世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●「価値の共有」に酔い痴れるな 上手な民主主義は怖い

2016年12月11日 | 日記

 

新しい日米外交を切り拓く 沖縄・安保・原発・TPP、多様な声をワシントンへ
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●「価値の共有」に酔い痴れるな 上手な民主主義は怖い

 以下の東京新聞のコラムでは、独メルケル首相の「価値観」を是認する立ち位置から語っているわけだが、問題は、彼女やオバマ大統領が標榜する、現状のアメリカ的広義のデモクラシー《 血統、肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的立場に左右されず、民主主義、自由、人権と、人の尊厳への敬意という価値観の共有 》の継続が、今後の21世紀的世界観であるのなら、もぐら叩き状態に入った「全方位なグローバリズム」を更に深堀しようと云う、とてつもなく教条的な提案に思えてくる。

 たしかに、アメリカ中心のデモクラシーと資本主義のセットには、価値観を生みだすだけの説得力があった。ゆえに、第二次大戦後70有余年価値観であり続けた。しかし、その価値観を証明し続けるために、資本主義は、グローバル経済を求め、結果的だが、政治はグローバリズムな方向に勝算の見通しもなく突き進んだ。その結果が、開拓市場を失ったグローバリズムの罠に落ちている。フロンティアがないのなら、地域の囲い込みをフロンティア代りにする、カジノ産業でフロンティア不足を補うなど、意味不明なチンケナ安倍首相のような発想まで飛び出してくる。

 結局、都合よく進捗していた結果オーライな経験則の集大成が西側陣営の「普遍的価値」らしいのだが、《 血統、肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的立場に左右されず、民主主義、自由、人権と、人の尊厳への敬意という価値観の共有 》のだが、真の姿と云う意味で「民主主義、自由、人権と、人の尊厳への敬意という価値観」を、裏稼業なしに、真から実行出来ている国などないわけで、国家と云う支配の枠組みに隠れて、自由人権が保証されているとは言い難い。ロシア、中国、中東‥等の国においても保証されていないが、メルケリのドイツでも、オバマのアメリカでも、守られているとは言い難い。

 仮に、現状を言い表すのであれば、米独などは、民主主義らしき手続きを上手にこなし、合法性に逃げることが上手な統治機構を持っている。しょうじき、ただそれだけの違いだ。或る意味で、悪事がばれ難い複雑な統治機構を持ち、物事を四より悪化させる民主主義だとも言える。筆者の感覚からすると「詭弁民主国家」に陥ったのがアメリカであり、似てきたのが、ドイツと日本。そんな感じである。美しい民主主義などない。正義の資本主義もない。理想の言葉に酔いしれず、汚く、脆弱な欠点を持っている制度と云う認識で、慎重に扱うものであり、信じるものでない(笑)。


≪ メルケル氏が切った啖呵
 よく先進七カ国(G7)などの間で「価値観を共有する」という言葉が使われる。「共有しない」側には、北朝鮮はもちろん、最近では、中国やロシアも属するとされることが多いようだ。どういう価値観なのだろうか。
 「血統、肌の色、宗教、性別、性的指向、政治的立場に左右されず、民主主義、自由、人権と、人の尊厳への敬意という価値観の共有に基づき、トランプ次期米大統領との緊密な協力を申し出たい」
 ドイツのメルケル首相は、トランプ氏にかけたお祝いの電話でこう述べた。オバマ大統領とは一致できていた価値観を今後も共有できなければ、米国に対してといえどもお付き合いお断りということだ。ミュンヘン在住のジャーナリスト熊谷徹氏は、トランプ氏への「毒矢」と評した。安倍首相がいち早くトランプ氏に会いに行ったことと比較すると、メルケル氏の強い姿勢はいっそう際立つ。
 戦後ドイツの国是は、ナチスを繰り返さないことに尽きる。その根本を支える価値観が、メルケル氏が毒矢に塗り込んだ、差別への強い嫌悪と人道主義だ。
 トランプ氏はこの価値観に反する発言を繰り返していた。メルケル氏が切った啖呵(たんか)にどう反応するのか。波紋は、価値観共有を目指してきた欧州、さらにはG7へと広がり、共有しない側も巻き込んで、世界秩序を揺るがしかねない。(熊倉逸男)
  ≫(東京新聞12月7日付 私説・論説室から)

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