世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

「政治でも金、法廷でも金」小沢一郎は試練を突き破れ!

2010年10月17日 | 日記
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「政治でも金、法廷でも金」小沢一郎は試練を突き破れ!

正しいメディアの報道の姿勢と云うものの評価基準はなかなか難しい。ただ、そのメディアの論調が左右或いは中間に流れるのは、評価の基準ではないのはたしかだ。

しかし、自らの取材機能を記者クラブ発信の情報、及びその会見質疑の範囲で記事を作り上げ、クラブ内で各社談合し確認しあう記事を配信している限り、ジャーナリズム精神に則り等と言えなくなるわけで、御用聞き報道と云う事になる。つまり大本営発表と大差なき報道が垂れ流される事になる。これは評価外と云う基準にも満たないメディアの見本である。

ところが、この論外の評価基準の新聞各社の大本営発表報道を、テレビの場合、大本営発表報道に殉じたコメンテーターを駆使し、誇張を加え面白おかしく解説を施す。そうして、多くの視聴者の自己判断能力をスポイルし、洗脳してしまうわけである。その報道の歴史的背景や思惑的側面に眼を向けることは殆どない。ナガラ的にテレビの声を聞いている人々は、オウム真理教信者が洗脳された憐れな人々と評しながら、実は自分たちも同様に洗脳されている事実への疑問は絶対に持たない。

このような情報のサブリミナル効果は心理学において科学的に検証済みな事実で、それに反する僅かな反論など“偏屈の論理”として聞く耳を持たない。このような我が国のテレビを中心とした情報の寡占化は、多かれ少なかれ民主主義を形骸化させ、一定方向に国民を走らせる善意のファッショと云う、罪の意識のないファシズム国家の潮流を作り出す危険をおおいに孕んでいる。

「言論の自由」、「報道の自由」を錦の御旗に小沢一郎へのネガティブ報道は、小沢が政治家を辞任し岩手に隠遁するまで続ける事を、固く誓っているように思われる。「金権政治―田中角栄―金丸信―小沢一郎―ゼネコン献金―汚い金―悪人、故に政治生命を断つ」と云うシナリオが何処で創られ、どのような組織により、どのように実行されつつあるかは、多少政治に関心のある人間なら推測がつくし、少なくとも“少々行き過ぎているな~”くらいの印象は持つだろう。

しかし、メディアに直接間接に関わる彼等は、その“チョット変”さえも語ることはない。「国民の知る権利」等と尤もらしい言を弄するが、「真実を知る権利」はあるが、嘘を聞かなければならない義務はない。彼等に与えられたミッションは「真実を隠す言論に徹する事」なのだ。大それた利益のためではない、単に現在のメディアの中で生き続ける保証を担保する為に、魂を売り渡しているだけの話だ。

 しかし、彼等の生存権のために、事実が捻じ曲げられ、一人の有能な政治家が国家のために、政治を行う事を阻止されるに至っては、マスメディアのからくりが判っている人々一人ひとりが、集団でなくとも立ちあがり、一矢報いる気持を行動に移せば、必ず蟻の大群となり、陰険で悪賢い獰猛なライオンを倒すことは可能だと信じる。

今夜は抽象的な言い回しになったが、今後の小沢一郎の法廷闘争は、小沢一郎の政治闘争に直結している。そして、日本の政治の中心から小沢一郎を排除出来ない環境作りに寄与するのである。外野の連中が「今回の提訴は如何なものか」と頭を捻っている等と多くの報道に接するが、起訴され、逮捕もあり得る立場になった人間が、法的に戦いうる手段を駆使するのは当然であり、対岸に巣食う、他の政治家や評論家や法律家が口を出す問題ではない。

法治国家で、被告になる可能性のある人間に向かって「大人しくお白州に出るだけで良い」等と良く言えたものである。日本の法律に、被疑者は法的に行政や司法に対抗してはならない法律でもあるというのか?馬鹿も休み休み言え!だいたいが、こう云う発言を探してきたり、語らせる日本のマスコミは法律そのものを無視し、自ら法治国家を放棄している。コイツラは全員広義の犯罪者だ!

裁判闘争が政治闘争に繋がる。そして常に日本の政治の中心に小沢一郎が座っている現実に、ボケナス議員どもは気づく。小沢の法的抵抗を否定することは、即刻人権侵害の言動と捉える事が可能だ。あきらかに「法も下の平等」に反した発言だ。

先ず小沢側弁護団が行った行政訴訟の成り行き次第だが、第二、第三の訴訟を準備すべきだろう。 例えば虚偽告訴等の条文だ!刑法第172条「人に刑事又は懲戒の処分を受けさせる目的で、虚偽の告訴、告発その他の申告をした者は、3月以上10年以下の懲役に処する」による提訴だ。

昨日書いたように、マスコミ人言論人政治家の一人に対し、罪名は何でもいい、名誉棄損でも、人権侵害でも、放送法違反でも、何でもいい。それこそ「お白州」に引きずり出そうではないか。 たった一人、お白州に引きずり出すだけで、マスメディアの矛先は驚くほど鈍る。一種の「見せしめ魔女狩り」だが、相手が同様の事をしたわけだから、闘争としては致し方がない。

小沢一郎はその点は弁護団に任せ、口を出さない事である。貴方は少々お人が良過ぎる。良い事だ、だから信頼もし、支持もする。しかし、汚い闘いも時には必要なのである。まだ、縄文の心が通じる日本は創られていないのだから、忍の一字である。

その結果、法廷闘争が長引くからと言って、政治活動が停滞するというのは、今までの常識に過ぎない。仮に無謀にも今回の検察審査会の手続きで起訴されても、司法は司法、行政は行政、立法は立法と平気で正論を語るだけでよかろう。政治家の道義的責任は大切だが冤罪に道義もへったくれもない!

小沢一郎が政治家として闘う二つの道が、仏によって試練として用意されたのだ。 政治の敵は「日本の真の独立を阻止するすべての政治勢力だ」法廷の敵は「検察とマスメディアだ」相手にとって不足はない。政治の方は烏合の衆だが数は多い。(笑)法廷は官邸・法務省・検察庁・検察審査会及び事務局・検察官役の弁護士ドモ・そして裁判所だ。法廷ではないが、国民を洗脳し続けるマスメディアと呼ばれる悪徳報道機関及びそこに巣食うゴキブリどもだ! 是非「政治でも金、法廷でも金」を実現して欲しいものだ。谷亮子、柔ちゃんが大応援団長じゃないか!


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