世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

「信頼」を失うってことの怖さ オオカミ少年達が群れる社会で生きる

2011年03月20日 | 日記


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「信頼」を失うってことの怖さ オオカミ少年達が群れる社会で生きる


今日は日々刻々と猫の目のように状況が変わる現在進行形から一歩離れた視点でコラムを書いてみようと思う。筆者自身、今回のトリプル災害の情報に躁心理が自分の中で働いていたような気もするからだ。

それにしても、菅直人がテレビの画面に出てくるたびに、彼への信頼は減価する。どこかのマスメディアによると支持率が35%に上がったらしいが、そのような世論調査を今どき行うマスメディアの信頼も、ますます減価してゆく。
仙谷が官邸入りしたことで、マスメディア全体に報道管制的動きが見え始めたのは、忌々しき問題だと思うが、もう暫く推移を見守らないと論評は出来ない。

マグニチュード9.0と云う三陸沖で起きた大地震が発端で、連鎖的悲劇が東日本を次々と襲った。このマグニチュード9.0、震度7と云うプレートのずれによる地震の予測は、半年や数年前に語られていたのだろうか?10、15メートの津波を予測していた学者は居るのだろうか?地震学者は口々に「想定外のずれ込みが…」等と語っている。

地震大国の東大を中心とする学者連中をマスメディアは「世界一の地震研究者」と褒めそやしていた筈である。彼等の予見を基準に、あらゆるものが設計され、建設設備施工されているのだから、我が国の構築物はすべて虚構の上に成り立っているとも言える。

ただ、何らかの基準がないことには、事は一歩も進まなくなるので、例え御用学者連中の作った基準であっても、それを目安に社会生活を営むことも否定できない。しかし、今回の津波被災地の状況を見ると、建物が耐震基準を満たしていたコンクリートの堅牢な建物は、たしかに流されてはいない。それは事実だし、その堅牢さがあったから、屋上に避難し一命を取りとめた人々も多数いる。

それはそれで良い事なのだが、あの被災地にぽつねんと建つ廃墟のようなコンクリートの構築物は再生出来るのだろうか?7メートルの津波に耐えられるのだけでは駄目だ、15メートルに耐えられる防波堤を、そんな話になるのだろうか? 今後、今回のトリプル災害の復旧がどのように推移し、復興と云う手順に着手出来るのが何時になるのか、現時点では見当もつかない。

現在も余震が続き、連鎖性の関連は判別できないが、日本列島にゆがみが生じた事実は素人でも想像がつく。地震と津波では、世界各国から支援の声が上がり「頑張れニッポン」なのだが、いま喫緊の課題となっている東電福島原発に関しては、米国を中心に日本政府に対して懐疑的ポジショニングを取り始めている。多少エキセントリックな杞憂も含まれるが、他国の醒めた目が存在する事も見逃すことは出来ない。

この危急存亡とも謂える国難に際し、あわよくば大連立構想まで視野に行動しようとする「火事場泥棒」を思わせる菅直人の性癖には、ほとほとウンザリさせられる。

また横道に逸れた、話を戻そう。浅学なあらゆる分野の御用学者が定めた(業界団体レベルに準拠した基準)基準値で造られた日本の町の話だ。身近な被災地もある、浦安市の美浜を中心とする区域だ。電気は通じた、建物の破損も軽微だ。しかし、海岸線造成地の液状化は激しく、水道管は完全に地中で破断している模様だ。ディズニーランドのHP営業のお知らせには「地震の影響により本日の運営を見合わせておりますが、明日以降も引き続き休園といたします。運営再開 の見通しにつきましては、3月21日を目途にお知らせいたします。」との告知がなされている。なにも21日から営業するとは言っていない。21日にいつからの営業にするか発表したいと云う事だ。液状化は美浜周辺の道路と云う道路を波打たせ、マンホールがタケノコのように突き出している。杭打ちで基盤がシッカリした建物はビクともしていない。しかし、水が通じなければ、基本的に生活は成り立たない。

つまり、日本の町と云うものは、見せかけのグローバルスタンダードな建築基準法の採用により、一個一個の建物は堅牢になってきたが、インフラには建築基準法が適用されているわけではない。地震で倒壊するよりは良いのだろうが、町のすべてが耐震性を持たない限り、地震大国である我が国のライフラインは常にラッキーを前提に成立しているのかもしれない。

それが「国づくり・町づくり」の限界という考えもある。しかし、日本人の知恵としては、まだまだ先があると思いたい。 小沢の言葉ではないが英知のすべてを総動員して、外国からの杞憂を含む野次に心惑わさず、大和魂の絆と知恵の限りを尽くし、明日に向かわなければならない。地震津波に耐えうる町づくりには、個人の土地所有権との兼ね合いが大きな課題となるが、そこを乗り越えないと、安全安心な町づくりの根本的解決はないのかもしれない。又、地震大国の我が国のエネルギー政策も、いままで以上にドラスティックな発想の転換と、安直に手に出来る電力と云う傲慢さからの脱却が求められる。「便利は不便に通ず」誰の言葉でもないが、いま自分を省みて、そのように思った。


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