世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●経済界のオネダリ “入管法改正”は改憲以上の影響力

2018年11月17日 | 日記
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●経済界のオネダリ “入管法改正”は改憲以上の影響力

最近の日韓関係には、関東大震災時には朝鮮人大虐殺の歴史や第二次大戦時の慰安婦問題、徴用工問題が横たわる。その前には日韓併合の歴史がある。これら歴史における恩讐は、様々な取り決めがなされても、韓国から日本は攻撃され続ける。おそらく、この恩讐の歴史は永遠に継続されるもので、終止符はないと思われる。或る日本人は「毟られるだけだ」、「あいつらはゆすりタカリが得意だから」と苦虫を噛み潰す。しかし、ある日本人は「現に酷いことをしたのだから、謝り続けなければならない」と思う者もいる。

個人的には、韓国の世論は、かなり執拗な資質なのだろうな、と云う印象はある。世界標準と比較して、韓国への戦後賠償が不足だったのではないかと云う疑念もある。それこそ、どこよりも多額の賠償費を支払っておけば、国際世論的にも優位に展開するのだろうが、どうも、ケチった傾向が明らかなので、国際比較でも、充分な賠償額だったと、胸を張ることは難しいようである。ネトウヨのフェィク情報では、ドイツは戦後賠償をしていないなどと、FOXニュース並みの情報を平然と報じている。日独の賠償額の差は、地続きと海を隔てた侵略の差があることで、侵略地の面積や数の違いとユダヤ人虐殺が重なるため、日独の賠償額比較論は意味がないのが結論だ。

日独比較論を待つまでもなく、日韓の賠償交渉時の韓国は、当時、朝鮮戦争後でもあり、発展途上国であった。つまり、今の韓国では考えられないほど貧しい国であった。朝鮮特需の日本とは経済的に大差があったわけで、当然、当時の交渉は、日本優位で展開された。問題は、公正公平の立場で、日韓は交渉したのかどうかと云う疑念だ。また、ドイツは戦争責任をナチスに負わせたが、日本は皇軍の頂点である天皇制が残されたことで、責任を転嫁する道が閉ざされていた。しかし、ドイツも東西分裂と云う重荷を背負わされた歴史がある。ただここで言えることは、韓国が日本を侵略して、国土を蹂躙でもしない限り負の歴史として受けとめ続けるのは、日本人としては仕方のないことで、特別逃げる必要はない。個々人なりに歴史認識をするだけのことであり、“べき論”にする問題ではない。

ただ、今回の徴用工問題は、日韓関係のネックになる危険性は充分にある。仮に、朝鮮戦争の終結、韓国・北朝鮮の融和、統合がなされた時、“日本vs朝鮮半島”の対立は先鋭化してくる危険は大いにある。在韓米軍、在日米軍が重しになるので、戦争などは起きないと云うのが主論だが、現在とトランプ大統領の傾向から類推した場合、両国からの米軍撤退の可能性は充分にある。各論においては、米軍撤退は、まことに結構なことだが、総論において、戦争で日本も朝鮮半島も焼け野原になったのでは、各論賛成でも、笑うに笑えない。

本日は、安倍政権が“泥縄式”な経済界の需要に応じて外国人労働者を受け入れる入管法改正は今までの移民政策の方向性を180度変更すると云う話題である。このような国のあり方を大きく変えてしまうような法案を、ろくすっぽ議論もせずに、来年4月には施行を目指すというのは、あまりにも拙速だろう。“人手が足りないから、景気が良いから”と足元だけを見て、政府に強請る(ねだる)のが守銭奴経済界なのだ。バブル期の反省などどこ吹く風で良い気になるのが日本の経済界の特性だ。

今にして思えば、バブル期には、景気は青天井で好くなる筈だから、大卒なら誰でも良いから入社させたのが、日本企業だ。そして、その結果、今になって50代前半の正社員のリストラや出向などの人減らしに躍起になっているのが日本企業だ。おそらく、ここ数年、“人手が足りないから、景気が良いから”と云う理由で雇用された人々も、2,30年後には、無用の長物扱いされるのは目に見えている。日本企業には、経営哲学の乏しい企業が多く、何度でも、労働政策に関して、同様の過ちを繰り返している歴史がある。

企業にとって、人材に世代の断層があることは、成長の継続において重大な瑕疵になるわけで、必要な人材は、世代において万遍なく平均的に雇用すべきで、“人手が足りないから、景気が良いから”が雇用のコア係数にすべきではない。それ程日本企業の経営哲学は欠落している。このような日本企業の、人材や労働者に対する思考に哲学がないことで、徴用工なども生まれたのだと考える。日本人よりも低賃金で奴隷のように働かせることが出来ると考えた結果、短絡的雇用政策が、何の躊躇いもなく行われたのだろう。

徴用工と同様に、今日の日本で、怪しげな「技能実習制度」を悪用した悪質な外国人雇用がまかり通っている。まともな雇用者もいるだろうが、悪用を知りながら、見てみぬ振りする日本政府の態度は、徴用工や慰安婦と相似の問題点が同根に存在する。人手不足の深刻な業種で、即戦力となる労働者を期限をつけて受け入れると政府は言うが、間違いなく、外国人の労働者数が急増するのは確実だ。その数はマックス60万人とされ、受け入れ先は農業、建設、介護、外食などの人手であり、どう考えても「稀有な人材」と呼べる労働力とは言えない。また、彼らの立場を守る、社会保障制度は手つかずで、医療や年金、失業手当など何も決まっていない。これでは、外国人労働者の使い捨てに過ぎず、まさに徴用工を彷彿させる。そもそも、政府が考えるほど、外国人労働者が応募してくるかどうか怪しい面もある。

筆者は、殊更に「移民」に否定的ではない。しかし、今回のような経済界の“人手が足りないから、景気が良いから”と云う足元の理由で、簡単に「移民」を導入する政策は拙速であり、禍根を残すのは確実と考える。この事実は、安倍首相が騒ぎ立てている「改憲案」よりも、日本社会への影響力が大きい政策転換と捉えるべきである。慰安婦問題や徴用工問題には、一概に韓国政府や同国国民の考えには首を傾げるが、日本企業は日本政府の、労働哲学の欠如がもたらした結果と云う意味では、どうも我が国は反省しているようには思えない。

たしかに、韓国ネット社会の“坊主憎けりゃ袈裟まで憎い”と云う劣情の発露には、いささか辟易するわけだが、これらの諸問題に、日本企業や日本政府の労働哲学の、いや、国際社会における公平公正の感覚が、悪しきアメリカと云う覇権国とつき合う中で、欠落したような気にもなる。“虎の威を借る狐”なのだ。しかし、明治期以降、日本は、一番強そうな国、英国、ドイツ、アメリカと、親分を代え代えして、金魚の糞の如く生きてきた国なのかもしれない。この理屈から見えてくる「次なる金魚」がチャイナになのは当然だ。歴史が一回りしたようなもので、隋や唐から始まり、ポルトガル、スペイン、オランダ、英国、ドイツ、米国。そして、チャイナに戻ると云うことなのだろう。正直、“武士は食わねど高楊枝”の精神文化は、どこに行ったのだろう?


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