世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

“虎の核”を借りて居丈高な「主権回復国家の安倍晋三」 恥を知らない無教養

2013年04月28日 | 日記
歴史としての天皇制
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●“虎の核”を借りて居丈高な「主権回復国家の安倍晋三」 恥を知らない無教養

 今日は日本政府の恥晒しどもが主催する、疑似主権回復の日という式典が行われる。大変お気の毒だと思うのは、天皇陛下も参列を安倍内閣に要請されたらしく、宮内庁も断るに断れない苦渋の選択をしたようだ。最終的に式辞は述べないと云う条件で容認したようだが、心からお気の毒だと考える。あきらかに自民党の天皇の政治利用である。現行憲法下では違憲の可能性すらある。自民党は憲法改正草案で、天皇の元首化を試み、式典出席など天皇の公的行為を明文化しようとしている。改憲を進めるための、天皇を政治利用しようと云う意図は明白だ。戦前の軍部や行政官僚と、発想は同次元にある。

 この天皇の威厳を貶めようとしているのが、こともあろうか自称右翼政治家安倍晋三が率いる自民党だと云うのだから、頭を捻るばかりだ。最近では、リベラルや中道の連中のほうが、まっとうに天皇への畏敬の念を持っているようにさえ思える。右翼が、一番天皇の地位を利用しようと試みているなど、右翼の風上にも置けないのだが、現在の日本の右翼とは、そう云うものだと思えば納得は出来る。

 話は変わるが、その前日に、自称右翼政治家安倍晋三は、イベント会場を訪れ、来場者に媚を売り、挙句に自衛隊と米軍ブースに置いてあった戦車に、迷彩服とヘルメット着用で乗り込み悦に入っていたと云うのだから、呆れてものも言えない。現在、日・中・韓・北朝鮮・米国との間でどのような問題が外交安全保障上起きているかを考えれば、幾ら祭りでの話だからといって、やって良い事と悪いことがある。政治家に教養が必要かどうかは議論の余地があるが、常に他国への配慮の精神は必要だし、不必要な軋轢を自ら醸成する必要性などある筈もない。

 仮に、サンフランシスコ講和条約締結が、日本の主権回復の日であるならば、安倍晋三が首相にカムバックした途端に、日本がことさら「主権回復」したわけではない。上記条約締結イコール主権が回復したのであれば、国内外の異論も少なく、既に何度かの節目に式典は行われた筈である。この事実は、歴代の政府が、いまだ国内外に堂々と宣言できるほど「主権回復」がなされていない事実を認識していたからだろう。日本国民の大多数が、本来の独立国の主権には程遠いものを感じている現実を無視したナショナリズム喚起の醜悪なプロパガンダ式典である。天皇がお言葉を述べない意味合いは、天皇が式辞を述べたくない立場であると同時に、お言葉に中に、昭和天皇が沖縄訪問に出席出来なかった時に詠んだ「思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを」などの引用をされる事を怖れたと云う、両側面があるのだろう。

 先の大戦に関する歴史認識の問題は、東京裁判の有効性無効性等と云う議論に矮小化しているわけだが、日本が本気で、この戦争の問題に関する総括を先送りした結果生まれた問題なのだろう。短絡的な解釈だが、真実の一部は、ドイツやイタリアは、ヒットラー・ナチズム、ムッソリーニ・ナチズムを徹底的に糾弾することで、戦争の総括が可能だったが、日本は天皇制が象徴であっても継続したことで、総括の根本問題に手出しできない状況だった。つまり、総括的議論を日本は避け続け、現在に至っている。その事が、中韓米の歴史認識論でつけ入る隙を与えている。

 この問題を日本が充分に議論を重ね、自ら咀嚼し、国際的に表明できる状況まで論を消化したとき、憲法改正と云う議論も可能になるのだろう。こういう話題を提供すると、すぐさま天皇制排斥運動のように考える馬鹿がいるが、それは違う。国内でも海外でも、天皇に対する一定の評価は、日本政府への評価とは関係なく、かなり認知されている。日本の外交の言葉として、天皇の言葉が国際的に最も有効に作用する現実をみれば判ることである。諸外国に元首たちも、会いたいのは天皇であり、首相などではないのだ。このような現実と、戦争の総括と云う問題に、日本が総出で議論する智恵の限りを尽くした後で、歴史的事実に関わらず、日本は主権を取り戻せる。

 この歴史的事実は、幸運でもあり、不運でもある。しかし、現実だ。我々は、この問題こそ、国民的議論にまで高めてゆく義務があるのかもしれない。ただ、このような議論が最も苦手な、自然発生的国家だけに、その道は険しい。しかし、それを忌避している限り、アジアの中心的国家として、アジアをまとめることも出来ないし、欧米諸国と同等に渡り合う事も困難である。永遠に世界の財布と云う地位からの脱却は困難だし、古文書を引っ張り出して、己の国土の正当化をする嵌めになる。これでは、いたちごっこに等しい。国家の主権と云うものを入手するには、戦後の日本の天皇を象徴とする国家体制の正当性の議論から始まるもので、一足飛びに、天皇の元首化に飛び級出来るものではない。

 安倍自民党政権の考えている憲法改正は、根源的議論を回避した、迂回し、飛び級的に結論を得ようとする、思考経路忌避の発想である。このようなムード先行で、憲法を変えるなど、無教養な人間の考えることである。歴史の瞬間的状況を輪切りにして、その輪切りの断面が真実のようなかたちで、結論を出すのだと云う事は、町内会の落とし処のようなもので、普遍性も国際性も一切お墨付きを得ることはないだろう。まさに教養のない人々だ。

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