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ダイオキシン・処分場問題愛知ネットワーク、5月定例会に

◆愛知ネット5月定例会

 午後から名古屋市内の会場で、ダイオキシン・処分場問題愛知ネットワークの定例会に参加。各地からそれぞれ課題を持ち寄り、情報交換。

 豊橋からは、○産廃焼却炉付近の森林が、白く変色した事例 ○コンクリートリサイクルの問題として、コンクリート破砕物によりアルカリ度の高い水が流出した事例が紹介された。音羽町からは、○不要になった墓石を、供養をすると無断で大量に民地に持ち込まれている事例が紹介された。不要になった墓石は、「生抜き」をするので、供養は無用のはず。おかしな話しである。瀬戸市からは、○県有林の乱開発「ホフマンの森」問題と、○フェロシルト問題などが報告された。     


 瀬戸市の里山問題は、産廃問題だけでない。県有林の保安林解除という形で、県自らが乱開発の一助をしている。詳しくは、http://uesugi2-web.hp.infoseek.co.jp/をご覧下さい。

◆久々に映画を

 定例会を終え、友人と久々に映画に。映画と言っても、30人ほどしか入れないマニアのための映画館(今池)。古代遺産の建築物は芸術だと思うが、近年に造られた建築物に感動したのは始めてのこと。この映画で、建築物が人にやすらぎを与える存在であることが、私の認識にひとつ加わった。

 asahi.comで以下の紹介が載っていた。(リンク切れするといけないので、本文も紹介。)
http://www.asahi.com/housing/column/TKY200505190199.html

建築家の夢、ルイス・カーンの建築
染谷 正弘

 「MY ARCHITECT(マイ・アーキテクト)」というドキュメンタリー映画が、アメリカで静かな話題を呼んでいる。第76回アカデミー賞候補にもノミネートされていて、今年の7月には日本でも劇場公開の予定だという。

 「MY ARCHITECT」のアーキテクト、つまり建築家は、20世紀建築最後の巨匠ルイス・カーンだ。彼が62歳のとき生まれた実の息子が、この映画の監督をしている。幼くして父を亡くした息子の「父親探し」がテーマのドキュメンタリーで、笑いあり、涙ありの感動の珠玉作品と評判だ。

 建築を思惟(しい)する哲学者、そして建築家ルイス・カーン。彼の信奉者は世界中にたくさんいる。実は、僕も彼を信奉する者のひとりで、この5月初旬に彼の建築を訪ねてアメリカを旅してきたばかりだ。

 ルイス・カーンの建築空間を実際に体験し、その感動とともに様々な想いが脳裏を駆け巡った。そこで、彼の建築を通し、建築家の仕事とは何か、また「建築(Architecture)」とは何か(05/03/25参照)、いま一度あらためて考えてみようと思う。

 20世紀も後半になると、環境汚染、貧富の格差の拡大、核戦争の脅威など、近代科学文明の影の部分がより色濃く地球全体を覆いはじめていく。同時に、未来に向かって光り輝いていた鉄とガラスとコンクリートの近代建築も、無機的で味気なく色あせて見えはじめる。そうした時代を背景に、ルイス・カーンは登場する。

 ルイス・カーンの名を世界に知らしめたのは、彼が56歳のとき設計したペンシルバニア大学「リチャーズ医学研究所」(1957~65)である。建築家として遅咲きの彼は、晩年のおよそ20年間で、小さな住宅、美術館、教会など、数々の名建築を残している。

 なかでも「キンベル美術館」(1966~72)は、20世紀後半の世界最高傑作だといわれている。どこかいにしえの神殿を髣髴(ほうふつ)とさせるこの美術館を訪ねることが、今回の旅のメインイベントになっていた。

 その内部空間に広がる穏やかで優しさに満ちた光に抱かれたとき、僕はあまりの感動に思わず涙してしまった。これまでたくさんの建築を体験し、何度も感動はしている。でも、こんなことは初めてだった。美術館という用途を超えた「建築」の力をまざまざと感じた瞬間だった。

 今回の旅でルイス・カーンが手がけた住宅を3軒訪れている。そのどれもが、郊外の住宅街の一画に、家と家の間(04/08/28参照)には樹木しかないすばらしい環境に建っていた。3軒とも、間取り、住まい方をみれば、正統な近代住宅(モダンリビング)であることに変わりはない。いかにも住み心地のよさそうな家だ。ただ、そこが小さな礼拝堂や美術館、あるいはカフェになっても少しも不自然ではなく思える。どれもが、住宅という用途を超えた確かな「建築」になっていた。

 建築とは、思索にあふれた空間の形成である。思索にあふれた空間こそが、人間の創造力を喚起させて建築に適切な用途をよびさます。建築と人との交信の「はじまり」、それが大切なんだ。そのようなことをルイス・カーンは言っている。

 20初頭の近代化への変革のなかで、効率性を優先する社会の要請から生まれたのが近代建築ならば、ルイス・カーンは時代を超えた永遠の建築をめざしていたといえよう。たとえば、建築の使い勝手の良し悪しは、人それぞれのライフスタイルによって、また時代によって大きく変わってしまう。「はじまり」を喚起させる建築、それこそが建築の永遠性を保証すると、ルイス・カーンは言いたかったのだろう。

 建築家は、いつも永遠なる建築の夢をみている少年なのかもしれない。でも、建築家をめざす誰もが、ルイス・カーンのような建築をつくれるわけでも、彼のようになれるわけでもない。永遠の建築を実現しようとした彼は、壮絶な人生を送っている。

 幼い頃ロシアからアメリカに移住し、顔に大やけどを負い、生涯3人の女性を愛し、三つの家庭を同時に持ち、とき事務所の寝袋に寝て、大学で講義をし、世界中を駆け回って建築を創(つく)る。「MY ARCHITECT」の監督は、30歳年下の恋人との間に生まれた子供と聞く。そして、アーメダバードからの帰宅中にペンシルバニア駅の公衆便所で心臓発作により、巨額の借金を残しその生涯を閉じる。享年73歳。

 ルイス・カーンはこんなことを言っている。「都市とは、小さな子供が歩いていくと、将来一生をかけてやろうとするものを教えてくれる何かに出会う、そんなところだ」。僕は、そんな街をつくりたい。そして、そんな街に住みたい。

 

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