を前にした記者会見で、80年で特に印象に残っている出来事について「先の戦争のことです」と語り、「前途にさまざまな夢を持って生きていた多くの人々が、若くして命を失ったことを思うと、本当に痛ましい限りです」と悼まれていた。(MSN産経ニュース「両陛下、パラオご訪問検討 戦後70年の来年、戦没者慰霊へ」より 2014/06/03 07:41)

パラオは日本の3000キロ南にある群島。第一次世界大戦後のパリ講和会議によって、日本の委任統治領になり、多くの日本人が移住していたが、太平洋戦争では激戦地となった。アメリカの統治を経て、1994年に独立。 ≫(ハフィントンポスト)

空から見る戦後の東京 60年のおもかげ
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●日本の憂鬱・時代錯誤 辺野古問題、揉めるほど沖縄有利

2015年04月06日 | 日記
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●日本の憂鬱・時代錯誤 辺野古問題、揉めるほど沖縄有利 

シリーズ化させるつもりはないが、日本の政治外交を見ていると、憂鬱なことを書きつづけていくことは簡単なようだ。探す必要もなく、そこいら中に落ちているのだから、ボランティア活動の積りでゴミ拾いすることが出来る(笑)。流石に、今までの自民党では考えられない安倍官邸の劣化度である。なにせ、感情が劣化していて、挙句にゴロツキ的振舞いを恥とも思わないのだから、手のつけようがない。これじゃあ、森喜郎がまともに見えてくるのは筆者だけだろうか。

辺野古移設計画では、嫌々ながら菅官房長官が翁長知事と面会した。怒りを含んだ顔つきの知事と、目線を挙げずに押しつけられた業務をこなしている仏頂面が対面していた。何ひとつ噛み合いそうなものが存在しないのだから、形式的会談になるのだろう。安倍にあっても同じことだが、マスメディアの扱いが幾分沖縄側に有利に働くかもしれない。アメリカの方も、この辺野古基地建設を強行に進めることで、琉球民族運動でも起きやしないか、実はヒヤヒヤと云うことも考えられる。

突っつき回して、沖縄側に損は生まれない。やればやるほど、俗に云う「東京サイド」が不利になる。ことが大きくなればなるほど、国際問題になり、日米地位協定って、酷い植民地協定が、21世紀の日米に残っている。この現実に、世界が気づけば、相当のインパクトがある。占領軍が、70年経っても、酒池肉林待遇に、居心地が良すぎて「長っ尻(ちり)」。親切ごかしな親戚のオッサンのようで、気味が悪い。辺野古訴訟で政府側が勝つ保証は、最近の最高裁の流れからして、過去のように安全地帯とは言えないのも、外交安保マフィアたちの弱点である。

先の知事選で辺野古基地問題は争点ではなかったと云うのであれば、最後まで安倍官邸は、沖縄県民の意志を無視してやる。そう言えばいいのに、誰に向かってか判らん抑止力。それを担保する普天間基地、それがそもそも不要なのだから、危険除去の話にすり替えるな。緊急時の航空機の受け入れを九州に移管する。だったらさ、観光県目指す沖縄に不細工なコンクリート構築物など作るんじゃねえよ!またまた、USJ誘致で買収工作を口にする。隣接地にカジノも誘致と言ったらどうだ。火に油を注ぐのに、今一歩口が滑らかではなかった。残念!

≪ 翁長氏「辺野古建設は絶対不可能」 菅官房長官と初会談
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の同県名護市辺野古への移設計画をめぐり、菅義偉官房長官と翁長雄志(おながたけし)・同県知事は5日午前、翁長氏の知事就任後初めて会談した。菅氏が計画を進める国の方針を説明する一方、翁長氏は移設反対の考えを改めて訴えた。
 会談は約1時間、那覇市内のホテルの一室で行われた。冒頭約30分間が報道陣に公開され、菅氏、翁長氏の順に、約15分ずつ考えを述べた。
 菅氏は「日米同盟の抑止力の維持や、(普天間飛行場の)危険性除去を考えたときに辺野古移設は唯一の解決策であると政府は考えている」と移設計画への理解を求めた。また、普天間飛行場が抱える機能のうち、緊急時の航空機の受け入れについて、「九州に移す予定で話を進めている」と述べ、新たな基地負担軽減策を検討していることを明らかにした。
 翁長氏は「辺野古は建設できないとの確信を持つ。建設は絶対不可能だ。頓挫で起こる事態は全て政府の責任だ」と、移設に反対する考えを強調。自身が初当選した昨年11月の知事選について「争点は(前知事による辺野古の埋め立てに関する)承認への審判だった。圧倒的な考えが示された」と述べ、移設反対の民意の支持をアピールした。 ≫(朝日新聞:星野典久、山岸一生)

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●日本の憂鬱 国の舵取り、このままで大丈夫なのか?

2015年04月05日 | 日記
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●日本の憂鬱 国の舵取り、このままで大丈夫なのか?

以下の「The huffington post」の解説コラムを読みながら思うこと。この国の政治家、政党、官僚たちは、真面目に国家運営に携わっている積りなのだろうかと。昨日の拙コラムのように、「足るを知る」国を目指すのか、「更なる成長」を目指す国なのか、その「そもそも」のところが、まったく、安倍の会見や、菅の会見から見えてこない。各論的には、アメリカ主義に則り、アメリカ主義で行くと云う点は見えるのだが、国の行き先が「アメリカ主義」と答えられても、納得は出来ない。

たしかに、アメリカの軍隊に70年間も駐留し続けられているのだから、守られているのか、脅されているのか、多分、事実は半々なのだろう。しかし、20世紀中期までならいざ知らず、米軍が日本に駐留していないと抑止力がないと云うのも解せない話だ。本音は、脅しと恐喝性が強いと見るのが妥当だろう。守ると言っても、どこから守ると云うのだろう。仮想敵国は北朝鮮と中国だろうが、前者は金王朝を守ることに汲々としていて、とても他国に攻め込むわけもない。

それでは、仮想敵国は中国だとして、本当に中国が日本に侵攻してくると云う危惧には、どうも作られた危機が散乱している感じがする。何ゆえに、中国が日本に攻撃を仕掛け、侵攻する理由があるのだろうか。防衛や外交の関係者は、尖閣を持ちだして、時と場合によれば沖縄も危ない等と云う。そりゃ、あり得ない筈の「米中開戦」にでもなれば、日本の米軍基地はすべて標的なのだから、ピンポイントの攻撃目標を用意しているという考えにもなる。しかし、現実には、自然の成り行きで、世界の覇権が転がり込みかけている中国が、乱暴狼藉をすると云う発想が不自然だ。

乱暴狼藉をしなければならない状況の国は、なんちゅうことないアメリカ様であり、その議論はする必要もないくらいの事実が、今中東・北アフリカ・ウクライナで展開しているのだから、論を待つ必要はない。歴史の大きな流れで現状を俯瞰すれば、中国を中心とするユーラシア大陸への覇権の流れは出来ている。おそらく、50年後には中露同盟関係を中心にしたユーラシアに権力は移行する。この流れが見えているからこそ、英国はじめ欧州各国はAIIBで明確なように、そろそろアメリカ様にも気づいて貰わないとね、という按配だ。

ヨーロッパやロシアの動きは、21世紀の中盤以降はユーラシアに覇権が移ると見えるのだろう。筆者も残念ながら、そう思う。そういう事実が、日を追うごとに、年を重ねるごとに増えてきているのだから、幾らなんでも気づいても良さそうなものだが、気づかない。何故かとなれば、それは、日本の指導層のすべからくが、アメリカ主義に洗脳され、迎合することで、その地位が保証されていると云う事実に依拠する。

これは、時代の節目では最悪のパターンなのだ。アメリカからユーラシアに覇権が移動しつつある時に、アメリカ主義により一層しがみつく国の生き様は、所謂、思考停止状態なのである。正直、今の日本に出来る事は、世界に向かう日本ではない。内向きに、以下に実質的国を形作れるかの瀬戸際にいるのだ。以下の日本の貧困問題は内政的に、本気で対応すれば一気に解決するような問題なのだ。それもアメリカ様の顔色を見ずに出来ることだ。明治新以降、日本がやってきたことは、猿真似に過ぎない。たしかに、発展途上において猿真似の意義はある。しかし、もう猿真似は中国・韓国にお任せして、質実剛健な国内体力確立することである。

にも関わらず、日本政府のやっている事は、真逆な方向ばかり好んで選択している。「吉里吉里国」のように、他国に干渉されずに生きていける国がユートピアだとすると、日本には、あっと驚くほど条件が整っている国土なのである。森林があり、水が豊富で、地熱はふんだんにあり、海の幸、山の幸の宝庫だ。太陽も降り注ぐし、風も吹く。科学の力もそこそこだ。人と争うことが好きな人種も僅かにいるが、概ね怒ることも争うことも好まない民族集団である。これほど理想的素材を与えられているのに、それを壊すことにばかり執着しているのが、日本の政治家であり、官僚機構なのだ。何がどのようにしてボタンを掛け違えたのか。多分に、明治維新に元凶があると筆者は思っている。

最後に、非常に気になる話題をひとつだけ提供する。どうも、今に日本では、静かに「反天皇運動」が展開されている気がしてならない。「今上天皇」をどうこうする動きではないが、今上天皇の御意思素直に引き継いでいる皇太子では好ましくないと云う雰囲気を作ろうとしている気味の悪い流れを画策している勢力が、権力を握っている勢力にいる感じだ。秋篠宮家に死に物狂いで光を当てているのが、今のマスメディアであり、出版界だ。佳子さまへのメディア露出は異様である。この動きは、今上天皇。皇后への揺さぶりにも見えてくる。

少なくとも、安倍政権の政治的動きに対して、憂いを持って眺めていられるのは事実で、お言葉の端々にちくりと棘が見え隠れしている。筆者は、日本の良識のシンボルとして、今上天皇・皇后を尊敬しているし、日本の誇るべき良識の砦だと認識している。しかし、現政権にとっては、耳の痛い御意思が示されることが多く、快く思っていない勢力が間違いなくある。秋篠宮家のご夫妻に、幾分その気があるように見えるのも、世相の流れを作ろうとする動きが急速に動き出している事から感じるのであろう。


 ≪ 「母子家庭」「20代前半男性」「子ども」に際立つ日本の貧困
  国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩部長が解説
日本の貧困化が進んでいる。
2014年7月に発表された「平成25年国民生活基礎調査」に よると、18歳未満の子どもの貧困率は16.3%と過去最悪を更新した。「日本は平等で貧富の差がない」というのが私たちの“常識”だったが、最新のデータや海外との比較は、それを裏切る結果となっている。「子どもの貧困」(岩波新書)などの著書で知られる国立社会保障・人口問題研究所の阿部彩・社会保障 応用分析研究部部長は9月17日、東京・内幸町のフォーリン・プレス・センターで講演、日本の貧困の実態やその背景について語った。

 ■高齢男性の貧困率が下がると同時に若い男性の貧困率が上昇
 阿部部長によると、日本では長年、貧困がないということが常識とされてきた。貧困の実態をモニターする指標である相対的貧困率が初めて発表されたのは、 2009年になってからという。「日本は平等」という私たちの“常識”の根拠は1970年時点のデータで、実際には1980年代から所得の格差が拡大し始め、現在もそれが継続しているのだ。
  「2012年は、子どもの相対的貧困率が16.3%となり、初めて社会全体の貧困率16.1%を上回りました」と阿部部長。年齢別に見ると、これまで日本の貧困率は、若いころが低く、中年期に最も下がり、高年期になってぐっと上がる「J字形」を描いていたという。
  「しかし、社会保障制度の中で公的年金が成熟してくるに従って、高齢の男性の貧困率が徐々に下がり、同時に若年層の貧困率が上がってきたことによって、近年は男性に限ってみれば、人生の中で最も貧困率が高いのは若い世代という現象が起こりました」と説明する。
 また、2010年の資料によると、65歳以上の一人暮らしの女性の貧困率も高く、46.6%と半数近かった。現役世代でも、一人暮らしの女性は31.6%と3人に1人が貧困だ。 「若い男性の貧困率が上がってくるのは、時系列で見れば鮮明にわかります。1995年から、2007年を比較したのが左のグラフですが、20〜25 歳のところで貧困率が徐々に上がってきて高いピークになっています。右のグラフでは点線が2007年の山に比べて、2010年ではさらに裾野の広い山になってきています」。阿部部長によると、これが一時的な貧困なのか、継続的なものなのかの判別が必要だという。

 ■「低い学力」「夢がない」貧困層の子どもたち
 日本の貧困の実態において、特に注意しなければならないのが、子どものいる世帯だ。7月の発表では、過去最悪の貧困率を更新している。
  「一時的に電気が払えない世帯があっても、電気が止められるまでには時間がかかるので、今は、それほど問題ではないと思われるかもしれませんが、子どもの貧困状態は、学力、健康、自己肯定感などと相関関係にあることがわかっています。
 全国の学力テストの点数と親の年収の比較を見ると、きれいな相関があります」 また、これもひとつの例として阿部部長が提示したのが、大阪市の小中学校児童4100人に調査した結果だ。小学校5年生と中学2年生の調査では、「夢がない」と答えた貧困層の子どもの割合は、小学5年生だと24%、中学2年生だと44%で、非貧困層の18%、38%をそれぞれ上回っていたという。

■「ひとり親世帯」の貧困率は国際的に最悪
  では、国際比較から見て、日本の貧困はどうなっているのか。阿部部長は、その特徴をこう語る。
  「まず1つ目は、日本の貧困は、失業ではなく、ワーキングプアが多いということです。ヨーロッパなどでは無職による貧困世帯が多いのに比べ、日本はワーキングプア率が高いです。
 2つ目は、母子世帯や単身世帯、高齢者世帯を始めとする特定世帯の貧困率が突出して高いということ。特に、ひとり親世帯の貧困率は OECD諸国の中で最悪です。
 3つ目は、政策による貧困削減効果が少ないことが挙げられます。公的扶助の受給率を比較すると、日本では生活保護制度があり、これは国民の1.6%をカバーしていますが、他の国に比べて受給率は低いです」 公的扶助の受給率の低さは、子どもの貧困にも影響を与えている。
  「子どもがいる世帯の貧困率について、税金や社会保険料を払う前の 『再分配前』と、税金や社会保険料を払い、児童手当や生活保護など政府からの給付を受けた後の『再分配後』を比較してみます。通常の政府の機能としては、 再分配後の方が貧困率は低くなるのが当たり前なのですが、日本とギリシャだけは再分配後の方が貧困率が高いという状況になっています」

■既存の社会保障制度の「仮定」が崩壊
 このような貧困が起こっている理由はどこにあるのだろうか。阿部部長が指摘するのは、既存の社会保障制度の「仮定」が崩壊していることだ。
 「1つとして、日本の社会保障制度は働いていればまっとうな生活ができることを仮定としています。つまり、ワーキングプアは想定されていません。
 2つ目の仮定は、家族というものがあることで、一人世帯になった途端に貧困になるリスクがとても高くなります。日本は3世代世帯も多く、家族の人数が多いというのが一般的な常識だったのですが、実は、現在のデータを見ますと、単身世帯が最も多くなっています」
  「3つ目の仮定は、一度転落しても再チャレンジできるということでした。日本のさまざまなセイフティネットは制度的にはありますが、多くは貸付金や一時的な免除制度で、失職して所得が下がったので一時的にお金を借りることができても、いつかは前よりさらに高い所得を得てお金を返さないといけません。
 しかし、日常生活が苦しくてお金を借りた場合は、いつまでたっても返せません。転落しても戻ってこられるというストーリーは、日本の場合は難しいのです」 こうした仮定の崩壊によって何が起こるのか。
 阿部部長が警鐘を鳴らすのは、現在の社会保障制度への影響だ。
  「国民皆年金、国民皆保険が崩れてきています。国民健康保険の社会保険料を払えない人が急増しており、国民年金にいたっては、4割の人が払っていない状況です。そして、『恒常的な貧困』も存在するようになりました。
 先ほど申し上げた通り、日本の多くの制度が貸付制度です。例えば、貧困世帯のお子さんが学生ローンで学費を借りても、奨学金ではないので、返せなくて多重債務に陥ることが社会問題になっています」 さらに、公的扶助の役割が増大していると阿部部長は指摘する。
 「唯一の制度として生活保護がありますが、国民の2%程度しかカバーしていない。すべての貧困世帯をカバーしようとしたら、その何倍もの予算が必要です。それができない状況なので、公的扶助もパンク状態にあり、ますます締め付けが厳しい。」

ネットカフェ難民やフリーター、社会問題化する「新しい貧困」
  阿部部長は、こうした日本の貧困を「新しい貧困」として解説する。 「このような多くの貧困層が政府からの支援を受けられない状況は、いろいろな形で社会問題になっています。ホームレスやネットカフェ難民、ニート、フリーターといった形で現れてきているのです。
 彼らの多くが単に仕事がない、お金がないというだけではない問題を抱えています。その1つが精神的な問題。長い間、厳しい状況に置かれることによって鬱病などを発症します。
 また、日本では自殺者が高い率の状況が続いています。まだ海外のように麻薬やアルコールといった社会問題は少ないですが、今後、そうした問題に移行することも予想されます」
 こうした事態をふまえ、政府も対策を打ち出している。2014年 1月に施行した「子どもの貧困対策推進法」に基づいて、8月末には子どもの貧困対策に関する「大綱」を決定した。
 苦しい家計の人の生活を再建する「生活困窮者自立支援法」も2015年4月から施行されることになっている。
  「政府も対策は立てていますが、日本の財政が厳しい中、貧困問題に対する財源的投入が非常に難しい状況にあります。今は、生活保護に陥らないようにという目的をもって支援していますが、相談機能におさまっていて、新しいセイフティネットを築くことができていません」 政府の貧困対策が、どこまで効果を発揮できるのか。今後の問題は、財政的なバックアップとそのコミットメントにあると阿部部長はみている。 ≫(The huffington post)

タカ派改憲論者はなぜ自説を変えたのか 護憲的改憲論という立場
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●安倍晋三さん、あなたの「普遍的価値観」は間違っています!

2015年04月04日 | 日記
跡無き工夫 削ぎ落とした生き方 (角川oneテーマ21)
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●安倍晋三さん、あなたの「普遍的価値観」は間違っています!

細川護煕と云う人物が政治家として大成しなかった意味がよく判るコラム「日本の未来への遺言」だと思う。筆者の感想は逆説的だが、政治家として大成することが、国家の道を誤らせる元凶であることを暗示もしている。特に、世紀の変わり目において、19世紀的思考で物事を考える人々に権力を与えてしまった我が国の運命は、幸運なのか、不運なのか、立つべき位置によって、その判断は相当変わるようだ。長い歴史のスパンで見れば、早回しで国が亡びるわけだから、再生する時期は前倒しされる。短期に見れば、今生きている60代、70代、80代はこっぴどい目に遭わされるかもしれない。

“質実国家というのは、経済成長一本やりでなくて、生活の量よりも質 に重点を置いた文化の香り高い、環境にも配慮した、品格と教養のある国とでも言ったらいいでしょうか。国も国民も背伸びをせずに、自然体で、内容本位の生き方を探るべき時代を迎えている”この言葉は、今でも充分に通用する。しかし、今は困ると云う各論派が生活者の概ねである。流行語ではないが「今でしょう!」なのだが、この考えが理解されそうにない世間の風潮は如何ともしがたい。

“幸田露伴や夏目漱石、『徒然草』の吉田兼好、良寛さ んだって、みんな同じようなことを言っているわけですね。これは普遍的な価値観なんです。”安倍晋三が好んで使う「普遍的価値観」が如何に誤った勘違いかを、細川は暗に指摘しているのかもしれない。安倍の使う「普遍的価値観」は欧米キリスト教文化圏の価値観。もっと平らに言えば「アメリカ・ネオコン価値」と云うことなのだから、隔世の感がある(笑)。

“「没量」と書きました。「モツリョウ」と読みます。もともとは禅宗の『碧巌録』という、本の 中に出てくる言葉です。今の時代はお金でも生産量でも、何でも量で語るわけだけれども、この言葉の意味するところは、すべてのものの価値を量ではかるというのは、それは間違っているんじゃないですかと。おかしいんじゃないですかということなんですね。”そう、量を語るのは中国に任せれ良いのである。13億の人口に、1億を切る人口で量の勝負を挑んだら、負けるに決まっている。どうも安倍信者も、成長神話に毒された人々は、どうしても、この理が判らない。否、認めたくないのだろうが、無理なものは無理なのである。異なる土俵を作る準備をする方が合理的であり、異次元の価値を創造するのだ。

“欧州諸国もアメリカ型デモクラシーの波をかぶったが、自分たちの文化を守ろうと努力している。しかし、日本はアメリカ型デモクラシーの波に呑み込まれている。若い人たちには理解できないだろうが…”ここの部分は、最近の10代20代の名誉のために言い添えるが、それが一番判っていないのが、50代から70代の人々だと言っておこう。細川氏は幾分若者世代との交流に疎遠なのかもしれない。筆者は、最近月一のペースで、日本のこと、世界のことを、某国立大学のサークルの連中と話すのだが、彼らはテレビ新聞の論調を丸呑みしている。ただ、理路整然とアメリカ主義の問題点を指摘していくと、半数以上、その価値観に疑問を持ってくれる。

しかし、筆者の説得くらいで、右に左に転がるわけだから、ビジネス的に、彼らを右旋回に捻じ曲げてしまう事も、酷く容易なことなのだろうと、ふと思ってしまう。安倍自民党が、選挙権を18歳からと考えだしている中には、彼らを洗脳するのは“いと易い”。宗教勧誘の手段を使えばイチコロだと云う思惑があるに違いない。統一地方選で行われる41道府県議選と17政令指定市議選が3日、告示され、道府県議選では全選挙区の33・4%の321選挙区で無投票が確定。総定数 の21・9%が無投票当選してしまった現状を見れば、野党不在の嵐は吹き荒れたままだ。その上に、将来の保険として、若者洗脳機関電通方式を採用することになりそうだ。どうも、安倍政権により、歴史は早回しに向かい出しているようだ。南無阿弥陀仏!


≪ 【細川護熙】「国も国民も『足るを知れ』」
   55年体制を崩した「殿」が夢見た「質実国家」

【 戦後70年となる今年、日経ビジネスオンラインでは特別企画として、戦後のリーダーたちが未来に託す「遺言」を連載していきます。この連載は、日経ビジネス本誌の特集「遺言 日本の未来へ」(2014年12月29日号)の連動企画です。 第25回は、細川護熙氏。1993年8月に内閣総理大臣に就任して、いわゆる「55年体制」が崩れるきっかけをつくった細川氏は、日本は「大」ではなく「中」日本主義を目指すべきだと話す。 】

 私は総理大臣や知事をやりましたけれども、人の登用については基本的な信条があるんです。一番大事なことは、「退を好む者」を重用するということ です。『呻吟語』という、中国の呂新吾という人が書いた名著があるんですけど、その中に「人を挙ぐるにはすべからく退を好む者を挙ぐべし」と出てきます。 これなんですよね。

 政務次官になりたいとか、大臣になりたいとか、そういう方が世間には大変多いわけですけど、物欲しそうな顔をしている人は大体だめですね。そうではなくて、権力やポストに恬淡としていて、自分はいつでも退くと。そんなもの就きたくないというぐらいの人がいいんです。

 総理の時、田中秀征を総理特別補佐にお願いしたんですけれども、彼なんかそういう人ですからね。後に大臣にもなりましたけど、本人としてはまった くそのポストに就きたいとか、そういうのはなかった。やっぱりそういう人でないと、国家の大事は語り合えないですよ。結局、総理の時に腹を割って本心を話せたのは彼ぐらいでしたね。

 ■物欲しそうな人は信用できない
 物欲しそうな人は、信用できません。会社でもそうでしょう?  例えば石川島播磨重工業(現IHI)の社長をし、東芝の社長をし、経団連の会長にもなられた土光敏夫さん。お宅には何度か伺いましたが、川崎の下 町の30坪ぐらいの家でね。初めて行った時は探し当てるのが大変でした。経団連会長が財界総理と呼ばれて、今よりもはるかに権威のある時でしたから、私は てっきり豪邸に住んでいるものと思ってましたが、それがもう普通の、どちらかと言えば古い小ぢんまりとした家でね。

 「メザシの土光」という異名がありましたけど、6畳くらいの台所兼食卓の部屋で、本当にメザシをごちそうになりました(笑)。給料も「自分は10 万円あれば足りるから」と言って、残りは全部、母上が開かれた学校に寄付されていたんですね。

 さすがに高齢なので秘書の方が迎えには来てたみたいですけど、通勤も黒塗りの車ではなく、電車。そういう清貧な生活をされていたからこそ、政府の行政改革を牽引できたんだと私は思います。やっぱりトップが身をもってそういう姿勢を示さないと、説得力がありませんからね。

■背伸びせず、量より質に重点を置いた国へ
 私が総理を辞め内閣総辞職を決めたのも、こういう考えが根本にあったからです。急だったためにいろいろと言われましたが、私は一貫してこうした信 念を肚に置いて仕事をしてきました。辞意を表明した時はもう、政権としては死に体になっていましたのでね。ポストに執着して延命する考えは全くありませんでした。

 総理に就任したときの最初の所信表明演説で「質実国家」ということを言いました。質実国家というのは、経済成長一本やりでなくて、生活の量よりも質 に重点を置いた文化の香り高い、環境にも配慮した、品格と教養のある国とでも言ったらいいでしょうか。国も国民も背伸びをせずに、自然体で、内容本位の生き方を探るべき時代を迎えている、とね。

  日本では急速な高齢化と人口減が進んでいます。2040年代後半には日本の人口は1億人を切って、おそらくマイナス成長から抜け出すことは難しいだろうと言われている。だから簡素な生活をしなきゃならんというのは、日本の成熟した経済社会からの要請であるし、また地球資源とか環境の面からの制約で もある。

 最近、内外のいろいろな識者の人たちが、大きくなることばかり考えないで、少し分相応にダウンサイズしたらどうかという意味のことを言っていま す。ベストセラーになっているトマ・ピケティさんの『21世紀の資本』。あれもそうですよね。フランスの経済学者で脱成長のことを言っているセルジュ・ラトゥーシュとか、『資本主義の終焉と歴史の危機』を出した経済学者の水野和夫さん、この間亡くなった経済学者の宇沢弘文さんなんかも「背伸びはだめ。低成長を前提に生活様式を改め、そのモデル国家になるべきだ」ということを盛んに仰っていました。まったく我が意を得たりという感じです。

 ■「足るを知る」
 でもこれは、何も今の時代に新しく出てきた価値観ではないんですよ。戦前でも戦後でも、例えば幸田露伴や夏目漱石、『徒然草』の吉田兼好、良寛さ んだって、みんな同じようなことを言っているわけですね。これは普遍的な価値観なんです。私は別に、今の時代だからそうしなきゃならないと言うのではあり ません。いつの時代でも、質実に生きるべきだとそう思っています。

 そう考えると、これからの日本の進むべき道は、身の丈に合ったほどほどのライフスタイルでやっていく、つまり大きくなることばかりを目指すのではなく、言うなれば「中日本主義」でやっていくということに尽きるのではないでしょうか。

 大衆は、やっぱり贅沢をしたい。自動車もできれば1台じゃなくて2台、3台と欲しい。うまいものも食いたい。欲望は際限がありません。こういうも のは、いったん手綱を緩めればどんどん膨張していきます。しかし、そういうことは好ましくないことなんだと、ブレーキを踏んで、手綱を引き締めなくてはならない。老子のいった「足るを知る」という意味を、よく考えるべきじゃないでしょうか。

  「遺言」として何か書いてほしいということだったので、「没量」と書きました。「モツリョウ」と読みます。もともとは禅宗の『碧巌録』という、本の 中に出てくる言葉です。今の時代はお金でも生産量でも、何でも量で語るわけだけれども、この言葉の意味するところは、すべてのものの価値を量ではかるというのは、それは間違っているんじゃないですかと。おかしいんじゃないですかということなんですね。

 こういう逸話がありましてね。ある時、浄土真宗の蓮如上人のところに若い坊さんが「弟子にしてください」と訪ねてくる。そうしたら蓮如さんは 「じゃあ、すぐ琵琶湖に行って水を全部かき出してこい」と言う。するとその坊さんは「じゃあ、行ってきます」と、そこにあったひしゃくを持って琵琶湖に 向って駆けだして行こうとする。

 ひしゃくなんかで琵琶湖の水をかき出せるわけはないんだけど、蓮如さんはそれを見て「おい、待った」と。「なかなか見どころがあるから弟子にして やろう」と言うんです。この坊さんは量ということにこだわっていない。それを馬鹿にする見方も当然あるでしょうが、蓮如さんはそれを「なかなか見どころがある」と評したわけです。こういう考え方が、これからの日本には必要なんだと思います。

 ■「中日本主義を目指すべき」
 私は以前から、「日本は中日本主義を目指すべき」と言っています。大ではなく、中。それは政治的にも経済的にも対外的にも、大きくなることばかり 考えないで、ほどほどの、分相応の振る舞いをすべきではないかと。総理のときも常任理事国になるとかならないとかいう話があって、私は背伸びをしてなる必要はないと言っていましたけど、それもまったくそういうことなんです。

  日本は戦後、万事がアメリカに追いつけ追い越せという目標で頑張ってきたわけです。しかし残念ながら、高度経済成長のあたりからそれを意識しすぎ て、物質的、経済的成果ばかりを追求してきた。そのために日本人はいつの間にかGDPとか、経済成長率とか、あるいは生産性とか、売り上げとか、生産高とか、数字で表される目先の成果ばかりを気にするようになってしまった。そして本来あるはずの、もっと大事な価値のあることを忘れてしまったという気がします。

 そこにいくと欧州諸国なんかは、アメリカ型デモクラシーの波をかぶっても、やっぱり彼らは自分たちの伝統というものを本当に大事にして、アイデン ティティーを墨守して、教育のシステムでもすぐアメリカの制度を見習ったりしなかった。ファストフードやコンビニなんていうものにも非常に慎重で、自分たちの生活の形にこだわって守ってきている。そこが日本と大きく異なる点だろうと思っています。

 若い方に、こういうことを分かってもらうのは非常に難しい。私らの世代は戦争も経験し、貧しい時代も知っている。そして、長く生きてきた経験もあ ります。だからこう思える部分がある。私だって、今のような考えを、若い頃から明確に持っていたわけではないので、若い人たちにいきなり「考え方を変えろ」と言ったってすぐに受け入れてもらえるものではないでしょう。

■若者には古典をもっと学んでほしい
 だからこそ私は、やはり古典といわれるものを若い人たちにはしっかり勉強してもらいたいと思っています。人生で何を勉強するのかって言えば、究極 的には「どう生きるか、どう死ぬか」それだけですよね。そういうものはまさに古典に詰まっている。まぁ何でもいいんですが、例えば『十八史略』では 4500人ぐらいの人が出てくるわけですよ。その中にそれぞれの生き方というものが克明に描かれている。

 戦後70年なんてものじゃなく、もっともっと長い歴史を経ても、やはり人には根源的に変わらない価値観があると分かるわけです。それは『三国志』だってそうだし、『太閤記』だってそう。教養というのは、そういうことだと思うんですよ。

 特に海外の首脳級の方々は、特に宗教的な人たちの生き様や、哲学的なものに深い教養をもっている。そういう部分を養っていないと、外国に出ていって例えば首脳会談で話をするといったって、通用しませんよ。
 どうやったら売上高を上げられるのか、生産性が高まるのか。または、コミュニケーション能力が上がるのか。そんなハウツーものなんかが巷にはあふ れていますが、それがどれだけ役に立つというのか。人生に深く関わるところの、つまり、原理原則みたいなものを身に付けなければ、馬鹿にされてしまいますよ。

■教養なきリーダーは世界から無視される
 例えばね、英国首相だったチャーチルは、もともと米国のトルーマン大統領を軽蔑していたと言われています。ところがある時の晩餐会後にトルーマン が、ピアノを弾いた。彼はピアニストを志すほどの腕前で、大統領在任中もピアノの練習を欠かさなかったという。その演奏を聴いたチャーチルは「ミスター・ トルーマン」と言っていたのを、それを機に「ミスター・プレジデント」に改めた。トルーマンの芸術的才能にチャーチルは敬意を表したわけです。

 ピアノでも、本の話でも何だっていいんですよ。チャーチルは自分もレンガ積みもやって、職人の資格を持っていたし、絵も描いたし、ノーベル文学賞も受けたし。要するに普遍的な価値観につながる幅広い教養を身につけていた人物です。ドイツのシュミット元首相には私も何回か会っていますけど、彼は政治の 世界をやめて60歳を過ぎてから新進のピアニストとしてデビューした。

 日本人が考える以上に、そうした部分を海外の首脳たちは持っている。そして、ちょっとそんな話をすると、もう非常に喜ぶわけです。こうした事実に、もっと目を向けてもいいんじゃないですかね。

 まさにそれが人間的魅力と言い換えられるものですよね。普遍的なものなんですよ。自分の生き方としての原理原則というものを持っている。そうした 信条を持っていれば、何にでも、対応できます。ただ上っ調子に相手の話に合わせる能力を磨こうとするのではなくて、人として本当に深いものを持つ方がずっと価値があります。

 こんなことをあまり言っちゃ申し訳ないけれど、でも日本の政治のリーダーで、どれだけいますかね、そんな人。日本の総理や経営者で…。宮沢(喜一)さんや大平(正芳)さんは大変教養のある方だったけれども、本当に数少ないと思います。

■大学に行ってプラスになったことはひとつもない
 教養というようなものがないと、ユーモアとかウイットとかいうものも生まれてこないですね。自分で考えたことに責任が持てないから、国会答弁もお 役人の答弁ばかりになっちゃったりとか、本当に面白くないことになるわけです。ウイットとかユーモアとか、いまの日本ではそういうものがまったく感じることがないですね。

 例えばスポーツ選手のインタビューなんかでも、時々海外の方だと気の利いたことを言う人がいるでしょう。自分の体験から学んだことを語る人の話は面白いんですよね。日本ではたいてい、ただ頑張りますと言うだけ。そんなのはもうあいさつじゃないですよね。

 こうしたことは、子供の頃からの訓練しかないのだと思います。やっぱり教育を根本的に変えないとダメですね。白州正子さんもここ湯河原にも何回か 来られて、よくそんな話もしたんだけど、やっぱりそこは教育だなあと。ある時知り合いから「大学に行くかどうか迷っている」と相談されたことがあったらしいんです。白州さんは「大学なんか行ったって、ひとつもそんなもの役に立たないわよ」と言って大学行くのをやめさせられた。

 私もまったくその通りだと思うんですね。自分自身も大学に行って、プラスになったことはひとつもないと思いますしね。あ、いや、家内と知り合ったことだけが唯一の収穫かな(笑)。あとは何もないですよ、本当に。

 ■とにかく日本の教育はつまらない
 とにかく日本の教育はつまらない。小学校から大学まで。イタリアの学校なんか見ているだけで本当に楽しそうですよ。教室を何回か見させてもらいましたけど、これは芸術家が育つわけだと思いました。

  本当に自由にいろいろやらせるわけですね。例えば美術館に行ったって、みんな好きなところに行って見る。ヘッドホンとかパンフレットとかの説明を頼 りに見るとかではない。この絵はいい、この彫刻がいいと思ったら、そこで立ち止まってじっとそれを見る。自分の感性にマッチするものを見つけることで楽しんでいる。彫刻の前なんかで子供が寝そべって絵を描いたりしていますよね。

 それを日本だとすぐに、説明テープを聞かせる。いいと思ったことに対して価値を感じさせるんじゃなくて、他人の物差しを押しつけることばかりですね。

 教育改革の一番効果的なやり方はね、荒療治でこんなことできっこないんだろうけど、理想としてはですよ、もしやれるなら、小学校から大学まで全部、それぞれの学長や校長にすべての権限を与えて好きなようにやらせてみたら面白いんじゃないか。

 ■同じような人間を大量生産する教育はいらない
 文部省の教育指導要領も何もそんなものを全部気にしないで、好きなようにやらせれば、すごいユニークな学校がたくさんできると思うんですね。いい 学校はどんどん伸びるし、だめな学校は消えていく。親ももっと真剣に、子供にどんな教育を受けさせるか考えるんじゃないでしょうか。

 同じような場所で画一的に教育したらダメですよ。もっと自由にやらせたら、子供たちなんか本当に面白い絵を描くんですから。私なんかもこの間、自分が幼稚園の時の絵をおやじがとっていて改めて眺めてみたんですが、これがなかなかよくできていてね。我ながら「この頃はこんな想像力があったんだ」と驚きましたよ。なんでもいいんですけど、昔の古典を徹底的に読ませるとか、中学までに3カ国語ぐらいできるようにするとか、色々なことを学校が考えたら教育は活性化すると思うんですけどね。

 同じような人間を大量生産しても、そんな人はこれからの時代にはもういらない。私はそういうものを頭から無意味だといって拒絶していましたが、理 系の人はともかく、微分積分とかルートの何乗だとか、大半の人にとってそれが人生で何の役に立つのか。余計なことのつめこみが多すぎるんです。もっと本当の知恵を養うことに教育は力を注ぐべきだと思いますよ。

 細川護熙(ほそかわ・もりひろ) 日本新党代表だった1993年8月に内閣総理大臣に就任。いわゆる「55年体制」が崩れ、日本の政治体制 が大きく変わる契機となった。衆院選挙制度に小選挙区比例代表並立制を導入。高い支持率を誇ったものの翌年4月に退陣。60歳で政界引退後、神奈川県湯河 原町の私邸にて作陶、書、水墨画などを手がける。現在は襖絵制作を中心に活動。2014年に「脱原発」を掲げ東京都知事選挙に出馬するも落選。現在は自然 エネルギー推進会議の代表理事などを務める。肥後細川家第18代当主。元朝日新聞記者、元熊本県知事。1938年1月生まれ。(写真:千倉志野、以下同)  ≫(日経ビジネス:マネージメント―戦後70年特別企画「遺言 日本の未来へ」)

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●生活直撃・値上げラッシュ 賃上げ効果ゼロからマイナス

2015年04月03日 | 日記
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●生活直撃・値上げラッシュ 賃上げ効果ゼロからマイナス

「消費者としては、交際費や趣味に使えることで初めて生活にゆとりを感じます。賃金を手にした消費者の購買意欲が高まり、物やサービスの価値が上がって物価が上がるのが本来の好景気。物価だけを上げても意味がありません」この言葉が象徴するように、消費マインドが上がったら、そりゃ狂気だろう。株価の値上がりで好景気を装うテクニックもバレバレだ。株価が上がっても、ご利益がないことに、漸く生活者も気づいてきた。この調子で、消費税10%が始まったら、国民の嘆きは悲鳴に変わるのだろう。

安倍政権が確実にやっている事は、人からコンクリートだ。福祉から遠ざかり、人口減少している国土強靭化と云うコンクリートを流し込み、世界に向かって原発と武器を輸出し、下手をすれば自衛隊員の命をも捧げると言っている。時折、日本は、安倍ミリタリー国家に乗っ取られたような錯覚に陥る。“安倍ミリタリー国家”とは、何処から来た国なのだろう?宇宙から来たのか、御嶽山のマグマから抜け出して来たのだろう。まさか、半島から来たとは思いたくないが…。

毎日新聞の表はコピー不可なので、00年と14年の比較表が掲載できないのが残念だが、惨憺たるものだ。大企業の内部留保は右肩上がりだが、そこの部分に狙いをつけるのも、筋違いな感じだ。やはり、どこかに食い荒らされているとしか思えない。中央集権と云うシステムが、金食い虫なのだと思う以外、解説が出来ない。この調子で、支出が増え続け、収入が実質的に下がり続けると、蓄えのない人は、どこかで限界点に達するのだろう。ただ、生活者の疲弊は、最終的に企業にとっても致命的市場の縮小に繋がる。自民党と経団連の利益相反と云う時代も来るかもしれない。

 それにしても、00年と14年の比較表を眺めると、日本人てのは、本当に怒らない国民だと思う。逆に言えば、まだまだ貧困までには間があると、霞が関は見ているのだろう。00年と14年の比較表で目立つのは、
 *世帯の実収入が542,382円から519,761円と22,621円減少している。世帯主の収入の大きな減少を、奥さんのパートなどで穴埋めしているが充分に埋め切れていない。
 *消費支出は00年333,501円だったが14年318,755円で、14,746円の減少になっている。家計のやり繰り努力はあるが、アバウト月額1万円分生活水準は落ちたと云うことだ。
 *食費は引き締め傾向がみられるが、今後は値上げラッシュと更なる消費税アップで、この引き締めも限界が来るだろう。
 *被服費や小遣い、交際費へのしわ寄せが明確で、生活における潤いを感じる面での支出減は、心の豊かさや共同体意識を感じさせなくなるのだろう。
 *光熱費などは逃げるに逃げられない費用が大きく伸びているのが目立つ。おそらく、国家の政策が、ステルス的に個別生活者を攻撃しているようだ。
 *社会保険料が00年48,489円に対し、14年には54,694円と大幅に上がり、生活を圧迫しているわけだが、保障の内容は全体を通じて減額され、保険料は増額が決定している。
 *その結果、可処分所得は00年456,217円に対し、14年は423,541円で、32,676円のマイナス。可処分所得が7%も減少している事実は、国家が凋落傾向なのか、誰かがくすねているか、多分どちらかなのだろう(笑)。


≪特集ワイド:「ベア相次ぐ」とは言うけれど… 小遣い上がりました?
「過去最高水準の賃金ベースアップ(ベア)相次ぐ!」。この春は、ずいぶん景気の良さげな話が聞こえてくる。ところが、どうも生活が豊かになった実感がない。私だけか? サラリーマンの街、東京・新橋で聞いてみた。「あなたの小遣い、上がりましたか?」【田村彰子】

◇世帯主の収入減 増える社会保険料 衣服、食費、飲み代…削るしか
 「もちろん、今年のベアはなし。生活は何とかできていますが、厳しいのには変わりない」。送別会などでにぎわう金曜日の夜、JR新橋駅前広場で友 人と待ち合わせをしていた団体職員の男性(45)は苦笑いした。妻と小学生の子どもとの4人暮らし。「自分の飲み代は減る一方。今日もほんとーに久しぶりに飲みに来ました。普段は自宅で第3のビールを飲んで節約し、子どもの教育費に必死にまわしています」と話す。
 20人以上に声をかけたが、小遣いが上がった人はなんとゼロ! 
「会社の業績は伸びているけど、還元されたとしてもベアではなくボーナス。それぐ らいだと自分の懐には来ない」(男性会社員・52歳)と言う人もいれば、ベアがあっても小遣いは上がらない人も。「ベアは多少あったみたいだけれど、社内で話題にもならない。自分たちには関係ないからね」(男性会社員・41歳)とサラリーマンたちはどこか人ごとだ。
 給与のうち、基本給の引き上げを意味するベア。今年は「賃上げラッシュ」と言われるほどなのに、なぜこんなにも実感が薄いのか。

 「長い目でみれば、理由は一目瞭然です」
 三菱UFJリサーチ&コンサルティング調査部研究員の尾畠未輝さんはそう言い切る。尾畠さんが総務省の「家計調査」を基に作成した、2000年代 前半(00〜04年)の平均と14年を比較した「家庭の収入・支出」の表を見せてくれた。「小遣い」は、なんとこの10年で月約1万2000円も減って1 万4385円に。おそらく世のサラリーマンたちは、この金から飲み代や自分の趣味代などを出している。仮にちょっと上がったとしても、「厳しい」のは当然だ。
 それだけではない。この間、「食料費」「旅行費」など他の項目は上下しているが、悲しいことに小遣いは一貫して下がっている。どういうことか。続けて表を見てみよう。
 00年代前半と比較して、世帯主の収入減は大きいのに、社会保険料は増額。配偶者の収入は増えているが、大きな助けになっていない。14年の可処分所得は00年代前半より月3万2676円も減った。必然的に支出削減が求められる。
 新橋で声をかけた美容師の男性(42)は開口一番「賃金なんて上がりっこない」。数年前まで卒業式のシーズンは大忙しだった。数日間で約30人の 着付けやメーク、ヘアセットをこなした。ところが今年の予約はたった2人。「驚いて『みんなどうしてるの』と店に来た女子大生に聞いたら、『動画を見て、 友人たちとヘアメークをし合ってます』とか言うんだよ」。一生に一度の卒業式でも節約の対象だ。「10年以上同じ場所で美容師をやっているけど、大学生の仕送りって本当に減っている気がする。家計上絞るところを絞りきって、あとはどうするかって感じだよね。もうやってらんないよ」と居酒屋ののれんをくぐった。
 確かに表には涙ぐましい努力の跡が……。尾畠さんの試算では、洋服や靴などの「被服および履物」の月2164円減少は、年間なら女性用スカート約7枚分にあたる。「食料」の月1910円は、1カ月分の米代に相当する。
 では「小遣い」の削減分1万2308円は? 尾畠さんは「飲み会代に換算すると月2回以上、喫茶代だと月20回以上減らさなければならない金額で す。朝、喫茶店でコーヒーを飲んで出社していた人が、家で飲むイメージですね」と解説する。教育費などと比べ、一見必要なさそうに見える「小遣い」は、やはり削減の対象になってしまう。
 尾畠さんは言う。「消費者としては、交際費や趣味に使えることで初めて生活にゆとりを感じます。賃金を手にした消費者の購買意欲が高まり、物やサービスの価値が上がって物価が上がるのが本来の好景気。物価だけを上げても意味がありません」 ニッセイ基礎研究所チーフエコノミストの矢嶋康次さんは「毎年賃金が上がっていかないと、消費拡大が継続するまでにはいかないでしょう」と話す。そ れでも政府の要請でやむなくという側面が強かった去年よりは、ベアを実施する企業が増えた。理由は「人手不足」。少子化の影響で優秀な人材を集めるには、賃金を上げざるを得ない時代になってきた。「これまで企業は人件費を削減して経営を維持してきた。これからは優秀な人を雇って良いサービスや物を提供し、 しっかりもうけて社員に還元していかなければ、生き残れなくなる。今年のベアからは、その傾向が垣間見られた」と話す。
 特に今回のトヨタ自動車のベアのように、子育て世代や若者への重点配分が重要だと矢嶋さんは強調する。「若い人に仕事があって金が行き渡らない と、国は豊かになりません。企業も自分たちの競争力の源がどこにあるのか見極め、その分野を担う人材の賃金を上げていくべきです」。20〜30代の非正規 雇用者の正社員化を進めるためには、少なくとも今の景気が維持されなくてはならない。
 この4月からは食品の値上げが相次ぎ、家計の負担感は増す。サラリーマンたちの真の「春」は、まだ先のようだ。 ≫(毎日新聞)


 ■4月から値上げ(負担増)になる商品サービス等(安くなるのは、収入のみと云う笑えぬ喜劇)
・介護保険料
・年金(実質目減り)
・輸入小麦関連商品 パン・パスタ・うどん
・牛丼(すき屋) 60円 *吉野家は年末80円値上げ
・インスタントコーヒー 15~20%
・ミスタードーナツ 10~11円
・ウィスキー 20%程度
・牛乳・バター・チーズ 2~8%
・食用油 12%
・ケチャップ 13%
・即席めん 5~8%
・文具 9%
・印刷用紙等 10%
・トイレットペーパー 10%
・カレールー等 8~10%
・味の素冷凍食品 3~10%
・ティーバック 5~10%
・森永アイス 10%
・軽自動車税
・ディズニーランド・シー
・チョコレート
・ケチャップ、乳製品の値上げ連鎖で外食の値上げ予測 ‥等

日本の大課題 子どもの貧困: 社会的養護の現場から考える (ちくま新書)
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●「国益を損ねる」権力側が言えば 「都合が悪い」という証拠

2015年04月02日 | 日記
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●「国益を損ねる」権力側が言えば 「都合が悪い」という証拠

 「国益を損ねる」は、筆者もたまに使ってしまう表現だ。比較的語呂がよく、歯切れも良いので、ついつい使う。田原氏が、最後の部分で触れているが、政府の意に反することを言う時、それを口にした人々に対して「国益を損ねる」は、言論封殺的で、独裁主義的だ。しかし、筆者は、田原氏は触れていないが、弱者側に、その言葉は許されると考えている。権力側も、反権力側も、同じレベルで規制を受ければ、それでなくても弱者である側は、倍々ゲームで不利になる。

つまり、権力側と、反権力側の言論には、ハンデをつけて当然なわけで、それでこそフェアは保たれる。そういう意味で、反権力側の言論は「傍証」でも、真実のように語る権利があり、権力側には、客観的証明が求められる。権力側と反権力側には、99対1どころか、990対1くらいの差があるのだから、フェアであるためには、異なる土俵が必要と云うことだ。弱者には、自己弁護や自己の正当性を主張する権利を認め、下駄を履かせるのが、デモクラシー的ものの考え方なのである。そういう意味では、欧米の移民やカラードに対して、競争上ハンデを持たせていることでフェアを確保している。いずれにせよ、政府や権力者、そしてその金魚の糞らが「国益を損ねる」と云った時は、「都合が悪いので」と云う枕詞が着くのである。

田原氏のコラムとは関係ないが、日米同時株安相場が生まれそうな機運だ。しばらく注視する必要がある。AIIB不参加のインパクトは、想像以上に企業活動を縛りつけ、日米企業がハンデを背負わされた格好だ。これは、誰かに課されたハンデではなく、自ら選んだ重石なのだから、自己責任の問題で、フェアとは関係ない。単なる、外交上KYなだけと云うことだ。昨日の東京市場など、死に物狂いの公的資金の投信買いで介入したが、プラスに転じることは出来なかった。水面下では、年金積立金の危機だと云う本音も漏れ聞こえてくる。どうするのだろう?大失敗のアベノミクスは?(笑)。


 ≪「国益を損ねる」論評は民主主義の否定ではないか
  このところ「国益」という言葉をよく聞くが、その使われ方がとても気になる。

■鳩山氏がクリミア訪問、「いまだに国益を害している」
 ウクライナの一部だったクリミア半島が昨年3月、住民投票でロシアへの編入の是非を問い、その結果、ロシアが一方的にクリミアの編入を決定した。現在、親ロシア政府の「クリミア共和国」が存在するかたちになっている。
 このクリミア編入について、欧米や日本はロシアを強く批判した。日本政府もロシアによるクリミア編入を「国際法違反」として認めていない。
 そのクリミアを、鳩山由紀夫氏が今年3月10日に訪問した。事前にその情報をキャッチした岸田文雄外務相は、鳩山氏に訪問しないように働きかけ、「仮に訪問するようなことがあれば、政府の立場と相いれず、遺憾に思う」と牽制した。
 にもかかわらず鳩山氏はクリミアを訪れたため、自民党の高村正彦副総裁は「民主党が首相にしたことが在任中だけでなく、いまだに国益を害している。少しは責任を感じてもらいたい」と述べた。

■朝日新聞の慰安婦報道も日本人人質事件も「国益を損ねた」
 鳩山氏はクリミアの中心都市シンフェロポリで記者会見し、編入の是非を問う住民投票について「ウクライナの憲法にのっとって平和裏に、民主的に行われた」と述べた。
 こうした鳩山氏のクリミア訪問について、自民党だけでなく、民主党の岡田克也代表も「日本の国益から見たら、大きなマイナスだ」と批判している。
 「国益を損ねた」事件と言えば、朝日新聞の慰安婦報道問題が指摘されるだろう。
 朝日新聞は1982年、吉田清治氏(故人)が「朝鮮人女性を強制連行した加害者」であることを証言したという内容の記事を掲載した。しかし、昨年8月、 その報道が誤りだったとする検証記事が掲載された。朝日新聞は「読者のみなさまへ」と題し、「吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと 判断し、記事を取り消します」とした。
 この慰安婦報道問題でも、朝日新聞は日本国内だけでなく世界に向けて誤った情報を発信したことにより、「国益を損ねた」と厳しく批判された。
 さらに今年1月に発生した過激派組織「イスラム国」(IS)による日本人人質事件でも、人質となった後藤健二さんと湯川遥菜さんの2人の行動が「国益を損ねた」という批判の声もあがった。

■「国益」を安易に口にするのは危険
 この「国益を損ねる」という言い方は、とても嫌な表現である。
 「国益」とは、国家やその国民にとっての利益のことだ。今では政治、経済、外交、文化などさまざま活動において、主に対外的な利益に関して用いられる言葉だろう。
 しかし、この「国益」という言葉は、そう簡単に発するものではないのではないか。
 1941年(昭和16年)12月8日、ハワイ・オアフ島の真珠湾攻撃によって日本はアメリカとの太平洋戦争に突入した。あの戦争に勝てる見込みはなく、 戦争を始めたことこそが「国益を損ねる」ものであり、本来ならば戦争に反対することが「国益」に適うものだったはずだ。しかし、当時は戦争反対を唱えると 監獄に投じられたのである。
 私は、「国益」を安易に口にすることは危険だと考える。
 最近、ある新聞が「沖縄が国益を損ねている」という論評を掲載した。政府が沖縄の米軍普天間基地(宜野湾市)を辺野古(名護市)に移設することを、前の 仲井真弘多知事は了解していたが、現在の翁長雄志知事が「あらゆる手段を用いて移設を阻止する」としている。それは、著しく「国益を損ねる」行為だというのである。

■政府の方針に反することが「国益を損ねる」か
 そうした論評を、私は危険だと感じる。
 国の方針と自治体、つまり県民の思いが相反するとき、相手に対してお互いに説明を尽くし、わかり合おうとする努力が必要になる。
 ところが、そのときに「国益」という言葉を使って一方を押さえ込むようなことになれば、むしろ民主主義の否定になるのではないか。
 政府の方針に反するような行為について、「国益を損ねる」という表現が使われるようだとしたら、私はそこに危なさを感じる。
 このところ「国益」という言葉を簡単に持ち出して批判することが多くないだろうか。もう一度、「国益」とは何かをじっくり考える必要がある。 ≫(日経ビジネス:田原総一朗の政財界「ここだけの話」)

下中彌三郎: アジア主義から世界連邦運動へ
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●21世紀、ユーラシアの時代 まず金融秩序への挑戦から

2015年04月01日 | 日記
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●21世紀、ユーラシアの時代 まず金融秩序への挑戦から

以下の国際関係アナリストだと云う北野幸伯氏のコラムは時折読んでいるが、漸く考えを改めたようなので、今回初めて紹介する。今までのコラムを読む限り、ロシア関連情報に強い割には、反ロシアNPO陣営の西側プロパガンダに毒されている傾向の強く、反プーチン評論家だったので、筆者はシカトしていたが、事ことに及んで、視線の方向を変えた様なので、以下に紹介しておく。「プーチンの反逆」と云う言葉自体、プーチンを嫌いなのがよく判る。プーチン好みの筆者も、読後感は、同氏のコラムのあとで、短く述べておこう(笑)。

アメリカ一国主義の世界秩序に親和的な朝日新聞も、流石に酷いと思ったのか、世界の潮流とは言えないものの、底流に常に流れている「アメリカ抜きの世界」の影でも見たように、幾分論調を変えてきている。北野氏のコラムの前に一読しておいてもらおう。21世紀には、20世紀的「半身外交」は通用しないことを肝に銘じるべき時が来ているのだ。安倍の馬鹿は「大いに議論してほしい?」、こいつ何にも判っちゃいないんだね(笑)。知っている事は、金をばら撒き威張ったり、ネトウヨの気分を高揚させることしか出来ないが、最近は大仰な言葉の割に「尻つぼみ」が目立ってきた。


≪ アジア投資銀に48カ国・地域 日米抜き、戦略欠き孤立

 中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創立メンバーの募集が31日、締め切りの期日をむかえた。欧州や韓国がなだれを打って参加したことに、米国の孤立感は深まる。日本にとって、待つのが得か、動くのが得か。
  「米国のオウンゴールだ」。米民主党のベテラン議会スタッフはそう言った。
 米国の孤立は明らかだ。30日から31日にかけても、北欧からフィンランドにノルウェー、スウェーデンが次々と名乗りを上げ、台湾までも申請することを発表した。
 AIIBをめぐっては、米政府内では当初から様々な意見があった。だが、そうした意見を集約し、一貫した戦略を作った様子はうかがえない。元政府高官は「ホワイトハウスの数人の強硬派の意見が強く、財務省や国務省とうまく連携が取れていなかった」と指摘。ある米政府関係者も「最初の段階から、もっと前向きに対応すべきだった」と話す。
 米国はオーストラリアや韓国などに対し、参加の判断を慎重にするよう求めてきた。だが皮肉なことに、米国と最も緊密なはずの英国の参加表明で、主要国が堰(せき)を切ったように中国側に流れた。アジア開発銀行(ADB)関係者は「『一枚岩で対応しよう』と主要国を引っ張る姿勢が米国にみえなかった。AIIBという機関車に主要国が一緒に立ち向かうはずが、日米以外が直前に逃げ出した」と話す。
 AIIBを後押しした背景には、中国など新興国の発言権拡大を狙った国際通貨基金(IMF)の改革が、唯一の拒否権を持つ米国の議会の反発で進ん でいないことがある。2010年にまとまった改革案が通れば、中国の出資比率が6位から、米国、日本に次ぐ3位になるはずだった。
 米コンサルティング会社ユーラシア・グループのイアン・ブレマー氏は「中国主導の枠組み作りが成功すれば、米国主導の従来の国際秩序を弱体化させることにつながる」と指摘する。「問題は、中国が米国主導の従来の基準に追いつく前に大国になったことだ。長期的にみれば、自国の基準を変えなければならなくなるのは米国だろう」(ワシントン=五十嵐大介)

■加盟拡大、中国に制約も
 各国が雪崩を打つように参加表明した流れをつくった英国。英紙フィナンシャル・タイムズによると、当初、日米との関係に配慮する英外務省は反対していた。だが、オズボーン財務相が、商業的な利益が外交上の懸念にまさると閣僚らを説得したという。
 英国側が期待するのは、国際市場で増え続ける人民元取引を取り込むことだ。英王立国際問題研究所のロデリック・ワイ氏は「(金融街シティーがあ る)ロンドンの競争力につながるのも期待の一つだろう」とみる。ルクセンブルクなどとの、AIIBの欧州拠点の誘致合戦もささやかれる。
 新興国の代表格「BRICS」から参加したロシアは当初、中国の影響力が強まりすぎることへの警戒があった。だが、中国の突出した経済力は無視で きない。IMFや世界銀行が米欧主導になっていることへの不満も、共有している。中国が進める「シルクロード経済圏」構想に参加するためにも、AIIBに加わったという見方もある。
 思惑通りの展開に見える中国だが、「本当に難しいのはこれから」(国際金融筋)との声もある。参加国が増えればその分、中国の発言権は薄まるからだ。
 参加国には、銀行の運営に高い透明性を求め、中国の独走にブレーキをかける動きもある。オーストラリアは「理事会の権限が確保され、一国が銀行を 支配できないこと」を正式参加の条件とする。中国の楼継偉財務相は、運営の仕方について「西側の規則が最良とは思わない」と述べており、「中国流」の運営にこだわりをのぞかせる。(ロンドン=寺西和男、モスクワ=駒木明義、北京=斎藤徳彦)

■日本、米の動向を様子見
 31日午前、麻生太郎財務相は閣議後の会見で、AIIBへの参加について「極めて慎重な姿勢を取らざるを得ない」と述べ、改めて不参加の方針を示した。
 AIIBへの参加をめぐっては年明け以降、財務省のもとに、中国・米国双方から水面下で接触があった。中国側が参加を要請する一方、米国側は直接 的に不参加を求めてきたわけではないという。「別に要請はなかったが、『そうだよな』で(話は)終わった」(麻生財務相)という。
 財務省のある幹部は「米国とこじれると何をされるか分からない。それは避けたい」と明かす。中国の経済成長に伴い、米中は安全保障分野だけでな く、経済分野でも覇権を争う。その米国とたもとを分かち、日米で主導するADBのライバルのもとに走る選択肢はそもそも取りえなかった。
 政権は当面、参加表明国がAIIBの設立協定を結び、組織の運営や出資比率などが決まる6月末までは「様子見」の姿勢だ。不参加の場合、AIIB の融資を受けた案件の入札で日本企業が不利な扱いを受けかねない、との懸念もある。経済同友会の長谷川閑史代表幹事は31日の会見で「インフラビジネスが不利になることだけはないようにしていただきたい」と注文をつけた。
 米国が突然態度を翻して参加に転じ、日本がはしごを外されないとも限らない、との見方も政府内にはある。「米国が入るなら日本が入らない選択肢はない」(官邸幹部)と、「半身」の姿勢だ。
 安倍晋三首相は31日午前、自民党の外交部会の幹部に対し、AIIBに対する日本のスタンスについて「大いに活発に議論して欲しい」と指示したという。同日午後には官邸に財務省の山崎達雄財務官や浅川雅嗣国際局長らを呼んで話を聞いた。    
  ◇  
〈アジアインフラ投資銀行(AIIB)〉 中国が提唱し、今年12月末までの設立をめざしている。本部は北京に置き、拡大するアジアのインフラ需 要に対応することを目的にしている。昨年10月の設立覚書には中国やインド、東南アジアなどの21カ国が調印した。その後、英国やドイツなど欧州の主要な 国々も参加を表明。これまでに48カ国・地域が創立メンバーに手を挙げている。法定資本金は1千億ドル(約12兆円)で、出資比率は各国の経済規模などを もとに話し合うと言われている。4月中旬に創立メンバーが確定。5月ごろに設立協定策定の最終会合があり、6月末までに協定署名のための閣僚大臣会合が開かれる。 ≫(朝日新聞デジタル:ワシントン=五十嵐大介 ロンドン=寺西和男、モスクワ=駒木明義、北京=斎藤徳彦)


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


≪ パワーシフト~欧州が米国を捨て、中国についた日

  AIIB参加に動いた欧州諸国の思惑
  3月12日、全世界に衝撃が走った。英国はこの日、米国の制止を振り切り、中国が主導する「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)への参加を表明したのだ。米国は、「もっとも緊密な同盟国」の「裏切り」に動揺した。しかし、それは「始まり」に過ぎなかった。

■欧州が米国を捨てて中国についた!
  歴史に見る世界のパワーバランスの変遷
 その後、英国に続いてドイツ、フランス、イタリア、スイス、ルクセンブルグが、続々とAIIBへの参加を決めたのだ。これは、「欧州が米国を捨て、中国についた」ことを意味する。
 中国への評価が極めて低い日本では、それほど重視されていないこの出来事。しかし、世界的には「歴史的大事件」といわれている。今回は、冷戦後の現代史を振り返りながら、世界のパワーバランスがどう変化してきたか見てみよう。

 1991年12月25日、ソ連が崩壊し、戦後長くつづいた「冷戦時代」「米ソ二極時代」は終わった。これは、米国による「一極時代」の到来を意味 していた。一方、欧州も新しい時代を迎えた。欧州は冷戦時代、西半分を米国に、東半分をソ連に支配されていた。しかし、ソ連崩壊で、西欧と東欧が一つになる道が開けたのだ。

  「怖い東の白熊(ソ連)の死」。これは、世界から欧州の脅威が消滅したことを意味する。つまり、もはや米国に守ってもらう必要はない。そして、欧州の指導者たちは、大きな野望を抱いた。「もう一度、欧州に覇権を取り戻そう!」。
 
 どうやって?著名なフランスの経済学者ジャック・アタリは、こう言っている。「通貨統合・政治の統一・東欧やトルコへのEC(=現在のEU)拡大。これらが実現できれば、欧州は二一世紀米国をしのぐ大国になれるだろう」。かつてのように欧州の一国だけで覇権をとることは、不可能。しかし、西欧と東欧が一体化し「一つの国」になれば、「米国から覇権を奪える」というのだ。

 ■イラク戦争を巡って米欧が対立
   その後、米国の標的はプーチン・ロシアに
 そして実際、欧州は着々と計画を実行していった。1999年1月1日、「ドル基軸通貨体制」を崩壊させる可能性のある通貨「ユーロ」が誕生した。

 衝撃は、さらに続く。2000年9月24日、イラクのフセイン大統領(当時)は、「石油代金として今後一切ドルは受け取らない」「今後は、ユーロで取引する」と宣言。そして、同年11月、実際に決済通貨をかえてしまった。
 
 フセインをそそのかしたのは、欧州覇権を目指したフランスのシラク大統領(当時)だったといわれている。米国は激怒し、「フセインはアルカイダを支援している」「大量破壊兵器を保有している」などとイチャモンをつけ、イラクを攻撃しようとした(米上院情報特別委員会は06年9月8日、イラク戦争に関する 報告書を発表。上記2つの理由は根拠がなかったことを公式に認めた)。

 フランスは、志を同じくするドイツ、そしてロシア、中国を巻き込み、国連安保理でイラク戦争に反対する。しかし、米国は、安保理を無視してイラク戦争を開始、フセイン政権を打倒した。

 毎日新聞06年4月17日付は、この一連の出来事についてこう報じている(太線筆者)。 <イラクの旧フセイン政権は〇〇年一一月に石油取引をドルからユーロに転換した。
 国連の人道支援「石油と食料の交換」計画もユーロで実施された。 米国は〇三年のイラク戦争後、石油取引をドルに戻した経過がある>

 イラク戦争を巡る「欧州の乱」をなんとか力技で平定した米国は、次にプーチン・ロシアを標的に選んだ。米ロは03年、「イラク問題」「ユコス問題」「グルジア・バラ革命」、04年「ウクライナ・オレンジ革命」、05年「キルギス・チューリップ革命」などで、ことごとく対立。原油高がつづきイケイケのプーチンは07年6月、「ドル体制をぶち壊して、ルーブルを世界通貨にする!」と宣言した。

<米露“破顔一笑” 「ルーブルを世界通貨に」プーチン大統領ますます強気 [サンクトペテルブルク=内藤泰朗]ロシアのプーチン大統領は10日、出身地サンクトペテルブルクで開かれた国際経済フォーラムで、同国の通貨ルーブルを世界的な基軸通貨とすることなどを提唱した。>(2007年6月12日産経新聞)
 結局、米ロ対立は、「実際の戦争」に発展する。 それが、08年8月に起こった「ロシア―グルジア戦争」である(03年の革命で政権についたサアカシビリ・グルジア大統領(当時)は、親米反ロ政治家として知られている。現在は、反ロ国ウクライナの大統領顧問を務める)。

 ■沈む米国、浮上する中国
   リーマンショックが一大転換期に
 幸いこの戦争は長つづきしなかった。翌月、「リーマンショック」から「100年に1度の大不況」が起こったからだ。世界的経済危機で、米国は沈ん だ。ロシアでは、「08年で一つの時代が終わり、09年から世界は新しい時代に突入した」といわれる。米国とロシアは和解し「再起動時代」が到来した。
 では、09年から世界は、どんな時代に入ったのだろうか?ロシアでは、「米一極時代が終わり、多極時代になった」という。そういう言い方もあるだろうが、世界では別の表現が流行した。そう、「G2時代」、つまり「米中時代」という言葉だ。

 中国は、世界的に景気が最悪だった09年、9%を超える成長を果たし、「ひとり勝ち」状態になった。同国のGDPは2010年、日本を越え世界2 位に浮上。現在は、すでに10兆ドルを超えたとされている。つまり、中国のGDPは、世界3位日本の2倍になっている(もちろん、統計上のウソを指摘する声もあるが)。

 そして、軍事費も米国に次いで2位。世界は、事実として、経済力(=GDP)、軍事費世界1の米国と2位の中国を軸に回っている。しかも、「衰退する米国」「浮上する中国」というトレンドがはっきり見える。残念ながら、これは厳然たる事実なのだ。

 ■英国の“裏切り”でシリア戦争を断念
   失墜した米国の威信
 このように、長期的に衰退の方向がはっきりしている米国。悪いことに、オバマ政権は、没落をますます加速させるような言動を繰り返している。たと えば、米国のバイデン副大統領は2013年8月27日、「シリアを攻撃する」と宣言した。理由は、シリアの独裁者アサドが、反アサド派に対し「化学兵器を 使用したから」。
 
 ところが、この根拠、イラク戦争時と同様「ウソ」だった可能性がある。こちらの記事を熟読していただきたい(太線筆者)。
<シリア反体制派がサリン使用か、国連調査官 AFP=時事2013年5月6日配信 【AFP=時事】シリア問題に関する国連調査委員会のカーラ・デルポンテ調査官は5日夜、シリアの反体制派が致死性の神経ガス「サリン」を使った可能性があると述べた。
 スイスのラジオ番組のインタビューでデルポンテ氏は、「われわれが収集した証言によると、反体制派が化学兵器を、サリンガスを使用した」とし、「新たな目撃証言を通じて調査をさらに掘り下げ、検証し、確証を得る必要があるが、これまでに確立されたところによれば、サリンガスを使っているのは反体制派だ」と述べた。>

 国連の調査によると、化学兵器を使ったのは、なんと「反アサド派」だというのだ。もちろん、アサドが化学兵器を使った可能性が全くないとはいえない。しかし米国は、この国連報告を完全に無視し、「アサド派だけが化学兵器を使った」と世界的プロパガンダを展開した。

 プーチンは、米国が「戦争宣言」をするずっと前から、「化学兵器を使ったのはアサドではなく、『反アサド派』のほうだ」とあちこちで語り、国際世 論に影響を与えてきた。そのせいか、バイデンが「シリア攻撃宣言」をしたわずか2日後の8月29日、英国は「シリア攻撃断念」の決定を下す。

 常に米国の戦争につき合ってきた英国の「裏切り」。世界では、「米英の『特別な関係』の終わりか?」と騒がれた。「誰も一緒に戦ってくれない」ことを悟ったオバマは同年9月10日、シリア攻撃を止める決定を下した。

■ウクライナ問題でも、米欧に亀裂
  欧州の本音は「米国にはつき合いきれない」
 シリア問題でバラバラになった米国と欧州は2014年3月、ロシアの「クリミア併合」によって、再度一体化する。米国は、欧州と日本を巻き込み、「対ロシア制裁」を強化しつづけている。一方で中国はロシア側についたので、世界の対立構造は「欧米日 対 中ロ」になった。

 ところが、強固にみえる米国と欧州の結束に、ほころびが見えている。
 政府軍と「親ロシア派」の内戦状態にあるウクライナ。昨年9月の停戦が(予想通り)破られた後、今年2月11日に、二度目の停戦合意が実現した。これを仲介したのが、ロシア、ドイツ、フランスである。なぜドイツとフランスは、ウクライナの停戦を望んだのか?

 答えは、米国が「ウクライナに殺傷能力のある武器を提供する」方針を示したこと。米国が最新の武器を提供すれば、ウクライナ軍は強くなるだろう。すると、ロシアはバランスをとるために親ロシア派に武器を渡し、戦いはどんどんエスカレートしていく。そして最終的に、ロシアと欧米NATO軍の戦争に発展しかねない。

 しかし、戦場になるのは米国ではなく欧州である。それで、いままでオバマに従ってきたドイツとフランスは、慌てて和平に動いたのだ。「停戦合意」直前の2月9日、メルケル首相はワシントンでオバマと会談している。ここでも、「好戦的な米国」「停戦を求めるドイツ」という考えの違いが明らかになった。
  <ウクライナ>政府軍に武器供与検討 米大統領、独首相に毎日新聞 2月10日 (火)11時37分配信【ワシントン和田浩明】オバマ米大統領は9日、ホワイトハウスでドイツのメルケル首相と会談した後に共同記者会見し、ウクライナ東部で支配地域を広げる親ロシア派武装勢力に対する政府軍の防衛力強化を支援するため、殺傷能力のある武器の供与を検討中だと明言した。

 このように、欧州では、「米国に従っていると、また欧州が戦場になりかねない」「つきあってられない」というムードがひろがりつつある。

 ■英国は米国の要請を一蹴
 「AIIB」に走った欧州の思惑は?
 ここまで、米国衰退の長期的流れと、それを加速させるオバマ政権の失策について見てきた。その結果が今回の「AIIB事件」である。

 AIIBは、習近平が2013年10月に設立を提唱した。表向きの目的は、「アジアのインフラを整備すること」である。アジア、中央アジア、中東 など、すでに31ヵ国が参加を表明している。インド、ベトナム、フィリピンなど、中国と領土問題を抱える国々も参加していることに注目する必要がある。

 しかし、一番の問題は、「親米」であるはずの欧州諸国の動きだ。既述のように、既に英国、ドイツ、フランス、イタリア、スイス、ルクセンブルグが参加を表明している。しかも、「米国の制止を無視して」だ。

 ロイター3月24日付に、「AIIB問題で欧米に亀裂、中国「小切手外交」の勝利か」という非常に興味深い記事がある。
 少し抜粋してみよう。 <いち早く参加を表明した英国のオズボーン財務相は議会で行った演説で、AIIBが英国に もたらす事業機会を強調した。「われわれは、西側の主要国として初めてAIIBの創設メンバーに加わることを決定した。新たな国際機関の創設の場に存在すべきだと考えたからだ」と述べた。この演説の前には、ルー米財務長官が電話で参加を控えるようオズボーン財務相に求めていた。>
 米国のルー財務長官の要請を、英国が「一蹴した」ことがはっきり書かれている。つまり欧州諸国は、中国の影響力拡大を阻止したい米国よりも、アジアへのインフラ投資による「儲け」を重視した。米国のパワーが衰えを象徴するできごとである。

  <中国国営の新華社は論評で「ドイツ、フランス、イタリア、そして主要7ヵ国(G7)のメンバーで米国の長年の同盟国でもある英国の加盟は、米国が掲げる『反AIIB』の動きに決定的な亀裂を生じさせた」とし、「負け惜しみは米国を孤立させ、偽善的にみせる」と批判した。>(同上)

 ここまでで、「米国の衰退は長期的トレンド」であること、そして「オバマ政権の失策が没落を加速させていること」をご理解いただけただろう。

 世界における「パワーシフト」は確実に起こっている(一方で、中国経済の成長率は年々鈍化し、外資が逃げ出しているという現実も確かにある。実際、この国の経済的繁栄は「終焉間近」という意見が多い)。

 そして問題なのは、すでに十分強力なこの大国が、「きわめて反日的である」という事実なのだ。日本は、「米国の衰退」と「中国の浮上」という現実をしっかり認識し、行くべき道を慎重に見極める必要がある。 ≫(ダイアモンドONLINE:国際―ロシアから見た「正義」・反逆者プーチンの挑戦・北野幸伯)

 
以前のコラムに比べ、随分と時代の流れを組み入れたコラムに出来上がっている。ただ、同氏が、コラムニストとして、このような世界の大きな枠組みで、コラムを書いた視点はなかったのに、変わった。つまり、それほど、中国のAIIB構想は、アメリカにとって、破壊力のあるものと云うことだ。英国はじめ欧州各国が雪崩を打ったのは、実利もさることながら、唯我独尊、アメリカの国益のみで、Wスタンダード世界制覇につき合うのにウンザリ、もう沢山だと云う意思表示の一種である。

この国際アナリストはオバマ嫌いのようだが、今のアメリカでは、誰が大統領になろうと、五十歩百歩。その凋落を止めることは不可能だ。21世紀の世界は、痩せても枯れても、世界一の飛び抜けた軍事力を抱えた軍産複合体の勢力を静かにさせるかが問題であって、経済に見るべきものは少ない。知財の優位性も、一国主義で包括的な網をかけ、有利な戦いの場を作ってきたのだから、その網が外されれば、たいして相対的に強いわけでもない。ただ、それでも大国には違いないのだから、大人しく衰退してくれることを祈ると云うか、ジワジワ知らせ、内向き国家になって貰うことである。

反骨の市町村 国に頼るからバカを見る
クリエーター情報なし
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