世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

情緒的に米国観

2010年01月04日 | 日記

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情緒的に米国観

日本が米国との戦い敗れてから64年が経った。広島長崎に米国流で言うところの「終戦の為の人道的原爆投下」で幕を閉じた日米戦争。

世界で原爆を落とされ唯一の国日本、原爆を人間に向かって投下した唯一の国アメリカ。
僕の感情の中では、白人が黄色人種を実験台にしたと云う記憶しか残っていない。日本人にこれ以上の被害を出さないためにアメリカは原爆を落としたそうである。
しかし、原爆投下時に日本は既に息絶え絶え、そんな事知らなかったとはアメリカに言わせるつもりはない。

だからオマエは嫌米なのだなと云う短絡的批判は適当ではない。極めて僕は親米だ(笑)「負けたのだから仕方ない」「給食が食べられるのも米国様のお陰だ」薄っすらと記憶にとどめる世代だが、兄達はもっと印象的に親米だ。

2001年4月小泉自民党政権が誕生するまで親米だった記憶がある。それから徐々に変節した男である。しかし、今でも親米と反米がゴミゴミと心の中に棲みついている男だ。

感覚的に小泉の米国礼賛にフト違和感を憶えてから、僕は「疑米国」と云うスタンスで米国を観察し、対米関係から日本の政治経済を見るようになった。
その関係を観察する過程において、世界を見ることにもなったのだと思う。正直、それまでの僕は完全な政治無関心層で選挙すらまともに行った記憶がない。この政治無関心男を此処まで引っ張り上げて?くれたのは、小泉政治である事は皮肉だが、事実である。そして彼の行動を観察することで、アメリカと云う大好きな国への疑いを強くしていった印象がある。

東西冷戦と云う時代を経て、米国は唯一の覇権国家になったわけだが、一人勝ちの国家と云うモノ長くは続かなかった。アメリカが唯一の大国として存在してくれたなら、僕も日本もこれ程悩まずに済んだし、偽りであっても世界規模のカオスは起きなかったのである。つまり演歌の歌詞ではないが「だまし続けて欲しかった」わけである。

しかし、小泉に竹中と云う怪しげな経済学者が加わったことで、アメリカは日本人が蟻のようにして貯め込んだ虎の子を合法的に盗みはじめた。
自由主義経済と市場原理主義の法則に従って、アメリカは絶対に儲かる状況を小泉政権に用意させ、どんな「賽の目」が出るか判っている「後出しジャンケン」で富の収奪を図った。

どうして世界唯一の大国富める国アメリカがそんな汚い手を使ってまで日本人の僅かな金が欲しいのか?僕には疑問だった。

段々判った事なのだけど、
資本主義の原形:『生産様式の一つで生産手段や原料を調達できる人々(資本家)が労働力以外売るものがない人々(労働者)から労働力を買い取り、それらを利用して商品価値を高めて差益を手に入れる経済生産様式』だと思っていた。

ここで云う商品は目に見え、手に取れるモノだった。 しかし、新自由主義経済における市場原理主義資本主義や金融経済は教科書で学んだ資本主義とはまったく異なるものだった。目にすることも手にすることも出来ない、金融商品と云う幻が商品となっている。

実は良く調べると、アメリカでは『お金(資本)が動くことで、利潤を生みだす社会システムを資本主義と考えているようだ(笑)』つまり、僕の概念における資本主義の商品は触れられるが、アメリカが考える商品は触れられないのである(笑)金融資本主義ってのはそう云うモノなんだ…。

しかも、この金融資本主義経済は厄介なことに国境と云うモノがない。地域も時間もヘッタくれもなくボーダレスなのである。もうこのような経済は人間の営みから外れている。僕の考えはそういう事だ。
アメリカが著作権とか商標権とか特許権とか眼に見えないものに固執した時、気づけば良かったのだけど、アメリカは国境のない国を作ってしまったわけだ。ハリウッド映画とかマイクロソフトのWINDOWSなんてのが典型だ。

PCの端末キーを一発打つことで、巨万の富を得る経済なんてのは人類の破滅だよ。何と云うコンサバティブな思考回路のヤツだと蔑まれても、この考えは変わらない。
人間の歴史において人生哲学が抜けた人類に平和なんて意味も無くなる。だからとは言わないが、第二次大戦以降アメリカは大小さまざまな戦争を永続的に行っている。今度はアフガニスタン、そしてイエメンまで戦局を拡大させようとしている。

核廃絶でノーベル平和賞を受賞し、その受賞演説で「良い戦争、悪い戦争」なんてキチガイ染みたご都合主義の大統領が選出される国家を好きですとは到底言えない。 今のアメリカは「羹に懲りて膾を吹く」日本と違って、「喉もと過ぎて熱さを忘れる」金融経済で一時の安息を得るだろうが、再びクラッシュを起こすだろう。そして、内向きで図体だけデカイ国家になってしまうような気がする。

デフォルトが起きるのは日本どころかアメリカの確率の方が数段高い。まぁ日本の米国債券も紙くずになる。米国に民間や個人レベルで投資している連中の財産もパーだ。アメリカ企業の広告宣伝で生きている企業もパーだ。
そうならない為に国内のそういう連中も必死だ。 程々でアメリカ人が気づいて欲しいものだが、国民総白痴戦略をとった国家の国民が簡単に気づくわけもないだろう。

日本は多少気づいた国民が残っていたのが幸運だった。少なくとも政権交代はさせたのだから。これは小泉政権のやり方が露骨過ぎて下手糞だったので、気づく時間を与えてくれた。ネットメディアの普及も大いに貢献してくれた。ラッキーだと思おう。
そして、アメリカが偽善ではない人間の生き方に気づいてくれることに僅かな希望を抱くしかない。多分、無理だろう。

だから鳩山の東アジア構想や小沢の国連中心主義に一縷の望みが見いだせるのである。米国寄りに逃げても、安住の地はないのだ。アメリカから遠ざかり、遠ざかった分アジアやEUにシフトするのは論理的には正しい。現実に出来るかどうかは政治経済のリーダー達の手腕次第だ。僕は勿論、傍観者であり観察者に過ぎない。

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