世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●民主政治家の言葉遊びは飽きた 怖いもの見たさの本音政治

2017年01月19日 | 日記

 

ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店


●民主政治家の言葉遊びは飽きた 怖いもの見たさの本音政治

 毎日新聞に限らないが、バラク・オバマ米大統領を評価するコラムや社説を読んでいると、筆者は、ひどくトンチンカンナ言説が、未だに世間を牛耳っている事実に愕然とする。

 オバマの米大統領としても功績評価等を、表向きの公式に表明された絵空事的な“標語のような理想”を追いかけて論じることへの、怒り、虚しさ、“本音で行こうぜ”みたいな動きが、全世界で起きたことと対比して、オバマの功罪は論じられるべきである。

 いや、バラク・オバマの功罪ではなく、デモクラシーや資本主義の本質的問題が露呈した時代という事実に対し、正対する姿勢が問われる時代に突入したと云うことだ。その時代的課題に対して解を持たない知識人、有識者などが、訳知り顔で、何かを口にしているわけだが、彼らは、ポジショントーク以上の、自分の言葉を持っていないのだから、聞くも観るも、無駄骨ということだろう。オリジナルに、デモクラシーやグローバリズム経済に変る、次の世界を創造するよう人類は追い込まれている。但し、今現れている「極右政党」のようなものは、一過性の過渡期に起きる現象で、世界の基本理念にはならないのも確かだ。

 オバマが就任以降取り組んだ経済不況からの脱出も、グローバル化した資本主義や、そのことで歪んでゆく民主主義や自由主義のシステム上の過ちは、公式に誰一人認めず、何ごともないかのように隠密裏、事実関係が無秩序に世界的に発生した。

 オバマの「核兵器のない世界」は、オバマの無能と演説上手に役立ったが、世界の平和に役立つことはなかった。アフガン、イラク戦争の終結を宣言したが、福島原発事故収束宣言の野田佳彦同様、その言葉とは裏腹に、問題のすべては終息していない。オバマに至っては、隠密裏にウクライナとシリアで内乱や騒乱が起きるべく、裏道から反政府勢力に手を差し伸べていたのだから、実質的には戦争や混乱の当事者であることは確実だ。当事者である点、ロシアと遜色のない地位に米国はある。

 自由や民主主義を通じた、経済システムが明白に行き詰り、壊死状態であることは、認めたくないとしても、目をそらせない現実である。いま、生きている人類に、次のシステム構築の器量がないのであれば、次なる地球規模の民主主義に替わる「理念」の誕生を邪魔する勢力に似にならないようにしたいものだ。

 オバマを理念の人と持ちあげることが多いが、彼も、単にエスタブリッシュメント層においては、幾分リベラルなフリがしたい人間だったというだけど、20世紀的欧米理念に関して、守旧派な政治家に過ぎない。演説で、米国民や日本のメディアを上手いこと騙したが、上手な言い逃れを沢山振り撒いたに過ぎない。次期大統領トランプは散々な支持率のようだが、現実と本音のマッチングを間違えなければ、退任時にはオバマ以上である可能性は多いにある。


 ≪ オバマ政権8年 「チェンジ」の決算 理念の実現に苦しんだ
 バラク・オバマ大統領は米国史においてどう位置づけられるか。世界に何を残したのか--。この問いに答えるのは容易ではない。 理念の人ではあった。8年前、打ち続く戦争と不況にあえぐ米国で変革(チェンジ)を訴えて就任し、プラハで「核兵器のない世界」構想を唱えてノーベル平和賞を受賞した。  アフガニスタンとイラクでの戦争終結に努め、「イスラムとの和解」演説でアラブ・イスラム圏との融和姿勢を見せた。戦場の硝煙のにおいが忍び込む米国に、「イエス・ウィ・キャン(私たちには可能だ)」の楽観的な掛け声が、さわやかな風のように駆け抜けた。

勇気を見せた広島訪問
 確かに米国は変わった。ブッシュ前政権は、米国の力で世界を変えようとするネオコン(新保守主義派)の影響を受け、対テロ戦争では各国に「米国の敵か味方か」と踏み絵を迫る息苦しさがあった。
 オバマ氏はそんな傲慢さとは無縁だった。同氏が敬愛する政治学者ラインホールド・ニーバー(1892~1971年)は、第二次大戦後に最強国家になった米国に対し、強国は憎しみやうぬぼれゆえに目が見えなくなって進路を誤ると警告した(「米国史のアイロニー」)。
 オバマ政権が新たな紛争への介入を極度に嫌ったのは、無い袖は振れぬ台所事情とは別に、超大国が腕力を使う際の、思わぬ落とし穴を警戒したのだろう。謙虚さでは史上まれな大統領だったのは間違いない。
 リーマン危機を乗り切り、イラク撤兵を実現したのは政権1期目の成果である。お別れ演説でオバマ氏は2期目のキューバとの国交回復やイラン核問題での合意などを外交成果に挙げた。
 「民主主義は、それが当然と思った時に危機に直面する」として民主的な社会を大切にするよう訴え、8年前の変革の精神に基づいて「『イエス・ウィ・キャン』を信じてほしい」と締めくくった。
 外交成果では昨年5月の被爆地・広島訪問も特筆したい。核軍縮は進まず、北朝鮮は挑発するように核実験を繰り返す。「核なき世界」のために切れるカードは米国のタブーを越えた被爆地訪問しかない。たとえそうだったにせよ、意義深く勇気ある訪問だった。
 その一方で、「理念の人」は理想と現実の落差や実行力不足に苦しみ、打開に向けて悩み続けた。  代表的な例がシリアだ。お別れ演説でオバマ氏は、同時多発テロの首謀者ウサマ・ビンラディン容疑者の殺害や8年間のテロ対策を誇りつつ、シリアには全く言及しなかった。
 2013年、シリアのアサド政権による化学兵器使用が確実になった時、オバマ政権はシリア空爆を予告しながら、プーチン露大統領のとりなしもあって空爆を事実上中止した。その際、オバマ氏は「米国は世界の警察官ではない」と明言した。
 だが、91年の湾岸戦争以降、中東に強い影響力を持つ米国が腰くだけになれば、シリアのアサド政権軍や過激派組織「イスラム国」(IS)が勢いづくのは目に見えている。化学兵器使用を「レッドライン」としていたオバマ政権の朝令暮改的な方針転換は重大だった。

自画像が小さすぎた
 未曽有の人道危機を生んだシリア内戦の収拾に、米国は全力を尽くしたか。オバマ氏の政治責任を問う声は、今後も尾を引くだろう。
 しかもオバマ氏がシリア空爆を中止した翌年、ロシアはクリミア半島を奪いISは独立国樹立を宣言し、南シナ海での中国の埋め立ても本格化した。アジア重視の「リバランス」とは裏腹にオバマ政権は中露や北朝鮮から甘く見られた感がある。
 オバマ氏は初の黒人大統領でもあり、米国の新たな自画像を描きたかったのだろう。米国だけが「警察官」ではなく、各国が応分の負担をする。大国は威張らず、小国も大国の顔色をうかがう必要のない、平等な国際社会をめざす。そんな考え方が間違っているとは思わない。
 だが、理想の社会の建設には時間がかかる。オバマ氏は米国の役割を軽く見て自画像を小さく描きすぎた。逆に次期大統領のトランプ氏は米国の像をことさら大きく描いた印象があり、今の世界では米国の像が二重に見えている。
 8年間、スキャンダルと無縁だったオバマ氏は、冷静で理知的な大統領だった半面、自分のスタイルを崩さず難しい問題は遠ざける傾向が目立った。米議会の多数派・共和党がオバマ氏の手足を縛ったにせよ、大統領として局面を打開する力を欠いたことは否めない。
 00年に同じ民主党のクリントン大統領が中東和平の実現をめざし膝詰めで関係3首脳会談を続けたように、たとえ失敗しても、泥をかぶっても、世界のために身をていする覚悟を見せてほしかった。
 それでこそ可能な「チェンジ」もあったはずだ。  ≫(毎日新聞1月12日付社説)


トランプは世界をどう変えるか? 「デモクラシー」の逆襲 (朝日新書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版
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