世相を斬る あいば達也

民主主義や資本主義及びグローバル経済や金融資本主義の異様さについて
定常で質実な国家像を考える

「地検特捜と小沢一郎の闘い」(二階秘書略式起訴)

2009年12月12日 | 日記

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「地検特捜と小沢一郎の闘い」(二階秘書略式起訴)

東京地検特捜部は自らの起訴裁量権を上手に利用して、自民党の二階俊博・前経済産業相の政策秘書を政治資金規正法違反で略式起訴、罰金でけりをつけた。
まさか検察庁がこれで民主党・小沢一郎幹事長の秘書逮捕、起訴、公判とのバランスが取れたと思うようでは、やはり21世紀の社会的バランス感覚を喪失していると考えるしかない。

小沢幹事長秘書の身柄拘束、逮捕。不可視化における峻烈な取り調べ、自白せずに起訴。そして公判に向かう。東京地検次席検事は「看過し得ない重大、悪質な事案」と小沢秘書逮捕に対して異例のコメントを出したが、前哨戦の西松側の公判においては、法的と云うより魔女狩り論法の「天の声」を創作、連発した。

二階の方は「看過し得ない重大、悪質な事案」ではない云う事なのだろうが、その根拠が何なのか判らない。これだけ世の中が政治家に説明責任を求める時代であり、同様の嫌疑に対し一方は身柄拘束逮捕起訴裁判であり、片や自白したので書類送検罰金という検察の裁量は不明瞭だ。

最近は東京地検特捜部の捜査、取り調べ、起訴基準に対する国民の目線は厳しいものがある。そういう時代では、その罪の悪質度、重大性がどのように異なるのか、両方の公判を通して国民は知りたいものである。
検察官の裁量権そのものに重大な疑義がある時代なのだから、ここは検察がその正しさを証明するためにも、二階秘書も逮捕起訴公判を通して、裁判でその罪の軽重を知らせるべきではないのか?

検察官が勝手に不透明な袋にしまいこんで、自白すれば罰金だけ払えば許してやる。これじゃあ法治国家の名が廃る。無罪の人間でも自白したい環境が日本の検察の起訴にあるのが重大問題だ。

正直裁判所も信用に値しない存在になりかけているが、まぁ東京地検よりは未だ信頼度は残されている。せめてその裁判所の判決趣旨位は読んでみたいものである。略式起訴じゃあ昔の福袋みたいで何が入っているか判りはしない。

小沢秘書起訴では「公共工事受注を巡る金銭的癒着」と主張しているようだが、小沢は当時野党の代表であり、汚職成立の基本的要件を構成していないのだ。しかし、検察は「天の声」という魔女裁判を何としても維持しようと躍起になっている。
片や二階の方は時の政権の大臣であり、汚職成立の要件を備えている。
要件が揃わぬ小沢秘書が逮捕起訴で要件が揃った二階秘書が書類送検。これじゃあ検察の正義の出鱈目を告白しているようなもので、恥の上塗りだ。

これだけ世間の注目を集め、現政権幹事長の喉仏に匕首を突き出している検察庁の正義を国民に納得して貰う為にも、併行して二階秘書の公判を行うべきだったと思う。
略式起訴は国民に何がどうなってどう云う罪なのか公開されているとは言えず。その悪質の差が見えてこないのだから、納得しようもない。

現実出来ないし、する気もない。それがCIAと結託する東京地検特捜部というレッテルが張られるのだ。額の多少じゃなく、その重大な悪質性、俗に言うサンズイ(汚職)なら極めて罪悪な罪だ。「天の声」じゃあ済まされまい。証拠の積み上げがあるのかないのか?小沢秘書や小沢にどんな権限があったのか、どうも公判の書類上の時点で小沢秘書公判は滞っている。
つまり、状況証拠をかき集め推測と云う作り話があるだけのようだ。
西松やその他不可視化で司法取引し、執行猶予を保証することで、ターゲットを大罪に追い込む手法は旧態依然とした司法手順だが、国民の目線は厳しく、ウッカリすると検察司法の根本的改革と云う世論までを惹起してしまうタイトロープな闘いに突入している模様である。

筆者の勘だが、小沢幹事長への贈収賄を立件しない限り、東京地検特捜部の行った一連の捜査は、正義の為でない捜査が行われたという汚名を抱え解体される事になるのだろう。さぁ小沢逮捕まで佐久間部長は転勤などさせずに居座らせて責任を取らせるべきで。いや、場合によると名誉が手に入る事もあるのだ(笑)

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