世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●欧米プロパガンダ報道どっぷりのメディア 欧米だけが世界じゃない

2015年01月18日 | 日記
アメリカはイスラム国に勝てない (PHP新書)
クリエーター情報なし
PHP研究所


にほんブログ村 政治ブログへ

●欧米プロパガンダ報道どっぷりのメディア 欧米だけが世界じゃない

 イスラム主義が、如何にも悪玉で、キリスト主義が如何にも善玉。こういう言説につき合のは、幾分飽き飽きしてきている。イスラムが悪いのではなく、アルカイダ系のテロ組織が悪いのだと尤もらしい正義論を語りながら、結局は、イスラム圏諸国の人々に憎悪が向くようにしているのは、西側のマスメディアであり、欧米主義の政治家達である。どのような形態を擬するか別にして、西洋文化とイスラム文化の対立を煽る発言であり、大衆(マス)の感情的行動である。

 そもそもマス(大衆、mass)と云うものは、と簡単に書きたいところだが、実は非常に社会学上、難問である。だから、あまり書きたくはないのだが、敢えて書くとしたら、「空気」に抗えない人々、群衆と云うことになる。非常に曖昧な使われ方をするので、一概に括るのは難しい。政治学、社会学などの社会科学分野においては「大衆、mass」は匿名性を帯びた無責任な集団としての意味合いを持ち、顕名性をもつ「市民、citizen」との対比で用いられる。その意味では、愚か者の群れとも言えるが、絶対断言的でもない。

 蛇足だが、「マス」と云えば習慣的には、誰でもするからマスかいなと思うが、さにあらず(笑)。あの旧約聖書におけるオナンの行為からオナニーと云う言葉が生まれ、ラテン語ではマスターベーションと云うのだが、ここで云うマスは「manus、手」と「turbare、乱す」の合成語なので間違わないように(笑)。あくまで、マスは(大衆、mass)を表現するだけの言葉である。

 Wikipediaによると、
≪大衆に属すると考えられる人々は、しばしば没個性的で、同種の他人と混同されやすい存在であるとみなされる。全体として「突出した能力」や「傑出した容姿」または「類稀なる才能」場合によっては「不快極まりない悪癖」や「言語道断なる害意」を持ち合わせていない存在などとされる。何等かの存在を際立たせるための対義語として使用され(英雄・指導者・エリートに対する大衆、など)己の優位性を喧伝するために、他を貶める意図で用いられるケースが見られ、しばしばネガティブな意味を持つ語と認識される場合がある≫
となり、また
≪オルテガによれば『大衆というものは、その本質上、自分自身の存在を指導することもできなければ、また指導すべきでもなく、ましてや社会を支配統治するなど及びもつかないことである』とされる。しかしけっして愚鈍ではなく、上層階層にも下層階層にも大衆はおり、その全体として「無名」であることを特徴とする。大衆の特権は自分を棚にあげて言動に参加できることであり、いつでもその言動を暗示してくれた相手をほめ尽くし、またその相手を 捨ててしまう特権を持つ。大衆とは「心理的事実」であり、大衆にはどこまでいっても罪はない。ゆえに大衆の動きや考えが何かに反映され、それが社会の「信 念」だと判断すると重大な問題が生じる、とする。以下はオルテガの観点からの要約であるが、大衆の定義はかならずしもこれに限定されるものではない。≫
となる。

 大衆に対比する意味では「公衆」と云う言葉を吟味しても良いだろう。まあ、ここでは、マス大衆がどのようなものか深く詮議するつもりはない。本題は、世界的に作られる「空気(時流)」と云うものに“掉さす”べきか、“水を差す”べきか、おそらくは価値観の違いだろう。最近では“流れに掉さす”が流れを止めるような行為と云った逆さまな解釈もはびこっているので、とてつもない時代が来ているわけだが、これも蛇足のたぐいだ(笑)。今日は、小生は横道に逸れすぎてイカンね。まあ、そんなことを考えながら、朝日の記事と、ロシアNOWのオピニオンは連動対比的な扱いだな?とよく理解出来る。よくよく吟味して読まれると面白い。


≪ 宗教風刺画「違法の可能性」 ロシア側、報道機関に警告
ロシアの政府機関は16日、信仰心を侮辱するような風刺画をマスコミが掲載することは、法律違反になる可能性があるという見解を示した。名指しは避けているが、フランスのシャルリー・エブド紙に掲載された風刺画を転載しないよう報道機関に求める内容だ。 見解は、連邦通信・情報技術・マスコミ監督庁の公式サイトに掲載された。それによると、「宗教をテーマとした風刺画は、信者の尊厳に対する侮辱や、民族間・宗教間の憎悪の扇動とみなされ、『マスメディア法』や『反過激活動法』に違反する可能性がある」と指摘している。一方で、同庁は過激主義やテロリズムに反対する人たちへの「無条件の連帯」も表明した。
 同庁は宗教風刺について、多民族、多宗教のロシアで何世紀もかけて作られてきた倫理的、道徳的規範に反するとも指摘した。
 パリのテロ事件後、ロシア国営ニュースチャンネルは、シャルリー・エブド紙の表紙にぼかしを入れて放映。主要紙の多くも風刺画の転載は控えている。 ≫(朝日新聞デジタル:モスクワ=駒木明義)

にほんブログ村 政治ブログへ


 ≪ 二つの中世の衝突

【 イスラム過激派による仏週刊紙「シャルリー・エブド」のパリ本社銃撃事件は、二つの古い伝統が互いを理解しなかったことから生じた悲劇だ――。芸術学者グリゴリー・レヴィジンはそう考える。】

 イスラム過激派が、言論の自由というヨーロッパの神聖な権利を攻撃した――パリの悲劇をこう解釈するのは正しくないと私は思う。そもそも「シャルリー・エブド」が言論の自由を体現するかのようにみるのが間違いだと思うのだ。もし、そうみなすとすれば、言論の自由は、無意味な卑猥を作り出すために必要であることになる。
 もしあなたが、この雑誌のカリカチュアを見たことがあれば、私が何を言っているか分かるだろう。それらは、芸術的コンセプトからいっても、思想の深みからいっても、また言語表現からいっても、トイレの落書きと似たようなものだ――テーマ的にはもうちょっと広いけれども。いずれにせよ、言論の自由というものは、神と教会について、国家と家族について、偉大な人物と卑小な人間について、下品なことを喋り散らすためにあるのではない。

 ■ カリカチュアの背景に中世の笑いの文化
 言論の自由は、啓蒙思想の著作や憲法によって18世紀から導入(または制限)されてきた。しかし今ここで問題になっているのはもっと古い代物だ。もし、フランスというのがどういう国か知らなければ、なぜ現代の文明国家にこんな雑誌があるのか、さっぱり分からないだろう。フランスとはヴィヨンとラブレーの国、地獄の醜悪極まる、コミカルな事物を表したゴシック彫刻、教会古文書の余白の卑猥な書き込み…の国だ。
 カリカチュアは、中世の笑いの文化から生じたのであり、その作者は、演説家でも哲学者でも全然ない。それは、カーニバルの伝統から生まれた道化、天才的な「卑猥屋」なのだ。 なるほど、 革命期にカリカチュアが果たした役割から、それが欧州における自由の「ディスクール」の一部をなすにいたったのは確かだ。だがそれは、両者が同一物であることを意味しない。カリカチュアはもっと古い自由の現象で、文明のくび木からの解放、人間の内なる獣性の解放なのである。
 それが、欧州のカトリック圏における歴史の偶然により(といってもいいだろう)、聖職者自身も、笑いの文化の担い手となったのだ。これはかなりユニークな現象で、そこからさらに数多くの重要な現象が派生した。欧州の自由のラジカリズムは、まさにこうした 状況と結びついているのだが、それはまた別の話だ。
 なるほど、イスラム文化においても、民衆の笑いの文化は欧州に劣らず発達している。トルコの人形芝居 (最高に卑猥だ)やナスレッディン・ホジャ(トルコ民話の登場人物)を思い出すだけで十分だろう。だが私の知る限りでは(間違っているかもしれないが)、 こういう民衆の卑猥な笑いは、スルタン、大臣、商人、僧(ただしイスラムには仏教のような出家・在家の区別はない)には浴びせられるが、預言者、義人のカリフ、シャリーア(イスラム法)は別だ。イスラムの長老は、笑いの文化の担い手にはならなかった。なぜかは知らない。

 ■二つの中世的伝統
 二人のイスラム過激派によるジャーナリストの惨殺は、現代ヨーロッパの「自由」と中世的野蛮さが衝突したものとみなし得る。この銃撃が恐るべきものだったことに異論はなく、私自身、昨日フランス大使館に出向き、献花してきた。また私は、欧州の自由が攻撃 されたとの見方にも賛成だが、ただしそれは現代の自由ではない。
 渦中にない芸術学者の目からこの事件を見ると、二つの中世がぶつかったように思える。これは、二つの古い伝統が互いを理解しなかったことから生じた悲劇だ。そして、その伝統は、民族的、宗教的な核心部分に入り込んでいるのであって、現代的意識にではない。
 一方の伝統では、神に向かって――もし神が人間を死すべきものに定めたのなら――尻を突き出してもかまわないし、その必要もあるとされる。だが、もう一方の伝統は全然違う!そんなことをしてはならぬ――魂を与えてくれた者に身体の一番汚い部分を突き出すなど言語道断だ。
 言うまでもなく、死は厳粛な事柄であり、様々な文化がそれに応えて様々な「戦略」を練り上げてきている。練り上げたのなら、あとはそれにしがみつくだけだ。
 こうした視点からすると――敢えて言うが――この事件には悪人はいないことになる。ここには、二つの原理、二人の主人公が、飽くまでも自分を貫くために死をも辞さないというシェイクスピア的悲劇がある。
 この二人の「狂人」が、しでかした事の後で何が自分達を待っているか知らなかったはずがあろうか?彼 らはどうやらわざと、車中に名刺のようなものを残していったようではないか――ちょうど、かつてロシアのテロリスト達が、犯行後、自分達の血塗れの真実を死をもって贖うために、現場にとどまったように。 犯人達の野蛮な――それを認めるに吝かではない――野蛮な観念の中には、神を冒涜するくらいなら死のほうがマシだとの考えが含まれていたのである。中世なら、そういう考え方はあり得るのだ。
 そして、射殺された不幸なジャーナリスト達は、自分のやっていることの危険さを十分承知していたが、そこに踏みとどまり、行動を変えようとはしなかった。
 そして結局、みんな死んでしまった。これは劇場ではない――気持ちのやり場がない…。

 ■ 道化と戦う戦士
 私の考えでは、この事件を「聖なる言論の自由の擁護」に祭り上げてしまうと、かえって事態を深刻化させることになる。われわれは、この戦いを後戻りできないものに変えてしまうだろう。 何と言っても、リヴァイアサンと道化は違うのだ。仮に、或る国家の基礎、機構、憲法が、アラーを穢すために構築されていたことが判明した場合に、それと戦いを挑むというならともかく、道化を殺すために命を捨てるとなると、これはまったく別問題だ。単にもう愚劣である。
 戦士は道化とは戦わない――勝っても名誉にならないからだ。武器を取って、剥き出しの尻に突進するなんて、滑稽ではないか。どんなに切ったり打ったりしても、そこに糞しかないのだから…。

*グリゴリー・レヴィジンは歴史家、芸術学者、建築評論家。このコラムは、氏のフェイスブックにロシア語で掲載されていたもので、ご本人の許可を得て、抄訳を弊紙に載せる。
記事、コンテンツの筆者の意見は、RBTH(日本語版はロシアNOW)編集部の意見と一致しない場合がある。  ≫(ロシアNOW)

筆者注記:カリカチュアとは、人物の性格や特徴を大袈裟に誇張歪曲して、描く人物画。現代においては、戯画、漫画、風刺画と同一視されるが、そもそもは16世紀イタリアに出現した絵画の技法で誇張することで芸術性を高めようとしたらしい。ロシアNOW紙面でグリゴリー・レヴィジン氏は、幾分違う意味で用語を使っているが、単にロシア的なのだろう。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時
クリエーター情報なし
文藝春秋


 にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●年収200万円時代の到来 かなりヤバい現実が見えてくる

2015年01月17日 | 日記
「超貧困」時代: アベノミクスにだまされない!賢い生き方
クリエーター情報なし
清流出版
「新富裕層」が日本を滅ぼす (中公新書ラクレ 485)
クリエーター情報なし
中央公論新社


にほんブログ村 政治ブログへ

●年収200万円時代の到来 かなりヤバい現実が見えてくる

 本題に入る前に、二つの気になる話を伝えておこう。「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」がフランスの風刺週刊紙シャルリエブド本社襲撃事件を実行したと犯行声明文を出したと云う情報に違和感を持っていたが、世界の人々も、それは感じていたようで、わざわざ米国務省の副報道官が「情報機関はAQAPのビデオを本物と見なしている」と述べるなど、その方向へ向かって事実関係を結びつける予定風味の曖昧なことを述べている。911同時多発テロの時も、犯人らの犯行には曖昧さを残したまま、ビデオが決め手で、すべてがアルカイダになり、様々な疑惑は、すべて陰謀説に括られた。

 二つ目の気になる話は、資本主義に取って代わったIT金融主義世界においては、いま三つの懸念材料を抱えていることだ。一つは、ギリシャのユーロ離脱――デフォルト(40兆円)。アメリカのロシア封じによる経済危機と原油安によるロシア・ルーブルの危機。アベノミクスの失敗による日本経済のリセッションがあげられる。スイスフランの高騰も懸念材料で、グローバル化したマネーは、常に連鎖反応を良くも悪くも増幅させるので、地政学上のキナ臭さとは別に、金融における気な臭さも、2015年は、記憶に残る年になるかもしれない。

 本題に入る。団塊世代以前の人々から見れば、年収200万生活なんてのは、情けない貧乏根性者の嘆き節程度にしか考えていないだろうが、現実は本当なのである。ディベート下手で、討論会では一斉攻撃を受けることの多い経済評論家森永卓郎氏だが、彼の著書「新版 年収300万円時代を生き抜く経済学」を出したのが2005年だが、当時は“バッカじゃないの”と不評を買ったわけだが、彼は、持ち前の叩かれ強さで持ちこたえた(笑)。そして、2009年には、もっと酷くなるぞ!と「大不況!!年収120万円時代を生きる」とヒートアップ、矢でも鉄砲でも持ってこいと、またまた、叩かれ強さで立ち向かう。

 アベノミクス大絶賛時代に入ってからは「大貧民―2015年日本経済大破局!! 」、「「超貧困」時代: アベノミクスにだまされない!賢い生き方」とグローバル経済の行きつく先を提示し、アベノミクスなど糞喰らえ、とご立腹である。いわゆる、リベラルな思考経路を持つ人と云うことだが、伊東光晴氏、植草氏、浜矩子氏‥等と立場に違いがあるが、時代観の持ち方一つで、日本の近々の将来を憂いている。小生も、そちら側に立脚して、我が国経済の行く末を眺望しているのだが、リベラルな論には、「不況」と云う予測がついて回るので、元気は出ない(笑)。

 今日、偶然にも現代ビジネスとダイアモンドONLINEに年収200万円世代をテーマにしたコラムが載っていた。おそらく、津々浦々に好況を届けるなんて“ホラ話”に提灯をつけても、もうあまり売れなくなった所為か、そんなバラ色の時代は来るわけないと云う世論が浸透してきたのか、これからの「貧乏」は大変だよ。少子化も加速するだろうし、家族間の富の移動も、結局は破綻してしまい、のっぴきならなくなると云うテーマにスポットが当たる気配になっている。

 森永氏の冗談本だと思っていた、年収120万時代、300万時代には既に突入しているわけで、大人一人当たりの年収200万円が定説化している時代と云う認識が必要なのだろう。グローバル経済の動きが停止するか、IT金融主義と資本主義の本質的違いを十分認識して、ドラスティックに価値観を変えることが出来るか、いずれにしても欧米的価値観を、普遍的価値等と云う馬鹿げた時代は終焉しているのだろう。我々日本人も、他の先進諸国の人々も、どのような価値観に向かって、生きていくのか、人類的な課題に直面しているようだ。この現象が、ジワジワ進捗すれば茹でガエルになるわけだが、出来たら、こりゃ堪らんと気づいて欲しいものである。


にほんブログ村 政治ブログへ


≪ 「未婚で年収200万円以下の若者」の約8割は親の実家に住んでいる! 
調査から明らかになった、若者の「住まいの貧困」の実態

■「未婚で年収200万円以下の若者」の8割は親の実家に住んでいる
ビッグイシュー基金が「『若者の住宅問題』-住宅政策提案書[調査編]-」という素晴らしい調査レポートを発行しています。本レポートより、若者が直面している「住まいの貧困」の現状をダイジェストでお伝えします。

本調査の概要は以下のとおりです。

〈 (調査の概要) 1. 首都圏(東京都、埼玉・千葉・神奈川県)と関西圏(京都・大阪府、兵庫・奈良県)に住む 2. 20~39歳 3. 未婚 4. 年収200万円未満の個人 を対象とし、居住実態と生活状況に関するアンケート調査を2014年8月に実施した。学生は、調査対象に含めていない。 回答者の選定では、首都・関西圏の別、性別、年齢が偏らないように留意した。調査の実施は、イプソス株式会社に委託し、同社が利用可能なインターネット調査パネルから対象者を選び、1,767人から回答を得た。 〉

 一言で言うと「都市部に住む低所得かつ未婚の若者」の住まいに関する調査ということです。 この調査でまず印象的なのは、「親との同居率」。実に約8割の若者が、親と同居していることがわかりました。

〈 調査結果によると、親同居の割合は77.4%におよぶ。国勢調査(2010年)の結果から、未婚の若者一般(首都・関西圏の20~39歳)に関し、親同居率をみると、61.9%であった。 本調査の回答者では、親同居の割合がきわだって高く、それは、経済力がより低いために、親もとに住むことで生活を維持しようとする人たちが多いことを示唆する。 〉

住居費負担が高すぎるために、家を出ることができないわけですね。ちなみに、ぼくが住む高知市などでも、こうした話はよく耳にします。調査は都市部の若者を対象にしたものですが、雇用環境が十全でない地方においても、状況は同じだと思われます。

 ■少子化との関係も示唆?
次に興味深いのは結婚に関する意向。調査対象の若者たちは結婚への意向が低く出ています。

〈 「結婚したいし、結婚できると思う」は6.6%と少なく、「結婚の予定がある」は2.5%とほぼ皆無であった。回答者の大半は、結婚の予定をもたず、結婚を希望するかどうかにかかわらず、結婚の可能性は低いと考えている。 (中略)経済力が低く、結婚指向が弱いために、親もとに住み続け、親同居の継続が結婚指向をさらに弱める、というサイクルが生まれている可能性がある。 〉

調査では語られていませんが、これは少子化との関係を示唆していると思います。わかりやすくいえば、一人暮らしをしている場合、割と気軽に将来の パートナーを家に連れ込むことができ、そのまま同棲できるわけです。かくいうぼく自身も、一人暮らしをきっかけに妻と同棲を始め、結婚、そして出産に至りました。若者たちに親の家を出てもらうことは、少子化対策としても有効だとぼくは考えています。

 ■親の家を出たがらない若者たち
次に「転居志向」についての調査。こちらも興味深いです。

〈 「親持ち家」は、若者一般の多くにとっては、"出ていくべき場所"である。 しかし、「親持ち家」に住む回答者の定住指向は強く、「(親の家に)住み続けたい」が70.4%におよぶ。上述のように、低所得の若者の多くは、「変化」を計画する条件をもたず、親の家の"内"側で「安定」した状態にある。その"外"には「不安定」な世界が待っている。彼らにとって、「親持ち家」は、"出ていくべき場所"であるどころか、"とどまるべき場所"になる。 〉

低所得の若者にとっては「親の持ち家」がセーフティネットとして機能してしまっている、ということなのでしょう。少しひねった言い方をすれば、「親の持ち家」は「社会性」を帯び始めているとも言えます。子ども世代は住居費負担の軽減に、親・祖父母世代は介護人員・世帯収入の確保として、「親の持ち家」を活用し始めているのではないかと思います。

 ■親と別居している若者の13.5%はホームレス経験あり
ホームレス状態を経験したことがあるか、という問い。こちらもなかなかショッキングです。

〈 低所得層のなかで、ホームレス状態の経験が不均等に生じている点をみる必要がある。 定まった住居をもたない状況の経験者は、親同居のグループでの4.6%に比べ、親別居のグループでは13.5%とより多く、また、住宅タイプ別にみると、民営借家のアパートに住む人たちにおいて、11.2%と相対的に高い比率を示す。 さらに「社宅・その他」では、ホームレス状態の経験者が23.4%におよぶ。この「社宅・その他」は、社宅・官舎および独身寮に加え、住み込み、間借り・下宿、シェアハウスなどの不安定な居住形態を含み、そうした不安定な場所に住んでいる人たちの多くが定まった住居をもたない状態を経験したとみられる。 〉

親の持ち家を頼れない場合、低所得の若者は、とたんに不安定な状態に放り出されるということがわかると思います。「漫画喫茶」「脱法ハウス」などはそうした若者を吸い上げる装置として機能しているのでしょう。

 ■親の「持ち家頼り」という時限爆弾
調査終盤のメッセージも痛烈です。

〈 本調査では、未婚・低所得の若者の住宅確保のために、「親持ち家」が大きな役割をはたしている実態が明らかになった。そのストックの保全に対する支援が新たな課題になる可能性がある。 親の家の「安定」は必ずしも持続しない。年を経るにともない、住宅の物的劣化が進むにもかかわらず、高齢化する親と低収入の子は、修繕のための資力をもっていない。持ち家ストックの保全は、低所得者の住む場所の維持につながる。私有財産である持ち家に対する公的支援の根拠は、容易には成立しない。 しかし、「親持ち家」という"私的"な空間は、低収入の若者に住む場所を供給する点において、"社会的"な役割をはたしている。親の家が劣化し、そこでの不安定就労者の保護が困難になれば、政府は低所得者向け住宅供給を拡大する必要に迫られる。 〉

自立サポートセンター・もやいの稲葉剛さんは、本調査の発表記者会見で、「親の持ち家頼り」の現状を、「日本社会における時限爆弾」という表現でなぞらえました。早期に住宅政策の方向性を変えていく必要があると言えるでしょう。 稲葉さんは、レポートのなかでもメッセージを発しています。

〈 昨年、生活保護法が63年ぶりに抜本改正され、扶養義務者への圧力が強化された。近年、社会保障費削減の流れの中で、「家族による支えあい」を制度の中に組み込んでいこうという動きが強まりつつある。 私はこうした政治の動きを「絆原理主義」と呼んで批判してきた。公的な支援が必要とされる領域において、「公助」を「支えあい」で代替させようとするのは、生存権保障の後退であり、国による責任逃れに他ならないからである。 今回のアンケート結果は、むしろ「家族による支えあい」に依存し過ぎた日本社会の歪みを映し出しているように私には思える。 これ以上、「支えあい」を強調するのは、危険すぎる道である。家族による支えが「ホームレス化」のリスクを回避してくれている間に、打つべき手はたくさんあるはずだ。 〉

非常に興味深い調査ですので、ぜひご一読ください。以下のサイトから無料でダウンロードできます。 『若者の住宅問題』PDF版をアップロードしました(ビッグイシュー基金) また、2月8日は東京で本調査に関するシンポジウムが開催されます。こちらも有意義な内容となること請け合いなので、関心がある方はぜひご参加を。 『市民が考える若者の住宅問題』『若者の住宅問題』―住宅政策提案書[調査編]―発表シンポジウムのご案内(ビッグイシュー基金)  ≫(現代ビジネス:ソーシャライズ:イケダハヤト)


≪ 40代、50代に「老後貧乏予備軍」が増えている!
あなたは年収200万円で老後を生きていけるか?

■退職金が住宅ローンと教育ローンの 返済で無くなると、老後資金はほぼゼロに!
 私はファイナンシャルプランナー(FP)として、18年以上にわたって個人の家計を見続けている。個別相談やセミナー後の質問を受けるなかで、こ の数年は「これからは老後貧乏になる人が増えるのだろう」と強く感じるようになった。なぜなら、老後資金の準備ができていない人の割合が年々増えてきてい るからだ。
 仮に、60歳時に受け取れる退職金が2000万円だとしよう。住宅ローンは定年前に完済ずみで、貯蓄が別途1000万円あるなら、老後資金は 3000万円。60代前半を働いて収入を得るなら、老後資金としてはまずまずの金額だ。私がFPになったばかりの頃の1990年後半は、こうしたケースが 多かった。
 ところが最近は、60歳時点で住宅ローンが1500万円残っている、子どもの大学進学時に借りた教育ローンは200万円、貯蓄は100万円くらいしかな いといったケースが珍しくない。退職金で2つのローンを完済すると、老後資金はほとんど残らない計算になる。老後貧乏予備軍の典型例である。
 老後貧乏予備軍が増加傾向にあるのは、次のような要因がある。  あなたはいくつ当てはまるだろうか。*注:以下省略 ≫(ダイアモンドONLINE)

新版 年収300万円時代を生き抜く経済学 (知恵の森文庫)
クリエーター情報なし
光文社
大不況!!年収120万円時代を生きる
クリエーター情報なし
あうん


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●安倍のGPIF詐欺相場 儲けは支持率、損は年金減額で!

2015年01月16日 | 日記
最貧困シングルマザー (朝日文庫)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版


にほんブログ村 政治ブログへ

●安倍のGPIF詐欺相場 儲けは支持率、損は年金減額で!

 昨年からコラムで再三再四警鐘を鳴らしている東京証券取引所の株価操作「官制相場」の実態が、東証の投資部門別売買動向で明らかになった。昨日の312円高の日経平均も、特に300円以上上昇する要因もないのに、意味もなく上げた。年末から年初来、株式相場は下げ続け1万6000円台に下落していた。 *政府が、国民が積み上げてきた年金積立金に手を出す行為も、法整備さえしておけば、無尽蔵にリスクを抱える株式相場に収益を求めざるを得なくなったのは、何という事はない日銀の異次元金融緩和バズーカ砲2発の所為だろう。国債の利回りが、限りなく近づいていて、GPIFの利回りが目減りしてしまうので、リスクも高いがリターンも多い国内外の株式投資に振り向けようと云うことだ。

 このGPIFの改革の詳細は、まだ未確定な部分もあるが、最大34%まで国内株式に投資可能なので、いつどの時点で、国内株式にどのレベルで投資(介入)するかは、必ずしも公式表明はしない。なぜなら、投資家がその時期に合わせて、投資行動をするのを避けるため、としているが、政府が株式投資にうつつを抜かした上で、提灯をつけられては困ると云う理屈は、盗人猛々しいとも言える。

 つまり、アベノミクスのツケで、年金積立金の利回りが下がり過ぎて大変なので、行きがけの駄賃ではないが、GPIFの投資先を東証に振り向ければ、株価も上がるので、大いに結構と云うフザケタ論法なのである。政府の規制改革会議では、GPIFの株式投資で失敗した場合(元金保証のない投資)なのだから、当然損も出るだろう。その時は、現在の年金受給者の年金額に直接響くルール作りに着手している。つまり、安倍政権は、自分の政権維持の為に、唯一の好感を持たれている株価上昇を維持するために、国民のカネを使い、損が出た時には、自ら責任を取るなんて事はなく、年金受給者の支給額に速攻で反映するようにしようとしている。

 こういう話は面倒なので、あまり聞く耳を持つ人々は少ないのだろうが、正直、非常にリスキーな話である。株式投資の損の穴埋めを、「あなた方にして貰いますので、よろしく!」と言われているも同然だが、誰もそれほど騒がない。読んでも、聞いても判らないから。それじゃ済まないでしょう!「俺が倍にしてやるから預けろ。損したらお前のカネで穴埋めするからさ」安倍政権は、そのように申しております。

にほんブログ村 政治ブログへ

≪ 昨年の日本株高を支えたのは「年金マネー」に過ぎなかった。
政府主導のPKOは、結局株価を低迷させる
■年金マネーが株価を支えた
昨年の株価上昇を支えたのが国民の年金マネーだったことが明らかになった。
 東京証券取引所が発表した投資部門別売買動向(東京、名古屋証券取引所1・2部等合計)によると、2013年に15兆円を買い越した海外投資家は 8526億円の買い越しにとどまったほか、個人投資家は3兆6323億円を売り越した。一方で、買い越しが目立ったのは「信託銀行」で2兆7848億円。 このほか、事業法人も1兆1017億円買い越した。
 年金基金は信託銀行などを通じて株式運用を行っており、この調査では信託銀行に年金基金の動向が現れる。高齢化に伴って年金支払いなどが増えているため、一般に基金などは資産を売却する傾向にある。年金保険を運用する生命保険会社の売買金額が中心の「生保・損保」部門も5037億円を売り越していた。
 突出して「信託銀行」の買い越しが大きかったのは、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)による買い越しが最大の理由とみられる。安倍晋三内閣はGPIF改革の一環として運用対象を国債中心から株式へと大きくシフトする方針を早くから示しており、そうした政府の法人に従ってGPIFが株式購入を進めたためだ。国民の年金資産を預かるGPIFの運用総額は130兆円にのぼるため、株式へのシフトは株式市場への巨額の資金流入を意味する。
 月間ベースの統計をみると、「信託銀行」は2014年5月以降、12月まで毎月、買い越しを続けてきた。年初段階のGPIFの運用の基本ポートフォ リオ(資産構成割合)は、全体の12%を国内株式に回すというものだったが、これには「上下乖離幅」が認められている。当時の乖離幅はプラスマイナス 6%。つまり国内株式に6%から18%までを投じることがゆるされていた。
 GPIFの資料によると2013年12月末段階でGPIFは保有する128兆円の運用資産の17.22%を国内株に投資していた。すでに公表した基本ポートフォリオの上限近くまで買い進んでいたのだ。3月には運用資産が126兆円となり、その16.47%が国内株に回っていた。この間、海外投資家も 売り越しに回ったことから、日経平均株価は大きく下げている。

 ■まだ未公表のGPIF国内株比率
官邸周辺から「GPIFに日本株を買わせろ」といった露骨な声が漏れてきたのもこのころだった。その頃から市場ではPKO(プライス・キーピング・ オペレーション)といった懐かしい言葉がささやかれ出した。バブル崩壊後の1992年頃に国連の平和維持活動をもじって使われた言葉だったが、当時は、郵便貯金や簡易保険、公的年金(国民年金や厚生年金)などの資金で、政府が株価を買い支えさせる行為を指していた。
 そんなムードの中で、統計数値からみると5月以降、GPIFは再び国内株の買い増しに動いた模様だ。「信託銀行」の買い越しが6月に急増、6月末の GPIFの国内株比率も17.26%に上昇した(運用資産額は127兆円)。この傾向はその後も続き、9月末には18.23%(運用資産額130兆円) と、当時の上限を突破した。つまり、政府の意向に従ってか、その段階のルールとしては精一杯の日本株買いを行ったとみられるのだ。
 その結果、GPIFは昨年9月末段階で日本株を目一杯買い込んでいたわけである。これ以上、日本株を買うには、ポートフォリオの見直しが不可欠になっていた。政府がポートフォリオの見直しを急いだのは、そんな背景があったのだ。
 10月30日にGPIFは基本ポートフォリオの見直しを発表した。60%を日本国債などの「国内債」で運用するとしていたものを、35%に引き下げる一方で、国内株式を12%から25%に、外国株式を12%から25%に、外国債券を11%から15%にそれぞれ引き上げた。71%を債券、25%を株式、5%を短期資産としていた運用方針を一変して、株式と債券を半々にするポートフォリオへと劇的に転換したのである。
 国内株式については25%とされたが、それまでと同様に乖離幅が認められている。プラスマイナス9%だ。マイナス9%とすると16%になり、現状を下回ってしまう。逆に上限は34%まで引き上げられたことになる。
 9月で18.23%だったGPIFの国内株の比率が12月でどれぐらいまで高まったかは、まだ公表されていない。だが、「信託銀行」の買い越しが続いたことを考えると、GPIFの買いが相当規模にのぼり、結果的に日経平均株価が一時1万8000円を付けるのに貢献したのは間違いないだろう。

■「PKO」失敗の過去
景気が焦点になると必ずと言ってよいほど、PKOが浮上してくる。日本の金融破たんが続いた1998年頃には、当時の小渕恵三首相が青果店の店頭で 「株上がれ」と言って野菜のカブを両手で持ち上げるパフォーマンスまでやってのけた。一方で、巨額の経済対策として公共事業を大幅に積み増した。その結果は、株価は上がらずに、今につながる政府の膨大な借金を生むことになった。
 2008年のリーマンショックの後にもPKOという言葉が兜町で繰り返し聞かれた。麻生太郎首相時代のことだ。麻生氏も当時過去最大の景気対策を実施して、公共事業などを拡大。国の借金を大きく膨らませたが、株価はその後、低迷を続けた。
 安倍内閣は、歴代の中でも株価に敏感な内閣だ。アベノミクスによって株価が上昇し、高額品消費などに火が付いた「成功体験」を内閣発足直後に経験したことが大きいのだろう。量的緩和や公共事業の積み増しが限界に来るなかで、130兆円という巨額の資産を持つGPIFを「使いたい」衝動にかられるのは分からなくもない。
 だが、市場を舐めてはいけない。株価つり上げを意図した歪んだ投資決断を続けていれば、そのツケは必ず回ってくる。しかも、特定組織の意図で動くような不透明な市場には、海外投資家はやって来ない。PKOは短期的には株価上昇を実現するように見えるが、長期的には市場を歪め、信頼を失い、株価を低迷させるだけである。きちんと過去の教訓に学ぶことが、いまほど重要な時はない。 ≫(現代ビジネス:企業経済:磯山友幸「経済ニュースの裏側」)


 ≪ GPIFは損切りルール策定を、運用失敗なら年金減額も  
 6月27日(ブルームバーグ):年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF )は、損失拡大時の対応策を進める必要がある-。政府の規制改革会議などで委員を務める日本総合研究所の翁百合理事は、リスク資産を増やす方向に傾いている公的年金制度には課題が山積みだと言う。
 翁氏は23日のインタビューで、GPIFは日本株や外貨建て資産への投資を拡大して収益向上を目指すだけでなく「負の面も直視する必要がある」と指摘。運用に失敗して損失が膨らんだ場合に備え、「損切りルールを策定しておくことも重要だ」と述べた。GPIFは現在、こうした運用方針を明示していない。
 翁氏は「運用に失敗したら、将来世代にツケを回してはいけない。現在の高齢者に対する給付水準の引き下げと現役世代の保険料率引き上げで責任を取るべきだ」と言い、公的年金の大半部分の運用に携わっているGPIFと厚生労働省が万が一に備えて協議しておく必要があると語った。
 公的年金制度は2009年度以降、高齢化で膨張する給付額を保険料や税金などで賄い切れず、GPIFの運用益と積立金の取り崩しに依存している。厚労省が3日公表した年金財政検証によると、厚生年金の積立金残高は今年度、前年を下回る見通しだ。

 ■9兆円超の損失も
GPIFはリーマンショックに見舞われた08年度、9兆3481億円の損失を計上。 前身の年金資金運用基金として積立金の自主運用を始めた01年度以降で最悪だった。一方、株高・円安の恩恵を受けた12年度の収益額は過去最高となる11 兆2222億円。12年間の累計は25兆2209億円に上る。昨年度の運用成績は来月中に公表する見通しだ。
 翁氏は日本経済がデフレから脱却しつつあるため、GPIFは「国債一辺倒ではなく、日本株や外貨建て資産にポートフォリオを多様化すべきだ」と指摘。特に、長期的に安定した収益を期待できるインフラ投資や不動産、成長力が高い新興国の債券・株式が有望だと言う。
  国債の売却については、日本銀行による巨額の買い入れで市場の動揺は避けられるとの見方は近視眼的には妥当だが、長期的には慎重に行動すべきだと指摘。 国債発行額の増加や前例なき金融緩和からの出口、少子高齢化に伴う貯蓄率の低下にGPIFの売りが加われば、国の財政は海外資金への依存度が貯蓄・投資バランスの悪化より速いスピードで進む可能性があるとの見方を示した。

 ■相当背伸びした数字
GPIFの資産構成比率を定めた基本ポートフォリオは国内債が60%、国内株が12%、外債が11%、外株が12%など。同法人は金利上昇の際に評価損を被る恐れのある国内債の比率引き下げと収益向上を求める圧力に直面している。
 政府が24日に閣議決定した日本再興戦略の改定版では、GPIFの資産構成について、年金財政の長期的な健全性を確保するため、適切な見直しをできるだけ速やかに実施すると明記。ガバナンス(組織 統治)強化に関しても、運用委員会の体制整備や高度で専門的人材の確保などの取り組みを速やかに進め、法改正の必要性も含めて検討するとした。
 翁氏は年金財政は長期的に持続可能とした政府見通しの経済前提が「相当背伸びした数字」と指摘。GPIFがリスク資産投資やガバナンス改革の結果、想定を超える収益を上げた場合には「収益を生む元手となる積立金の蓄積に回し、将来世代の負担軽減を図るべきだ」と言う。
 GPIFによる日本株買い増し観測がくすぶる中、TOPIX は月間ベースの上昇率が昨年11月以来の大きさとなっている。消費者物価指数 (生鮮食品を除く全国)も12カ月連続で上昇。それでも、日銀の金融緩和を背景に長期金利は0.5%台半ばと世界最低水準にある。

■運用利回り
政府がGPIFに求める運用利回り目標は、賃金上昇率を1.7ポイント上回る水準。09年2月に決めた現在の利回り目標を0.1ポイントだけ上回る。 *ただ、経済前提のうち、今後10年の平均成長率が実質2%、名目3%程度となる経済再生ケースでは、長期的な経済成長の原動力となる全要素生産性(TFP)の伸びが足元の 0.5%から20年代初頭にかけて最大1.8%まで上昇すると想定。女性や高齢者の労働参加率が顕著に上昇すると見込む。翁氏はTFPに加え、実質長期金 利も「高過ぎる。そう簡単ではない」と言う。
 今回の財政検証では、年金財政のさらなる健全化を目指し、今後の制度改正を念頭に置いた参考資料として、3つの「オプション試算」も提示。給付水準を抑制する「マクロ経済スライド」の機能を強化し、厚生年金の加入対象者を広げ、高齢者の年金保険料の納付期間を延ばすほど、年金財政は健全性を増すとした。
 翁氏は経済前提が示唆しているのは、年金財政は「1、2年後に破綻するわけではないが、本当に安心な状態にするには改革が不可欠だというメッセージだ」と指摘。GPIFが運用に失敗した場合に年金給付水準を引き下げる有力な手段としては、マクロ経済スライドの強化を挙げた。

 ■マクロ経済スライド
マクロ経済スライドは年金給付額の伸びを賃金・物価の変化以下に抑えることで、年金財政を徐々に改善していく仕組みだが、04年の導入後1度も発動されて いない。ただ、過去の物価下落時に年金額を据え置いたことで本来よりも高い水準となっている状態が解消される来年4月以降は発動可能となる。
 現在の仕組みでは、賃金・物価の上昇率が0.9%ポイント前後のスライド幅より小さい場合には適用幅が限定され、ゼロ%以下だと、まったく発動されない。オプション試算が示した強化策は、こうした場合でもスライド幅を完全に適用する案だ。
 日銀出身で92年に日本総研に移った翁氏は金融システムや財政健全化、社会保障分野に関する著作が多い。政府の税制調査会や財政制度等審議会、国の債務管理の在り方に関する懇談会でも委員を務める。
 今回のインタビューで翁氏は、安倍内閣について「安定政権だからこそ、消費増税の実施や法人減税・労働市場・農業改革の検討などが可能となった」と評価。 一方、年金や財政の健全化で成長戦略の成功を前提にすると「あらゆる改革が先送りになりかねない」と懸念。「年金と財政は持続可能性が揺らいだら大問題になる」とくぎを刺した。 ≫(ブルームバーグ)

脱・成長神話 歴史から見た日本経済のゆくえ (朝日新書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版


 にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●違和感のあるシャルリエブド事件 市民を餌にテロを誘発?

2015年01月15日 | 日記
イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北 (集英社新書)
クリエーター情報なし
集英社


にほんブログ村 政治ブログへ

●違和感のあるシャルリエブド事件 市民を餌にテロを誘発?

 「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」がフランスの風刺週刊紙シャルリエブド本社襲撃事件を実行したと犯行声明文を出したと時事通信が伝えている。しかし、この事件には多くの謎が残されており、素直にイスラム原理主義勢力(主にアルカイダ系)のテロだと受けとめられないのは、911における陰謀説同様の、「白か黒か」と云う簡単すぎる図式が見えてしまうからだろう。様々に陰謀説がネット上を駆け巡っているのは、その辺への疑念が払拭されていない所為だろう。

 本来、AQAPのような組織が、まんまとテロに成功した場合、速攻で犯行声明を出すのが原則で、1週間も過ぎてから、「俺たちがやった」とビデオレターをAQAPの幹部の一人が公式に認めたと云うのも、かなり引っかかる。仮に、あのテロ事件がAQAPによって行われたとしても、その動きを一定の範囲で把握していた治安部隊が、彼らの標的になっていることが自明であった“風刺週刊紙シャルリエブド本社”を易々と武装した二人に襲わせたと云うのも、かなり手落ち過ぎる話になっている。

 怪しいリストアップされている人物たちを泳がせて捜査する手法もあるだろうが、あそこまで白昼堂々と襲わせる環境を作った点は気にかかる。チェックリストにある人物でも、犯罪を犯さない限り、彼らの人権を尊重すると云えば聞こえはいいが、最近のCIAやNSAの諜報活動全般を見てきた限り、人権や自由を尊重していたとは口が裂けても言える状況ではない筈だ。

 小生のひねくれた目から見ると、彼らが何らかの犯行(テロ事件)を実行するのを待っている、と云う側面があるように思えてならない。CIAやNSAや西側諸国の諜報関連機関の最近の動きは、異様なほど情報を掻き集める能力に長けてきて、その情報の使い方に悪意さえ感じるわけである。誰がテロの被害者になるかは判らないが、チェックリストの人間が、犯行を実行するのを確認した上で、行動に移る戦略をとっていると言える。つまり、市民に向けテロを実行させた上で、行動する犯罪捜査組織のようだ。

 法治国家として、原則的には正しい行動だが、予防原則と云う観点からは、少々異様な姿勢ではないかと思われる。麻薬捜査や売春の捜査とは異なり、チェックリストの人間が行動する事が、テロに繋がるリスクを承知で泳がせていた捜査機関の治安手法は、無防備な市民を餌に、彼らをおびき出そうと云う戦略にも見えてくる。つまり、市民の命を餌に、テロリストの犯罪行為を誘発させ、テロの脅威をプロパガンダしているようにも見える。

 西側諸国とイスラム世界の対立を、敢えて望んでいるように小生には見えてくる。それでなくても、ウクライナを中心に起きている西側諸国対ユーラシアの対立が鮮明化している現状に、イスラム勢力を参加させ、より一層の混沌を演出しているようにも見える。鎮静化しそうになるたびに、その都度火をつけているウクライナ東部の状況と同じではないか。何か、必死になって、世界中を混沌の坩堝に誘い込み、混沌に火をつけている勢力がいるようにも思えてくる。

 弱者の兵器によるテロなわけだが、彼らが弱者故の闘いを続けているように、アメリカを中心とする西側諸国も弱者化して、本質的に似たような行動心理を持ち合わせているようにも見える。安倍自民政権が、実は弱体化しているが故に、強がり、肩で風を切る去勢を崩さない行動パターンにも共通している。なんだか世界中の権力者が弱体化して、狂っているのではないか、そんな風に感じるのは小生だけだろうか。

 ルモンドの紙面に掲載された各国首脳の集合写真も、デモに参加している各国首脳の状況を写したもののように扱われているが、実際はデモ行進とは別の場所で、治安部隊に守られた場所で撮影された集合写真であり、デモに参加して練り歩いている時の写真ではないようだ。こういうのも、作られた情報の一部だろう。感情が吹き上がった世界情勢と云うものは、冷静なはずのドイツ国民にまで到達しつつあるようだ。

 にほんブログ村 政治ブログへ

≪ 排外と融和のデモ応酬 仏紙襲撃、欧州で反イスラム拡大
仏週刊紙「シャルリ・エブド」襲撃事件の後、反イスラム感情をかき立てる動きが欧州に広がっている。ドイツ東部ドレスデンで12日夜、事件後初めてとなる大規模な「反イスラム」デモがあり、参加者は過去最多の約2万5千人(地元警察発表)に膨れ上がった。対抗して「寛容な社会」を訴える集会もドイツ各地であり、参加者は全国で約10万人に達した。
 12日夜、旧東独の古都ドレスデンの広場は国旗やプラカードを持った人々であふれた。「西洋のイスラム化に反対する愛国的欧州人」(通称ペギー ダ)を名乗る団体の反イスラム集会。参加者の腕や胸には、仏紙襲撃事件の犠牲者を悼む黒いリボン。同紙の風刺画を掲げた人もいる。
 壇上の男性が声を張り上げた。「パリの事件は我々の(反イスラムの)行動が正しいと証明した」「イスラム過激派による欧州への宣戦布告だ!」
 ペギーダは昨年10月から、1989年のベルリンの壁崩壊につながった東部ライプチヒの「月曜デモ」にならい、毎週月曜にデモを開催。ソーシャルメディアを使い、当初の数百人から規模を急拡大した。
 活動方針には「西洋文化の尊重」「戦争難民の保護」など穏健な主張が並ぶが、デモでは「イスラム化阻止」をスローガンに排外的な主張が目立つ。多 くの参加者は一見して、老夫婦や若いカップルなど普通の市民たち。職業も年金生活者からサラリーマンまで様々で、デモ初体験という人も少なくない。
 組織の実態はよく分かっていない。地元報道によると、当局は極右組織の関与を確認したというが、ペギーダ側は否定している。
 ペギーダに呼応し、類似団体が雨後の竹の子のように生まれており、小規模のデモを各地で繰り返す。  背景には、経済格差が残る旧東独を中心に、豊かさと職を求めて流れ込む難民や移民への根強い反感がある。昨年12月の独メディアの世論調査で、ペギーダに49%が「同情的」と答えた。勢いを増す新興右派「ドイツのための選択肢」(AfD)も「イスラム思想への反対は市民の当然の権利だ」(ルッケ党首)と理解を示す。
 一方、ドイツでは、ナチスの過去の反省から人種差別や偏見に厳しい風潮がある。イスラム系移民が人口の5%を占め、難民の受け入れにも積極的に取り組んできた。一昨年の難民申請者数は全体で約12万7千人。シリアからの難民が特に増えており、今年は23万人に達するとされる。
 DPA通信によると12日には、東部ライプチヒで約3万人や南部ミュンヘンで約2万人、首都ベルリンで約4千人など各地でペギーダに対抗する集会を開催。全国で計約10万人とペギーダを圧倒した。メルケル首相は同日の会見で「イスラム教徒はドイツの一部だ。ドイツはイスラム教徒や他の宗教の人々と平和的に共存したい」と強調した。
 13日夜にもベルリンのブランデンブルク門前で、メルケル首相やガウク大統領も参加し、イスラム社会との連帯を呼びかける集会が予定されている。
 ペギーダの動きはドイツにとどまらない。スペインでは、マドリードのモスクの前で12日に集会を開くと呼びかけた。だが直前になってツイッターで「当局の許可が出なかった」と中止を表明した。「不寛容」に反対する地元の市民団体は、朝日新聞の取材に「この数週間、イスラム憎悪の動きがネットを通じて急速に広がっている。集会も当局に通報した」と話した。
 地元メディアは、マドリードや北部ブルゴスなどのモスクでも、「イスラム教徒は欧州から出て行け」「売春婦の子ども」などとののしる落書きが見つかったと伝えている。
 AFP通信によると、ペギーダは12日、ノルウェーの首都オスロで集会を開き、約200人が集まった。スイスやオーストリアでも計画があるという。
 英国では「多文化主義は間違い」と訴える英国独立党(UKIP)の支持率は8~9日の世論調査で18%。直前と比べて5ポイント上がった。英YouGov社のアナリストは「一過性かもしれないが、テロの影響があったように見える」という。
 オランダの右翼・自由党(PVV)も党首が「社会の非イスラム化を」と訴える。フランスのテロ事件の後、支持が伸びているという。 ≫(朝日新聞デジタル:ドレスデン=玉川透、パリ=青田秀樹)

いっしょうけんめい「働かない」社会をつくる (PHP新書)
クリエーター情報なし
PHP研究所


 にほんブログ村 政治ブログへ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●いまだに日本を大国と思っている人々 身の丈を知ること

2015年01月14日 | 日記
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
クリエーター情報なし
角川書店


にほんブログ村 政治ブログへ

●いまだに日本を大国と思っている人々 身の丈を知ること

 ネットサーフしていたら、奇妙な見出しが目に入った。“ 中国にとって日本はもはや「大国」ではなくなったのか ”と云う産経のコラムだ。おそらく、このような感情は、1960年から1980年代の日本の高度経済成長を経験した者たちが共通して持っている「見たくないものから、目を背ける。見たいものしか見ない」酷く情緒的国民感情なのだろう。この空気感は無視できないのだが、国力を多岐に論理的に分析すれば、経済的には二等国から三等国を上下する地位にいずれ落ち着くのは、残念ながらほぼ確実なのだ。

 中国の外交上の思惑によって、日本の扱いは、大国にもなるし、周辺国にもなるし、外交政策上無視する存在になることもあるのだろう。大切なことは、中国の目から見た日本ではなく、自分たちが理解する日本と云う国が、世界に対し、どの程度の影響力を持っているか、その分別は自己分析でなされるべきだろう。他人様の思惑によって、その評価に一喜一憂していたのでは、自分を見失うと云うことに他ならない。

 日本人は世界のランキングなどと云うものに、非常に強い関心を持つのも、本当に自分の国が、どのようなもので、どのように機能しているか、知らないからなのだろう。特に経済的豊かさで、自国を採点する民意は、第二次世界大戦の敗北により、欧米型のデモクラシーと云うものを与えられたとも言えるし、押しつけられたとも言える。民意が天皇制を否定したわけでもないのに、民主的手続きなしに、日本は敗北により、強制的に天皇制を捨てさせられ、強制的に民主主義的な振舞いを強制されたとも言える。逆に、負けた癖に、突然ご褒美を貰ったような錯覚も味わったのだろう。

 自ら闘って得た政治体制でない限り、その体制の維持は、己の魂的な叫びや希求ではなく、もっと現実的な飢えを凌ぐものとして利益的だったと言える。その上、占領軍であった米国は、ソ連邦共産主義陣営の不沈空母として、日本列島を最期の砦に見立てたお陰で、やらずボッタクリな経済運営が可能になり、60年から80年にかけての高度経済成長を見逃され、日本人は総体的に個人的守銭奴化国民になっていった。それでも、80年代、90年代までは、企業が終身雇用制を維持できたので、自分が属する共同体のようなものが存在した。

 日本は大規模な貿易黒字を抱え、米国は相応の大規模赤字を抱え、双子の赤字に陥り、ドルの相場は不安定に拍車を掛けた。ドルの安定化を目的に、1985年、にプラザ合意がなされ、1ドル235円程度だった円は、150円レベルまで円高に政策的に引き上げられた。この合意は、日本経済が、アメリカを助ける決定のように受け取られ、二等国から一等国への仲間入りを果たした瞬間でもあっただけに、経済的には不利でも、国の価値が上がったと云う日本人のプライドをくすぐった。この流れの継続が紆余曲折を経て、1ドル75円にまで至るのだが、ここまで来ると、一等国になった喜びよりも、現実の痛みの方が実感的になった。

 まあ経済的側面に価値をチェンジしてきた日本国民は、民主主義の体制は自明なもので、資本主義で勝者であれば、国は豊かで尊敬される存在なのだろうと思い込むようになっていた。つまり、真っ当な資本主義が機能すれば、民主主義など、自動的について回るものだと錯覚していた嫌いがある。ところが、経済がグルーバル化して、「ヒト・モノ・カネ」が個別の企業を想定する形で資本主義から、国境を越えて、その共同体であった企業に、「ヒト・モノ・カネ」の分散化が起きた。

 このグローバリズムな経済の変化は、所謂資本主義の本質的形態を歪め、主役として「カネ」だけが突出する経済体系を生みだした。それが資本主義を乗っ取る「IT金融主義」なるものなのだ。こうした経緯を経た、旧来の資本主義は弱まり、IT金融主義が世界経済を席巻しているのが、現在の資本主義の変形である。こうなると、資本主義の存在自体が危ういものになってくる状況は、さらに継続的に深化することになるので、日本人の戦後の共同体意識の基盤であった、個別企業の存在が「ヒト・モノ・カネ」を共有できる存在から、どんどん遠ざかってゆく。

 つまり、戦後の日本人を支えていた人為的に作られた共同体意識が崩壊してゆく。企業を中心に仲間意識を育てる癖がついてしまった日本人は、気がつくと、自然の生活の営みから自然発生する地域における共同体意識を消滅方向に導いてしまっているので、今さら、それを思い出し戻すのは、潜在意識の問題なのだから、容易なことではない。戦後の流れだけでも70年の年期が入っているのだから、新たに共同体意識が構築できるとしても70年、100年はすぐに過ぎていくのだろう。

 本来の資本主義に傾倒し、その営みの付属品のように思われていた民主主義も、当然のことだが、資本主義の変形乃至は消滅により、自動的に同じ運命になる。つまり、いま現在の日本人には、離れ小島になってしまった民主主義の扱い方や、その機能を有効化する手立てが見つからない状況に陥っている時代と言っても良いのだろう。このような宙ぶらりんの状況がいつまで許されるのか判らないが、食潰す資産のあるうちに、次なる民主主義を意識できるプラットフォームを作らなければ、俗に言う三等国への道は早々に来るだろう。

 経済的成功による、国家の価値観を変換する器量が、日本人にあるかどうかの問題なのだが、現時点では、欧米型の民主主義と資本主義が、いまだに機能していると信じている日本人が多いので、変換しなければならないと云う機運にさえも着いていない。現在の安倍政権もが、その壊れかけた価値を「普遍的価値観」と捉えて恥じないのだから、緒にも就いていないのは自明だ。しかし、政府よりも、生活している国民の方が賢明だろうから、いつの日か、日本が生きる方法論に、独自性を持って生きる道を探し出すのではないかと、のんびり期待している。おそらく50年以上は先のことだから、小生は死んでいるね(笑)。

 ≪ 中国にとって日本はもはや「大国」ではなくなったのか
 中国にとって日本は大国か否か。中国はこれまで日本を大国として位置付けてきたが、その中国の対日観に変化はあるのだろうか。
 中国は外交において、相手国を大国、周辺国、発展途上国の3つに分けている。もっとも、この分け方も不変ではない。
 中国外務省が毎年、編集、出版している外交白書「中国外交」を見ると、2002年の外交を論じた03年版までは、西側先進国、周辺国、発展途上国の3つに分けており、日本やロシアは周辺国の範疇(はんちゅう)に入れられていた。
 03年の外交について記した04年版の外交白書からは、西側先進国が消えて大国が登場し、現在のような分け方になっている。この変化に伴い、ロシアや日本は米国や欧州連合(EU)とともに大国に分類された。
 西側先進国から大国への変化は、ちょうど江沢民時代から胡錦濤時代への転換と一致しているが、文化大革命後の急速な経済発展による中国の台頭、中国の大国化ともかかわっているといえよう。
 中国の外交白書において、日中関係はその後、常に大国との関係の一部として論じられてきた。
 ただ、両国関係が悪化していた小泉時代の05年の外交について記した06年版外交白書は、日中関係を大国との関係ではなく、周辺国との関係に含めている。
 もっとも、06年の外交を論じた07年版外交白書では、安倍政権の登場で関係が改善されたこともあり、日中関係は再び、大国との関係の中で記されている。
 胡錦濤時代から習近平時代に移行した13年の外交を論じた14年版の外交白書では、米国、ロシア、EUとの関係は従来通り、大国との関係として触れられているが、日本との関係は言及されていない。
 周辺国との関係にも日本は登場せず、わずかに別項で、尖閣諸島問題などに関する記述があるだけだ。  中国にとって日本はもはや大国ではなくなったのか。それとも、06年版の外交白書と同じく、関係悪化を背景とする一時的なものなのか。
 王毅外相は昨年末の講演で、日中関係について、大国外交ではなく、周辺外交の部分で言及している。  中国にとって日本とは何かという問いは、日本にとって中国とは何かという問いと同様、きわめて重要なものである。戦後70年となる今年、私は日中関係の改善を願うが、あまり楽観的にはなれない。 ≫(産経新聞:フジサンケイビジネスアイ 元滋賀県立大学教授・荒井利明)

からくり民主主義 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●強がりの連鎖 一皮むけば空疎な空威張り安倍政権

2015年01月13日 | 日記
方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)
クリエーター情報なし
角川学芸出版


にほんブログ村 政治ブログへ

●強がりの連鎖 一皮むけば空疎な空威張り安倍政権

 祝日返上で安倍内閣は閣議を開いたようだ。佐賀県知事選の敗北を消し去るネタをマスメディアに振る舞うつもりだったのか(笑)。実際は15年予算のタイトなスケジュールの関係だろうが、安倍政権の行為は、すべてが、そういう思惑がらみで起こされると、国民が思い込んで、色眼鏡で見はじめている点で、実は破竹の勢いに見えて、空疎で哀しき政権になっているのだろう。

 リベラル勢力から見れば、自民党が盤石な55年体制においてもなし得なかった、政治保守な振舞い邁進しているように見える。憲法改正への意欲表明から始まり、特定秘密保護法、集団的自衛権行使容認、武器輸出三原則の見直し、原発輸出等々。たしかに字面だけ見たら、今にも日本が全体主義な軍事国家になるように見えてくるのだろう。現に、そうなると思い込んで嬉々としている連中も僅かにはいる。

 安倍自民が、このような振舞いに出られる環境を整えたのは、尖閣を中心とする対中国の領土問題に敏感になっている日本社会の雰囲気から、言いやすい条件はあっただろう。たまたま中国も、新体制が発足したのと同時期だっただけに、双方が自分の色合いを出すことに精を出す時期と重なった点も見逃せない。しかし、安倍が打ち出している政治保守的な振舞いが、実効性を伴って動ける環境が、日本に本当にあるのか、真剣に考えると、意外に一つ一つの実効性は脆弱だ。マスメディアを強圧的に支配することで大盤振る舞いなタカ派的政治保守な行動に終始しているように見えているだけで、実は大したことをしていない感じでもある。実際問題、やりたくても、実行できるだけの世界的環境も、日米間の環境もないのだから。

 アベノミクスなるものは、三本の矢だと大騒ぎしているが、マスメディアが大袈裟に喧伝しているだけで、日銀が、円安と株価の上昇機運を演出し、好景気な雰囲気を醸し出し、財政出動を容易にする目的と捉えれば、為替ファイナンス、株価ファイナンス、財政ファイナンスを実行しましたというだけで、何ひとつ新しい日本経済環境を創りだす手立ては打ってないわけで、旧態依然の政治保守な振舞いの繰り返しに過ぎない。

 第三の矢については、アベノミクスが行われなくても起こり得る経済現象、つまり、グローバリズムでは必然的に起きる現象を、追認したと云うだけで、アベノミクスだから、起きそうな現象を起こせるほどの政策内容ではない。ただ、政治家であれば、口にあまりしたくない政策を、違うニアンスの言葉や、良いとこ取りの経済統計数値を口にする、いわゆるプロパガンダ報道向けの言葉を語り続けているだけである。マスメディアは、安倍の発言が嘘だと知っていても、その通り伝えなければならない発言の改竄になるので、それが出来ないと見越して、発言量を増大させている。

 経済保守的な政策とグローバル世界における必然的に起きる事象を、重ね合わせて語ると第三の矢になるのだが、実は多くが自民党の支持勢力への分配政策と重なる点が多い。つまり、農村政党たり得なくなった自民党が、都市政党にもなれないとなると、特定の集票能力のある個別の企業、経済団体の組織への阿りが強まる傾向になる。それが、輸出製造業、グローバル展開する企業群、原子力村、金融関連企業へ分配したくなる行動原理になる。つまり、国民全体の支持を取りつけるよりも、ゴカイの塊を掴んでおく方が、現在の選挙制度では得策と云うだけだ。

 安倍自民は、国民政党を目指すと、投票行動を取らない、有象無象を喜ばせるだけで、実際は糞の役にも立たない連中に分配することになるので、組織力がある、特定の企業や産業界や団体に分配を厚めにして、失った農村政党の集票力を補おうとしている。国民政党型の政党になろうとしても、国民社会が、共同体として機能不全に陥っているのだから、その機能不全な鵺のような人々に向けて分配を行っても政治的効果は期待できないと理解しているのだろう。

 まあ、日本社会が共同体的な色彩をなくすような方向に国を動かしてきたのも自民党なのだが、その責任を取るとか考えている余裕はなく、だとしたら、確実に集票力のある一定の組織に阿る政策で、確実に勝って行こうと考える。このような行動が選択できるのは、小選挙区制度のお陰なのだ。ただし、そこには危ういリスクも抱えている。つまり、特定利益集団への分配だけを優遇するわけだから、そこから漏れた人々には鬱積がたまる。その鬱積の閾値が何処のあるのか、実は誰も知らない。この閾値を越えた時、突如投票率が跳ね上がる。65%から70%に近い投票率で選挙が行われる事態になれば、自民党は大敗北するわけで、投票率が高くならないコントロールが可能かどうかが自民党の命運を握っている。

 つまり、安倍自民が一強他弱と持て囃され、盤石の強さを持ちうる長期政権のように見えているが、実際は投票率が65%以上になれば、奈落に落ちるような脆弱な政権であって、盤石性などはない。また、国民政党の誕生には、国民共有の社会認識が必要なわけだが、この意識の共有が起きるであろう地域共同体が壊れる一方だとすると、次に誕生する政治の勝者も投票率に左右されるだけの政党になることになる。どうも、日本の政治的元凶は、高度経済成長で壊してしまった日本の社会構造の問題である。50年単位で見れば、是正するかもしれないが、10年単位では変わる要素はなさそうだ。最後に、政府が願望的に経済見通しを発表したので、以下に引用しておく。12日のこの願望に冷や水でも掛けるように、東証の株価は200円以上下げているようだ。

にほんブログ村 政治ブログへ

≪来年度中に実質賃金プラスへ、デフレ脱却「着実に進展」=経済再生相
[東京 12日 ロイター] - 甘利明経済再生相は12日午後、来年度中に実質賃金はプラスになると見通し、景気好循環の大きな推進力になると述べた。雇用・所得環境の改善で、堅調な民需に支えられた景気回復が見込まれるとし、「名目3%・実質2%」成長実現に向けて手順が見えてきたと語った。
 デフレ脱却に向けても着実な進展が見込まれるとしたが、デフレ脱却宣言は慎重に見極めたいと語った。来年度政府経済見通し決定後に官邸で記者団に語った。
 政府は2015年度の実質経済成長率プラス1.5%、名目成長率2.7%とする政府経済見通しを閣議了解した。名目国内総生産(GDP)は504兆円と8年ぶりに500兆円台に乗せる。
 また、原油価格下落による交易条件改善により、2年連続でGDPデフレーターがプラスとなる。2年連続でのプラスは93年度以来。ただ、消費者物価指数(CPI)は1.4%の上昇にとどまる。

<実質賃金プラスへ、好循環の大きな推進力に>
来年度の日本経済について甘利経済再生相はあらためて「雇用・所得環境が引き続き改善するなかで、好循環がさらに進展するとともに、原油価格低下に伴い交易条件が改善するなかで、堅調な民需に支えられた景気回復が見込まれる」と語った。
  政府が目標とする「名目3%・実質2%」成長には届かなかったが、甘利担当相は「大事なことは好循環がしっかり回っていくこと。実質賃金がプラスになりそれが消費に反映し、生産を後押ししていく。このサイクルに見通しがつくと、循環が始まる」と指摘。「来年度中に、実質賃金がプラスになるという見通しを示している」ことを挙げ、好循環の「大きな推進力になっていく」と語った。
 そのうえで「名目3%・実質2%は10年間の平均だ。その終盤にはこの平均値を超えていく必要がある。それに向けてアベノミクスを加速させていく。その手順が見えてきた」と述べた。

<2年連続のデフレータープラス、デフレ脱却の強力な足掛かり>
物価情勢については、「デフレ脱却に向けて、着実な進展が見込まれる」と強調。とりわけ、1993年度以来、22年ぶりに2年連続でGDPデフレーター変化率がプラスとなる見通しをあげ「デフレ脱却の強力な足掛かりになる」と語った。 一方で「デフレ脱却ということは、多少のことでは戻らないこと(を指す)」と述べ、デフレーターがマイナスに戻らないこどなど「もう少し慎重に見極めたい」と語った。

<2%の物価安定目標達成、日銀に期待>
日銀が掲げる物価目標2%達成については、原油安が「日本経済にとっては、歓迎すべきことだが、物価安定目標に関しては足を引っ張る材料になっている」と説明し、来年度中の達成の可能性についての言及は避け「日銀に頑張ってもらいたい」と述べるにとどめた。

<PB赤字半減目標、国費ベースでは達成が見込まれる>
大枠が固まった来年度予算に関しては、「成長と財政再建の両立に向けて、大きな歩みを示すことができる内容になった」と評価。15年度に国と地方を合わせた基礎的財政収支(PB)赤字の対GDP半減目標について「国費ベースでは達成が見込まれる」とした。 ≫(ロイター:吉川裕子)

西行花伝 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●必ず「嘘が半分入る」の日本の社会etc 養老孟司と隈研吾

2015年01月12日 | 日記
日本人はどう死ぬべきか?
クリエーター情報なし
日経BP社

 

現実脱出論 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社


にほんブログ村 政治ブログへ

●必ず「嘘が半分入る」の日本の社会etc 養老孟司と隈研吾

 この対談シリーズが面白い。暇つぶしと云うレベルで読むと意味のない対談。本気で読むと頭が多少狂うと云うか、痛くなるが、中々興味深い対談シリーズになっている。分量的には、かなりのものなので、ここでは、一回分だけ参考引用。あとは、最下部の注書きで追いかけてお読みください。

 先ほど、あの悪徳代官風味満点の古川康前知事の後継と云われた自民公明推薦の武雄市長の樋渡啓祐(45)=自民、公明推薦を、安倍政権の規制改革に反発するJAや一部自民や民主党が推薦した元総務省官僚の山口祥義(49)が当選した。これでガチンコ対決の滋賀、沖縄両県知事選に続いて、自民公明与党勢力は、注目知事選で3連敗を喫した。福島知事選も民主党候補に抱きついたので、実質4連敗。今春の統一地方選は、安倍自民党総裁の首根っこを押さえる選択になると専らの下馬評になっている。まあ、まさに半分、アメリカ様の言いなりなのだから、どうでも良い国内政治である。


 ≪ 年寄りがいなくなれば、若い人が入ってくる 養老孟司×隈研吾 日本人はどう死ぬべきか? 第1回 【 中高年男性の自殺率が世界でもトップレベルになった日本。「死」が徹底的に排除された都市に住み、「死」について考えなくなった私たちは、どのようにそれ と向き合えばいいのだろうか? 同じ学校でキリスト教式の教育を受けた、解剖学者の養老孟司さんと建築家の隈研吾さんが語り合います。】

養老:今、都道府県で言うと、大阪と広島の人口構成が、20年前の鳥取県と同じなんだって。つまり、都市部に高齢化が進んでいるということなんですけどね。
隈:そうなんですか。それはあまり知られていないと思いますが、大阪までそうなっていっているとしたら、恐るべきことですね。
養老:そうは言っても、何のことはないんだよ。みな年を取っただけの話で、鳥取は先進県だったんですよ。
隈:すでに20年前に状況を先取りしていたわけですか。
養老:じゃあ、人口構成がちゃんとしているところって、どういう場所だろうか。そういうことを、日本総合研究所の藻谷浩介さんが日本中で調べているんだけど、大阪のような都市ではなくて、なんと田舎の田舎なんですよ。うんと田舎になると、2~3組の夫婦が2~3人の子供を連れて移住しただけで、人口構成がちゃんとなっちゃう。なぜかというと、「年寄りがいないから、以上」という結論になるんです。
隈:究極の田舎に、一番健全な人口構成が出現するということですか。
養老:岡山なんかは限界集落が700以上もあるというから、将来有望な場所だと僕は思っているの。だってそれらの限界集落は、20年以内にほとんどなくなるということだからね。
隈:地域がいったんリセットされる。
養老:そこへ若い人が入ってきて、新たなスタート地になる。アメリカ的に言えば、やっと日本にも西部ができ始めているんだよ。
隈:フロンティアが出てきた、と。

 ■ 年寄りのいない田舎に若い家族が移住
――養老先生のお宅がある鎌倉には最近、若いベンチャー世代の人たちが、多く移住しています。軽井沢に住んで仕事は東京、という例も若い世代に増えているそうですし、もっと田舎に移る人たちも増えています。

養老:若い人たちが今、移るところは、ただの田舎じゃないんですよ。

―― どういう田舎なんですか。

養老:年寄りのいない田舎なんですよね。若い人にとって、年寄りって邪魔なんだよ。だって既得権を持っているでしょう。田舎っていうのは、1次産業がなきゃやっていけないところで、そうすると畑のいいところは全部、年寄り連中が持っている。
この間、香川に行った時に、甲野善紀さんや内田樹さんが行くという、看板の出ていない和食屋に立ち寄ったのね。そこは埼玉から引っ越したご夫婦が やっていて、自前で畑と田んぼを持ちたくて探した土地だったんですよ。香川は水がないところだから、周囲の水事情によって値段が倍以上違ってくるんだって。でも、そういう事情は、誰も教えてくれない。地元のおやじたちと1年付き合って、やっといろいろなことが分かってくると言っていましたね。

――東京から香川に移住した方が、同じような事情で家の取得をあきらめて、帰ってきた例を知っています。

養老:それは香川がだめなわけでなく、年寄りがだめということ。年寄りで今、地元に残っている人たちというのは、僕らの世代から団塊まででしょう。そういう人たちが既得権を持ってしまっているから、ものごとが動かない。テレビのニュース番組で、農業の後継者問題なんかを取り上げることがあるでしょう。田舎のじいさんが「後継者がいなくて…」と、こぼしているんだけど、「お前がいるからだろう」って俺は思うんだよね。

――この対談で養老先生のお話をずっとうかがってきましたが、年寄りは邪魔だ、とはっきりおっしゃったのは初めてです。

養老:年寄りって、いるだけで邪魔という面があるんだよ。今、そういうことをはっきり言わなくなっちゃったけど、とりわけ若い人にとっては、うっとうしいに決まってますよ。

――それはずっとそう思っていらしたんですか。

養老:ですから僕は東大を辞めてから、ほとんど古巣には行っていませんから。行くとしても、5年に一度とかね。

――年寄りばっかりだからですか?

養老:いや、年寄りが来たらうるさいだろうから。

――ああ、ご自分がそっちに入ったって自覚があるんですね。

養老:そう、定年で辞めたんですからね。10年に一度ぐらい行くと歓迎してもらえるかもしれないけど、毎日なんか来られたら、迎える方はたまったもんじゃないですよ。実際、名誉教授が毎日来ていて、勘弁してくれって例を知っていますよ。

――有名企業でも、引退した重鎮が毎日来ちゃって、社員がお世話に困っている例を聞きます。

養老:そんなの年寄りの風上にも置けないよ。ちゃんと年寄りらしく生きる方法を考えなさい、って。落語だけどさ、西行なんて妻子を縁側からけ落として、出家したわけで、それが日本人の生き方でしょう。誰か言わないといけないんですよ。

にほんブログ村 政治ブログへ

 ■「お前はここに骨を埋める気があるのか」と聞く団塊世代
隈:僕も仕事でいろいろな土地を回っていますが、そこに年寄りがいると、「お前はここに骨を埋める気があるか」と、必ず聞いてきます。
養老:余計なお世話だ。
隈:そう言われたら、返答に詰まっちゃうんです。だって、埋める気はないから。
養老:人生何が起こるか分かりません。それが分かっていれば、安請け合いなんて、できないよ。
隈:そうなんです。でも、団塊の世代なんかからも、「骨を埋める気云々」の質問は来るんですよ。例えば、地方の小さな町のために「がんばっていい建築を作りたい」と言うと、「骨を埋める気もないくせに、生意気なことを言うな」みたいなリアクションが返ってくる。それはやっぱり、日本人的なメンタリティーで、「骨を埋める気」を問いながら、よそ者を排除する仕組み。その根本が、前近代から団塊の世代まで、ちゃんと受け継がれているんです。
養老:そう聞かれたら、「俺が死んだら骨を持っていきます」と言おう。骨なんて200以上あるんだからさ、いろんなところに埋められるよ。釈迦なんて、仏舎利などと言いながら、世界中に骨を埋めているからね。

――養老先生、今、おっしゃっていることを今回の対談テーマ「いかに日本人は死ぬべきか」に、どうつなげていけばいいんでしょうか。
養老:いや、だから、お年寄りはね、あんまり固着しない方がいいんじゃないですかね。

――何に? 生きることにですか?

養老:万事にですね。まあ、そこにいるのはしょうがないけど、邪魔にならないようにしましょうよ、ということですね。芭蕉や西行は、若い人たちの邪魔をすることなく、晩年までうろうろしていたじゃないですか。あんな感じがいいなと思って。
隈:あの2人はいいですよね。
養老:日本人は元来ああだったんだと思いますよ。『方丈記』を書いた鴨長明がそうでしょう。
隈:鴨長明の「方丈」は、今で言うとダンボールハウスですよね。
養老:今で言えば、坂口恭平さんとも通じますね。

※坂口恭平:建築家、作家。著書の『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』では、無職、無一文で実践した東京での路上生活をドキュメント。東日本大震災後に熊本に独立国家を設立し、初代内閣総理大臣を名乗る。

隈:坂口くんは今、変人として生きているけれど、何百年かたつと浄化されて、神聖な人として世の中に伝わっているんじゃないですか(笑)。
養老:とはいえ、鴨長明というのはめちゃくちゃ常識家だよ。『方丈記』を読んだらしみじみ分かりますよ。何もおかしなことを言ってないもん。

――養老先生のご本もそうですね。書いてあることは全部まともです。

養老:そうでもないと思うけどな。

――でも、お目にかかるとちょっと変人かな、と……(笑)。

隈:いや、本当に養老先生のお書きになっていることが、世の中のスタンダードになれば、日本ももっと生きやすい社会になるのに、と思います。
養老:そう思うのは、やっぱり世間の常識の方がズレているからなんですよ。いつの時代も、人間社会の常識というものには、相当なズレがあって、戦争中なんかはすごかったですもん。ただ、みんな、そのズレを言わないだけ。僕らはそういうことを経験して、よく知っていますから。

■日本人の50%は常に本音と逆を言う
養老:隈さん、僕は最近「日本人50%論」という論を立てるのに興味があってね。
隈:どういうものでしょうか。
養老:要するに、日本人というのは集団の中で50%の人が本音の反対を言う、つまりウソをついているんじゃないかという人間観察論です。例えば原発について、100%が賛成したとして も、50%はウソをついているんだから、本音から言うと半々なんですよ。同じように全員が反対だと言っても、半分はウソを言っているから、本音は五分五分。で、これは賛成8、反対2でも、結局、本音は五分五分になるんです。
隈:賛成8割と、反対2割の半分がウソをついている、ということですものね。
養老:つまるところ、日本人の本音はいつでも半々だ、ということなんですね。現代の家族の食について研究する岩村暢子さんが書いた『変わる家族 変わる食卓』 の中で、「丁寧に調べてみたら、日本の主婦の50%は言っていることと、やっていることが逆さまだった」って書いてあって、まさにこれも50%社会なんです。じゃあ、それがでたらめな社会かというと、要するにそれが日本で、そういう風に存在している、ということじゃないかって思うんです。
隈:どんな問題に対しても、日本人の本音は五分五分だ、ということなんですか。
養老:そう。この論の面白さは、「日本では半分の人間がウソをつく」という、シンプルな仮定だけがあるところなんです。高橋秀実さんが『からくり民主主義』の中で書いていたのも、まさしくそうでした。どんなに反対や賛成が激しくても、基地問題や原発問題では、その比率が51対49になるって。全員が賛成と言うと、お金が出ない。全員が反対になっても、お金は出ない。そこが、51対49だと最大限にお金を引き出せる。
隈:それを日本人は無意識的に学習しているのかもしれないですね。
養老:日本の社会は元来、本音を隠しながら、五分五分で調整してきているんじゃないかなって思いますね。
隈:確かに日本人は、やりたいことを「やりたい」って言いません。中国なんかに行くと、それこそ建築計画でも、みんな「やりたい」が、めちゃくちゃはっきりしています。「やりたいことは、ここでちゃんと儲けたいということです」って、はっきり言うけど、日本の大手不動産会社は「儲けたい」なんて、絶対言いません。

――何と言うんですか。

隈:社会に奉仕したい、とか(笑)。

――社会起業家みたいなんですね。

隈:だから日本の会議は、すごくフラストレーションがたまります。「この人は、結局何を言いたいんだろうか」と思うんだけど、そこで「あなたは何を言っているのでしょうか?」って聞くとまた、「それを言っちゃあおしまいよ」って感じになって、本当におしまいになる。

――KYな人になってしまう。

養老:儲けることは穢れとつながる、みたいな、そういうメンタリティーがあるのでしょう。
隈:その縛りが大きいんですね。お金を儲けることが企業の目的なのに、会議でそれを言ってはいけない。だから、不思議な雰囲気が漂うんですよ。

――確かに「日経ビジネス」上ですら、みなさん、おっしゃいませんね。
隈:でしょう(笑)。

養老:「儲けます」と言うと、ホリエモンみたいに捕まっちゃう。
隈:日本って、そういう社会なんですよ。

 ■「二人称の死」が大問題
――話をテーマに戻しますと、養老先生は死に対して一人称、二人称、三人称という分類をされていますよね。

養老:一人称とは「自分自身」のことで、二人称は「知り合いや家族」、三人称は「知らない人たち」ということで、その中で、二人称の死だけが考察の対象になる。
隈:それはどういうことでしょうか。
養老:そもそも自分が死んだら、 自分の死のことなんて考えられないでしょう。自分と縁のない三人称も死も、まあ関係ないよね。今、隈さんと僕が対談しているこの瞬間だって、世界を見ると、何人も人が死んでいるんですよ。でも、そのことは我々に何の関係もないでしょう。赤の他人だから。
隈:でも、ここにいる誰かが亡くなったら大ごとだという。
養老:そうそう。それが二人称の死ですね。それで、人にとって考えざるを得なくなるのは、二人称の死。それはつまり、共同体の問題になってくるんですよ。
隈:へえ。
養老:結局、死後に「自分」という主体が残るのは、共同体においてなんです。たぶん本人だって、共同体には記憶していてもらいたいと思うでしょう。その一番極端な例がユダヤ人で、彼らは墓を一切壊しません。都市計画で新しい道路ができる時も、ユダヤ人は墓地の移転はしないで、道路の下とかに作り直す。
隈:先生のおっしゃる共同体というのは、「私」と「あなた」という二人称の、もっと大きなもののことですか。
養老:そうですね。それも家族からもうちょっと広がって、日本の場合だと、世間といわれているもの。まあ、厳密に定義することは難しいのですが、一応自分とつながっているという前提の人たちですね。
隈:養老先生が、その死に対する距離感を考え始められたのは、いつぐらいからなんですか。
養老:僕は解剖をやっていたでしょう。そのころからですよね。解剖が行えるその対象というのは、基本的には三人称なんですよ。
隈:そうですよね。
養老:知り合いは嫌だもん。

――想像するだけで無理、無理、無理です。

養老:一度、僕らの先生だった教授から、ご遺体をいただいたことがあったんですよ。藤田恒太郎先生という実直な方で、そういう方なもんだから考えが真面目で、遺言でやかましく「自分の体を実習用に出しなさい」って指定されたのね。でも、1週間後に教室全員一致で引っ込めちゃった。「藤田先生がここにいらっしゃると、邪魔でしょうがな い」って。
隈:亡くなったはずなのに、影響力を発揮されている(笑)。
養老:解剖学の部屋に「二人称」がいると、生きているのと同じ扱いになってくるから、何ともやりにくくてさ。
隈:「二人称」と「三人称」の間の、「二・五人称」ぐらいはないんですか。
養老:たくさんありますよ。それもやりにくいものなんですよね。心理学でいろいろ言われていますが、例えば政治家だって、一度でも顔を見たことのあるやつって、強いんですよ。彼らは人に顔を見せると票になるって分かっているから、あんなにニコニコして握手して歩くんだよ。
隈:そこで握手した人にとっては、他人じゃなくなるわけですね。
養老:そうなんだよね。

■人は「頬に触れる」より「手を握る」ほうが抵抗がある
隈:握手で言えば、先生は以前、解剖では手が一番抵抗があるっておっしゃっていましたね。手には顔以上に、三人称も二人称に引き寄せる妙な力があるんじゃないかなって気がする。
養老:それは酒場でしょっちゅう言って聞かせている。飲んでいる最中に、隣の男にこうやって手を握ろうとすると、すっ飛んで逃げるよ(笑)。
隈:女性にやったら、危ない結果になりそうだけど。
養老:解剖をやっていたころ、酒を飲んで横須賀線に乗っていて、目が覚めたら、僕の左手が隣の人の太ももをつかんでいた。何か夢を見ていたんだね。

――先生、危ないです。

養老:自分でも怖かったですよ。ただ、その隣のやつは男だった。女だったら大変よ。

――女性だったら、先生の今はなかったかもしれません。

養老:まだ東大の現職中だった。だから僕は「飲んだら乗るな、飲むなら乗るな、ただし電車に」って、標語にしたんだけど。
隈:車じゃないんですね(笑)。 それにしても、手が持つ意味って大いにあると思います。ヨーロッパで仕事をすると、相手の頬にキスする挨拶があるじゃないですか。あれ、日本人にはあり得ない接触ですが、その挨拶に慣れちゃうと、むしろ手を握る方が緊張する。頬と頬は平気なのに、手と手を合わせると、距離がすごく近くなる気がします。
養老:確かに頬の方があまり抵抗ないね。
隈:頬に反応していたら、日本の満員電車に乗れない(笑)。でも、その中で手を握られたら、びっくりします。
養老:満員電車で手を握ったら、間違いなく痴漢だね。 ≫(日経ビジネス:ライフサプリ:養老孟司と隈研吾「ともだおれ」思想が日本を救う

■ 養老孟司×隈研吾 「ともだおれ」思想が日本を救う
【 環境問題に代表されるいまの社会のさまざまな課題は、「生き物」としての私たちが、合理性、均質化、分業による効率の追求に耐えきれなくなってきた、その表れなのではないか? 偏ったバランスを、カラダの方ににちょっと戻すためにはどうしたらいいのか。
 現代人は「脳化社会」の中に生きていると喝破した養老孟司氏と、ヒトの毎日の環境である住宅、都市の設計を行う建築家の隈研吾氏が、次のパラダイムを求めてゆったりと語り合います。 】

*注書き:この壮大長期コラムの目次は、以下のURLを参照願おう。2008年9月から続いているので、気長に読むことをお勧めする。小生も無論すべてを読み終えてないが、日経ビジネスの懺悔のコラム企画のようにも思えて、思いのほか面白い。この両氏が生きている間続くのか、その辺は判らない(笑)。 http://business.nikkeibp.co.jp/bns/bnclm.jsp?TOPID=163456&OFFSET=20

西行花伝 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社

 

里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
クリエーター情報なし
角川書店


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●官邸プロパガンダの請負人 長谷川幸洋が持つ「二つの顔」

2015年01月11日 | 日記
イスラム国 テロリストが国家をつくる時
クリエーター情報なし
文藝春秋
イスラム国の野望 (幻冬舎新書)
クリエーター情報なし
幻冬舎


にほんブログ村 政治ブログへ

●官邸プロパガンダの請負人 長谷川幸洋が持つ「二つの顔」

 安倍官邸に身も心も売り払ったジャーナリスト紛いを探すのはいとも容易い。テレビの顔面に石を投げれば、誰かに当たるし、週刊誌に投げつけても、誰かに当たる。しかし、ニュートラルな持論を投げ捨てて、政治保守権力のメッセンジャーに変節したジャーナリスト紛いは、そうそう居ない。その希少なジャーナリストこそ、長谷川幸洋だ。彼の書いているコラムは、右派陣営が常々言っていることをトレースしているだけなので、どうでも良いのだが、この人が、多くの人々が未だにニュートラルな論を張れるジャーナリストだと思っていることが問題なのだ。講談社も、或る意味で騙されているか、敢えて使い続けているか、その辺は定かではない。

 長谷川のコラムは、直近の一面的現象を鷲づかみにして、それがあたかも普遍な事実関係と云う前提で語る手法を取っている。世界観や世界レベルの歴史認識を共有していない安倍晋三政権にとって、プラスかマイナスかと、極めてテレビ屋的、トップ屋的モノの見方に読者を引き摺り込む。直近のギリシャ不安は左派政権が誕生する可能性は、一因に過ぎない。EU圏全体を覆っている経済成長不足による恒常的経済不況とロシア経済制裁がボディーブローのように効きはじめている背景が、ギリシャ不安を必要以上に増幅させているのだ。単に、ギリシャ一国が、政情不安が故に、国際的不安を与えているわけではない。一番、不安を感じているのは、マネー勢力の陣営の連中だ。つまり、長谷川は、マネー世界の「使いパシリ」なのである。

 長谷川の論は、常に欧州中央銀行(ECB)と欧州金融安定化基金(EFSF)、国際通貨基金(IMF)、時に世界銀行も加わった、「IT金融主義」と云う、アメリカの経済戦略に則った形で話を展開する。つまり、実体の伴う資本主義に変わって登場した「IT金融主義」の広報マン的論に常に乗って発言しているに過ぎない。長谷川は、殆どに人間が気づくわけがないだろうと、高をくくって、ギリシャのユーロ離脱とロシア接近に言及しているが、EUはアメリカからの指示待ちで、みすみすギリシャを中露印トルコを中心とする「ユーラシア共同体構想」の枠組み入りを後押しする器量は持っていない。

 長谷川は、長々とギリシャ危機に言及しながら、唐突にロシアの動きに話を飛躍させた。その飛躍の根拠がふるっている、≪ウクライナに侵攻したロシアは欧州と厳しく対立している。苦境の元はといえば、ロシアがウクライナに侵攻したのがきっかけだった。≫と、動かし難い事実の如くプロパガンダを言説を潜り込ませ、嘘八百の世界に読者を引き摺り込む。中国習近平の政治的行動パターンを読み解くような顔をして、情報源が産経新聞と石平氏だと書き込む辺りで、長谷川が、中国の何ごとも知らないな?と云う事実が露呈している。

 中国が経済成長7%云々と評論家面するくせに、日本の経済成長のマイナスは、さて置いてなのだから、自陣の欠点には目を瞑り、反目する相手方の欠点に執着して、話を進める。まさにこれが大本営的な発想なのである。その上、プーチンが、安倍に泣きを入れてきて、経済的支援を求めてくると妄想する。それを長谷川は「戦略的」だとほざくのだから酷い(笑)。そして、とどのつまりに、アメリカはイザとなったら一枚岩の国、これからもアメリカよいしょで行きましょうと締めくくる。屑だね、ボケ滓ジャーナリストの典型だ。この人物は、百田尚樹並みの安倍傀儡論者である。ただ、彼は二重スパイ的体質も持ち合わせ、CIA的な臭いも漂う。このような事前知識の上で、長谷川のコラムを読むのも一興だ(笑)。彼が20世紀的化石化した思考の中で右往左往詭弁を駆使しているのが良く理解出来るコラムだと言える。


にほんブログ村 政治ブログへ


 ≪ ギリシャ不安、ロシア苦境、中国権力闘争・・・不透明な国際情勢は 安倍政権にプラスとなる
 日本を取り巻く国際環境の不透明感が強まっている。ロシアは原油安とルーブル安で苦境に立たされ、中国は景気が減速する中、習近平主席が権力闘争に突入した。そして、欧州ではギリシャ不安が再燃している。これらは安倍晋三政権にとってプラスなのか、マイナスなのか。

■ギリシャのユーロ脱退で、第2のリーマンショック?
 まずギリシャ情勢だ。最初に危機が起きたのは2009年10月の政権交代がきっかけだった。中道左派が政権を握ると、財政赤字のごまかしが発覚し、それまで4%程度とされた国内総生産(GDP)に比べた財政赤字は13.6%と3倍以上に膨らんだ。  
 緊縮財政策に反対する市民のデモが広がり、12年5月の総選挙では左翼政党が躍進したが、連立政権の樹立に失敗。翌6月の再選挙でようやく緊縮策を実行する政党が勝利して連立政権を作り、事態は落ち着いたかにみえた。
 ところが昨年末、議会が大統領を選任できず、1月25日に総選挙の実施が決まった。事前の予想では、緊縮策に反対する急進左派連合(アレクシス・ツィプラス党首)が勝利する見通しが強まっている。
 もしも左派が勝利すると、新政権はギリシャ債務の75%超を保有する欧州中央銀行(ECB)と欧州金融安定化基金(EFSF)、国際通貨基金(IMF)の「トロイカ体制」に対して大幅な債務減免を求めるとみられ、交渉の難航見通しが国際金融不安をかりたてているのだ。
 ギリシャは欧州共通通貨、ユーロのメンバー国である。ツィプラス党首はかつてユーロ圏からの離脱をほのめかしながら、欧州連合(EU)やIMFに妥協を 迫っていた。今回はユーロに残留する意向を表明している。とはいえEUの主導的地位を占め、ECBとEFSFの最大出資国でもあるドイツはギリシャがユー ロを離脱する可能性を視野に入れている。
 これまではギリシャの危機がイタリアやスペインなど他のユーロメンバー国にも波及する可能性があった。今回はEUの安全網が整い、ギリシャ以外の国債価格はいまのところ安定している。だからドイツには「ギリシャが出て行くなら勝手にどうぞ」という強気の姿勢がにじみ出ているのだ。
 ギリシャが本当にユーロを脱退した場合、どうなるか。いまのところ「危機は他国に拡大しない」という楽観論と「第2のリーマン・ショックになる」という悲観論が交錯している。いまや19カ国に拡大したユーロ圏から脱退した前例はないだけに、金融市場も今後の展開を読み切れていないのが実情だ。
 ユーロ脱退なら、ギリシャは旧通貨であるドラクマを復活する。その場合、ドラクマはユーロに比べて大幅に価値が下落するのは避けられない。そうなると当然、国内経済はいまより一層、困窮する。混乱がギリシャだけにとどまればいいが、ギリシャ国債の暴落が他国の金融機関にダメージを与える可能性は残っている。

■ギリシャとロシア。欧州の枠組みにかかわる政治問題
 一方、交渉がまとまってユーロに残留する場合でも、そこで話は終わらない。急進左派連合の強腰路線が成功すると「ゴリ押しが通る」実例になって、他国でも同じような急進政党が躍進するきっかけになるかもしれない。どちらに転んでも、EUの政治的安定性と一体感を損ないかねないのだ。  
 もともとギリシャは東西両陣営が火花を散らした冷戦の発祥地だった。私が90年代半ばに欧州の特派員をしていたころ、アテネの空港に降り立つと、旅行鞄を携えた大勢のロシア人の一団がいたことを思い出す。ギリシャはロシア人にとって親しみやすい欧州の保養地だった。
 ギリシャがユーロを脱退すれば、欧州と距離を置くだけではない。その反動でロシアに接近するかもしれない。ウクライナに侵攻したロシアは欧州と厳しく対立している。つまり、ギリシャ危機の本質は債務問題というより、欧州全体の枠組みに関わる政治問題なのだ。
 そのロシアはいま、かつてない苦境にある。ロシアの輸出の7割は原油と天然ガスだ。欧米の経済制裁も効いている。ルーブルに加えて原油価格の急落で外貨不足に陥り、物価は急上昇中だ。経済発展相は年末までにインフレ率は10%に達する、と語っている。
 プーチン大統領は高い支持率を保っているが、生活苦が高まって本格的な経済危機になれば、どうなるか。政権維持のために一段の対外強硬策に踏み切る可能性は捨て切れない。苦境の元はといえば、ロシアがウクライナに侵攻したのがきっかけだった。ここでも問題は政治的である。

■毛沢東の再来目指し始めた習近平主席
 それから中国だ。習近平主席は昨年7月に上海閥(江沢民派)の大物である周永康・元中央政治局常務委員を摘発した。これだけでも世界を驚かせるのに十分だったが、昨年末には突如として、共産主義青年団(共青団)派(胡錦濤派)の大物である令計画・党中央統一戦線工作部長も「重大な規律違反」で摘発した。これをどう読むか。
 中国ウオッチャーの石平氏によれば、習近平は当初、胡錦濤派と「連携して共通の敵である江沢民派の一掃を図った」が、江沢民派という「共通の敵」が一掃されてしまうと、今度は「『腐敗摘発』の矛先を胡錦濤前主席の率いる共青団派に向けてきた」と分析している(http://wedge.ismedia.jp/articles/-/4590)。
 中国の権力構造が「上海閥」と「共青団派」、それに元高級幹部子弟の集まりである「太子党」の3大派閥で構成されているのは、よく知られている。習近平自身は太子党の出身だ。そういう枠組みで理解すれば、ここまでの展開は太子党の有力者である習近平が上海閥だけでなく、一時は共闘していた共青団派にも攻撃の手を広げた、という話になる。
 それにとどまらない。
 新年5日付けの産経新聞によれば、習近平は最近、自分の子飼いの部下たちを続々と要職に就けて「新しい習派」「習近平親衛隊」とも呼ぶべき自分の派閥作りに取り組み始めたという。
 そうだとすると、習近平はまさに「新しい独裁者」として前例のない熾烈な権力闘争を始めたといえる。石平氏が繰り返し指摘してきたように、習近平は毛沢東の再来を目指しているかのようだ。
 中国経済はどうかといえば、不動産バブルはとっくに弾けてしまった。国家的闇金融であるシャドーバンキングが高利回りを生み出す源は不動産投資だった。手品の種である不動産バブルが弾けたのだから、シャドーバンキングの破綻はもはや避けられない。
 中国政府は成長率の目標を7.5%としてきたが、中国人民銀行は昨年12月、2014年は7.4%にとどまり、15年は7.1%に減速するという見通しをあきらかにした。当局自身が景気減速を認めた形である。金融市場では「実際はもっと低い」という見方が一般的だ。
 中国は景気後退下で権力闘争が深刻化しつつある。景気がいいときなら、国民は政治に無関心でいられるかもしれない。だが、景気が悪いと「おれの暮らしが悪いのは政治が悪いからだ」と考えやすい。
 習近平が国民の不満をそらすために、外に敵を作ろうとするのは自然である。昨年末には、中国の軍艦2隻が尖閣諸島沖合70キロまで最接近し、沖合200キロ前後の海域に常駐していることも報じられた。尖閣の緊張は収まるどころか、険しさを増すばかりだ。

■政治的には安倍政権に好機到来
 こうしてみると、日本を取り巻く国際環境は経済もさることながら、すぐれて政治的な激動の渦中にあるとみるべきだ。言い換えれば、単に経済的な損得勘定だけで、日本にプラスかマイナスかを判断すべきではない。もっと戦略的な視点が必要だ。
 たとえば、欧州が混乱してデフレやマイナス成長に陥れば、経済的には日本にもマイナスだ。ロシアや中国の景気後退、経済危機も同じである。だが政治的にどうかといえば、必ずしもマイナスとは言い切れない。日本の存在感が相対的に高まるからだ。
 苦境に陥ったプーチンが安倍に助けを求めるとすれば、日本にとっては、まさに好機到来になるだろう。国内政治をみても、中国の脅威が増せば、安倍政権の政治的求心力は逆に高まる。ロシアの脅威についても同様だ。
 ギリシャ、ロシア、中国とまるで申し合わせたように昨年末、先行き不透明感が高まった。まさにその直前、安倍政権は解散総選挙に圧勝して政権基盤を固めた。それは、いまとなっては幸運だったとしか言いようがない。総選挙の後、これほど海外から暗雲が垂れ込めてくるとは思いもよらなかっただろう。
 米国は危機が起きると、国内が一致団結して政権の求心力が高まる。同じメカニズムは日本にもあてはまるのではないか。(一部敬称略) ≫(現代ビジネス:ニュースの深層・長谷川幸洋)

イスラム戦争 中東崩壊と欧米の敗北 (集英社新書)
クリエーター情報なし
集英社
イスラム国の正体 (朝日新書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●多面的な考察必須 パリ事件をテロと短絡に解釈するな

2015年01月10日 | 日記
幻滅 〔外国人社会学者が見た戦後日本70年〕
クリエーター情報なし
藤原書店


にほんブログ村 政治ブログへ

●多面的な考察必須 パリ事件をテロと短絡に解釈するな

 本日の仰々しい見出しの前に、なんともチンケな国内の話題にも触れておこう。先日のコラムで書いたように、麻生太郎の「経済界守銭奴説」を支持するのは、小生だけでなく、知事連中も応援歌を歌っている。知事会長の山田京都府知事は、「表現はともかく、まったくの同感だ」続けて「アベノミクスの効果がピンハネされている」と更にエスカレート発言まで飛び出した。しかし、経済界の面々にも言い分や忸怩たる気持ちを持っている人々も少なからず居るのだろうと小生は思う。しかし、先日のコラムで書いたように、そうせざるを得ない事情もある事は理解しておくべきだ。

 麻生は、アベノミクスが頓挫しているのは、賃金や国内設備投資が、経団連が声高に宣伝している割には、実態は、殆ど動きがないことへの苛立ちが言葉になったのだろう。なぜ日本の企業だけが、ここまで守銭奴的になったのか、幾つもの歴史的原因がある。バブル崩壊時の自己資金の不足、会計基準の国際化への無恥度、株式の持ち合い関係の崩壊、取締役への損害賠償訴訟、ハゲタカファンドや物言う株主の攻勢、自己株の取得など多くの歴史的経緯を積み重ねて縮こまっている面もある。しかし、何といっても一番彼らが言いたいことは、魅力的市場がないから仕方ないと云う言い分だろう。彼ら自身、成長の限界を、実は知っている証左なのだ。経済3団体は、口を揃えて「ベア容認」をぶち上げるが、ベアアップ程度で壊れた労働分配率を変えることは不可能なので、ほとんど意味をなさない。≫(拙コラム)

 さて、本題に入ろう。今回のパリ・風刺画テロ事件の経緯や背景は、以下の時事通信の記事を羅列することで、まずはザックリ把握していただこう。

≪ 仏紙襲撃容疑者2人死亡=印刷会社、ユダヤ食品店で籠城-部隊突入、人質一部犠牲に
【パリ時事】パリ北東約40キロのダマルタンアンゴエルで9日、フランスの風刺週刊紙シャルリー・エブド銃撃事件の実行犯2人が警官隊と銃撃戦を展開、その後、人質を取り印刷会社に立てこもった。仲間とされる別の男もパリ東部ポルトドバンセンヌ付近のユダヤ教食料品店で子どもを含む少なくとも5人を人質に取り籠城。仏特殊部隊は午後5時(日本時間10日午前1時)ごろ、2カ所にほぼ同時に突入、ロイター通信は食料品店の人質少なくとも4人が死亡したと伝えた。世界を揺るがせた銃撃事件は発生から3日目で終結した。 印刷会社に立てこもったのは風刺紙銃撃のシェリフ・クアシ(32)、サイド・クアシ(34)両容疑者。人質は同社幹部とみられる。AFP通信によると、建物を包囲していた特殊部隊は突入後、両容疑者を殺害。人質も無事救出された。
 両容疑者は7日午前にパリの風刺紙本社を襲撃し、警官や編集長ら計12人を殺害。車を乗り捨てながら逃亡し、9日にも女性から車を強奪した。この女性が直ちに当局に通報、車を発見した当局との銃撃戦を経て印刷会社にたどり着いた。
  ユダヤ教食料品店に立てこもったのはアメディ・クリバリ容疑者(32)とみられ、仏ラジオによると、クアシ容疑者の解放を要求していた。当局はパリ南部の郊外モンルージュで8日に女性警官が射殺された事件の武装犯と同一人物とみている。仏テレビによると、クリバリ容疑者は2010年にシェリフ容疑者らと共にイスラム過激主義者の脱獄を計画。当局から逮捕されて禁錮刑を受け、約2カ月前に出所したばかりだった。
 AFP通信によると、クリバリ容疑者は突入作戦で殺害された。
  現場では立てこもる前のクリバリ容疑者と警官隊の間で午後1時(同午後9時)ごろに銃撃戦があったとみられる。2人が死亡したとの情報もあったが、これを否定する報道もあり、真偽は不明。ヘリコプターが上空を旋回する中、近隣の学校では児童を学内に退避させる措置が取られ、警察は周辺の住民に自宅にとどまるよう要請した。 ≫(時事通信)

  ≪「反イスラム」拡大に懸念=仏銃撃事件で中東メディア
【ドバイAFP=時事】フランスの風刺週刊紙シャルリー・エブドの本社銃撃事件では、実行犯とみられる兄弟とイスラム過激派とのつながりが指摘されている。中東や北アフリカなどイスラム諸国のメディアは8日、事件を大きく取り上げ、「反イスラム」の風潮が広がりかねないことに懸念を示した。
 仏捜査当局によれば、仏国内2市で銃撃事件後、イスラム教徒が祈りをささげる場所が放火された。チュニジア紙ワタンは、2011年の米同時テロ後と同様、フランスなど欧米でイスラム教徒が憎悪犯罪の標的になりかねないと報じた。
  事件に対しては、各紙とも強い衝撃と憤りを表明している。モロッコ紙アフダト・マグリビヤは1面で、今回の銃撃が「われわれ全員を殺す正当化できない犯罪行為だ」と非難。レバノンの仏語紙ロリアン・ルジュールは「私はシャルリーだ」と題した社説で、事件を「(イスラム)穏健派の過激化をもくろむ邪悪な行為だ」と断罪した。
 一方、イラン改革派系紙シャルグは、シャルリー・エブドが06年に発行し、イスラム諸国で抗議行動を引き起こした預言者ムハンマドの風刺画が「テロリストがイスラムの名の下、身の毛もよだつ行為を実行する口実にされた可能性がある」と分析。カタール紙アッシャルクは過激主義に立ち向かうため、イスラム諸国と西側諸国は「真剣な対話」を進めるべきだと訴えた。 ≫(時事通信)

 今回のイスラム過激派3人による犯行が、非組織的テロではないのか、と云う疑問は的中したようだ。今回の事件の全貌は、今後ある程度は解明されるのだろうが、特長が非組織的なジハードだと云う点が気がかりだ。テロは許せない悪質な犯罪だと言うのは簡単だ。アルカイダやイスラム国のようなイスラム過激派は人類の敵だと云う、西欧型プロパガンダ報道の中に埋め込んでしまうようでは、問題は際限なく拡大の一途を辿るのだろう。イスラム諸国と西側諸国の価値観の相違は明らかだが、価値観に優劣をつけたがる西側諸国の横暴に、テロ紛いの行為で対抗するのは、弱者や貧者の唯一の武器であることも、忘れてはならないだろう。

 これだけ、経済がグローバル化してしまった現状では、マネーは価値観の相反する国々の国境をも乗り越えてしまうわけだから、マネー経済から、西側、特に米国が脱却することでもない限り、永遠に悪しき連鎖はとどまらないだろう。アメリカの隷属国家のように振る舞っていたサウジアラビアも、ここに来て、アメリカに楯突く様々な事情が生まれてきている。今回の原油の暴落騒動も、世界的なヘゲモニーの争いごとと捉えることも可能なのだから。イスラム過激派の背後に、チラチラ見え隠れしている最もイスラム的国家サウジアラビアがある事は、暗黙の理解事項だったのだから、根は深い。

 アメリカはシェールガス革命で、中東を無視する傾向を強めたのは事実だろう。西側の自由・民主・資本主義と云う価値観を表向きの看板にする運命にあるアメリカにしてみれば、本来であれば、イラン同様の攻撃対象であってもよかったわけだが、エネルギー政策に西側に親和的なサウジなどは、モラトリアムに置かれたと理解して良いだろう。しかし、シェール革命以降の米・サウジ関係は、かなりに軋みを伴って瓦解の過程に入っていると見るべきなのだ。そうなると、イスラム過激派が抬頭してきただけでは済まされないわけで、イスラム諸国と西側諸国の価値観の正面対立もあり得るわけで、訳が分からなくなってくる。

 もっともイスラム戒律を遵守してきたサウジアラビアが、西側諸国の価値観と当然バッティングするのが自然で、今までが、アメリカの得意中の得意であるWスタンダードで、モラトリアム化されていたわけだが、その根本的部分が露呈することになるだろう。到底、小生程度の知識や洞察力では歯が立たない問題のようだが、イスラムと西側の価値観の違いが、ガチンコ勝負になる可能性も高まっている。そういう観点からみると、アメリカはウクライナなどに頭や口を挟んでいる余裕はないのではないのだろうか。仏、伊、ハンガリー等々、ロシアとの諍いから離脱したい機運は高まっている。ドイツ全体も離脱の方向なのだが、なにせメルケル首相がオバマの虜なので、将来に禍根を残すのかもしれない。しかし、あべちゃん問題などを書くよりも数段頭の体操にはなる世界の混沌だ。もう、民主党の代表選など、田舎の村長レベルの争いに見えてくる。

抄訳版 アメリカの鏡・日本 (角川oneテーマ21)
クリエーター情報なし
角川書店


 にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●一目瞭然、反面教師体現の安倍政権 道徳教科など不要

2015年01月09日 | 日記
アメリカはイスラム国に勝てない (PHP新書)
クリエーター情報なし
PHP研究所


にほんブログ村 政治ブログへ

●一目瞭然、反面教師体現の安倍政権 道徳教科など不要

 最近の安倍晋三周辺の人間達の言動を見るにつけ、彼らは、道徳修身でやってはイケない、と云う事を現実に国民や子供たちに見せてくれているのだから、文科省の下村が躍起になって「道徳教育」などする必要はないだろう。自分より力が弱いと認定できるもので、自分達の意に沿わないものには、幾らでも嫌がらせをしても、何ら痛痒がない。子供たちよ、これこそがイジメの実態だよ。わざわざ教科書にするには及ばない。安倍政権が、反面教師を演じてくれているのだから、不要な歳出は控えるべきだ。

 北朝鮮やイスラム国などが、言論表現の自由に介入するのはケシカランと人は言う。しかし、世界や時代には様々な価値観があるわけで、これが絶対真理であり、あっちは悪魔だ、と云うような論は、論理性がない。そのような観点に立てば、言論表現の自由が地球上の普遍的価値観などと、知ったかぶりして演説に使ってしまうあたりに、安倍の無教養がむき出しになる。異論には、悉く感情をむき出しにして切れる姿を衆目に晒すのだから、立派な反面教師ぶりである。

 資本主義・民主主義・自由主義等々、20世紀的観念が絶対的価値だと信じて疑わない、実はこれこそがヤバいのではないかと、思い至る思考も必要だろう。言論の自由や表現の自由を許さない国家や文化もあるわけで、それらの考えを、悪魔だと断定する根拠が本当に存在するのか、社会学や哲学的次元で考えてみる必要もあるだろう。また、言論の自由や表現の自由を許している国家においても、その制限をシステマチックに無効化させる資本主義・民主主義・自由主義等々を標榜する国家が現にあるではないか。西側諸国の多くのメディアが、その範疇にあるのだから、表現の自由や言論の自由を正面から許さないと云うのと、システマチック許さない違いが何処にあるのか、小生には判らない。

 安倍政権などは、赤裸々に言論、表現の自由に縛りをかけているのだから、まあ正直者と云う見方も出来る(笑)。ただ、子供への教育等のレベルにおいては、道徳の見本にはならず、明らかに反面教師的な振舞いを日々演じている。その上、安倍政権などは、意に沿わない考えを相手が持っていても、相手が厄介だったり、明らかに強そうだったりすると、途端に口調が弱々しくなる。強きを助け弱きを挫くってのは、こういう風にするんだよと国民や子供に示してくれるのだから、生きた反面教師像である(笑)。それにしても、翁長沖縄県知事への安倍政権の対応は、目をそむけたくなる。反面教師だと皮肉を言うだけでは済まされない醜悪さだ。「オール沖縄」の風が、より団結を強めた時、日米政府はのっぴきならない禍根を残すことになるような気がする。

≪ <社説>対話拒否 安倍政権は知事と向き合え
 安倍政権は県知事選と衆院選の県内選挙区で完敗した意味をよく理解できていないのではないか。そうとしか思えない振る舞いだ。
 サトウキビ交付金に関して県が上京中の翁長雄志知事と西川公也農相の面会を求めたのに対し、農林水産省はこれを断った。
 農水省は日程を理由としたが、農相はJA関係者の要請には応じ、自民党の地元国会議員が同行している。閣僚への面会では一般に与党議員が仲介し、知事らが同行することが多いが、翁長知事は呼ばれなかった。自民党側が排除した形だ。
 県の要請を断った農水省の対応は極めて遺憾であり、県民の代表たる知事に対する官庁の対応として問題含みだ。農相らは官邸の顔色をうかがっているのだろう。
 昨年末、就任あいさつで上京した翁長知事に対し、安倍晋三首相や菅義偉官房長官らは会わなかった。今回の対応もその延長線上にあるが、翁長知事への冷遇が県民感情をさらに悪化させている現実が首相らには分からないようだ。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を掲げて知事選で大勝した翁長氏との対話を拒むその姿勢は、その公約を支持した多くの沖縄の声を無視することにほかならない。民主主義の原点をも否定するような対応ではないか。
 安倍政権は新年度沖縄振興予算の減額を検討しているとも伝えられる。事実とすれば、基地と振興はリンクしないと強調してきた説明を自ら否定するものだ。政権方針に反対する沖縄を力で組み敷こうとする態度がにじむ。
 一方で自民党本部も、沖縄振興予算について議論する8日の沖縄振興調査会に翁長知事の出席を求めなかった。こちらも前県政時とは手のひらを返したような対応だ。
 党県連内には「衆院選でも反自民候補を支援した政敵に協力する必要はない」との声があるという。政党としての当然の論理、と言いたいようだが、政権党として、あまりに狭量な対応だ。権勢を誇示しようという思惑もちらつくが、地元益より党利党略を優先させるような対応では県民の支持は離れるだけだ。  政権側の対話拒否について翁長知事は「あるがままの状況を県民や本土の方に見てもらい、考えてもらえればいい」と語った。安倍政権は知事冷遇への反発が広がる沖縄の民意を今こそ直視し、その非民主的な対応を恥じるべきだ。 ≫(琉球新報)


≪ 爆笑問題、政治家ネタが没に NHKのお笑い番組
 お笑いコンビの爆笑問題が7日未明に放送されたTBSのラジオ番組「JUNK爆笑問題カーボーイ」で、NHKのお笑い番組に出演した際、事前に用意していた政治家に関するネタを局側に没にされたことを明らかにした。
 出演したのは3日に放送された「初笑い東西寄席2015」。爆笑問題はNHKアナウンサーとともに司会を務めていた。
 ラジオ番組によると、放送前に番組スタッフに対して、「ネタ見せ」をした際、政治家のネタについてすべて放送できないと判断されたという。
 番組の中で田中裕二さんは「全部ダメって言うんだよな。あれは腹立ったな」と話した。太田光さんは「プロデューサーの人にもよるんだけど、自粛なんですよ。これは誤解してもらいたくないんですけど、政治的圧力は一切かかってない。テレビ局側の自粛っていうのはありますけど。問題を避けるための」と話し、田中さんは「色濃くなってるのは肌で感じるね」と応じた。
 NHK広報部は朝日新聞の取材に、「放送にあたって娯楽番組の際の通常の打ち合わせを出演者と行いましたが、打ち合わせの中身に関することについては、普段からお答えしていません」としている。 ≫(朝日新聞デジタル)

幕末維新史の定説を斬る (講談社文庫)
クリエーター情報なし
講談社


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●民主主義の三権が腐っても怒らぬ日本人 自壊するまで待とう?

2015年01月08日 | 日記
ニッポンの裁判 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社


にほんブログ村 政治ブログへ

●民主主義の三権が腐っても怒らぬ日本人 自壊するまで待とう?

 今日は時間の都合で、以下の現代ビジネスのインタビュー記事で、小生のコラムに変えさせていただく。現代人に珍しい、権力のプラットフォームに厳然と座る権利を有しながら、下野する勇気に乾杯だ。政治の世界では、こう云う人は少ない。官僚機構では古賀茂明氏くらいのものだろう。小沢一郎、鳩山由紀夫の去った、自民党、民主党にも、本気な連中は僅かにしか残っていない。日本の民主主義の三権のエリアに、これといった人物が少なくなった20世紀後半から21世紀の今。

 三権分立も形式にすぎず、中身はそれぞれに立派に腐っているわけだから、国民が、選挙における棄権は、民主主義の崩壊だと、いくら諭してみても、既存のカチカチのプラットフォームを楯突くことの無意味さも知っているし、いずれの日には、そのような詐術的土台は、自壊するのが歴史の事実。そう云う「空気観」を日本人は、民族的に「日本教」として身につけているのかもしれない。愚民の顔をして、実は賢人なのかもしれない。まあ、小生がとやかく言う必要もないくらい、現代ビジネスと瀬木比呂志氏は、鋭く日本の司法を抉っている。お愉しみください。

≪ 唖然、呆然、戦慄、驚愕! 日本の裁判は本当に中世並みだった! 
『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー  『絶望の裁判所』は序章にすぎなかった・・・・・・

【2015年1月16日、講談社現代新書より、日本の裁判のリアルな実態を描いた『ニッポンの裁判』が刊行される。著者の瀬木比呂志氏は、明治大学法科大学院専任教授で元裁判官。 裁判官たちの精神の荒廃と堕落を描いた、前作『絶望の裁判所』は法曹界を騒然とさせたのみならず、司法をテーマとした一般書籍としては異例のベストセラーとなった。「『絶望の裁判所』は序章に過ぎなかった・・・・・・」と帯のコピーにあるとおり、『ニッポンの裁判』 の衝撃度は前作をはるかに上回る。冤罪連発の刑事訴訟、人権無視の国策捜査、政治家や権力におもねる名誉毀損訴訟、すべては予定調和の原発訴訟、住民や国 民の権利など一顧だにしない住民訴訟、裁判の「表裏」を知り抜いた元エリート裁判官の瀬木氏をも驚愕させた「ニッポンの裁判」は、もはや中世の暗黒裁判並みの「超」絶望的なものだった。】

Q: 『絶望の裁判所』刊行から約1年が経過しましたが、あらためて司法批判の第2弾、しかも私のみるところより強力、衝撃的で、分量も大きい書物を刊行されたのは、なぜでしょうか? 

瀬木:『ニッポンの裁判』は、『絶望の裁判所』の姉妹書です。『絶望』が司法制度の構造的批判の書物であったのに対し、『ニッポン』は日本の裁判の総体としての分析、批判を内容としています。 ですから、内容は関連していますが、相互に独立した書物です。もっとも、双方の書物を読むことでより立体的な理解が可能になることは間違いありません。その意味では、車の両輪のような関係ともいえます。 裁判所、裁判官が国民、市民と接する場面はまずは各種の訴訟ですよね。そして、その結果は、判決、決定等の裁判、あるいは和解として、人々を、つまりあなたを拘束します。 つまり、裁判や和解の内容こそ国民、市民にとって最も重要なのであり、制度や裁判官のあり方は、その背景として意味をもつにすぎないともいえるのです。その意味で、『ニッポンの裁判』は、どうしても書いておかなければならない書物だと思っていました。 裁判というものは、日本人の多数が思っているよりもずっと重要なものです。各種の法規は、個々の裁判、判例によって初めて具体化されるものだからです。 また、裁判の結論というものは、個々の裁判官の思想、人間性、能力等によっていくらでも変わりうるものであって、その裁量の幅も非常に大きいのですよ。

Q:なるほど。それでは、なぜ、『絶望の裁判所』のほうを『ニッポンの裁判』に先行させることを決められたのしょうか?

瀬木:それは、裁判の内容を正確に理解するのが、それほどやさしいことではないからです。法学部や法科大学院の学生たちにとってさえ、最初のうちはそうです。 僕が、裁判の分析に先行して、まずは、誰にとってもその形がみえやすくその意味が理解しやすい制度の分析を行ったのは、そのほうが裁判の内容の理解も容易になるからということが大きかったのです。でも、逆に、『ニッポンの裁判』を先に読んでから『絶望の裁判所』を読むという順序でも、裁判と制度の絡み合いはよくわかると思います。ああいう裁判所、裁判官だから、ああいう判決が出るのだ、ということですね。 『ニッポンの裁判』では、僕のこれまでの裁判官、学者、そしてライターとしての経験とキャリアを総動員して、日本の裁判のあり方とその問題点、その核心を、具体的な例を挙げながら、詳しく、かつ、できる限り興味深く、わかりやすく、論じることに努めました。

Q:確かに、興味深いだけでなく、非常にわかりやすい書物ですね。『絶望の裁判所』の大きな書評(斎藤環氏。2014年5月11日朝日新聞読書欄)にあった、『複雑明快』という言葉が、この本にもぴったり当てはまるような気がします。 320頁というヴォリュームですが、その内容はそれこそ500頁ほども「濃密」なのではないか。しかも、面白く、また、すごくリアリティーがあって、一気に読ませられてしまいます。

瀬木:ありがとうございます。 僕は、先ほど述べたような3つの仕事で、興味深く、わかりやすく、正確に「伝える」のがいかに難しいかということは肌身にしみて感じてきました。『ニッポンの裁判』では、正確さや的確さは保ちつつ、よくある無味乾燥な法律的記述は絶対に避けるように努力しています。その成果が実ったとすれば、うれしいですね。

Q:『絶望の裁判所』も衝撃的な作品でしたが、『ニッポンの裁判』の衝撃度はそれをはるかに上回ると感じました。日本の司法は、「絶望」という言葉ですら控えめに思えるほどの「超」絶望状況にある。驚きました。 2012年まで裁判官だった瀬木さんでさえ、あきれ果てられているようですが・・・・・・。

瀬木:そうですね。この本を書くために、日本の裁判の全分野についてかなり掘り下げたリサーチを行ったのですが、それが進むにつれて、自分でも驚いてしまったというのが事実です。「ここまでひどいのか、ひどくなっているのか!」ということですね。 僕は、子どものころから一度として左派や急進派の思想に傾倒したことはなく、基本的には、芸術と科学を愛する一自由主義者、一介のボヘミアン学者にすぎないのです。 『絶望』と『ニッポン』では、表現やレトリックについてはかなり鋭利なものを用いていますが、僕の思想や考え方自体は、基本的には、欧米一般標準の自由主義にすぎず、特に先鋭なものではないと思います。 たとえば、僕の筆名の書物や専門書のタイトルや内容をみていただいても、そのことは明らかだと思います。 しかし、そんな僕でも、あらためて日本の判例群を、虚心に、また、分析的に読み直すと、大きな違和感を感じざるをえませんでした。それらの判例群か ら僕が得た率直な印象は、残念ながら、「未だ社会にも政治にも裁判にも前近代的な残滓(ざんし)を色濃く残す国のそれ」というものだったのです。この事実は、僕自身が、この書物を書くために、素材になる裁判、判例を選択してゆく過程で、少しずつ気付き、やがて確信するに至った、大変苦い真実といえます。

Q:とにかく全編次から次へと驚きの連続ですが、特にショッキングだったのが、第3章で詳しく分析、批判されている刑事裁判の腐敗 です。袴田裁判の冤罪、そして恵庭OL殺人事件の「超絶望的」な再審請求棄却決定には震撼させられました。ひとたび刑事事件で訴えられたらもはや逃れる手はない、という印象を持ちました。

瀬木:袴田事件再 審開始決定は、最重要証拠であったところの、袴田巌さんのものであるとされた、血液の付着した五点の衣類について、捏造(ねつぞう)の疑いがきわめて強いと明言していること、そして、死刑の執行停止のみならず、裁量により、拘置の執行まで停止して袴田さんを釈放したことなど、刑事系にも良識派裁判官は存在することを示した決定でした。 しかし、一方、刑事に詳しい弁護士たちが、「現在は『再審冬の時代』であり、袴田事件のように新たなDNA型鑑定結果が出た、あるいは、真犯人が判 明したなどの『誰が考えても無実』という事件以外では再審は開始されなくなっており、次々と棄却決定が出ている」との意見を述べていることにも注意すべきです。 たとえば、先の恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定です。全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、本当に呆然とせざるをえません。 簡単にまとめれば、こういう事実認定なのです。 「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のま さった被害者を、後方から、タオル用のものを用いて、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一切の痕跡(被害者の指紋、毛髪、失禁の 跡等)を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪を容れずに抱えて車両外に下ろし、ごく短時間のうちに、そしてわずか10リットルの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100㎞で走ってアリバイ作りをした」 そして、細かな部分をみてゆくと、さらにおかしな点が多々あります。そういう点を数え上げてゆくと、きりがないのです。たとえばアメリカの陪審制で も、この証拠関係で有罪はありえないだろうと思います。あるとすれば、黒人に対する偏見が根強く、その人権がほとんど認められていなかった時代の南部における、黒人被告人に対する裁判くらいではないでしょうか。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が踏みにじられていて、本当にこわいです。 国策捜査の標的とされた者の立場から書かれた『国家の罠』(佐藤優、新潮文庫)の中にある「『あがり』は全(すべ)て地獄の双六(すごろく)」という言葉は、日本の刑事裁判においては、決して誇張ではありません。「明日(あした)はあなたも殺人犯」であり、「高裁でも、最高裁でも、再審でさえも救済 されない」のです。また、地裁で無罪なのに高裁で有罪とされた冤罪事件(東電OL殺人事件)もあります。実際、日本の裁判では、民事でも刑事でも、地裁が一番よく、高裁や最高裁がおかしいということが多々ありますね。 昔の映画になりますが、冤罪を扱った『真昼の暗黒』という作品があります。左派良心派として知られた今井正監督によるものです。その映画の中に出てくる「まだ最高裁があるんだ!」というセリフが有名になりました。でも、実際には、「まだ高裁・最高裁があるんだ!」は、日本では、権力側の言葉ですね。

ニッポンの裁判 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社

にほんブログ村 政治ブログへ

Q:刑事系裁判官はなぜかくも有罪にこだわるのでしょうか? 誰の目からみても無理が大きいことが明らかな判決を重ねて追認するような司法判断が続くことは、素人にはおよそ理解できません。

瀬木:正直にいって、僕にも、全く理解できません。僕には、33年間裁判官を務めてもなお、総体としての裁判官たちの姿勢や考え方に、理解しにくい部分が数多く残っていました。まあ、だからこそ、筆名の本を書き、研究に打ち込み、大学人に転身することにもなったのですが。 でも、民事系の裁判官の場合には、よくない判決でも、まだ理由がわかることが多いのですね。たとえば、「裁判所当局がこわかったのだろうな」とか、 「子どもが難しい時期に遠方に左遷されたりしたら困っただろうから」とか、「ともかく出世しかない人だから」とか、あまり立派な理由ではないかもしれませんが、まあ、想像はつく(笑)。また、ある意味、人間的な理由という面もないではないですね。ただ判例の大勢、無難で保守的な先例に事大主義的に従ってい るだけという場合が一番多いですが、それはそれでわかりやすい。 ところが、刑事のかたよった裁判、たとえば恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定などだと、もう、全然理解できない。その裁判長自体はちゃんとした裁判 官にみえたのに、という声は弁護士からも出ていて、いよいよわけがわからない。1人の人間の人生が、その裁判の結果にかかっているわけですからね。それにもかかわらず、有罪推定どころか、可能性に可能性を重ね、無理に無理を重ね、何としてでも「有罪」という結論に到達しようと、なりふり構わず突き進んでいる印象を受けるのです。 袴田事件の証拠の脆弱性は明らかであり、無罪にしても検察、警察がそれを非難できるわけがない。 恵庭OL殺人事件についても、再審請求における検察の主張立証は、事実上白旗を掲げているに等しいようなものであったといわれます。だからこそ、よ もやの請求棄却決定に、弁護団にも、報道に携わっていた記者やジャーナリスト、関心を抱いていた学者の間にも、戦慄が走りました。 なお、今の質問については、第5章の、「刑事・行政・憲法訴訟等における裁判官たちの過剰反応の根拠は?」という項目で、僕に推測できる限りのことはまとめています。

Q:刑事訴訟も悲惨ですが、第5章の行政訴訟も本当にひどいですね。官僚にひたすら甘く、住民にひたすら厳しい。「地方議会の住民訴訟債権放棄議決是認判決」には驚きました。怒りを通り越して、これはブラックジョークですね。

瀬木:住民訴訟で 大変な苦労をして住民と弁護士が勝っても、そうして成立した地方自治体の首長等に対する債権を、首長等と結託した地方議会がその議決で放棄してしまう。地方自治法96条1項10号(議会に権利放棄の議決を認めている)に基づく議決なのですが、この条文が放棄を予定しているのは、誰が考えても放棄が相当といった、たとえば形骸化した債権等であって、債権管理の効率化のための規定のはずです。 先のような議決は、明らかに法の悪用です。それは、首長等の行った違法行為を議会が許すことを意味しますが、議会にそのような権限があるかは、誰が考えても疑問でしょう。 実際、住民訴訟を規定する地方自治法を所管する総務省の一部局に近いとさえいわれる地方制度調査会(内閣府の審議会等の一つ)でさえも、さすがに、 2009年6月の答申で、「このような債権放棄議決は住民訴訟制度の趣旨をそこなうことになりかねないからこれを制限するような措置を講ずるべきである」 と述べていました。 ところが、最高裁は、2012年に、このような議決について原則有効という判断をしてしまいました。「住民が勝っても首長の債務は帳消し。原則それでOKよ」ということです。「唖然、呆然の『債権放棄議決原則有効判決』」であり、弁護士や行政法学者からも猛反発がありました。 ホント、ブラックジョークですよね。『黒イせぇるすまん』(藤子不二雄A)というブラックジョークの漫画がありましたが、あのセールスマンが漫画の 「オチ」で下しそうな判決です。「住民が勝っても首長の債務は帳消し! ホーッホッホッホッ・・・・」と、彼の高笑いが聞こえてきそうですね。 しかも、千葉勝美裁判長(裁判官出身)は、その補足意見で、債権放棄議決について、「住民訴訟がもたらす状況を踏まえた議会なりの対処の仕方なので あろう」と、「深い」理解を示しています。さらに、判決の判断枠組みには同調しつつも、「さすがにこの事案では下級審の結論(議決は違法)が支持されるのではないか」と述べた須藤正彦裁判官(弁護士出身)の意見に対し、これを執拗に批判しつつ、須藤意見は「裁判所が議会の裁量権行使に直接介入していると見られるおそれ」があるものだ、と論じているのです。 すごいですね。ここまでくると、「黒いセールスマン」も恐れ入って退散してしまうのではないでしょうか。「さすがの私も、最高裁判事には負けました。もはやアートの域に達したブラックです」って。

Q:第4章では、政治家の圧力により名誉毀損損害賠償請求訴訟の認容額が一気に高額化したことが明らかにされています。しかもその後の判決はメディアにひたすら厳しい。最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難といわれています。裁判官の権力追随判決で、私たちジャーナリストも随分と仕事がやりづらくなっています。

瀬木:これも、事実関係を調べているうちに呆然としてしまいました。裁判所当局が、政治家の突き上げに応えて2001年に司法研修所で御用研究会を開催し、御用論文の特集が法律雑誌に掲載され、その後、一気に認容額が跳ね上がっているのです。 さらに問題なのは審理、裁判のあり方です。 たとえばアメリカでは、この種の訴訟については、表現の自由との関係から原告にきわめて高いレヴェルの立証が要求されており、2000年以前の日本の判例にも、同様の考慮はありました。 ところが、近年の日本の判例は、被告の、記事の真実性、あるいは真実であると信じるに足りる相当性(たとえ真実ではないとしてもそう信じるに足りる 相当な理由があれば免責されるということ)の抗弁を、容易なことでは認めなくなってしまいました。その結果、メディアの敗訴率は非常に高くなり、「訴えられればおおむね敗訴」というに近い状況となっています。 それが、「最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難」という状況なのです。これは、認容額の一律高額化以上に大きな問題です。いわば、「知る権利」の基盤が裁判所によって掘り崩されているわけです。 「日本の裁判所は『憲法・法の番人』ではなく『権力の番人』である」という傾向は昔からあったのですが、それでも、ここまで露骨なことはさすがにかつてはなかったような気がします。 また、こうした訴訟は、たとえ被告が勝つ場合であっても、莫大な金額の損害賠償請求を起こすことだけで、ライターや出版社を意気阻喪、萎縮させる効果があります。 第5章で触れているスラップ訴訟、つまり、国や地方公共団体、あるいは大企業等の大きな権力をもった者が、個人の反対運動や告発等に対抗し、それを 抑え込むことを目的として提起する民事訴訟、ということですが、弁護士から聞いたところによれば、その疑いのある名誉毀損訴訟もかなりあるということです。

Q:超絶望の判決群に本当にゲンナリしますが、大飯(おおい)原発訴訟など思い切った判決も出ています。特に、原発訴訟は大きく舵を切ったように見えますが?

瀬木:大飯原発訴訟の第一審差止め判決自体は、この裁判長の従来の判決が「大きな正義」を貫く方向のものであったことを考えるなら、一貫しており、基本的には評価すべきであると僕も思います。 ただ、原発訴訟一般についていえば、僕は、やがて原発運転差止めの判決が出ること自体は、ある程度予想していました。 それは、第一に、福島原発事故後のこの時点では日本の原発がすべて運転停止中であって(もっとも、その中で、大飯原発だけは2012年7月から 2013年9月までは稼働していましたが)、その意味では差止め(実質は運転再開禁止)がむしろ世論の動向に沿った判断だったからです。 第二に、福島原発事故後の2012年1月にやはり司法研修所で全国の地裁裁判官を集めて行われた研究会で、裁判所当局が、原発訴訟について方針転換を行っているからです。 こうした研究会を裁判官たちが自主的に行うことは120%ありえず、この研究会が、名誉毀損損訴訟に関するそれの場合と同様に、裁判所当局が表に出ない形で裁判官たちをコントロールするために開催されたものであることは、間違いないでしょう。最高裁事務総局は、1976年と1988年に最高裁で行った裁判官協議会では露骨に原発訴訟の方向を却下、棄却方向に統制しているのですが、原発訴訟に限らずそうしたやり方が批判されたことから、近年では、司法 研修所の研究会で、よりみえにくい形で、同様のことをやっているわけです。 僕がこの研究会について集めた情報から判断して、この研究会は、裁判所当局、最高裁事務総局が、原発事故を防げなかった裁判所やもんじゅ訴訟最高裁判決等に対して強い批判があったことから、裁判官たちの手綱を多少ゆるめるために開いたものとみてよいと思っています。 「おまえたち、世論がうるさいから、原発については、とりあえず踏み込んだ判断をしてもいいかもよ」というサインを出したということですね。 もっとも、この研究会の開催意図やそこで示された裁判所当局の意向(研究会の中核発言者である一部裁判官を通じて示唆されたと思われるそれ)は、名誉毀損訴訟の場合のように明確なものではありません。政治と世論の雲行きを見ながら、原発容認の空気が強くなればまた路線を元に戻す可能性は十分にあると思います。 ただ、もう一度確認すれば、大飯原発訴訟第一審判決自体は、判断の枠組み等には書物でも一定の留保は付けましたが、基本的には評価すべきものと思っています。

Q:そうですか。そうだったんですね・・・・。いや、真相をうかがうと本当に驚くしかありません。原発訴訟についてさえ、「ガス抜き」という権力側の要請が裏面で働いているのですね。最高裁事務総局による裁判官の裁判・思想統制の見事さは、さっきのお言葉にもありましたが、もはや芸術の域に達していますね。

瀬木:権力というのは、本当に強力で、したたかなものですよ。それは、正直にいって、権力の動き方を近くでみたことのある人間にしかわからないかもしれません 半沢直樹シリーズ(池井戸潤)という皆さん御存知の人気小説があって、僕も1冊だけ読んでみましたが、ああいうふうに、権力のほうから、「これからやっつけるよ」と言ってくれれば、反撃もできるでしょう。でも、たとえば裁判所当局は、そんなわかりやすいことはまずしません。都合の悪い判決や論文を書いた裁判官に対する報復や締め上げは、時間が経ってから、じわじわと、真綿で首を締め付けるように行われます。 また、「こんなひどいことをしている」と指摘したところで、半沢シリーズの銀行みたいに簡単に非を認めたりはしません。『絶望の裁判所』に詳しく記し、『ニッポンの裁判』でも第7章、第8章で触れたとおりです。知らぬ存ぜぬで「静寂の嵐」のような沈黙を押し通すだけです。これでは、たとえ半沢氏が裁判官だったとしても、リベンジなどおよそ無理ですね。 小説の悪口を言うつもりは全くありませんが、半沢直樹の「倍返し」は、とってもわかりやすいが現実にはありえないファンタジーだということです。権力というのは、そんな甘いものではありません。それは、基本的には、どこの国でも、ことに大国ではいえることでしょう。ただ、司法やジャーナリズム、あるいは学者等の知識人がそれを厳しくチェックしている国と、日本のようにそうでない国とはあると思います。 「あとがき」にも書きましたが、現在の世界でシステムに対する有効、先鋭な批判を行っている人々のかなりの部分が一度はシステムの中枢に近い部分に いた人々であることには、理由があると思います。権力というものが、もはや、古典的な一枚岩の単純な存在ではなくなっているのです。的確な批判は、相当の情報をもっていないと、また、客観的な視点や構造的な理解を対象に対してもっていないと、できにくくなってきている。 「55年体制」を未だに引きずっているような古い現状認識では、現代の権力の問題を解き明かすことはできません。それは、僕の知っているすぐれた学 者、法律家、ジャーナリスト等の一致した見解です。日本における左翼の著しい退潮には、そういう背景があると思います。特に政治、行政や司法に関心のない人々でも、無意識のうちに、そういうことはわかっているのだと思いますよ。

Q:竹前最高裁長官等が敷いたといわれる思想統制と近年の司法の劣化はどの程度リンクしているとお考えですか?

瀬木:これは、『絶望の裁判所』に詳しく書き、『ニッポンの裁判』第7章でも裁判との関連からさらに掘り下げて分析したことですが、竹前長官を含む刑事系トップの裁判官たち(もちろん、これに追随した民事系の人たちも相当いました)が行った思想統制や情実人事の傷跡は深いですね。 民事系の裁判官だと、たとえば権力志向、官僚的支配で有名な矢口洪一長官のような人でさえ、ある限度はわきまえるということがありました。たとえ ば、情実人事はまあまあの規模にとどめ、若手については従来どおりの能力主義を変えない、といったことです。日本の裁判所は閉じられた絶対主義的ヒエラルキーの、世界に珍しい裁判所組織ですから、そうした部分まで汚してしまうと、あっという間に腐敗してしまいます。ある意味、戦後長い間、裁判所が、保守の砦とはなっても決定的な腐敗まではしなかったということには、評価すべき点もあるのです。また、矢口長官も、彼なりのヴィジョンと実際の行動の乖離という人間的な問題を抱えていたという側面はあるでしょう。 しかし、2000年代の刑事系トップの人たち、そして、これに追随した民事系の人たちには、もはやそうしたものすらなくて、先のような方針を下まで貫徹してしまった。これは致命的です。僕が、2000年代の半ばすぎには、「もう転身するほかない。現在の状況は全体主義国家からの亡命待ちの知識人と変わらない」と決意したのは、そういう背景があってのことでした。

Q:『ニッポンの裁判』では、判例とともに裁判長の名前が挙げられていますね。判例雑誌ならいざ知らず、一般書ではこれまで例がないことでは? 裁判官たちは戦々恐々の状態になるのではないでしょうか?

瀬木:僕が、『ニッポンの裁判』 で、具体的な検討を行った裁判および重要と思われる裁判については裁判長の氏名を記すことにしたのは、第3章以下の裁判分野別総合分析に先立って、第1 章、第2章で論じたように、「価値」に関わる訴訟の裁判には、裁判官の総合的な人格が深く関係しているのを考慮してのことです。 それに、裁判官がその良心と憲法を含む法律に従って下すべきものとされ(日本国憲法76条3項)、「公文書中の公文書」ともいわれる裁判について は、それらを分析、批判する場合に、その判断につき国民、市民に対して責任を負う者の氏名が記されることが、本来、適切でもあり、必要でもあると思いま す。 また、僕は、よい裁判はよいと分析し、まずまずの裁判はまずまずであると分析していて、客観的な評価に努めていますし、論理一貫性や法律の趣旨をも 重視しています。また、僕が消極的な評価を行った判決についても、わずかではあるが、良識派として知られる裁判官(元学者を含む)が裁判長となっている例があることも事実です。僕自身、あらためて裁判の難しさを痛感させられました。

*瀬木 比呂志(せぎ・ひろし)一九五四年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。一九七九年以降裁判 官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。二〇一二年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講 義と関連の演習を担当。著書に、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)、『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、近刊)、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法〔新訂版〕』、 『民事訴訟実務・制度要論』(以上、日本評論社、最後のものは近刊)等多数の一般書・専門書のほか、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学 社)、『心を求めて』、『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ 等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。 ≫(現代ビジネス:メディアと教養:現代新書カフェ)

絶望の裁判所 (講談社現代新書)
クリエーター情報なし
講談社


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●労働分配率が破壊された国 守銭奴はこうして生まれた

2015年01月07日 | 日記
タックス・イーター――消えていく税金 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店


にほんブログ村 政治ブログへ

●労働分配率が破壊された国 守銭奴はこうして生まれた

 流石の日経も、最近の株価下落に本音が出たようだ(笑)。ひたすら金を刷ることしか能がない日銀黒田に、何が出来ると云うのか?安倍官邸が、第三の矢だ、規制緩和だ、経済特区だ、成長経済だと、論理的にあり得ない成長を求め続ける限り、日本経済は病状を重篤化させるのみである。NHKなどは、どこを見て“緩やかな景気回復が続く”などと、官報のような報道を繰り返すばかりだ。市場のパイの姿を入れ替えるだけで、特に新たな産業が生まれ、それによって需要が増すのであれば、「成長」がゼロではないだろうが、そんなものは“人間の細胞を30年若返らす薬”でも出来ない限り、需要喚起などは、起きそうもない。

 ≪ 日経平均525円安、割安サインいまだともらず
証券部 大越優樹
 6日の株式市場は前日の底堅いムードが一変した。日経平均株価は前日比525円安と、昨年2月4日以来約11カ月ぶりの下げ幅となった。原油安やギ リシャの政治情勢を不安視し、欧米の株式市場が軒並み下落した流れを引き継いだ。チャートなどテクニカル指標をみると、これだけ調整しても割安サインはまだともっておらず、むしろようやく過熱感が消えた程度だ。そのせいか個人の押し目買いも力強さに欠け、海外勢の売りに抗しきれなかった。
  世界の株式市場でリスクオフのムードが急速に広がった。米ダウ工業株30種平均は5日に300ドル超も下落。きっかけとなったのは、原油急落リスクの再燃だ。原油先物相場の指標であるWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)期近物は一時1バレル50ドルを割り込んだ。BNPパリバ証券の丸山俊・日本株チーフストラテジストは「商品ファンドなどに解約が広がったのではないか」と指摘。解約に伴い、CTA(商品投資顧問)が株価指数先物にも売りを出したのが日本株の下げにつながったとみる。
 視線を欧州に移すと、「ドイツがギリシャのユーロ離脱を容認する」との報道が伝わり、5日 はギリシャ株が6%下落した。懸念されているのはギリシャそのものよりも周辺国への波及だ。セゾン投信の瀬下哲雄運用部長は、昨年初めには3%台後半だったイタリアやスペインの長期金利が足元で1%台後半まで低下(価格は上昇)している点を不安視。「これらの国の長期金利が上昇(価格は下落)に転じたら、幅広い投資家に損失が出る」という。
 ただ、昨年11月や12月の下落局面では、日経平均先物の中心限月の日中売買高は10万枚を超えていた。6日は8万枚超にとどまったのを踏まえると、日経平均の下げ幅が500円を超えたのは、海外勢の先物売りだけが理由ではないといえる。松井証券の窪田朋一郎シニアマーケットアナリストは個人投資家の信用取引の売り残が少ない点に注目。「株価が下落しても、個人の短期筋は買い戻しを入れにくかった」 と話す。
 テクニカル指標をみると、25日移動平均線との下方乖離(かいり)率は3%台にとどまり、東証1部の騰落レシオ(25日移動平 均)はなお90%を超えている。日経平均は4日続落し、この間の下げ幅は900円を超えるが、まだ割安=押し目買いの好機到来どころかようやく熱気が冷めたステージにある。
 むしろ、チャート上では5日移動平均線が25日移動平均線を上から下に突き抜け、もう少し調整の余地があることを示唆している。目先の下値のメドについて野村証券の山内正一郎シニアテクニカルアナリストは75日移動平均線や一目均衡表(日足)の雲の上限などが重なる1万 6600円近辺をあげる。個人がマネーを投じる下値水準も、もう少し低いのかもしれない。 ≫(日経新聞)

 麻生太郎が賀詞交歓会で、「まだお金をためたいなんて、単なる守銭奴に過ぎない」と過激発言をしたが、この発言は正しいだろう。翌日訂正などする必要はない。そもそも資本主義の生産における利益の分配法則は200年間「7:3」の法則があった。先進諸国の労働分配率は1980年以前70~80%近かったのである。その後、低下の一途を辿り、日本は飛び抜けて酷い分配率で世界一である。おそらく現在60%を切っているだろう。他の国は70%を切る程度である。これだけを見ても、日本の大企業の内部留保利益剰余金は異様な数値になっており、非難すべき財務諸表である。

 麻生は、アベノミクスが頓挫しているのは、賃金や国内設備投資が、経団連が声高に宣伝している割には、実態は、殆ど動きがないことへの苛立ちが言葉になったのだろう。なぜ日本の企業だけが、ここまで守銭奴的になったのか、幾つもの歴史的原因があるだろう。バブル崩壊時の自己資金の不足、会計基準の国際化への無恥度、株式の持ち合い関係の崩壊、取締役への損害賠償訴訟、ハゲタカファンドや物言う株主の攻勢、自己株の取得など多くの歴史的経緯を積み重ねて縮こまっている面もある。しかし、何といっても一番彼らが言いたいことは、魅力的市場がないから仕方ないと云う言い分だろう。彼ら自身、成長の限界を、実は知っている証左なのだ。経済3団体は、口を揃えて「ベア容認」をぶち上げるが、ベアアップ程度で壊れた労働分配率を変えることは不可能なので、ほとんど意味をなさない。

 労働分配率の論理的理屈は、1、事務職等の定型業務がIT機器やロボット、アウトソーシングに入れ替わったり、派遣労働の参入により、低賃金化が可能になった。それに引き替え、高度な知識やスキルを要する労努力には高額な賃金が支払われるようになった。2、グローバリゼーションは安価製品の輸入を促進し、労働=付加価値を生む源泉から、削減すべきコストと云う観念が生まれてきた。3、資本市場の圧力が強まり、株主利益の極大化が求められ、企業が労働コスト削減に血眼になった。その見返りとして、企業経営者の報酬も極大化された。4、企業成長のメカニズムが胡散霧消して、ソフトなどアイディア的な製品のみの需要が生まれ、製品への需要が減退した。理屈上はその通りだが、日本だけ先進国の中で突出している説明にはならない。そこで、前述の歴史的な日本経営の「空気」による説明が欠かせない。

 最近は世界的不況予測で、原油価格が暴落している。筆者の世界観からは、米国の資源国家(ロシアやイラン、ベネズエラ等)への攻撃の一環と云う見立ても可能だが、ここは敢えて、その説は封印しておこう。いずれにせよ、原油マーケットは1バレル100ドルを超えることもあったのだから、50ドルを切るとなると、本当に世界的不況は悪質なのかもしれない。経済界の一時のエイズ並みの恐怖に経営者が慄いているように見える。下手をすると20,30ドルまで視野に入るようなので、世界経済の縮小と云うものが現実化して来ているのかもしれない。原油の歴史的平均値は1バレル2ドル程度だったので、5ドル時代が来ても不思議ではないのだそうだ。ただそうなると、オバマの世界戦略の背景にあるシェール革命が頓挫することも意味しているのだから、話は複雑だ。

 たしかに、最近の相場は1987年のブラックマンデーの時と同じような乱高下を示している。NY市場の過去最高益更新を潮に上昇局面の終わりを告げているようだ。中国経済の減速、FRBの金融緩和の停止と縮小、ロシアなど資源国の経済危機、原油の暴落、ドイツ経済の不調、日本経済の不調と嫌なムードが満載である。1か月から2か月の間に、資本主義に変わり、世界経済をけん引してきたIT金融主義にも、異変が現れるのかもしれない。アベノミクスの唯一の隠れ蓑が瓦解したのでは、目も当てられないわけだ。流石の日経新聞も弱気な解説を書かざるを得なくなっている。

 水野和夫氏ではないが、長期金利が2%程度以上ないことには、論理的に経済成長がないことを示しているわけで、日本の長期金利などは0.28%なのだから、成長がないと云うことの証明でもある。EUにおいては銀行間での話だが、マイナス金利になっているのだから、我々がイメージしている資本主義は終わっていたのだろう。ただ、適切なネーミングがなかったので、IT金融主義を「金融資本主義」と称して、資本主義の亜種のように扱ってきたが、この正体が解明できないうちに、崩壊してしまうのだろうか。資本主義に変わるべき何かが提示され、そこに向かう機運が生まれれば良いのだが、既存のシステムにしがみつくことで、何らのアイディアも出てこないのだから、座して死を待つ悟りが必要なのかもしれない。こんな風に考えると、どこの誰が政治をやろうと大同小異なのかもしれない。ピケティの資本論などが、世界の知識人から興味深く読まれている現象も、こうした事情が作用しているのだろう。まあ、出来ることなら好戦的政権でない方が平和ではある。

ネット世論が日本を滅ぼす (ベスト新書)
クリエーター情報なし
ベストセラーズ


 にほんブログ村 政治ブログへ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

● “ 世界同時株安 ” 流石にGPIFを動きにくかろう

2015年01月06日 | 日記
崖っぷち国家 日本の決断
クリエーター情報なし
日本文芸社


にほんブログ村 政治ブログへ

● “ 世界同時株安 ” 流石にGPIFを動きにくかろう

 大納会以降、来るべきものが近づいている感じだ。アベノミクスの最大の目玉政策(目くらまし)の株価に重大な異変が生じてきたようだ。朝日、ロイター、ブルームバーグの3社の解説を並べてみたが、一番厳しい見方をしているのはブルームバーグだろう。しかし、あくまで、金融新聞なのだから、一番心配なことは書かないものである。それがなにか、それはアベノミクスへの懐疑的視線が、マーケットにおいても、あるきっかけで鮮明な形で出てきた、と理解しても良いだろう。

 昨年後半から、政府の意図的介入と思われる東証株価維持の買いが、後場になると調整弁のように作動していたが、流石に此処まで売り込まれると、不用意な株価調整弁機能を振り回すわけには行かないだろう。朝日のドアホな経済部の分析のように、すべては人の所為的記事しかかけないようでは、クオリティー・ペーパーの地位を東京新聞に譲ることになるだろう(笑)。

 日経の記事はバカバカしいので載せることは矜持が許さないのでやめておくが、年明け以降、株価上昇につながる煽り解説記事が蔓延していた。20,000円相場の実現、腹を抱えて笑わずにはいられない。真っ当な経済学者やエコノミストであれば、資本主義を歪めてしまった、「IT金融マネー主義」のウォール街のお陰で、資本主義そのものが、本当に終わりを告げる序章である事を祈りたい。

 竹中平蔵の言うところの、「退場すべきものは退場させ」の言葉を引用すれば、「退場すべき金融マネー主義が資本主義を壊し、延いては民主主義を壊す」と言い換えても良いだろう。年を跨いだ相場の世界の異変がすべてではないだろう。参加する金融資本勢は、狂乱相場でも益に執着するので、一気呵成に世界同時株安に突入とはならないかもしれないが、本来の資本主義から逸脱した、リフレな「IT金融マネー主義」も終わりを告げるべきである。

 しかし、好事魔多しというが、意図的なロシア潰し戦術が、グローバル世界においては、資源輸出国を全体を苦しめ、次にEU各国の経済環境をさらに悪化させ、経済上有利に働くであろう国々の経済まで悪化させるのだから、アメリカウォール街占拠と云う狂乱なシステムが早々に退場してもらうことは、世界の実体経済に沿った、現実を見ることが出来るわけで、「見たくないものは見ない」そう云う風潮に終止符を打つ現象になれば、それはそれで痛みはあるが、正しい是正だと言えるだろう。
*14時現在、東証460円安


 ≪ 日経平均、一時450円超安 NY原油安の流れ引き継ぐ
米国株式市場の大幅な値下がりを受け、6日の東京株式市場も急落している。日経平均株価は一時、前日の終値より450円超値下がりし、昨年12月17日以来、1万7000円台を割り込んだ。午前の終値は、455円48銭(2・62%)安い1万6953円23銭。
 前日のニューヨーク市場で原油先物価格が一時、約5年8カ月ぶりに1バレル=50ドル台を割り込み、株式が売られた。東京市場でもこの流れを引き 継ぎ、エネルギー関連株式が大幅に下落するなど、全面安となっている。「ロシアなど資源輸出国経済の先行きへの不安が、世界経済に悪影響を与える懸念が高まった」(大手証券)という。政局の混乱が続くギリシャがユーロ圏を離脱しかねないとの警戒感も、株式を売る流れにつながっている。
 東京外国為替市場では、安全資産とされる円を買う動きが進んだ。午前11時では前日午後5時より95銭円高ドル安の1ドル=119円43~53銭。対ユーロでは同1円31銭円高ユーロ安の1ユーロ=142円60~63銭。
 一方、東京債券市場では、比較的値動きが少ない債券を買う動きが強まった。長期金利の指標となる満期10年国債の利回りは、前日終値より0・030%幅低下し、一時、過去最低の年0・290%まで下落した。 ≫(朝日新聞デジタル)


 ≪ ドル119円前半、株価の大幅安で頭重い
[東京 6日 ロイター] - 正午のドル/円は、前日ニューヨーク市場午後5時時点に比べてドル安/円高の119円前半だった。株価が大幅安となる中でリスクオフの円買いの動きが強まり、ドル/円の頭は重かった。
 朝方は、日経平均株価が前日終値比300円超の下落で寄り付いた後に下げ幅を拡大させた中で、ドル/円は底堅い動き となった。118円後半には輸入企業など実需筋のドル買いオーダーが観測されており「これを見越して、金融機関のドル買いが入っているようだ」(国内金融機関)との指摘が出ていた。
 邦銀など金融機関による年始のポジション構築に伴い、売買が交錯していたもようで「基本的にはロングの人が多い。ただ、先行き不透明なギリシャ情勢や株価・原油安を口実に使いながら、短期的にショートを構築している人もいる」(国内金融機関)との指摘が出ていた。
 株価が1万7000円の大台を割り込み、前日比で一時450円を超える下落となる中、ドル/円は仲値公示にかけて一 時119.15円まで弱含んだ。その後、株価が下げ幅を縮めると、ドル/円も119.45円まで値を戻したが、株価が再び下げに転じるとドル/円もじり安 となり、株価に振られる展開となった。
 三井住友銀行のシニアグローバルマーケッツアナリスト、岡川聡氏は「基本的にドル買いの流れだが、株価の下げで円買いの方が強くなり、ドル/円の頭が重くなっている」と、指摘していた。
<豪ドルは経済指標受けやや強含み>
  正午の豪ドル/米ドルは0.8139米ドル付近だった。豪貿易収支や、交易関係の深い中国の経済指標の発表を受け、豪ドルはやや強含んで推移した。
 オーストラリア連邦統計局が発表した11月の財 ・サービスの貿易収支(季節調整済み)は9億2500万ドルの赤字となり、10月の13億2300万豪ドルの赤字から赤字幅が縮小した。
 一方、HSBC/マークイットが発表した12月の中国サービス部門購買担当者景気指数(PMI)は53.4と前月の53.0から上昇し、3カ月ぶりの高水準となった。
<ユーロの弱い地合い、「1月後半まで継続」の見方>
 ユーロは投機筋のショートポジションが積み上がっているとして「ショートカバーを警戒するレベル」(国内金融機関)との声があるものの、下方向では1.16ドル半ばまでテクニカル的なサポートがないことから「欧州中央銀行(ECB)理事会やギリシャの選挙を通過する1月後半までは弱い地合いが続くのではないか」(別の国内金融機関)との見方も出ていた。
  5日のニューヨーク外為市場でユーロ/ ドルは、一時1.1887ドルまで下落した。25日に行われるギリシャの総選挙で、緊縮路線の見直しを唱える最大野党の急進左派連合(SYRIZA)が勝 利する可能性があることで、欧州金融市場への影響が懸念された。ドイツの2014年12月の消費者物価指数が前年同月比で0.1%とほぼ5年ぶりの低い伸 びとなり、ECBによる追加緩和観測が高まったこともユーロの押し下げ要因となった。 ≫(ロイター:平田紀之)


 ≪ 午前日本株4日続落、原油安や円高嫌気-鉱業など全業売り
(ブルームバーグ):6日午前の東京株式相場は4営業日続落。国際原油市況が続落、為替も円高方向で推移し、投資家のリスクオフ姿勢が強まった。鉱業のほかその他金融や保険などの金融株、機械など輸出関連株を中心に東証1部33業種は全て安い。
 TOPIX の午前終値は前日比33.10ポイント(2.4%)安の1367.99、日経平均株価 は455円48銭(2.6%)安の1万6953円23銭。日経平均は一時465円安まで下げた。
  みずほ信託銀行の浅岡均シニアストラテジストは、原油安とギリシャを巡る懸念が下落の背景とした上で、原油価格について「サポートが見えなく下げ続けている」と述べた。ファンダメンタルズに対する原油安のポジティブな影響が見えてくれば支えられるが、「あまりにも価格下落のスピードが速かったので、ネガティブな影響が先に出ている」という。
 5日のニューヨーク原油先物は前営業日比5.0%安の1バレル=50.04ドルと大幅続落し終了。一時は2009年4月以来で初めて50ドルを割り込んだ。ロシアの生産増加とイラクの輸出増加計画を受け、世界的な供給超過の状態は長期化するとの見方が広がった。
 世界的なリスクオフの動きから外国為替市場では円が買われ、午前のドル・円相場は1ドル=119円前半と、前日の日本株市場終値時点の同120円41銭に 比べドル安・円高方向で取引された。ユーロ・円も1ユーロ=142円50銭を中心に推移し、前日の日本株終値時点の同143円71銭からユーロ安・円高が 進んだ。
 東洋証券投資情報部の檜和田浩昭シニアストラテジストは、投資家のリスクオフ姿勢の背景について「ギリシャと原油安が最も大きい。ユーロも安く、投資家の不安心理をあおっており、原油が下げ止まらない」と話す。「原油安は新興国に有利に動く部分もあるが、投資という視点からはエマージング市場からの資金引き揚げを誘いかねない。世界景気に対する不安も出てくる」という。
 5日の米国株は下落。エネルギー株を中心に下落したS&P500種株価指数 の終値は前週末比1.8%安の2020.58、ダウ工業株30種平均は1.9%安の17501.65ドル。欧州ではギリシャのユーロ離脱観測が重しとなり、ユーロ・ストックス50指数が3.7%安、ドイツDAX指数は3%下落した。投資家の恐怖心理を示すシカゴ・ボラティリティ指数(VIX )は12%上昇し19.9となった。
 東証1部33業種は鉱業やその他金融、保険、ガラス・土石製品、金属製品、パルプ・紙、卸売、機械、その他製品、非鉄金属が下落率上位。売買代金上位では トヨタ自動車、ソフトバンク、マツダ、三菱UFJフィナンシャル・グループ、JT、ファナック、オリックス、野村ホールディングス、日立製作所、三井物 産、キヤノン、国際石油開発帝石が下落。ダイキン工業やJVCケンウッドは上昇。 東証1部の午前売買高は13億1371万株、売買代金は1兆1429億円。値上がり銘柄数は72、値下がり1756。 ≫(ブルームバーグ)

資本主義の終焉と歴史の危機 (集英社新書)
クリエーター情報なし
集英社


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●扱いにくい新興国のパワー 維持困難な20世紀の覇権

2015年01月05日 | 日記
資本主義という謎 (NHK出版新書 400)
クリエーター情報なし
NHK出版


にほんブログ村 政治ブログへ

●扱いにくい新興国のパワー 維持困難な20世紀の覇権

 本日も小生は高角望遠鏡の罠に嵌っている(笑)。まずは目についたニュースは以下の中国スマホメーカーの大躍進の記事である。記事の中でも触れているが、「知的財産権を侵害している」つまり、研究開発費をネグって、他企業の知的財産をパクって、創業たったの5年で売上1兆円に達したのだから、訝るのも当然だ。しかし、現に、5年で1兆円企業が出来たのも、中国やインドなど開発途上国のパワーは侮れないことをも示している。たしか、インドには製薬に関しての他国の知的財産権認めない大胆さもあるわけで、こういう日欧米のいかがわしい仕組みを無視する辺り、毛嫌いする面であると同時に、敵わんな、この厚顔無恥度にはと云う印象もある。

 ≪ 中国スマホメーカー、創業5年目で売上高1兆円の急成長
中国のスマートフォンメーカー「小米科技(シャオミー)」は4日、2014年の売上高が前年の約2・4倍の743億元(約1・4兆円)になったこと を明らかにした。日本ではまだ販売していないが、創業5年目の会社が売上高が1兆円を超えるのは世界でもまれとされており、急成長で世界の大手メーカーと を並べようとしている。
 シャオミーは2010年4月に北京で創業し、高性能のスマホをインターネットで安く販売する手法によって中国で爆発的な人気を集めてきた。14年のスマホの販売台数は前年の約3・3倍の6112万台に達し、日本全体の販売台数のほぼ2倍を売り切った。
 米国の調査会社IDCによると、14年7~9月期にはスマホの世界シェア3位に躍り出て、米アップルや韓国サムスン電子を追う存在に名乗りを上げた。スマホのほかにもテレビや空気清浄機などの家電へ商品を広げてもいる。
 シャオミーは中国のほかにインドなど6カ国・地域にも進出している。創業者の雷軍・最高経営責任者(CEO)は従業員向けの年初のメールで、「今年はさらに多くの国外市場へ進出する」と宣言した。  先行するメーカーからは、技術面で「知的財産権を侵害している」という批判も起き始めた。今後、シャオミーが日米などの先進国に販売を広げるかが注目されている。 ≫(朝日新聞デジタル:北京=斎藤徳彦)


 このような新興国、開発途上国も、我こそはと云う勢いで、欧米の怪しげな、老化の著しい資本主義と民主主義のセット販売をこれ以上守ることは不可能に近くなっているのだろう。現時点では、まだセット販売しているシステムが崩壊していないので、プロパガンダが成り立つわけでが、アチコチから、このセット販売システムが御法度破りに遭遇し、秩序を徐々に崩壊させることは、論を待たない。

 近代資本主義が、製造を捨て、金融に頼ったがために、その仕組みは資本主義にして資本主義ではなくなった。IT金融主義は資本主義の限界が明確になった故に産まれた“鬼子”だが、それもこれも、世界に君臨していた通貨基軸「ドル」があったからに相違ない。米英に対抗する覇権構造として姿を現した中露のユーラシア共同体構想的な関係は、表向き「元とルーブルの通貨交換」と云う姿を見せているようだが、裏では「金の交換」でなされるのではないかと云う穿った論も紹介されている。

 米英は、新興国、新興資源国家の生意気な力を削ぐために、原油戦争、鉱物資源戦争と通貨戦争をミックスして、IT金融主義で勝利乃至は延命を試みているのだろうが、基軸通貨などと云うもの、世界貿易の中で10~20%流通量が減少しただけで、その信頼性は一気に萎むのだろう。米英の資本主義が崩壊したにもかかわらず詐術的にウォール街さえ元気にしておけば(株価=景気)と云う、バーチャルな経済世界を劇場の公演に乗せただけのことで、人類は見たり聞いたりは出来るのだが、味わうことが出来ない「マネー教」の取り巻き信者にさせられるわけである。衣食住に関係がないし、嗜好品でもない「マネー」が人類に役に立つのは、“ヒト・モノ・カネ”がセットの時だけだと、近々気づくのだろう。

 米英覇権にとって、世界に君臨する源泉は1、軍事力、2、外交戦略、3、資本主義で産みだされた経済力、4、ドル基軸通貨(IMF,世界銀行支配)5、先進科学技術、6、覇権国プロパガンダ機能等々だが、3の本来の資本主義の崩壊により、似て非なる「IT金融主義」で穴埋めしようとしたが、“ヒト・モノ・カネ”を介在させて資本を蓄積できなくなった。つまり、すべてに裏打ちされた実体を伴う“ヒト・モノ・カネ”と資本の蓄積、及び再投資の循環を放棄し、IT金融主義による資本の蓄積に頼らざるを得なくなった。つまり、資本主義のヒト・モノをグローバル化で失い、カネ(マネー)だけが残った。

 1の軍事力も3による経済力の低下に伴い、単独で世界を牛耳るパワーは失われ、謀略や諜報活動で弱点を補い、親米国を巻き込むことで力を保っている。本来の軍事力と云うよりも、他力に頼る傾向が強まっており、絶対的ではないし、他力が常に米国に忠誠的である保証はない。無論、比較において、米国の軍事力は今でも世界一ではあるが、核使用の怖れある国をコントロールする能力には欠けている。核の実用化が近代的になっている、ロシア、中国との核バランスは、危うい状況のままだ。また、アメリカ国民が自ら犠牲になる軍事力行使に厭戦的であり、政治がその選択をする世論は盛り上がらない。

 外交戦略は、そのような事情の中、謀略や諜報活動による軍事力行使状況を行い、それに、覇権国プロパガンダ機能を発揮させる流れになっている。スノーデン事件のような出来事が起きる状況を、覇権国・米国は常に抱える国家になっている。4のドル基軸通貨(IMF,世界銀行支配)も綻びが見られ、BRICSが推進する機構の誕生により、ドル基軸のメリットに齟齬が生まれ、米国一国が、世界のマネーをコントロール出来る唯一の存在も脅かされつつある。

 5、6の先進科学技術と覇権国プロパガンダ機能だけが、まだ優位性を保っている。米国にしてみれば、先端科学やプロパガンダ機能の権威で差別化を図り、マスメディアを通じて、世界の潮流に変化の兆しが生まれていないような土壌を作るのに躍起となっているが、資本主義に変わるダミーな「IT金融主義」を己のコントロール下に置く為に必要だったIT技術を世界に広める行為が、プロパガンダ機能の抵抗勢力として抬頭してきている。

 現在目の前で、世界的に起きている様々な地域における出来事を、強大だった米英覇権が徐々に力を失いつつある時代であり、BRICSを中心にその力と対等な力量を見せはじめている現状は、覇権の移行期と云うものが無血で起きるのかどうかを目撃できる世紀に生きていることに感謝したい。小生が死ぬまでに、その移行が行われるかどうか、是非とも目撃したいが、無血の覇権移行となると、長い時間が必要なのかもしれない。そうなると、或る国家が、旧覇権陣営に居るか、新覇権陣営に属するか、器量が問われることになるのだろう。

ナショナリズムの現在――〈ネトウヨ〉化する日本と東アジアの未来 (朝日新書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

●「Gゼロ」は加速する 全体像として穏健なブレマーの考え

2015年01月04日 | 日記

 

ユーロ消滅?――ドイツ化するヨーロッパへの警告
クリエーター情報なし
岩波書店


にほんブログ村 政治ブログへ

●「Gゼロ」は加速する 全体像として穏健なブレマーの考え


 日本経済新聞が、珍しく興味深い識者へのインタビューを試みている。イアン・ブレマー氏も、日経新聞の資質や世界における日本の立ち位置など、かなり意図的配慮はしているが、総体的な歴史認識として、特に際立った嘘は語っていない。一読の価値は充分ある。反中主義者の人には、読むに堪えられないインタビューだろうが、それが現実的真実であることは理解すべきだ。ただ、ブレマー氏は、プーチンが嫌いと見えて、幾分評価を低めにしている点は気がかりだ。

 また、中国の弱味の中で言及してるエネルギー関連では、中露印等々の共同体同盟のブロック(ユーラシア覇権)への検証に及んでいない点は不満がある(笑)。NATOが解体するであろう事には肯ける。であれば、中露印+独と云う共同体構想も視野に入れた話を聞きたいものだった。新冷戦が、起きるか起きないかも、最終的には、中国が、その国益をどこに置くかで変わってくるのだろう。笑い話のような外交姿勢だが、わが日本の安倍晋三なる人物の政権は、小さなリーダーに向かっているアメリカの傭兵化で喜色満面になり、中国に背を向け粋がっているなど、もう言葉もありません。

  尚、バランス重視の日経は、ブレマー氏の対極にフランシス・フクヤマ氏のインタビューも同日掲載しているが、もうデタラメの限りを語っている。ノーム・チョムスキー氏とブレマー氏で対極、フクヤマじゃ滅茶苦茶だわな(笑)。中道と右派並べて、右左を論じる詐術は拙いでしょうね。掲載に値しないが、アメリカ信者は日経の電子サイトで読んでおくのも良いだろう。

 ≪ ポストGゼロ、米中冷戦の危機 ブレマー氏に聞く
 冷戦終了から25年、世界は新たな秩序を見いだせずにいる。リーダー不在のまま迷走する世界を「Gゼロ」と呼んだのが、米政治学者イアン・ブレマー氏。一体この四半世紀で何が狂い、これから何が起こるのか。世界の構造変化と、「ポストGゼロ」への見通しを聞いた。

――25年前に勝利したはずの資本主義と民主主義は色あせてしまったようにも映ります。なにが原因でしょうか。

 「理由はさまざまだ。まず米国の民主主義と自由市場主義が多くの人々を失望させた。米国は手本を示して世界をリードする力も意思も失ってしまった。イラクやアフガニスタンでの戦争、最高裁までもつれ込んだ2000年の大統領選挙をめぐる混乱、2008年のリーマン・ショックと金融危機、数々の金融不正などが原因だ。米国家安全保障局(NSA)によるスパイ活動が暴露されたスノーデン事件などは、さらに打撃が大きかった」

 「第2に中国モデルが一応は成功しているのも大きい。自国政府に満足している人々は米国より中国人のほうが平均では多いのではないか。35年にもわたり、これだけの成長を遂げた国があることは、西側の民主主義、資本主義の勝利で人類の歴史が終わったとする(米政治学者フランシス・フクヤマ氏の)解釈に、無理があることを示す」

 「ロシアでは米国など外国から不当に扱われていると感じている国民の不満を背景に、独裁的な指導者が絶大な支持を得ている。中東地域でも一方ではイスラム原理主義が、他方では独裁的な政権が勢いを増している。東南アジアや南米、東欧などの多くの国々では民主主義が浸透したが、世界全体がその方向に進んでいるとは言い切れない」

■創造的破壊の時代
――大きな歴史の流れの中で、今の世界をどう表現すべきでしょう。

  「今、世界は創造的破壊の時期にある。地政学的上の秩序にとどまらず、国や個人のレベルでも創造的破壊が起きている。一般の市民が政治的意思を表明し、世に知らしめ、変化をもたらす力は、以前とは比較にならないほど大きくなった。この変化に対し、世界では3つの全く異なる反応が起きている」  

「第1は中央における権力の弱体化だ。米国が典型例だが、中央では大統領も議会も不人気で法律も通らない。一方、州や自治体のレベルでは移民、エネルギー、貿易、薬物対策、同性婚など多くの分野で経済・社会制度面での対応がとられている。自治を求める動きが広がる英国や、カナダ、スペインのほか、地方の指導者が首相や大統領になったインドやインドネシアの例も、分権化の1つの表れだろう」

 「第2の反応は、これと全く逆の中央での権力強化だ。もとから独裁的、強権的な国々では市民の要求が増した反動により、そうした傾向が特に強まっている。経済の改革を進めながら政治面の自由化は止まったままの中国や、プーチン大統領と取り巻きに権力が集中するロシア、アラブの君主が実権を握る中東湾岸諸国でも似た現象がみられる」

 「第3が、政府が忠誠心をもつ一部の国民の方ばかり向いて政治を行っている結果、国全体を統治しきれず、失敗国家になっているような事例だ。イラク、シリア、アフガニスタン、イエメンのほか、いくつものアフリカ諸国でそうした傾向がみられる」

――権力の分散、集中、そして混沌という3つの動きが同時に起きていると。

 「権力の分散、権力強化、そしてエントレンチメント(引きこもり、保身)と呼ぶべきかもしれない。興味深いのは自由民主主義の国家と独裁的な国家の差が一時より広がっている点だ。中国やロシアと、米欧や日本の制度は近づくどころか、どんどん差が広がってゆくはずだ」

 ■先進国の「中国化」?
――先進国が、中国の国家資本主義をまねるような兆しはないでしょうか。

  「存在感を増した中国がノーと言えるようになり、米国が自由市場主義に基づく経済ルールを世界に広めようとしても難しくなった面はある。その結果、米国や他の国々が、より戦略的で、産業政策のように映る対応をとるようになるかもしれない。そもそも日本などは、その方法で工業化を進めてきた」

  「米国は違う道を歩んできたが、政府によるIT(情報技術)分野の扱いや米国家安全保障局(NSA)とヤフー、グーグルといった大手IT企業との関係をみれば、米政府は明らかに戦略的な重要分野を意識し関与を強めている。つまり米国の自由主義経済が一方にあり、他方に国家資本主義があるはっきりした構図ではない。中間に位置する国々があり、また1つの国の中でも産業分野ごとに政府の関与に濃淡がある」

――米政府も特定の分野に対しては、中国政府のように振る舞う傾向があると。

  「そう。ただ米国と中国では、大きな違いもある。中国では国家が企業を支配するが、米国では企業が国家を支配する傾向がみられる。企業は多額なロビー活動の資金を投じて事実上、規制や政策を左右し、企業が寡占もしくは初期の独占企業のように振る舞うことを可能にしている。他の企業の利益を損なう動きで、とりわけ外国企業は不利益を被る」

 ■Gゼロは始まったばかり
――リーダー不在の国際秩序を「Gゼロ」と命名したのが約4年前。その後の世界は、どう動いてきたとみますか。

  「Gゼロの傾向はますます強まっている。Gゼロの原因には米国、その同盟国、そして新興国の大きく3つの要素がある。まず米国に関しては外交上の不手際が、米国の対外コミットメントへの覚悟に疑問を投げかけた。最近の例では、化学兵器の使用疑惑を受けた対シリア制裁のぶれが挙げられる。中国が一方的に防空識別圏を設定した直後の米政府の姿勢も、日本に懸念を抱かせた。オバマ大統領が本気で外交政策に取り組んでいないのは明かだ。むろんイラクやアフガンでの失敗から、米国民が不毛な戦争の泥沼を避けたがっているのをよく理解してのことだろう。米シェール革命を受けて米国内で原油を大量生産できるようになったことも、米国民の外交への無関心を助長している」

 「米国の同盟国はどうか。ドイツが欧州のリーダーとしての力を強めたことは、米国と欧州の協力を以前より難しくしている。ドイツは世界を商業的な観点からみる傾向がある。例えば対中関係でも、米国が地政学、安全保障も含めた全体像をみて対応するのと対照的に、ドイツは2国間の通商関係という狭い視野でとらえがちだ。フランスも政権が戦後で最も不人気で、今は国内問題で手いっぱいだ。米国とより親密な英国も、スコットランドの分離独立問題などで忙しうえ、他の欧州連合(EU)各国との距離もある」

  「一方、新興国は20年前、10年前、あるいは5年前と比べても力をつけた。だが彼らの多くは米国とは政策の優先順位も価値観も明確に異なる。最た る例が中国で、責任のある大国として振る舞うよう求める米国にノーとの立場をとり続けている。今後も中国は存在感を増すし、欧州では政治、経済面の混乱が続く。米国でもオバマ政権はあと2年続く。Gゼロはまだ序の口といえる」

――冷戦期より世界は不安定にみえます。どんなリスクが想定されるでしょう。

  「米国が覇権をもっていた世界に比べ、Gゼロの世界は安全でなくなった。冷戦期はキューバ・ミサイル危機のような核戦争の危険もはらんではいたが、それさえ回避すれば総じて安定していた。Gゼロの世界はもっと不安定だ。大国間の戦争はないだろうし、第3次世界大戦も起きないだろうが、各地で戦闘は頻発し、難民も増える。過激派、無法国家や独裁者が活動する余地も広がった。ロシアや中東地域、イスラム過激派を含めたテロ組織など危機の震源地はさまざまだ」

■大規模危機が新秩序生む?
――Gゼロの世界はどのくらい続き、その後どのような秩序が生まれるとみますか。

  「Gゼロは永遠には続かないし、冷戦のように何十年も続くとは思わない。ただ次の秩序が見え始めるまであと5年、ともすると10年はかかるかもしれない。 次にどんな秩序ができるか占ううえで、大事な要因の1つが米中関係の行方。もう一つが、残りの国々が、どのような役割を果たすかだ」

 「個人的には米中関係はやや悪化するだろうとみている。経済面では関係改善の余地があるが、政治、安全保障、文化面では関係を悪化させる要因が多い。一方、米中以外の他国が果たす役割は、より大きくなるはずだ。米国も中国も、長期間にわたり大きな役割を担いたいと思っていないからだ。その結果、直近の半世紀に比べれば、インドや日本、ドイツといった国々が、世界秩序の中で果たす役割が増すだろう」  

――何がGゼロを転換させるきっかけとなるでしょうか。

 「2つのシナリオが考えられる。まず中国がより強くなるのに伴い、米国も他国が定めたルールや機構を受け入れるシナリオだ。つまり米主導の世界からのパワーバランスの転換を反映した新たな制度や機構が作られ、体制が少しずつ進化する展開だ」

  「もう1つが、手に負えない大きな地政学的な危機が起き、国際社会やその一部が、何らかの新たな秩序を構築せざるを得ない事態に追い込まれるシナリオだ。 きっかけはイラクやシリアなどの中東地域の紛争かもしれない。南シナ海での争い、北朝鮮の内部崩壊を受けた米中の争いなど、アジア地域が震源になる可能性も否定できない。気候変動による想像を絶するような大災害が引き金になるかもしれない。エボラ・ウイルスのような病原菌の大規模な拡散や、制御不能なサイバー戦争などで、各国が協調して対応せざるを得なくような事態だってありうる」

――つまり触媒ですね。新秩序のもとで米国の役割はどうなるでしょう。

 「そう。きわめて大規模な危機が、新たな秩序を誕生させる触媒になる可能性がある。もっとも新秩序のもとで米国が以前のような地位を回復することはない。米主導の世界秩序は終わった。世界ではグローバル化とアメリカ化が並行して進んできたが、グローバル化は進行する一方、アメリカ化の時代は過去のものとなった。G7(主 要7カ国)体制とも呼ばれた秩序は、その実、米国が友好国を巻き込む形で率いた“G1プラス”だった。だが今や、それ以外の国々の力が大きく膨らんだ。中国が国内改革に成功すれば単独で米国によるG1再構築を阻むことができるし、仮に失敗しても米経済への打撃はあまりに大きく、G1再構築どころではなくなる」

 ■米国は“小粒”なリーダーに?
――米国は、リーダーの座を降りるということでしょうか。

  「米国は今後も指導力を保つだろうが、問題はそれがどの程度の範囲に及ぶかだ。西半球にとどまるのか。アジアに焦点を絞り、欧州への関与を減らすのか。同盟国全体を視野に入れるのか、一部に限定するのか。環太平洋経済連携協定(TPP)は米国の指導力の1つ方向性だ。アジア太平洋地域での米軍事力の強化もそうだ。一方、北大西洋条約機構(NATO)は10年先を見通せば、残っていないかもしれない」

 「もう1つ大事なのは米国がどんな手段で指導力を発揮するかだ。つまり一国主義をとるのか、多国参加型で指導力を発揮するのかだ。金融面での優位をてこに、他国に言うことを聞かせようとするのか。監視やサーバー能力を使って方針に従うよう迫るのか。それとも他国を巻き込み、新たな安全保障の秩序や、経済、ネットなどにかかわる新たな基準やルールを共同でつくろうとするのか。どうなるかは、まだ見えてこない」

――米政府内で、ある種の方向感は出つつあると思いますか。

  「オバマ政権は、外交戦略を遂行したがっていない。国内での政策を優先するために大統領に選ばれたとの意識が強いからだ。クリントン前国務長官は外交戦略を実施しようとしたが、政権を去った。オバマ大統領の外交政策は基本的にリスク回避型だ。受け身であり、米国の出番を限定しようとしている。だから政権内で米国の指導力のあり方や、その方法について意思が統一されているとは思えない」

――来年は次の大統領選に向けた論戦が本格化します。外交政策への影響は。

  「対外政策は、大統領選の主要な論点になるとみている。ふつう米有権者は大統領選で外交問題にそう関心を払わない。しかしクリントン氏が出馬すれば、オバマ大統領の下で外交を担った彼女の役割に注目が集まり、共和党は大統領の失敗の責任を押しつけようとする。当然、今後の対外政策のあり方にも影響するだろう」

 「ただ、大統領は米外交政策を左右する要素の1つにすぎない点に留意すべきだ。確かに米大統領は外交政策に大きな力を発揮するし、有能な外交チームや議会の支持があればなおさらだ。だが、外交政策はしばしば米国民からの反対に直面する。米国では社会の格差が広がり、多くの米国人は対外介入的な戦略は自分たちのためにならなかったと感じている。米外交政策において大統領の役割は大きいが、できることには限りがある」

■ゴルバチョフは間違い
――ゴルバチョフ元ソ連共産党書記長など多くの人々が、米国とロシアの間で新冷戦が起きると懸念を表明しました。

  「ゴルバチョフ氏は間違っている。キッシンジャー元米国務長官、キャメロン英首相などもそうした趣旨の発言をしているが、新冷戦は起きないだろう。まずロシアには以前のような力がない。第2に欧州各国はロシアとの対立で経済への悪影響が広がっており、本気で米国を支持しない。第3に米国も本音ではウクライ ナ問題などを巡って戦う気はない。プーチン・ロシア大統領は冷戦を欲しているが、米国は戦いを望んでいない」

 「第4に、仮にプーチン大統領がやり過ぎれば、中国がなだめるだろう。中国はロシアが米国を世界中で敵に回すような事態は望んでいない」

――なぜでしょう。

  「中国は今は根気よく待つのが得策だからだ。経済は成長しており、人口も13億を超える。黙っていても、各国が寄ってくる。経済力、軍事力のほか、それなりのソフトパワーもあり、在外中国人の力もある。戦争や対立に身を投じなくても国力も影響力も強まり、思う通りに事態を動かせるようになる。国が衰退し、5年後、10年後の力が今日より小さくなるロシアとは違う。中国にしてみれば、順調に航海中の船をあまり揺さぶらないでほしいとの思いだろう。ロシアが少しばかり米国を困らせるのは構わないが、問題児のようにはなってほしくないのだ」

■「米中冷戦」に懸念
――将来、米中間で冷戦が起きる可能性はあるのでしょうか。

 「長期では、米中の冷戦のほうが大きな心配事だ。今日はそう深刻な事態ではないが、5年後、10年後のポストGゼロの世界で、米国と中国が決定的に異なる2つのブロックに分かれる可能性は十分にある」

――中国は米国と肩を並べる超大国になるのでしょうか。

  「そうはならない。例えば10年先をにらめば、中国は米国をしのぎ最大の経済大国になっているだろう。だが軍事力は米国のほんの小さな割合にとどまる。技術力も、エネルギーの生産力も、外交力も、ソフトパワーも、文化力もしかりだ。大学の水準も米国にはるかに及ばず、国民1人あたりの生活水準も、まだまだ低水準だろう。だから中国は超大国になっても、経済規模だけが突出した超大国にとどまる」

――イスラム国の増勢にみられるように、イスラム過激派が力を増し、西側先進国の若者を勧誘する動きもみられます。西側の民主主義へのアンチテーゼにも映りますが。

  「イスラム国は、国家を宣言したことで大きな間違いを犯した。領土をもったことで、それを防衛し、統治する必要が生じている。その負担は大きく、成功させるのは難しいので、わりと早い段階で彼らは断念することになるだろう。そして、もとのテロ組織に戻るだろう。テロ組織としては、彼らはこれまでで最も力が強く、資金も潤沢で、武器も豊富で、訓練もされている。世界中から人々を集めるだけの能力もブランド力もあり、きわめて危険だ。その危険が最も直接に及ぶのは、中東だ。欧州でも失業した若者らの不満が募り、イスラム教徒の移民がうまく社会に同化していないから影響が及ぶ。だから心配ではあるが、米国、日本、その他の西側の民主主義国全体が挑戦を受けるとは思わない」 (聞き手は米州総局編集委員 西村博之)

*イアン・ブレマー氏 米スタンフォード大で博士号(旧ソ連研究)。1998年に世界の政治リスクを分析する調査会社ユーラシア・グループ設立。著書「『Gゼロ』後の世界」で主導国のない時代を、「自由市場の終焉」で資本主義と国家資本主義の相克を論じた。45歳。 ≫(日経新聞電子版)


 PS:訃報
≪ ウルリッヒ・ベックさん死去 ドイツの社会学者
 ドイツを代表する社会学者で「リスク社会論」の第一人者、ウルリッヒ・ベックさんが1日、心臓発作のため死去した。70歳だった。独主要メディアが伝えた。
 今の世界を「リスク社会」と名付け、富の生産を追求した近代化や市場経済の成果が、原発事故や環境汚染などのリスクとなって跳ね返ってくると指摘した。また、それに対応した新たな政治の必要性を訴えた。
 1986年の著書「危険社会」で、原発事故に象徴されるような世界的「リスク」が登場してきたことをいち早く指摘。産業化が成功した結果として生み出された、予測することも補償することもできないリスクに揺り動かされる世界として現代を分析し、チェルノブイリ原発事故後の世界や東日本大震災後の日本に大きな影響を与えた。
 近代化が進んだあとに表れる、環境問題などの新たな課題に向き合うことを強いられる新段階に注目を促し、「再帰的近代」と呼んだ。また、家族や階級から個人が解放されると同時に孤独にもされていく現象を「個人化」と呼び、その意味を世界的視野で考察した。
 2010年に初来日した際には、「世界的なリスクの存在はチャンスにも道を開く。防止のために人々が国境を越えて動き始めるからだ」と語った。
 ミュンヘン大学で教授を務め、英ロンドン大、米ハーバード大などでも教えた。 ≫(朝日新聞デジタル:ベルリン)

吉田松陰と松下村塾の秘密と謎
クリエーター情報なし
宝島社


にほんブログ村 政治ブログへ

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よろしくお願い

https://blogimg.goo.ne.jp/img/static/admin/top/bnr_blogmura_w108.gif