世相を斬る あいば達也

民主主義、資本主義とグローバル経済や金融資本主義の異様な違いについて

●安倍は日本をどうするつもりだ! 民主主義を破壊して(1~2)

2018年05月21日 | 日記


●安倍は日本をどうするつもりだ! 民主主義を破壊して(1~2)

日本のメディアが政治との距離を鮮明にしてきた感じがする。しかし、産経新聞や雑誌・WiLL、正論、諸君、Voice、Hanada‥等は、安倍晋三特集やモリカケ疑惑をフェイクな作り話で打ち消す論調を、“まっとうな”頭の持ち主であれば、恥ずかしくて読むことも、所持することも憚られる“ゾッキ本”に近いものが、それなりに売れている。そのような雑誌に、わが国の大企業等々は、それなりに広告を打ってもいる。

これらのメディアの大御所の“文藝春秋”も、一定の正常さと云う体裁を整えた上で、保守思想の浸透機能は健在だ。誇るべき、わが国の公共放送NHKも手を変え品を変えて、政府に有利になる報道を続けている。日本という国は、世間の片隅で小さくなって生き永らえていた“右翼”或いは“国家主義者”或いは“軍国主義者”がゾンビのように生き返って、日本という国を支配し始めたのではないかと、鳥肌が立つのである。

上述のような考え方を持つ人々は性癖ではないだろうが、仲間意識意識が強く、群れやすい。おそらく、国旗であるとか、国家とか、そういうシンボルに共感し、多少の差異はスルーしてしまうのだろう。加え、国家神道や創価学会、統一教会など、シンボル的モノを信じる人々も加担する状況になっている。

戦後日本国民が、憲法で保証されている様々な国民としての権利や、国家権力への制約などに安堵して胡坐をかいてしまい、その憲法を充分に国民のものにし切れなかったゆえに、彼らの乗ずる隙を与えたものと推量する。終戦の歓びと、自由と云うイメージ感覚と云う安易な手段で“民主主義”を信じてしまって、その強化に努めなかった結果、このような勢力によって、易々と連合国から与えられた民主主義が破壊されようとしている。

無論、国民や政治が、その憲法で保証されている様々な問題の強化や補てんをしようとしても、今上天皇が象徴で、権力の天皇がアメリカだったと云う現実を考えると、国民のサボタージュを一概に責めるのは酷かもしれない。しかし、朝鮮戦争特需において、日本は工業国として、世界のフロンティア地域となり、国民総力で進められた高度経済成長、1964年東京オリンピックなどを経ることで、エコノミックアニマルと世界から揶揄されるような国民に化身してゆく。この国民の傾向は、バブル期まで継続され、素地として、経済至上主義的傾向を強くしていった。(2)で詳しく述べる。

話は戻るが、これら強固な意志や結束力のある右翼、国家主義者、軍国主義者、 国家神道、創価学会、統一教会などの組織は、直接的繋がりはないにしても、憲法で語られているような民主主義や主権在民などは、有難迷惑だと思っているフシがある。このような組織が意図的、便宜的に、安倍晋三を頂点とする政権の擁護が、みずからの考えを実現する上で、有効だと考えている。無論、すべての利害が一致しているわけではないので、呉越同舟状態だと言える。

しかし、安倍政権の継続が、彼らの目的に達成に有利な政権だという意識は共有している。それが、どのようなものか、今ひとつハッキリしない。雰囲気的には、所謂、万世一系的な日本独特の天皇中心主義が、その核にあるのは理解出来るのだが、必ずしも統一感はない。戦後は、天皇の代わりに、アメリカが天皇のようにも見えるし、政界(自民党)や経済界が天皇のようにも見える。

戦後は平和憲法の下、我が国は民主主義国家を自認して、欧米文化圏に所属していると、半ば信じられてきた。だが、この考えは、多くの点で、誤解と云うか、錯誤的な戦後の日本人の誤読があったのではないかと云う疑いが生まれてきたのが、安倍政権以降の日本なのではないだろうか。上述した3千年とか言われている、天皇中心の国家論、いわゆる「国体」の歴史は、国民の意識下にあったかどうか別にして、一本の筋として、国家を考える上で、補助線になっていたのは事実だ。

そのように考えれば、戦後の80年弱は、借り物な「国体」(主権在民・民主主義)に形を変えただけで、本質は3千年の履歴をオーバーライトすることは出来なかったという印象を持つに至る。このように考えていくと、安倍政権や、彼を擁護する人々の集団に一部の理があるようにも思えてくる。しかし、ここで彼らの考えに一貫性がないことは、誰の目にも確かで、多くの自己矛盾を抱えているので、知的好奇心を満たすことは出来ない。


●安倍は日本をどうするつもりだ! 民主主義を破壊して(2)

彼らの思想には笑ってしまうようなご都合主義な面がある。その一つが、「万世一系」の思想でありながら、天皇を敬うというよりは、自分達の言うことを聞くシンボルでなければならず、己の意志表示などは許されないと思う集団でもあることだ。つまり、彼らの多くは、天皇制を、政治利用とする腹積もりであって、決して、天皇そのものを敬う気持ちなど持っていないと断言出来る。

安倍夫婦などは、自分たちこそが、天皇皇后であるような錯覚の世界に浸りたいが一心で、海外逃避の旅に出ているのが現実だ。海外では、金を担いでくる阿呆な夫婦を、手揉みしながら国賓級の厚遇をしてくれるのだから堪らない。昭恵夫人などは、狂喜乱舞の皇后さま気取りになることは、想像に難くない。おそらく、官邸にいる限り、安倍晋三は、表見天皇である。ただ、この表見は、アメリカ天皇の表見であり、今上天皇の表見でないことは、今上天皇ご自身が、明確に否定している。

戦後日本においては、シンボル天皇と実力天皇が存在した。シンボルは今上天皇で意見は一致するが、実力天皇に関しては、様々な意見が飛び交う。我が国では、様々な分野において、“***天皇”がいることは、よくご存じの通りである。その種々雑多な“***天皇”の上に、君臨する「大王実力天皇」が、宗主国アメリカであることは、多くの日本人であれば知っていることだ。

しかし、戦後のGHQ占領期を除けば、サンフランシスコ平和条約締結を持って、日本は独立国として認められた。独立国となった以上、他国の軍隊(米軍)に駐留を許すべきではなかったのだろうが、東西冷戦構造の危機や平和憲法を正直に守れば“丸腰”なわけで、米軍の駐留は、痛しかゆしであるが、国民のコンセンサスとしては、容認姿勢が強かった。

この容認姿勢になった一番の理由は、敗戦による“着の身着のまま”や“飢餓”からの脱出が、多くの日本人の生きる目的であり、政治的思想信条などは、一部の人々の“道楽”のようなもので、各個人が経済的に独立して行ける事が、“目的化”された。この焼け跡からの脱出にアメリカが“トモダチ作戦”をしたのは事実だが、本質的には“国連”の支援であり、必ずしもアメリカ一国で、すべての支援をしたとは言いがたい。しかし、日本人の心には、アメリカのお蔭で回復したという印象を持った。

その日本が、高度経済成長からバブル期までの経済成長は、世界第二位の経済大国で頂点を迎えた。我が国の戦後の復興は、東西冷戦構造と世界経済のフロンティア地域であったことが、大きな要因である。つまり、冷静に考えれば理解出来ることだが、今の日本には、東西冷戦構造も世界のフロンティア地域でもなくなっているのだから、経済成長もバブルも似合わない国家になっている事実だ。どうもこの点が、今の日本人の考えの思考を停止させる元凶なのではないかと、最近思うようになっている。特に、現役世代の40代50代には、受け入れ難い事実なのだろう。

最近の右翼政治集団の多くが、実は50代から70代と云う“団塊世代”を核として展開されているという話を聞いたが、“なるほどね”と思うところがあった。安倍晋三夫婦と同世代だ。戦争を知らない子供たち世代で、高度経済成長とバブル期を体験した人たちと云う、非常に奇妙な敗北を知らない「成功体験者」だと云う点で合点がいく。ネット上で這いずり回っている人々と云うのは、ごく一部の若者(一人で百人を演ずるらしい)や時間給労働者の類で、現実社会には出てこない人々なのだということが、何となく理解出来る。

話は、あちこちに飛ぶので、読みにくいだろうが我慢して貰いたい。筆者の精神分裂気味の性格が反映しているので、如何ともしがたい(笑)。ところで、現在の安倍政権と云うものを、上述の「実力天皇論」で考える時、アメリカが真の実力天皇であるとした場合、その表見代理人として、安倍が「実力天皇」の表見代理人として、実力天皇に代わって、疑似天皇の地位に居るような世界を夢見ているようにも見えてくる。

この「錯覚天皇論」という考えが浮かぶには、それなりの根拠はある。おそらく、安倍達が考える「錯覚天皇論」への道筋には、国民の側に、エコノミック大国よ、もう一度、という幻想がある。経済学の論理から行けば、絶対に、経済大国への道は閉ざされているのだが、それを認めたくない層が、それなりの数、存在することは強い味方だ。経済界も、その幻想の尻馬に乗っている方が、自己利益誘導に有利に働くから、文句を言うはずがない。

無論、戦後の一貫したアメリカナイズの中で、利権や栄誉を手に入れている集団も、自分の立場さえ良ければという刹那性に傾き、滅多に前川喜平や小出裕章のような人物は現出しない。本当のことを言わない世間が出来上がった感じがある。多くが、佐川宣寿、柳瀬審議官などに象徴される官僚、或いは、各分野の有識者と言われる人々の集団が、その限りだ。つまり、安倍自民政治に親和的であることが、自己利益と一致するという図式が、簡単に成立しているのが現状と考えて問題はない。

いまの安倍政権は、幻想国民と自己利益の刹那性に守られて成立しているということになる。言葉にすると砂上の楼閣のように思えるのだが、戦後の経済成長とアメリカによる支配と云う構図な中で育った、これらの集団は、正義不正義の観念に蓋をするのが上手な人々が多いので、損得勘定で、簡単に物事を判断できる「電卓人間」なのである。“足し算引き算掛け算割り算”で人間の生き方を決める人々で、案外シンプルな考えなので、実は壊れにくい。

安倍を取り巻く、右派の連中のご都合主義的な「天皇制」は、天皇が時の幕府や政府にとって、政に口を挟まない“神輿天皇”であれと強要しているわけだが、まぁ、憲法上も、政治に口を出さないことを求められている。ここが難しいのだが、現安倍政権のように、憲法違反を次々と閣議決定で片づけるような政権であっても、神輿になった天皇には、政に口を閉ざすことが求められているのかどうかという問題だ。まつりごと側が、憲法を無視してまつりごとをしても、天皇は“まつりごと”に口を出せないのがフェアーか、アンフェアーかと云う問題も残されている。

つづく

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