世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

そもそも、日米安保・日米同盟は信頼に値するのだろうか?

2010年11月15日 | 日記
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そもそも、日米安保・日米同盟は信頼に値するのだろうか?


軍事同盟と云うものが、その時代背景で様々に変化するのは当然なのだろう。「旧安保条約」、「新安保条約」、「日米同盟:未来のための変革と再編」、とその内容は平和ボケした国民は殆ど知らされずに変質している。

敗戦国日本を占領して睨みを聞かせていた、英米の占領軍がサンフランシスコ平和条約を経て、英軍が去り在日米軍と変貌した。占領軍としての米軍及びその基地は、占領軍としての役目を終えたと思いきや、今度は朝鮮動乱で米軍の後方支援基地として変貌し、次には中華人民共和国とソ連邦、北朝鮮など社会主義国との防波堤(東西冷戦)として位置づけられ変貌。同時にベトナム戦争の後方支援基地としての役目を仰せつかって来た。

ソ連の崩壊で東西冷戦は終わりを迎え、これで世界に平和が訪れるのかな?と思いきや、今度は北朝鮮がミサイル開発も始め、核開発にも着手した、と希望的平和観測はかき消され日本人をびくつかせた。兎に角、次から次と日米同盟を白紙還元、見直す機運を削ぐような問題が持ち上がるように出来ている。正確に言えば、偶然にしては、あまりにも偶然問題が起きる。

日米軍事同盟に対等な立場での検証を主張する鳩山・小沢民主党体制に出現を快く思わぬ日米軍事同盟関係者(日米安保マフィア)は、沖縄米軍基地(米国の軍事世界戦略上、海外にある最大の基地群)の普天間基地移設問題で「出来れば海外、最低でも県外」を主張する鳩山由紀夫の失権を望むのは、日米同盟における米軍基地の位置づけからして、あってはならない不快な事実であった。

サンフランシスコ条約締結時、吉田茂首相は、同行した池田勇人大蔵大臣に「筋の悪い条約だ。君の将来に傷がつく、署名は俺一人でする」と言ったといわれるような条約に起因する日米安保条約が不公平条約であることは、明白だ。占領軍と敗戦国の条約に起因しているのだから当然だろう。

不平等条約を金科玉条と仰ぎみている人々こそ、能天気以外のなにものでもない。 鳩山首相が最終的に膝を屈したのも、北朝鮮による韓国哨戒艦撃沈事件が起きたことが最後通牒だったと思われる。日米安保マフィアは戦略性に富んでいる。到底、日本の政治家や官僚が考える戦略性とは、レベルが違う。この戦略性の虜になったのが、民主党前原誠司と云う男だ。

日米安保マフィアは、東西冷戦構造の崩壊後の日米同盟の存在意義に腐心して、これでもかこれでもかと、日本国民が動揺する事態を突きつけてくる。 本当は、経済のグローバル化によって、相当平和な東アジア世界が出来つつあるとしても、日米同盟が無かったらトンデモナイ事になる、と瑣末な出来事を色々生み出す。

兎に角、日本の平和を脅かすような出来事は良いことだ。(日米安保マフィアにとって)尖閣沖に中国漁船が来たら、追いつめて、船長を切れさせて、拿捕してしまえば良い。こんなことでも、日本国中大騒ぎになる。中国海軍は増強に増強だ、航空母艦も造船中だ。空母を作ると云うことは、外洋に出ると云う事だ。原油シーレーンだって危ないぞ!

ほとほと左様な状況であるのだが、日本人の多くは、米軍が日本を守ってくれている、と信じている。筆者も信じたいところだが、東西冷戦構造崩壊後の日米安保の存在意義の見直しを、避けて通りたがる既得権益グループの存在の方が気に障る。中国共産党のシビリアン・コントロールが軍部(中国人民解放軍)を抑えきれない状況を勘案し云々、と云う情報がマスメディアの論調の基調となっている。コキントウ体制後の習体制はどうだこうだと。

米軍の核の傘があるから、なんとか大丈夫だ、と云う言説もある。米国が日本の為に核を使うとも思えないし、中国が日本に核を打ち込むと云う想像も荒唐無稽だろう。北朝鮮が核を打ち込んできたからと言って、米国が即、日本の為に反撃してくれると云う妄想も、筆者には思い及ばない。

米国は冷静に、国益としての行動を検討するだろが、即応することはない。アメリカ合衆国憲法の範囲内で決定されるわけで、議会の承認が不可欠だ。万が一、米軍基地や米国大使館、領事館を避けた攻撃を日本が受けた場合、おそらく米軍は即応する気はないだろう。

あの前原誠司なら、「第一義的には、当然自衛隊が即応すべきだ」と云うのだろうが、守屋元防衛次官の言ではないが、「自衛隊の戦時オペレーションは米軍と一体ですべて成立しているので、単独での自衛力は殆どない」と云うのが事実だと筆者も思う。

だから、再軍備だ!核武装だと云うのは、飛躍の飛躍で、滑って転ぶだけである。 だからと言って、殴られるだけ殴られ、座して死んでも良いとは思っていない。本当に専守防衛に必要な軍備を考える必要はあるだろう。今の自衛隊の装備でも充分な筈だ、ただ、米軍の協力なしには動かせない軍備は、無用の長物なのではないか?米軍オペレーションの一翼を担うしか能のない軍備ってのは不快である、それこそ、自衛隊じゃなく、日の丸つけた米軍と云うことだろう?

専守防衛にもなっていない。 筆者は、何も日米安保条約を破棄して考えるべきとは言っていない。東西冷戦構造の終結と、その後の日米同盟の在り方は、白紙還元的次元に立った議論検証が必要だと言っている。日米安保の歴史的意義は充分あったが、今その歴史的意義は実質消えている。

米国は未だ日本を敗戦国として扱っているかどうかも、知りたいところである。新たない威嚇があるとしても、占領軍の姿かたちを有する在日米軍ではない、米軍としての扱いを日本人は考えるべき時期に来ているのだと思う。それをさせない為に、前原をバックアップする日米安保マフィア(日本のマスメディアも含む)が激しく活動している。最近、富みに右翼系ブログの元気が良いのも、前原誠司の政権樹立を後押ししているようだ。ただ、前原の思惑と田母神氏の考えには乖離があるように思えるのだが、真実は判らない。


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