世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

●崩壊寸前の新旧アベノミクス 笛吹けど民は踊らず、専守防衛

2015年11月09日 | 日記
財務省と政治 - 「最強官庁」の虚像と実像 (中公新書 2338)
クリエーター情報なし
中央公論新社


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●崩壊寸前の新旧アベノミクス 笛吹けど民は踊らず、専守防衛

以下のダイアモンドONLINEの嶋矢氏の“アベノミクスの矢がいつまでも的外れな「本当の理由」”と、野口氏の“安倍内閣“新3本の矢”は 経済政策失敗の目くらましだ”を連続して、掲載しておく。旧アベノミクスが相当な失敗をした上に、その失態を覆うように、新アベノミクスの矢を放つと言い出した、安倍晋三だが、完全に竹中平蔵中心のエセ経済学者の口車と、財務省マフィア、経産省マフィアの綱引きの中で、迷走していただけと云う事実が、かなり明確になっている。

しかし、わが国のマスメディアの中心に位置するNHK、朝日、読売、日経等々に至るまで、アベノミクスの大失態を総合的な視線で分析指摘しているメディアはゼロである。流石にダイアモンドサイトを見るくらい経済に興味がある連中は、90%、新アベノミクスに期待しないとアンケ―トに答えているが、嶋矢氏や野口氏のコラムでは、旧三本の矢と新三本の矢を比較しながら論を進めているのだから、「旧アベノミクスは成功したと思うか?」と云う設問も用意すべきだった。筆者の感覚では「旧は失敗」と見る向きは70%程度になるともうのだが、残念ながら、その設問は用意されていない。

二人のコラムには、それ相当の説得力はあるが、どこかに、幻想的な空気が漂う。共通している問題は、日本経済を考える時に、定番化した「内需」と云う論点がある。総需要は、国内の民間需要と政府需要と輸出の合計で、国内の民間需要が全体のおよそ65%、ほぼ3分の2を占めているため、国内の民間需要の増減がGDPのそれに与える影響力は大きい。また、国内の民間需要においては、家計の消費支出と住宅建設が全体の8割を占めていると云う実情を考えると、トンデモナイ分野(グローバル展開出来る輸出製造業)に光を当ててしまった。

財務省が放ち続けた「国家の借金は1000兆円!国民一人当たり800万円!」のマスメディア総動員体制のプロパガンダが功を奏し、何が起きたのか?そもそもは、国家が日本の場合、国民からの借金をしているにもかかわらず、「お前らは赤ちゃんまで含めて、一人当り800万の借金がある」と倒錯した言説を振りまいたことに端を発する。一定の範囲で生真面目な日本人は、「これは大変だ。国家が赤字だと騒ぐと云うことは、社会保障を徹底的に削減してくるだろう」そう読んだわけだ。

そのような考えが浸透したことで、「財政のバランスは大切だ」と云う言葉は、政治家、役人、国民に至る部分で、合言葉のようになった。しかし、個々の国民は、自分の家庭の支出は抑えなくてはならない。いずれ、支払われる保証は削減され、取られるものは増加の一途に違いない、そう思ったわけだ。つまり、政府のやることに反対しても、大した効果はないのだから、自営本能が働くのは当然だ。そこに、追い打ちをかけるように消費税が5%とから8%に上がった。消費生活における税金が6割も上がったのだから、益々倹約精神は強固になる。

これで、国民の消費生活のパターンは決定的になった。NHK初め日本のマスメディアは、日銀の金融緩和による円安と株高で、僅かに発生したバブル族の映像を流し、高級品が飛ぶように売れている、株高景気だと煽ったが、多くの国民は冷静で、そのような情報を歯牙にもかけていなかった。国家は、国民を締めあげることしか考えられない立場に追い込まれたのだから、必ず締め上げだけが到来する。こうなると、日本の国民のような人々は、想像以上にしぶとい。論理的には、国家と国民の我慢比べになっているのだが、絶対的に国民の我慢強いのである。また、もの言わないが狡猾で強かだ。

政治家も役人も企業人も、人様の金を動かすのだから、大胆であったり、乱暴であったり、大雑把なものだ。金の流れにさえ不正がなければ、ミスジャッジそのもので責任を取ることは稀である。仮に、取ると言っても、落選であり、辞任であり、退任天下りであり、社長から会長か顧問になる。エセ経済学者は、有識者であり、特段の責任はないように組まれている。それに対して、国民一人一人は、すべての判断と選択が、己に降りかかるわけだから、必死に防衛本能を発揮する。動物的な臭覚や肌感覚もあるだろう。国民一人一人の人生は、その個人が、常に責任を取る。この違いは、驚くほど違うものだ。財務省もマスメディアも、そこを誤った。

筆者の場合、経済成長なき国家、定常経済国家が正しい姿であり、仮に経済が成長することがあると云うことは、あくまで自然増であり、放置しても成長する要因があれば成長する。経済成長の要因を人為的な政策で作り出すと云う行為自体、過ちで、社会構造に歪みだけを残す。国内の需給バランス、国際的需給バランスで、それらは決定されるわけでマクロ経済政策云々で、簡単に作動させられるものではない。飽和的物質文化、飢餓的ではない生き方、少子高齢化これらを踏まえれば、定常経済の国家観を土台に置かない限り、永遠に経済政策は誤る。

以上のように、いま、国家の企みは、国民が復讐するつもりもないのだが、事実関係として、復讐劇が展開されている。酷く滑稽なわけだが、ありもしない経済成長余力を、幻影的な目的化している限り、永遠に日本の経済政策は失敗に帰する。おそらく、欧米先進国の経済成長神話も、早晩行き詰る。一歩でも早く、成長率ゼロ経済の発想を打ち出した国家が、事実関係に裏打ちされるわけだから、生き延びることが可能なのだろう。ただ、民主主義と云うものが、政治家の目標を「成長ゼロ社会」を目標に掲げた瞬間に、国民はソッポを向く。少なくとも、政党に政治をさせていると、どこの国でも、真実は日の目を見ない。政治の仕組みとは、げに奇怪なものだ。


≪ アベノミクスの矢がいつまでも的外れな「本当の理由」
■現実離れした新・三本の矢は
旧・三本の矢の失政隠しか?
 アベノミクスが第2ステージへ移った。安倍首相は「強い経済」を最優先に、新たな3本の矢を提唱した。これまでの「大胆な金融緩和」「機動的な財政出動」「民間投資を喚起する成長戦略」という3本の矢に加えて、「希望を生み出す強い経済」「夢を紡ぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」という新たな3本の矢を掲げて、「誰もが家庭で職場で地域で、もっと活躍できる1億総活躍社会」を目指す、と宣言した。
 強い経済では、2014年度に約490兆円であったGDP(国内総生産)を2020年には同600兆円に増やすことを目標に掲げている。子育て支援では、欲しい子どもの数をもとに算出する希望出生率1.8の実現を提案している。社会保障では、介護離職ゼロをはじめ、生涯現役社会の構築、待機児童ゼロや幼児教育無償化、3世代同居拡大などの支援策を掲げ、50年後も人口1億人を維持するという国家としての意思を明確にする、と明言した。2017年4 月に予定している消費税率の10%への引き上げについても、「リーマンショックのようなことが起きない限り、予定通り実施する」と強気である。
 来年夏に参院選を控えているとはいえ、安倍首相は先の第3次内閣の発足に際し、国民へ向けて発したメッセージとしてはいかにも軽く、言葉だけが踊 り過ぎていて、空しさを禁じ得ない。とりわけ「GDP600兆円」とか「希望出生率1.8」とか、揚句には「介護離職ゼロ」に至っては、いずれも現実離れした無責任な夢物語で、いかにも客寄せのセールストークに近い。
 国民が切望しているのは、地道で実現可能な政策目標であり、より具体的な施策の着実な有言実行である。そのためにも、第1ステージの総括が必要不 可欠であるが、安倍政権には今のところ総括する気配はない。むしろ、第2ステージの「新・3本の矢」は第1ステージの失政を覆い隠すための目くらまし政策であり、プロパガンダ(喧伝、吹聴)ではないのか、との厳しい批判も広がっている。
 アベノミクスの第1ステージがスタートしたのは、2012年12月のこと。間もなく3年になるが、結論を先に言えば、3本の矢はいずれも初めから的が外れており、焼き石に水ではなかったのか、と言わざるを得ない失政である。 第1ステージでは当初、円安や株高が進み、企業業績は回復、改善し、好転した。しかしデフレ脱却を決意して掲げた、物価を2年以内に2%へ上昇させるというインフレ目標はいまだ叶わず、GDPも今なお伸び悩んでいる。待望の景気回復や経済成長の押し上げ効果も芳しくない。打ち出してから2年半に及ぶ 異次元緩和の第1の矢は、年80兆円の国債購入など、かつてない大胆な施策を繰り出したが、笛吹けど踊らずで、物価にも景気にも響かず、期待外れに終わっている。最近は、追加緩和への待望論まで取り沙汰されている。
 機動的な財政運営の第2の矢は、計19兆円規模の3度にわたる財政出動などで、いわゆる有効需要政策を繰り出したが、これも眼に見えるほどの需要 効果を発揮しているとは聞いていない。民間投資を喚起する成長戦略の第3の矢に至っては、規制改革をはじめ、女性が輝く社会の実現など、多くの施策を次々と公表したが、そのほとんどが手つかずのままで、期待を裏切っている。
 円安効果は、確かに外国人観光客の増大で「爆買い」が低迷する内需を下支えしているが、その一方で輸入価格の上昇が個人消費を冷やしている。異次 元緩和による国債の大量購入も、課題解決の負担を先送りしているだけで、決して賢い善政ではない。日銀が大量に買い入れた国債はいずれ売却しなければならず、それまで国債価格を下落させずにいかに保全するか。いわば出口で軟着陸するための出口戦略が至難である。出口戦略は米国でも10年、20年の先行き見通しを要しており、日本ではさらなる歳月を要することは必至である。

 ■アベノミクスの放つ矢は
なぜ的が外れているのか?
 それにしても、アベノミクスはなぜ、的が外れているのか。その要因には3つある。1つには、政策立案の大前提となる現状認識に決定的な事実誤認が あること。2つには、日本経済の長期低迷の要因分析をあえて怠り、そのすべてを非科学的な「バブルの崩壊」で片づけ、それ以上の真摯な追求を蔑ろにしていること。そして3つには、視点と問題意識が総じて、企業などの供給や生産サイドへの配慮を優先し、消費者や生活者などの需要や消費サイドへの配慮を無意識のうちに後回しにしていることである。
 安倍政権にとっては、いずれもその背後に「不都合な真実」が隠されているため、故意に覆い隠したかったがための手抜き策ではなかったか、と勘繰っている。
 さて、前述の第1の要因は、アベノミクスの原点から検証していく必要がある。2013年1月の国会において、安倍首相は所信表明演説の中で、次のように述べている。 「我が国にとっての最大かつ喫緊の課題は、経済の再生です。(略)これまでの延長線上にある対応では、デフレや円高から抜け出すことはできません。だからこそ、私はこれまでとは次元の違う大胆な政策パッケージを提示します。断固たる決意を以って、強い経済を取り戻していこうではありませんか」
 これがアベノミクスの趣旨と狙いであるが、そのアベノミクスを必要としている日本経済の現状認識については、閣議決定した「基本方針」の中で次のように記述している。 「1990年代初頭におけるバブル崩壊を大きな節目として、日本経済は現在に至る約20年間、総じて低い経済成長に甘んじてきた。(略)我が国が取り組むべき課題は、先ず第1に長期にわたるデフレと景気低迷から脱出することである。(略)安倍内閣は相互に補強し合う(略)3本の矢、いわゆるアベノミクスを一体として、これまでと次元の異なるレベルで強力に推進していく」

 ■「失われた20年」は事実誤認?
日本経済は1997年まで成長を維持した
 この現状認識には極めて基本的な事実誤認があり、看過できない。真実は1つなので、いかなる統計を見ても同じであるが、事実は1990年から 1997年までは一貫して右肩上がりで成長を続けているということだ。90年を100とすると、97年は112で、この間の年平均成長率は2.2%であっ た。それが右肩下がりの低迷期に陥るのは98年からである。97年を100とすると、2013年は91で、この間の年平均成長率は0.6%のマイナス成長 である。
 したがって、日本経済が長期停滞に陥り始めたのは、98年以降のことなのである。「失われた20年」と言われてからすでに久しいが、その起点は決して90年ではなく、実は98年からのことであったわけである。今、改めて「失われた20年」を正確に言い換えれば、今年は「失われてから18年」目を迎えている。    日本経済の長期低迷を脱して、再生させる狙いはアベノミクスの本命中の本命の狙いで、3本の矢はいずれもこの的を射抜くために集中させていたと言っても過言ではない。それにもかかわらず、肝心な長期低迷の実態把握を「90年代の初頭におけるバルブ崩壊を大きな節目として、日本経済は現在に至る約 20年間、総じて低い経済成長に甘んじてきた」とは一体、どういうことか。あまりにも大雑把で、事実を大きく誤認、逸脱している。
 これでは、長期低迷から脱して、再生させるために欠かすことができない要因の分析、究明も正確にできなければ、把握もできず、ましてや的を射た政策や対策を打ち出すことができるはずもない。

 ■1998年から始まった長期低迷で
 雇用者報酬と国内民間需要が下落
 では、日本経済はなぜ1997年をピークに、98年から右肩下がりのマイナス成長に陥ったまま、浮上できずにきてしまったのか。国民所得統計によると、長期低迷の背後には98年を起点に低迷傾向を辿り出したGDP(国内総生産)の増減傾向とほぼ軌を一つにして、雇用者報酬の下落傾向と国内の民間需 要の減少傾向を見て取ることができる。
 雇用者報酬とは、国内で雇用されて働く人々が1年間に受け取る給料や賞与、手当などの総額である。これが97年までは一貫して右肩上がりで、それも急カーブで増え続けるが、98年からは右肩下がりに転じて、下降線を辿っている。
 国内の民間需要とは、家計の消費支出と住宅建設で、全体の8割を占めている。これも97年までは右肩上がりで増化傾向を辿るが、98年からは若干の増減を繰り返しながらも、減少傾向を辿っている。
 雇用者報酬と国内の民間需要とGDPの相関関係は、極めて高い。雇用者報酬が下がれば、国内の民間需要は減るし、国内の民間需要が減れば、日本経 済の総需要が減る。総需要が減ればGDPを減らし、押し下げることになる。逆も真なりで、雇用者報酬が上がれば、最終的にGDPを増やし、押し上げること になる。
 総需要は、国内の民間需要と政府需要と輸出の合計で、国内の民間需要が全体のおよそ65%、ほぼ3分の2を占めているため、国内の民間需要の増減がGDPのそれに与える影響力は大きい。
 日本経済が97年をピークに、98年以降は長期低迷に陥り、「失われてから18年」を余儀なくされているのは、よく世界経済のグローバル化や新興国の台頭など、その主因を外圧に求める向きもある。しかし、国際比較統計からはそれを認めることはできない。なぜならば、97年を100として98年以降のGDPと平均賃金の推移を国際比較すると、欧米の主要各国はいずれも右肩上がりの上昇傾向を辿っている中で、日本だけが取り残され、GDPも平均賃金も共に緩い下降線を辿っているからである。
 98年からの日本経済の長期低迷の要因は、紛れもなく国内要因によることは明白である。だからと言って、これをも非論理的な「バブルの崩壊」でフタをして、終わりにしては真相の究明にならない。

 ■「賃金の上がらない」構造が体質化 これこそが日本経済の長期低迷の主因
 実は第2の要因はこの真相の中に隠されていたのである。つまり、総需要やGDPを押し下げてきた先行要因の雇用者報酬が97年までは順調に増加傾向を辿ってきたのに、98年からは急に下降線を辿り出したのはなぜか。この背景にこそ、真相の核心が隠されている。
 結論から先に言えば、その時々の政権が96年以降に繰り出してきた日本経済の構造改革政策が、日本経済の秩序をいわば「賃金の上がらない」構造へ 改革し、体質化させてすでに久しく、その構造と体質が今や骨肉化して、今日に及んでいる事実と現実こそが日本経済の長期低迷の主因である、と確信している。
 それはどんな事実で、現実なのか。ひとことで言えば、戦後の高度成長以来、日本経済の成長、発展の歯車を底辺から支え、推進してきた企業戦士と いった、いわゆるエンジン役を果たしてきた「雇われ軍団」が、取り返しのつかないモラールダウン(やる気の委縮)に陥っていることである。
 歴代の政権が歳月を費やして労働者派遣法の相次ぐ執拗な改正で同軍団を正規、非正規に分断し、差別と格差で疎外し、労働分配率の低下で蔑ろにして きたため、雇われ軍団のやる気をはじめ、生産性の向上力や購買力、さらには生活力から生きる力まで萎えさせてきた事実と現実は、日本経済の足腰を弱め、再生への復元力を失わせている。「失われた20年」で言うところの失ったものとは何か、と問われれば、残念ながら「雇われ軍団」のモラールダウンと言わざるを得ない。
 当時の構造改革政策は、橋本政権の96年からの同政策をはじめ、2001年から09年にわたる小泉、安倍(第1次)、福田、麻生の各政権がそれぞれに同名の政策を次々と繰り出して、日本経済を「賃金の上がらない」構造と体質へ、いわば上塗りしてきた経緯がある。このことは、07年版の『経済財政白 書』や12年版の『労働経済白書』も認めている。両白書とも、企業業績や景気が回復、改善して、企業の収益構造には賃上げの余地が十分に出てきているにもかからず、雇用者の賃金が上がらなくなっている実態を分析している。
 ただ、白書はこの実態分析の結果を客観的に認めているだけで、これがその時々の各政権が繰り出してきた構造改革政策によってもたらされたものと は、触れていない。しかし、日本経済を「賃金の上がらない」構造と体質へ十数年にわたって改革し、その構造と体質が日本経済を長期低迷へ追い込んだ悪循環の因果関係は疑う余地もなく、この事実と現実に対する現状認識への欠如が的外れの元凶である、と筆者は確信している。
  政府の繰り出す規制緩和策が労働者派遣法の相次ぐ改正などで、企業の雇用形態を大幅に緩和、多様化した結果、非正規雇用労働者がこの十数年にわたって緩やかに増え続け、14年には全雇用者の37.4%、1920万人に及んでいる。非正規雇用とは、臨時、契約、派遣、パートタイマー、アルバイトなど、 いわゆる正規雇用以外の有期雇用のことである。最近の雇用形態は正規雇用を減らして、相対的に賃金の低い非正規雇用を増やす傾向へ傾いているため、雇用者数は増えても、賃金水準を下げて、購買力を弱め、内需やGDPを押し下げるだけで、押し上げることはない。

 ■労働者派遣法改正が象徴する
強きを扶け、弱きを挫く政策
 これが、的外れの第3の要因である。安倍首相は「アベノミクスで雇用は100万人以上増えた」と自画自賛する。安倍政権が発足する前の12年春からの3年間で、非正規雇用者は確かに約178万人増えたが、正規雇用者は逆に約56万人も減っている。企業は正規雇用者が退任しても、新規採用は非正規雇用者で補充し、なかには企業側の都合だけで正規社員を非正規へ、勝手に切り下げる傾向も広がっている。
 先の国会で成立した労働者派遣法の改正では、企業は働く人材さえ代えれば、派遣社員を雇い続けることができるようになるため、労組側は「正規を非正規へ置き換える動き」に拍車がかかるのは必至、と恐れている。
 労働者派遣法は、価値観やライフスタイルが一段と多様化していく中で、働き方や社会参加への選択肢を豊かにしてくれる点で、ごく一部の人たちに とっては確かにプラス面も無視できない。しかし、同法の思想をはじめ、趣旨や狙い、理念や目的が非正規の雇用形態を法的に正当化する点で、雇う側には圧倒的に利するが、雇われる側には絶対的に不利となる悪平等な法律である。
 アベノミクスは、意図的か否かは別として、結果として紛れもなく「強きを扶(たす)け、弱きを挫(くじ)いて」いるのが最大の欠点であり、労働者派遣法の規制緩和はその象徴である。
 アベノミクスは、日本経済の「賃金の上がらない」構造と体質からの脱皮策を最優先課題として、出直しを急ぐべきである。

 ■筆者紹介――――嶋矢志郎 ジャーナリスト/学者/著述業。東京都出身。早稲田大学政経学部卒業。日本経済新聞社(記者職)入社。 論説委員兼論説副主幹を最後に、1994(平成6)年から大学教授に転じ、芝浦工業大学大学院工学マネジメント研究科教授などを歴任。この間に、学校法人 桐朋学園理事兼評議員をはじめ、テレビのニュースキャスターやラジオのパーソナリティなどでも活躍。専門は、地球社会論、現代文明論、環境共生論、経営戦 略論など。著書・論文多数。
 ≫(ダイアモンドONLINE:経済・時事―DOL特別レポート・嶋矢志郎)


 ≪ 安倍内閣“新3本の矢”は
 経済政策失敗の目くらましだ
安倍晋三総理大臣は、新しい3本の矢を放つとした。これは、「金融緩和政策から足を洗う」という政府の政策転換の表明だ。2%のインフレ目標は、政府にとって重荷になっている。

 ■金融緩和政策からの撤退が 明白に表明された
 安倍晋三総理大臣は、9月24日、総裁選出後初めての記者会見を行なった。その中で、「本日からアベノミクスは第2ステージに入る」とし、(1)国内総生産(GDP)600兆円、(2)出生率1.8、(3)介護離職ゼロという新しい3本の矢を放つとした。
 この中に、金融緩和政策や2%のインフレ目標は入っていない。これまでアベノミクスの金看板だった金融政策は、第2ステージでは消えたことになる。
 マクロ政策(金融緩和政策や財政拡大政策)からの撤退は、すでに6月の成長戦略(「日本再興戦略」)の中で、「デフレ脱却を目指して専ら需要不足 の解消に重きを置いてきたステージから、人口減少下における供給制約の軛を乗り越えるための腰を据えた対策を講ずる新たな『第二ステージ』に入った」という形で示されていたが、それがより明確な形で表明されたことになる。

 ■転換の理由は、経済政策失敗から 国民の目をそらすこと
 マクロ政策から撤退する理由として、それが失敗したからだとは、もちろん言っていない。安倍総理は、これまでの経済政策の成果に言及し、「(経済情勢は)もはやデフレではないという状態まで来た。デフレ脱却はもう目の前だ」と述べた。
 しかし、次項で述べるように、消費者物価上昇率はマイナスになっている。多分、今年いっぱい程度はこの状態が続くだろう。そして、さまざまな指標が経済の停滞を示している。今回の政策転換の本当の理由は、これまでの経済政策の失敗から国民の目をそらすことだ。
 ・安倍内閣が政権を取って以来、円安が進行して企業の利益が増加し、それによって株価が上昇した。アベノミクスの支持者は、これが成果だと言うだろ う。しかし、円安による企業の利益は、健全なものとは言えない。しかも、円安によって本来期待される輸出増大効果は実現していない。
 したがって、私は株高がアベノミクスの成果を表すことにはならないと思う。株価の上昇は所得分配の悪化をもたらすだけであり、日本経済を回復させるものでも、回復の結果でもない。 ただ、それにもかかわらず、投機家や経済界が株高を支持してきたことは間違いない。株価こそが安倍内閣の経済政策に対する信頼をつなぎとめてきた。
 ところが、その最後の砦が崩れつつある。8月末以降の株価下落は、アベノミクスにとって深刻な事態である。しかも、次項で見るように、インフレ目標は実現に程遠い。したがって経済政策論議をマクロ経済の問題から引き離すことが必要と考えられているのである。

 ■間違いが明白になった2%目標 日銀はハシゴを外された
 政府がいま最も触れたくないのは、「2%インフレ目標」だろう。
 原油安を背景に、日本銀行が目安とする生鮮食品を除いた消費者物価(コアCPI)の前年比上昇率は、2015年8月にはマイナスに落ち込んだ(図表1参照)。
  消費者物価は、輸入物価の動向で大きく影響を受ける。その半面で、国内の需給関係にはほとんど影響されない。だから、簡単に予測できる。
 図表2に示すように、輸入物価の変化がほぼ半年程度の時間遅れを伴って、対前年比で10分の1程度の規模で、 消費者物価指数の変化となって現れる。最近の状況を見ると、円安による物価上昇効果が薄れ、そのかわりに原油の影響が明確になっている。このために消費者 物価の伸びがマイナスになったのだ。
 15年秋の消費者物価上昇率がマイナスになるだろうことは、拙著『2040年問題』(第2章、ダイヤモンド社、15年)ですでに予測したところだ。
 輸入物価指数の最近の対前年比はマイナスなので、消費者物価指数前年比も、少なくとも今年いっぱい程度は、マイナスの状態が続くだろう。したがって、日銀の目標は達成できない。


  

 ただし、これは、日本経済にとっては望ましいことだ。とくに原油価格下落は、明らかに望ましい事態だ。国民にとって望ましい事態が日銀の目標に反するという事態は、なんとも説明に窮する。
 一方、円安の影響で食料品価格が上昇するという傾向が明確に表れている。食品については確かにデフレ脱却が実現しつつある。しかし、その結果、何が起こっているかといえば、買い控えだ。そして、これが消費全体の伸びを抑制する。
 問題は、2%目標を実現できるかどうかではない。「物価が上がれば経済が活性化する」という基本的な考えが誤っていることである。

■GDP600兆円の実現には 物価の安定・消費増加が不可欠
 GDP600兆円は実現できるだろうか? もちろん、想定する数字を操作すれば、どのような結果を示すこともできる。実際、内閣府による「中長期の経済財政に関する試算」(2015 年7月)によると、「経済再生」ケースでは、21年度におけるGDPは、616.8兆円となる。ただしこれは、18年度からの実質成長率が継続的に2%を超えるとか、17年度の消費者物価指数が3%になるなど、かなり非現実的な想定を置いた上での結果である。この数字は、GDP600兆円が実現できそうであることを示すものではなく、逆に、それがいかに難しいかを示すものだ。
 実際、より現実的な見通しである「ベースラインケースケース」では、試算の限界である23年度までにGDPが600兆円を超えることはない。20年度では552.1兆円だ。
 過去の実績を参照すれば、GDP600兆円の実現はかなり困難と考えざるをえない。
 日本の名目GDPは、1990年以降(2007年を除いては)510兆円未満だ。リーマンショック後は、14年まで500兆円未満の状態が続いた(図表3を参照)。
 IMFの予測では、日本のGDPは今後成長すると予測されているものの、20年においても534兆円である。
  

 


 成長のパタンも重要だ。公共投資を増やすことによって政策的に成長率を押し上げるのも、原理的には可能である。ただし、現実に重要なのは、GDPの約6割を占める個人消費を増やすことだ。
 現実の経済では、消費税率引き上げに伴う反動減の影響一巡後も、個人消費は低迷を続けている。最近では、先に述べたように、食料品などの物価上昇が原因だ。
 だから、個人消費を増やすには、物価を安定させることが必要であり、そのためには、金融緩和を停止する必要がある。
 政府部内にも、円安・物価高は望ましくないので、2%のインフレ目標は望ましくないとの意見が出てきているようだ。

■金融緩和の巨大なコスト いま必要なのは追加緩和ではなく出口戦略
 2013年に金融緩和を導入したときの論理から言えば、いまインフレ率が低下し株価も下落しているのだから、追加緩和が必要ということになるだろう。実際、10月末の追加緩和を予測する声もある。しかし、そうしたことをしても、成果は得られないだろう。
 中国で株価対策をとったにもかかわらず、株価の下落を阻止できなかったのと同じことが起きる。だから、追加緩和をしても政策に対する信頼が低下するだけのことである。
 多くの人は、追加緩和がないと金融政策の効果がないような錯覚に陥っている。しかし、金融緩和政策は現に継続中なのであり、追加緩和が行なわれなくても、大量の国債購入が実行されていることに注意しなければならない。
 これによって、市中に存在する国債が品薄になる。また、国債発行に対する制約がなくなる。そして、財政規律が弛緩する。実際、来年度予算に対する要求は膨れ上がっている。
 ・また、日銀に巨額の国債残高が積み上がる。仮に金融が正常化して金利が上昇すれば、巨額の損失が発生する。
 金融緩和のこうしたコストを考えると、いま必要なのは、追加緩和でなく、緩和政策の出口を探ることである。

■生産性向上のための 構造改革はどこに消えた?
 今年の6月に発表された「日本再興戦略」では、生産性の向上が必要であるとした。この認識は正しい。しかし、今回の安倍総理大臣の会見では、それはどこかに姿を消してしまった。
 新しい技術によって新しい可能性が開けている。それを現実化するためには、参入規制を緩和する必要がある。これができるかどうかが、日本の将来にとって大きな意味を持つのだが、そうした議論はなくなってしまった。
 いまひとつ興味深いのは、「日本再興戦略」では、人工知能やビッグデータなどかなり高度な技術について言及されていたのだが、それが今回は消えて しまったことだ。年金機構の情報漏出問題が明るみに出て、日本のサイバーセキュリティは人工知能やビッグデータを使うにはあまりにお粗末であることが露見したことの影響だろうか?
 一昨年の成長戦略では、コーポレイトガバナンスが重要だと強調されていた。しかし、ガバナンスの最先端の仕組みを備えていると言われた東芝で、不正経理事件が発覚したため、コーポレイトガバナンスという言葉は、どこかに吹き飛んでしまった。
 生産性の向上こそ構造政策の柱である。それを実現する具体的な手立てが、流行語を追いかけるだけで、このようにコロコロ変わるのでは困る。

 ■見えない社会保障制度の方向性 出生率引き上げより移民を検討すべき
 「需要政策から構造政策へ」ということの実態は、マクロ政策の効果が怪しくなったので、社会保障や出生率の問題にすり替えようということだ。
 社会保障制度への取り組みが必要なことは、誰でも認める。ただし、それは、「介護離職ゼロ」というような狭い範囲の問題ではない。
 問題は、社会保障制度全体としていかなる方向を目指すかだ。とりわけ、需要を所与として負担増加を求めるのか、それとも負担を抑えて需要をそれに 合わせるのかについての基本戦略が必要である。この2つは財政収支という点からいえば同じだが、政策の内容はまったく異なる方向のものだ。負担増加を求めるとすれば、どこまで求めるかが問題だ。
 安倍総理大臣は、出生率を引き上げるという。出生率が上昇するのは、望ましいことである。しかし、それによって経済問題が解決されるわけではない。これが何らかの政策を行なっているという免罪符に使われては困る。
 雇用情勢が好転していると言うが、その実態は、若年者労働力の減少による人手不足の顕在化だ。労働力不足が問題であるのであれば、まず何よりも、移民を検討すべきだ。

 ■消費税率を10%に引き上げても 財政再建目標は達成できない
 もうひとつの重要な課題は、消費税率の引き上げである。2017年4月からの消費税率10%への引き上げについて、前記の会見で安倍総理大臣は、「リーマンショックのようなことが起こらない限り、予定どおり実施する」と述べた。ここには、つぎの2つの問題がある。
 第1は、予定どおりの引き上げが行なわれるかどうかに、まだ不確実性があることだ。税率の引き上げが行なわれなくても、直ちに財政赤字が拡大するわけではない。しかし、財政再建に対する政府の基本的な姿勢を示すという意味で、これは重要なのである。
 第2は、消費税率を10%にしたところで、財政再建目標は実現できないことだ。しかも、政府は財政再建目標としてプライマリーバランスを用いているが、財政再建の問題は、プライマリーバランスの問題だけではない。
 すでに日本国債の格付けは引き下げられている。それが進んで日本経済に対する信頼が失われ、日本売り的な資本流出が生じれば、日本は破たんするだろう。

 ■これまでの経済政策に関する 「中立的第三者評価委員会」が必要だ
 いま必要とされるのは、思いつき的キーワードを乱発することではない。まず、これまでの経済政策についての客観的な評価が必要だ。
 金融緩和は、本当は何を目的にして行なわれたのか? そして実際にはどのような効果を発揮したか? これらが不明なまま、2年間半が過ぎてしまった。
 税制面では、法人税減税を行った。その効果の検証も必要である。また春闘に介入して賃金を引き上げようとしたが、実質所得ははかばかしく増加せ ず、消費も増加しない。設備投資も増加しない。輸出も増加しない。結局のところ、これまでのGDP成長は、消費税増税前の駆け込み需要と財政拡大によって実現しただけのことなのである。
 経済財政白書は、本来は以上のような問題に関して客観的な評価を示すべきだ。しかし、実際には、政権に気を使って、その役割を果たしていない。
 最近では、「中立的第三者評価委員会」がはやりだが、そうした評価が最も必要とされるのは、政府の経済政策ではないだろうか? もっとも、本来なら、国会の委員会がその役割を果たすべきなのであるが。

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〈主な目次〉
第I部 デフレ脱却で経済落ち込む
 第1章 円安で得した人と損した人
 第2章 日米逆の金融政策の帰結
 第3章 実体経済はなぜ落ち込む?
第II部 労働力不足と社会保障の膨張
 第4章 労働力不足経済に突入する
 第5章 医療と介護の問題はどうすれば解決できるか
 第6章 公的年金の問題はどうすれば解決できるか
 第7章 財政の将来はきわめて深刻  第8章 どうすれば成長を実現できるか?
 
≫(ダイアモンドONLINE:経済・時事―野口悠紀雄・新しい経済秩序を求めて)

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