世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●安保法制、安倍は議論をつくせ こそこそ逃げ出す正論、浅ましいのでは?

2016年03月31日 | 日記
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●安保法制、安倍は議論をつくせ こそこそ逃げ出す正論、浅ましいのでは?

「選挙のためなら、何でもする」それが、自民党の民主主義の根幹であるなら、それも良いだろう。防衛大学の卒業式の訓示に何回となく繰り返された「我が軍」を推進するのであれば、自信を持って、野党のヘタレ共を議論で組み伏せればよかろう。これでもかと、持論の防衛観念を、野党議員のみならず、国会議事堂を包囲する、わからず屋国民を黙らせる、説得力ある、我が国の防衛体制の必要性を知らしめるべきである。

まさか、テキトーに理解しているので、化けの皮が剥がれるのを怖れているのではないのだろうから、正々堂々と横綱相撲を取って、おおむこうを唸らせて貰いたいものだ。世論の反対も多い中、無理やり強行採決までして成立させた安全保障関連法なのだ。尚且つ、法案は粛々と施行されたのだから、今さら、寝た子を起こす意味などない、と云うことなのだろうか。野党の廃止法案など、返り討ちにしてやる気概が「我が軍」と連呼する安倍晋三に求められる。安倍は「絆の強い同盟によって間違いなく抑止力は高まる」と戦争法と揶揄される安保関連法の意義を、トコトン、野党諸君や国民を納得させるべきである。安倍に、その情熱は充分にあるだろう。側近たちがとめに掛かるのは、安倍の男ぶりを貶める。

 民進党の山尾志桜里政調会長は、「あれだけ対案を出せと言ってきたにもかかわらず、審議しないのは矛盾している」と発言したが、当然だろう。共産党・穀田恵二国対委員長も、「強行採決したときに“丁寧に説明する”と言ったのも忘れたようだ」。しかし、民進党の腰つきは完全に「柳腰」で、安倍官邸にみえみえ。単に、駄々をこねている“愛人もどき”なのだから、舐められても致しかたないだろう。結局、名前が変わっても、野田・前原・細野・長島ら、自民補完勢力党員を抱えているのだから、「柳腰政党」と断定しても過言ではないのが、民進党だ。

 このような民進党の状況は、真面目に、反安倍勢力の結集を呼び掛けている人々の意を無駄にすることになる。情熱を削ぐ。鉄を冷ましてから打ちつけようとする、横着政治病に罹患した状況を脱していない。共産党は、民進党の柳腰をみて、高みの見物気分になっているだろう。仮に、衆参W選を打たれた場合は、民進党潰しに精出すからな、と既に脅しをかけている。いや、単なる脅しではないだろう。参議院一人区への協力は、志位委員長が、その地位を掛けた勝負手だ。その勝負手に後ろ足で砂を被せるような振舞いを民進党が行うとなれば、衆議院一人区では「打倒!民進党」に舵を切ることになる。

長い目で見れば、そのような状況になるのも、やむを得ないかもしれない。国民の目に、「民進党も既得権益政党」と云うイメージが深く根づく方が、日本の為かもしれない。世界の流れも、紆余曲折はあるとしても、米国一国主義のデモクラシーで良いのか問題に突き進んでいるのが現状なのだから、その為に、産みの苦しみに喘ぐのも、次なるフェーズの出現を控え、必要な惨劇かもしれない。まあ、現状を見る限り、惨劇を見ても、「いい湯だな」と言っている日本なのかもしれない。どのくらい、過激な痛みを与えると目覚めるのか、個人的には、そこを知りたい気もする。

あいかわらず、ヘタレな朝日新聞は、他人のフンドシで相撲を取っている。へっぴり腰で、権力監視の真似をして欲しくはないが、これが、日本のマスメディアの限界なのだろう。ただ、俳優・佐藤浩市のオピニオンは、抑制的だが充分読ませてくれた。三國連太郎も、ニヤリと笑っているだろう。


 ≪(リレーおぴにおん)テレビの時間:15 方向見失うドラマ、希望なお
  佐藤浩市さん  
ナショナリズムに訴えかけるようなドラマしか、もう残された道はないんだろうか。冗談ですが、そんなことを口にしたくなるほど、テレビドラマの現状は方向性を見失っていると思う。

 若い視聴者におもねって失敗し、それならお年寄りが安心して見られるようにと医療ものと刑事ものに走った。でも、どっちに日和(ひよ)ったところで数字はとれない。悩んでないテレビマンなんて、いま一人もいないでしょう。

 お茶の間に届けるテレビドラマにも、かつては映画のようなイデオロギー性をはらむ、偏った番組が放映される余地がありました。それがいつしか、どこからもクレームがつかない安全な方向を向いていく。僕のドラマでも数年前、昭和30年代の雰囲気を描こうと会議中に皆が喫煙したら、相当数のクレームが来たことがあって。その後、同様の場面は姿を消しましたね。

 これだけ視聴者の裾野の広いメディアだけに、難しさはあるでしょう。でもそうやって現場で自主規制を重ね、表現の自由を放棄してしまっては、自らの首を絞めていくだけです。

 ではなぜ、僕がテレビドラマを続けていくのかといえば、映画表現とは別にやれることがあるという希望を、捨て切ってはいないからでしょうね。

 番組に参加する以上、できる限り監督やプロデューサーと話をするんです。台本に縛られず、三次元のテイストを出せないか。つまり説明的ではないせりふや肉体の表現によって、見る側に伝播(でんぱ)させることはできないか。10回という連続ドラマのもつ面白さをもっと生かす可能性もあるのでは? 配役も、その俳優おなじみのイメージを安易に反復せず、視聴者を裏切っていっていい、と提案しています。

 老若男女、生きてきた場所も経験も違う人たちにボールを投げるためには、高度な技術が必要です。だからこそ真剣な対話をあきらめない、スタッフとの「しがらみ」が、希望の源になっているのかもしれません。

 昨年、「戦後70年 千の証言」という番組で、ナビゲーターを務めました。反戦メッセージなどというつもりはない。残り少なくなった当事者の人たちに、どんな心境で戦地へ赴いたのか、肉声を聞きたかった。役者としての欲求で受けた仕事です。

 欧米に比べ、日本の俳優には社会的発言が少ない? スポンサーとの関係性という、海外にはないしくみの違いはあるでしょう。それと、世間もメディ アも我々に社会的、政治的発言を求めていない側面もある。この島国では残念ながら、個人が自由に発言できる状況にはないのが現実だと思います。  (聞き手・藤生京子)    
  *  
さとうこういち 俳優 1960年生まれ。80年にデビュー、映画とテレビで活躍。主演映画「64―ロクヨン―」前編が5月7日、後編が6月11日から公開予定 ≫(朝日新聞:リレーおぴにおん)


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