世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●隠れて安倍政治を批判する朝日 沖縄イジメの行動哲学

2019年02月07日 | 日記

●隠れて安倍政治を批判する朝日 沖縄イジメの行動哲学

安倍首相が、参議院予算委員会で毎月勤労統計の不正問題で、国民の足立議員の指摘に対し、「総理なので森羅万象すべて担当している」と、極めて不遜な言葉を使った。

おそらく、安倍自身、「森羅万象」の意味をよく知っていないようだ。また、森羅万象そのものが、すべてを指しているのだから、そのあとに「すべて」を付け加えるのも間違っている。

誰かが書いたものを読んだのだとしたら、即刻、無教養担当ライターを変えた方が良い。もしかすると、国家神道的用語だと勘違いしてるかもしれない。

「森羅万象」は広辞苑によると、≪(「森羅」は限りなく並び連なる意、「象」は有形物の意)宇宙間に存在する数限りない一切のものごと。万有。しんらまんぞう。≫と云うことなので、たかが国家の首相如きが、自分になぞらえて使用すべきではない言葉だ。

面白かったのは、Googleによると、「森羅万象」を検索した人が、次に検索した言葉の中に「八百万の神」があったということで、筆者は思わず笑ってしまった。

もしかすると、神道用語辞典のようなものに、「森羅万象」が入っているかもしれない(笑)。

結構、神道用語だと主張しているモノの中に、仏教用語が含まれているのも、ご愛敬だ。

坂本龍一は、ビデオメッセージの中で、北海道と沖縄はアイヌと琉球を併合したことは歴史上の事実だ。 そして、いま、琉球に米軍基地をおしつけ、「国家と民(たみ)」「ヤマトとウチナー」という二重の差別構造に置かれている。

原発と基地問題は、国が、地方の弱者に押しつける構図が明瞭に見えている。

≪大阪府警の機動隊員が沖縄で抗議をする人に「土人」と発言したのは、この国の現状を表すわかりやすい切断面かもしれません≫

上記の事件に、国家の、そして、本土の人間の本音が隠されているように思える。 沖縄に過重な基地負担という抑圧を押しつけているのは本当に不公平だと思う、ときわめて自然に、その不公正を訴える。

≪反対する者とまともに議論しようとしない日本政府の姿勢は、トランプ大統領のマネをしているんでしょう。ひと昔前の政権は野党とも話し合い、曲がりなりにも議会制民主主義を守っていましたが、力で押し切る様は完全にたがが外れていますよね。≫

≪そのことに多くの国民が意識を向けていないことが一番大きな問題です。メディアも懐柔されて言いたいことを言えなくなる。≫ :坂本は、淡々と、現在の沖縄が置かれている立場を真実に基づき、明確に支援している。「国家と民(たみ)」「ヤマトとウチナー」という二重の差別構造、このことを、安倍官邸、日本人すべて、二重の権力者が、他者を思う心を思い出すべきだ。≫

「We the People」36万筆超えに期待することは、日本人として恥ずかしいが、この際、恥も外聞もない。永遠に沖縄が米国と本土の犠牲になるのであれば。


≪ローラ発言にクルーニー重ね 坂本龍一さんのカナリア論
 世界的な音楽家で、ニューヨーク在住の坂本龍一さん(66)が語ります。半世紀前の民謡との出会い、被災地を歩いて考えたこと、ローラさんへの言葉、辺野古への土砂投入……。テーマは「沖縄」です。 注:コンテンツ内にビデオメッセージ 省略   
 ◇  
初めて沖縄に行ったのは復帰直後の1975年ごろ、20代前半でした。僕はそれまで外国にも行ったことがなく、街の色や米軍基地の存在感の大きさを見て、「これは日本でも沖縄でもない。アメリカだ」という現実に目を見開かされました。
 沖縄との出会いは高校生のころ。民謡にひかれました。インドネシアやアフリカの音楽に興味をもち、大学で民族音楽も学ぶのですが、その中でも沖縄は、一番近いところにあるけれど、日本とは異なる独自の文化圏があって面白いなと思ったんです。
 日本が江戸時代に200年以上鎖国していたころ、琉球王国は世界に開いていて、東アジアの文化と貿易のハブになりました。様々な影響が堆積(たいせき)して、音楽も非常に豊かなものになったと思います。一番近い異国としてリスペクトすべき文化だと思ってきました。
 冷戦が終わって久しい今、沖縄に新たに基地を造る意味があるのかと考えています。
 言うまでもなく、沖縄は日本の一部です。しかも安全保障を一番支えている地域ですから、国家として、国民の意識の面でももっと支援すべきです。でも今の国家は「基地を受け入れるならお金をやる」という態度で、正反対ですよね。
 東日本大震災の被災地を訪ねてきましたが、その中で、原発と米軍基地は別の問題ではないと考えるようにもなりました。そんなに原発や基地が必要だというなら、東京に造ってはどうでしょう。それでも国家は田舎のほうに押しつけようとする。「臭いものは遠くに」という発想が根底にあると思うのです。
 それに対して、自然を守りたいとか、自分の土地や生活を守りたいという人には抵抗する権利があります。しかし国家はいつの時代も、お金と暴力でそれを抑圧してきました。まさに今、沖縄で行われていることです。しかも国家権力の重要な機関である警察の機動隊がそこに供給されている。ということは、供給する側がいるわけです。人間がやった最大の罪は、国家の発明ではないかとすら思えてきます。
 大阪府警の機動隊員が沖縄で抗議をする人に「土人」と発言したのは、この国の現状を表すわかりやすい切断面かもしれません。沖縄に対して、本土の人間が差別意識を持っていることが露呈しました。前からわかっていたこととはいえ、はっきり出てきた。辺野古に基地ができれば自然が壊されて困るという点も重要ですが、沖縄と本土の人との間の差別意識や落差がこんなにはっきりあることにとても驚きました。いま沖縄は「国家と民(たみ)」「ヤマトとウチナー」という二重の差別構造に置かれていると思うんです。
 辺野古の海への土砂投入が始まって、SNSでは停止を求める署名が広がりました。タレントのローラさんが署名を呼びかけていましたが、偉いですよね。日本では「袋だたき」に遭うのが怖くて口をつぐむ人も多い。ただ、ネット上の一部の人間の暴走をまるで社会の空気かのように感じる必要もないし、テレビ番組がその後押しをすることも本当にばかばかしい。僕は気にしません。
 2015年、30年来の付き合いがある沖縄の歌手、古謝(こじゃ)美佐子さんたち4人組「うないぐみ」と沖縄の人々の思いや島々の美しさを歌う曲を作りましたが、その収益を反対運動を支援する「辺野古基金」に寄付しています。沖縄に過重な基地負担という抑圧を押しつけているのは本当に不公平だと思うからです。
 米国では、国民の半分近くはトランプ大統領支持ですから、バッシングは日本の比ではないです。それでも芸能人やスポーツ選手が政治的な発言をすることが当たり前です。立場を表明しない人はかえって愚かだとされ、相手にされません。
 人気俳優のジョージ・クルーニーさんは、ワシントンで人権問題の抗議活動中、警察官の前でスーダン大使館の敷地に平然と入り、逮捕されました。アーティストは、発言や行動に影響力があり、「炭坑のカナリア」のような存在です。彼はここぞという場面でその影響力を使いました。肝が据わっていて、本当に感心しました。
 世界ではいま、「声がデカい人の意向が通る」という政治が横行しています。真実を追求しようとするメディアには「ウソつき」と繰り返すなど、一方的な対応が目立ちます。反対する者とまともに議論しようとしない日本政府の姿勢は、トランプ大統領のマネをしているんでしょう。ひと昔前の政権は野党とも話し合い、曲がりなりにも議会制民主主義を守っていましたが、力で押し切る様は完全にたがが外れていますよね。
 そのことに多くの国民が意識を向けていないことが一番大きな問題です。メディアも懐柔されて言いたいことを言えなくなる。例えばトルコやロシアでは、ジャーナリストが暴力的に消されている。日本もひとごとではなくなるかもしれません。
 僕は一度も会社勤めをしたことがなく自由な身分なので、リスクは背負って立場を明らかにし、これからも言いたいことは言わせてもらいます。(聞き手・伊藤宏樹)   
   ◇  
さかもと・りゅういち 米ニューヨーク在住。78年イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)結成。映画「戦場のメリークリスマス」「ラストエンペラー」に出演、音楽を担当。被災3県の子どもたちで編成する「東北ユースオーケストラ」の監督も務める。  ≫(朝日新聞デジタル)


 
作家のあさの・あつこさんは発言する。

翁長氏に続き、玉城デニー氏が、8万票の差をつけて当選したにも関わらず、国が沖縄に対峙する姿勢はまったく変わっていない。

≪工事を中断させた県の埋め立て承認撤回について、国が効力停止を決めたときには「うわっ、こんな簡単に無視されちゃうの」と衝撃をうけました。≫

≪地方創生、地方分権と言うけれど、私たち地方の声は国に届かない、届いたとしても簡単に足蹴にされてしまうんだ、ということを突きつけられてしまった。≫


 素直に、その時の心情を語っている。辺野古の問題は、原発にも言えるし、放射性廃棄物処理場にもいえる。

あらたな防衛施設の建設にも言える、疲弊した地方を根こそぎ、イノベーション等と云う軽佻浮薄な名の下、ブルトーザ―と機関銃で、コルホーズのような広大な耕作地を持つ、パソナ、オリックス、楽天農場が出来ることもあり得る。

あすの我が身と理解する出来事が、今の日本では、日常のように行われている。


≪地方は国に従え、間違ってる あさのあつこさんと沖縄
 沖縄のため、というのは傲慢(ごうまん)でした。野球少年を描いた小説「バッテリー」で知られる作家あさのあつこさんはそう話します。米軍普天間飛行場の返還・移設問題がうごきだして二十数年。辺野古の海を埋め立てる土砂投入が迫っているいま、あさのさんが沖縄への思いを初めて語ってくれました。
     ◇  
孫が10人いて、毎年夏になると家族旅行で沖縄に行きます。海で泳いで、イルカと遊ぶ観光です。
 ホテルまで車を走らせると延々と米軍基地のフェンスが続くのが見え、最初はショックを受けました。でも、何度か行くうちに、その風景が当たり前に感じている自分に気づく。これだけの基地があって、少女が米軍人に襲われる事件も起きているのに。
 孫たちに「常夏の国だね」と笑っているだけでいいのか。座り込んで抵抗している人がいるのに、私も沖縄のために何かしなきゃいけないんじゃないかとも考える。
 でも「沖縄のため」というのは傲慢(ごうまん)で、独りよがりだといまは思っています。沖縄は私の住む岡山に、そして私につながっている。沖縄と同じ地方で生きるものとして、いまとても、怖いんです。
 生まれ育った岡山県美作(みまさか)市は、中国山地の田園風景が広がる、人口3万人弱の小さなまちです。長く百姓をされて、年をとって体が動かなくなって、年金でぎりぎりの生活をしている人たちがたくさんいて、少子高齢化や人口流出が深刻な問題です。年金が減らされたり、消費税が上げられたりすれば、その影響は大きい。でも、美作で何かあったとき美作や岡山の声を、国がきちんと受け止めてくれるとは思えない。
 9月の沖縄県知事選で、辺野古の基地建設に反対する玉城デニーさんが8万票の大差で当選しました。でも選挙の前と後で、国の対応は全く変わっていません。工事を中断させた県の埋め立て承認撤回について、国が効力停止を決めたときには「うわっ、こんな簡単に無視されちゃうの」と衝撃をうけました。
 地方創生、地方分権と言うけれど、私たち地方の声は国に届かない、届いたとしても簡単に足蹴にされてしまうんだ、ということを突きつけられてしまった。
 国が決めたことに地方が従わなければならない、という政権の姿勢は間違っている。でも、一番間違っているのは、そういう政権を下支えしている私たちではないでしょうか。
 いまの状況に対して、沖縄以外で、驚きも、さしたる怒りも、怯(おび)えも起こらない。当事者じゃないと思っている。なぜ異議を唱えるのかと、国と同調し責めるような空気さえある。
 「おかしい」と感じているのは私だけじゃないと思うんです。言葉にすることに慣れていないから、思考は深まらず、思ったこともすぐに消えてしまう。メディアも日々のニュース、面白い出来事ばかりを追いかけて、立ち止まって疑問を投げかける姿勢に欠けている。
 難しい言葉で天下国家を語れということではなく、消費税が上がったら暮らしはどうなるのか、沖縄で何が起きているのかなど、思いを語り合うことが大切だと思います。私は言葉を生業(なりわい)にするものとして、思考をフル動員して地方の片隅から言葉を発していきたい。
 辺野古の埋め立ては、大きな問題で簡単にやめますとは言えないかもしれません。でも、選挙で示されたのなら、国は工事を中断して、民意にどう応えていくのかを本気で論じるべきです。民主主義がなんたるかは私には語れませんが、「民」というのは、我々が主人公であるという意味ですよね。主人公が示した意思を、国はどうするのでしょうか。(聞き手・国吉美香)    
  ◇  
あさの・あつこ 1954年岡山県美作(みまさか)市生まれ。野球少年を描いたベストセラー小説「バッテリー」で野間児童文芸賞。近著に「ぼくがきみを殺すまで」。  ≫(朝日新聞デジタル)


中島岳志氏は以下のように指摘している。

≪かつて自民党の大平正芳元首相は「政治は60点でないといけない」と説きましたが、自分こそ正しい、100点だと考える政治は人間の不完全さへの自覚がなく、知らず知らず大きな過ちを犯す。自分が100点なら相手は0点。それは衝突にしかならず、政治を前に進めることにはならない。首相になった自分も間違いはある。正しいと思っていても誤解も誤認もある。自分の限界を認識し、間違えているかもしれないと思えば、他者に対して謙虚にならざるを得ず、違う意見に耳を傾けたくなる。そこで対話をしながら着地点を見いだす。そんな「永遠の微調整」をするのが保守なのです。≫

保守政治というものは、60点、70点の政治をおこない、徐々に国を改善していく政治であり、安倍政治の100点貫徹政治は、時の流れが変わった途端、0点やマイナスの点数まで取ってしまう。

おそらく、議論にまともに対峙すると、負けることが判っている、公正公平に瑕疵があり、時々の思惑に流された政治なのだろう。

アベノミクス等というものも、いわゆる、丁半博打に限りなく近いものだから、統計上、本当のことを開示すると、効果がないことが判明し、ウソがばれるので、捏造や不正を行うだけだ。

このような、役人の行為は、ただ単に、「忖度」だけでは、説明しきれない。

役人たちにとって、出世や天下りと云う利益相反な思惑も介在しているのだから、或る意味で、忖度的行動は、政と官の癒着贈収賄だ。

大手メデァと官邸の関係も、大手メディアには、官邸とタッグを組む、経団連企業の広告と云う、商取引関係性も、哲学的に贈収賄だ。

ゼロサムゲームのような政治は、左翼的と云うよりも、無教養なファシズム主義者の、無意識の革命勢力と断じても良いだろう。

ここまで、あからさまに、天皇を道具として使役する政治は、天皇の象徴の位さえ踏みにじる勢いだ。


 ≪ 対話軽視する首相「左翼」っぽい 政治学者・中島岳志氏
 人間は過ちを犯す。だから人間の理性を超えた長年の経験や慣習を重んじて徐々に変えていく。これが保守の基本的な考えです。
 かつて自民党の大平正芳元首相は「政治は60点でないといけない」と説きましたが、自分こそ正しい、100点だと考える政治は人間の不完全さへの自覚がなく、知らず知らず大きな過ちを犯す。自分が100点なら相手は0点。それは衝突にしかならず、政治を前に進めることにはならない。首相になった自分も間違いはある。正しいと思っていても誤解も誤認もある。自分の限界を認識し、間違えているかもしれないと思えば、他者に対して謙虚にならざるを得ず、違う意見に耳を傾けたくなる。そこで対話をしながら着地点を見いだす。そんな「永遠の微調整」をするのが保守なのです。
 沖縄で起きている問題は二つの「愛国」の衝突と言えます。暮らしの土台となる郷土への愛着(=パトリオティズム)と、会ったこともない国民同士の想像上の愛着(=ナショナリズム)。二つは似ていますが違うもので、ときにぶつかる。
 故翁長雄志さんは、沖縄県知事になる以前、沖縄の自民党の中枢にいて、東京・永田町と信頼関係を築いていました。ただ、大切にしてきた郷土を、国家が土足で踏みにじりそうになったため立ち上がりました。翁長さんはまさに、保守の政治家でした。
 基地をすぐゼロにしろとも言わない。日米同盟は堅持する。ただし、沖縄の歴史に目を向けてください、負担が一点にのしかかっていることを認識してくださいと、問いかけたのです。
 一方、その翁長さんが対峙(たいじ)せざるを得なかった今の自民党政治は、保守とは全く違うものです。安倍晋三首相は、著作や国会質疑を見ると、微調整や合意形成を軽視しているように見えます。保守というより、とても左っぽい。冷戦時代、俺は正しいと声を荒らげていたような悪い意味での左翼です。
 安倍さんは今なお、自分は少数派だと思い込んでいるのかもしれません。自民党が下野した93年に衆院に初当選し、野党議員として政治家のキャリアをスタート。自分たちは朝日新聞や日教組に牛耳られた世界に対してレジスタンスをしているんだと考えました。保守ではなく、反左翼。日米同盟に反対するのは左翼。辺野古に反対しているのも左翼。左翼を力をもって正しく排斥しているという感覚です。
 言うことを聞かないなら土砂を放り込んでしまうのは、保守のやることではありません。自分は正解を知っている、反対するノイズは取り払って当然だというような強引な上からの押しつけは、中国共産党や朝鮮労働党を想起させます。(聞き手・古城博隆)    
  ◇  
なかじま・たけし 東京工業大教授。2005年「中村屋のボース」で大佛次郎論壇賞。著書に「『リベラル保守』宣言」「アジア主義」など。  ≫(朝日新聞デジタル)


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