たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

へとへとな毎日・・・

2016年04月13日 22時04分14秒 | 日記
 休んでしまうとかえって出勤するのが辛いと感じてしまう一日の始まりでした。すごく疲れてしまっているので、昨日は日比谷シャンテに足を延ばして食事をしてから帝国劇場に行こうとか考えていましたが結局夕方ぎりぎりまで部屋にいて、帝国劇場を往復したのみ。シャンテまで少し歩くので、今日以降のことを考えると疲れてしまうなあと思ってやめました。パネル展やっています。来週の木曜昼の部を観劇予定なので終わってから足を伸ばしたいですがどうでしょうか。来週はまた土曜出勤なので、その振替として木曜休みです。火曜休みの予定でしたが、繰り上げ採用など全く想定しないで『1789バスティーユの恋人たち』のチケットをとったので他の方と替わってもらいました。加藤ロナンを楽しみに来週の木曜までなんとかがんばれそうです。

 少しずつ慣れてきたとはいえ難しいことばかりだし、チームで対人関係の仕事をするので、外に対しても中に対しても気を遣い、前職のようにある程度自分の裁量で段取りつけながら業務を進めていくっていうことが全くできません。喉がやられている私は冷え性なのに水を飲まないといられないのでお手洗いに行く回数も多くなるのですがタイミングが悪くなってしまう時もあるし、なかなかに面倒くさいです。同じ職員の立場のはずなので、なんで命令口調みたいに言われるんだろうなっていうう時もあるし、わたしもまあおばちゃんといえばおばちゃんですがよくわからないおばちゃんとかいておかしいなと思ってもこちらが合わせていくしかないのかなっていうこともちょくちょくあります。この仕事をずっとやっていては頭がおかしくなってしまいそうだと思いながら前職でも結果的に何年にもわたって続けてしまったことがあります。(その結果が使い捨てというのは哀しすぎます。やっぱり)今の業務もそんな感じで気がついた時には完走できているのかな。最終経歴を更新していくためには完走するしかありませんがどうでしょうか。気がついた時には終わることができているといいです。その後私は何をするのでしょうか。今は考えられません。まずは今の務めを全うしたいと思っています。

 あと二日。今度は連休なので、昨日観劇日記を書いたり、断捨離したり、英語も少し読んだりしたいです。昨日の古川さんロベスピエールの美しさが頭から離れません。今度の休みで少しゆっくり振り返りたいです。小池ロナンはすごく可愛くて、あまりにも自然に農夫でした。今度の休みにゆっくりと・・・。

久しぶりの帝国劇場

2016年04月12日 23時06分42秒 | ミュージカル・舞台・映画
 『1789バスティユーの恋人たち』夜の部観劇しました。まずはとりあえず普通に社会に戻った私でまたここに来ることができてほんとによかったと思いました。舞台はフレンチ・ロック・ミュージカル。東宝初の生オケなしの舞台。開演前にオケの音が全くきこえてこない空間は最初すごく不思議な感じでした。

 タクトなしで舞台は開幕。デジタルが駆使された舞台でした。群舞のダンスシーンが多くて驚きました。プログラムをみるとアンサンブルには、アクロバティックなダンスの名手がずらり。彼らの従えて踊るプリンシバルキャストたちはずいぶん練習したんでしょうね。小池君とか古川さんとか上原さんとか、ソニンちゃんとかこんなに踊れるって知らなかったです。

 革命派はイケメンがずらり。古川さんロベスピエールの美しいこと。フェルゼンも美しかったです。王党派の適役たちはベテランたちが絶妙な演技の安定感で舞台を支えていました。ロナンの妹のソニンちゃんも存在感ばっちり。芯が強く気持ちがすごくきれいな、王宮に遣えるオランプはベルばらのロザリーを思わせました。アントワネットの最後の、飾を全部脱ぎ棄てた質素な衣装もベルばらっぽかったかな。その時の花ちゃんが一番きれいでした。ベルサイユに群衆が押し寄せたとき、王妃としてバルコニーに立つシーンがほしかったかな。彼女がもう少し早く自分の役割に目ざめることができていたら史実が違ったかもと思えたりしました。ベルサイユ宮殿に飾られていたアントワネットの彫像は美しかったです。ほんとにきれいな人だったんだと思いました。母のマリアテレジアは自分恋愛結婚だったのに、子どもは全部政争の具にしてしまったんですよね。書きたいことは尽きませんが明日ちゃんと仕事できるか心配でここまでにしないといけないです。

 プログラムに花ちゃんは宝塚を退団後5年間舞台から遠ざかっていた時もう二度と舞台に戻ることはないと考えていたら今の事務所の人たちと出会ったとありました。今帝国劇場の真ん中に立っている人にもそんな沈黙の時があったのだと励まされます。出会いによって人生は変わってきます。思いがけないことがあるかもしれないしれません。希望を捨てないでいたいです。

写真は東宝の公式ツィッターから転用しています。


『就職・就社の構造』より_競争と定着のアンビバレンス_中沢孝夫(3)

2016年04月12日 13時47分49秒 | 本あれこれ
 とくに中小企業の交替制勤務の現業職などは最初の職場としては避けられる。ファーストフードやファミリーレストラン、あるいは全国展開のコーヒー店なども交替制勤務はあるし、裏方の仕事はけっこう肉体的にもきついのだが、とりあえずものづくりの現場よりもそちらが好まれる不思議さがある。
(略)
もちろんジャスト・イン・タイムに象徴される行きすぎた省力化。モノ離れを招く製品の早期な陳腐化。銀行、損保、商社などの相対的な賃金の高さ、などが全体としての「製造業離れ」のムードをつくってきたこともたしかだろう。
 
 しかし92、93年の不況はそうした空気に若干の揺り戻しをかけている。どこの企業でも買い手市場の風潮のなかで、仕事(職場)の厳しさを学生に訴えるからである。

 それともうひとつは、いったんはセールスをしたりファーストフードやコンビニに勤めたりと、いくつもの職場を経験したあと、生活上の事情と働くことによって体験するモノづくりの充実感から、製造業の現場を生涯の職場として定着する若者ももちろんいる。

 たとえば、つくば市(茨城県)と釜石市(宮城県)に工場をもつ電炉メーカーの伊藤製鉄所などの話によると、「高卒の場合、三直三交替職場というと大手以外は新卒を採用するのは難しいですね。しかし20代で早く結婚し子供をもった若者などが、住むところやある程度まとまった賃金の必要性から応募してきて、ほとんどは定着する」という。・

 製鉄所の現場は炉前、圧延、といった係別に5-7人で組仕事をすることになるが、そこで仲間ができ、半年ぐらいすると、”玉掛け”などの現場の技能を身につけ、労働のもつ達成感により徐々に職場になじんでいくという。「新規採用の上限は34歳から35歳」まで可能だとのことだが、モノづくりの現場は、競争関係よりも協力関係が強いため人間的な軋轢(あつれき)が少ない。それはホワイトカラーの職場との大きな違いである。伊藤製鉄所の生産職は230人だが、親子で働いている例が10組あるという。ストレスの多い職場なら親が子供に薦めることはあまりない。


 ダイエーとHONDAのふたつの企業名を上げたのは理由がある。両社ともに日本の高度成長とともに育った企業だからである。ダイエーが13人の陣営でスタートしたのは1957年であり、HONDAが本格的に乗用車生産に乗り出したのは60年代になってからである。
両社が活動を開始した頃の日本は、繊維、造船、製紙、鉄鋼などが花形産業だった。そうした

 50年代60年代に”名門”だった産業の重役に有名大学の出身者が多いのはそのせいである。しかし急成長した企業の出身校はバラバラである。それが当時のランキングだったのである。だが組織には常に「規模のもつ論理」があって、マネージメントの共通性は生まれる。絶えずチャレンジしているように見える両社にあっても、採用の共通性や人材開発の共通性は生じて
くるのである。

 20年後30年後の「ダイエー」や「HONDA」が、現在どこで創業し、操業を開始しているかは誰にもわからないが、市場というものは、いつも出会いのもつ成功と失敗の危険に満ちている。人生は自分の力だけではどうにもならないところがあるし、しかし自分で行動しなければどうにもならないところもある。もしサクセス・ストーリーを望むならば「会社案内」がこないことのほうが幸運かもしれない。未知へのチャレンジを強いられるからだ。

 もちろんチャレンジばかりが大切なわけではない。豊かさやサクセス・ストーリーを目指すことも人生だが、ラインの傍で働きつづけたり、郵便を配達したり、電気炉の中で鉄が熔解する火を見つづけたり、という一見”地味”な仕事を選ぶと、転勤が少ないので、地域に根ざした暮らしができたりするのだ。そして当り前のことだが花形産業の職場でも圧倒的に地味な仕事が多いのだ。親と子がおなじ労働に従事し、同じ地域に住むことの安定感は、選ぶに値するひとつの人生のストーリーである。

 親が子に向って、「自分のように生きろ」というのか、それとも「自分を超えて行け」というのかは難しい選択だが、いつの時代でも子供が親を超えて豊かになれるとは限らないのである。またどんな職場も「競争」と「定着」のアンビバレンツななかにある。

 現在の親が悩みながら高度成長の日々を過ごし職場風土をつくったように、子供もまた自分の幸運をかみしめたり、あるいは不運を悩みながら職場生活を送る以外にないのかも知れない。

(『就職・就社の構造』岩波書店、1994年3月25日発行、60-64頁より引用)。


就職・就社の構造 (日本会社原論 4)
クリエーター情報なし
岩波書店

笑顔にいやされます

2016年04月11日 22時45分24秒 | 日記
 トップの写真は清史郎君が出演するドラマの制作発表記者会見からの一枚。シネマツディから転用しています。いい笑顔。弟役の子役をみつめる瞳がすっかりお兄ちゃんであったかい雰囲気。いやされます。この笑顔がずっと続いていきますように・・・。まだ月曜ですが忙しくてなんだかすっかり疲れてしまいました。明日は7カ月ぶりの帝劇。ほんとに久しぶりだあという感じです。舞台との出会いも一期一会なので、休む分お給料が減ることにはなりますが、見逃すわけにはいきません。今日初日のチケットをゆずった弟によると最後はちょっと悲しくなるそうな・・・。楽しく明るいストーリィではないので、まあそうなんでしょうね。

 現在のお仕事年末までの延長がそろそろ正式になってくるようです。6か月経過後には有給休暇を取得できる権利が発生するはずだし、その先のことを今考えるよりもまずは実績をつくりたいのでやれるだけやるしかないだろうなと思っています。今までとちがって、この実績は無駄にはならないはずです。陽のあたらない、ちっとも楽しくない仕事ですが色々と勉強になるので、そこを今は大切にできればいいなと思います。

 ともあれ明日は心のエネルギーチャージ。非日常的な空間と時間を満喫したいです。対人関係の仕事はほんとに大変。口がすっかり疲れてしまっているこの頃です。

春霞の日の想い

2016年04月10日 18時59分23秒 | 日記
 「主要企業の集中回答日を16日迎えた2016春闘は、景気の先行き不安が濃い影を落とした。3年連続のベースアップを実現した企業もあるが、それも小幅。賃上げの恩恵に浴することのできない中小企業で働く社員や、非正規労働者からは「厳しい」「賃上げを訴えても・・・」と冷めた声も漏れた。

(略)

 関東地方に住む女性は、派遣社員として10年以上働いてきた。賃上げを求めたこともあったが、派遣元企業の担当者は「時給を1円上げるだけでも難しい。
 派遣先の労組が交渉で休日増を勝ち取ったことがあった。しかし、時給で働く女性は出勤日が減り、給料が下がった。「月給で働く人と一枚岩になるのは難しい」とこぼし、こう続けた。「派遣元は派遣先の味方で、孤立無援だった。権利を主張するすべもない」」

(2016年3月17日千葉日報紙面より引用しています。)

 
 窓の外はさくらの花が大きくさきほこり新緑とあいまって美しいコントラストをかもしだしている霞がかった春の日。紙面を読みながら、心の血を流しながら会社で働き続けた10年以上の日々と、最後はモノ扱いされることとなり損害賠償を求めたら争いとならざるを得ず茨の道を歩むことになった2年の日々があらためて思い返されました。繰り返し書いているような気がしますが、10年以上の日々は人生の中で占める比重がやはり大きく、やっていたことを頭がもう忘れようとしていても体がおぼえてしまっており抜け出していくのは容易ではありません。現在(いま)、全く陽があたることのない、評価もほとんどされることのない地味でつまらない仕事ながら社会の中で必要とされる場にまた立つことができているというのは私にとって大変なことです。争いになってしまってからここまでたどり着く道のりはほんとに長く、出口の見えないトンネルの中に迷い込んでしまったようでした。やっとなんとか抜け出しました。

 会社の数字のために二人分働かなければならなかった7年あまりにわたる完全オーバーワークは、今思い出しても吐き気がしそうなほどに辛い日々でした。派遣で働いていてあまりに大変で苦しいと時給10円でもいいからあげてほしいという気持ちになりました。ためしに一度だけ大嫌いな派遣元のスタッフフォローという名目で定期巡回にやってくるお姉さんにたずねてみたことがありました。そうしたら派遣元が私に払う時給を10円あげるためには、派遣先に上積みした金額を請求することになるので派遣先と交渉しなければならなくなる。時給を1円あげるだけでも難しいって言われました。派遣元は私の味方ではないのだと確認して、それ以来一度も賃上げの話に触れたことはありませんでした。

 働き始めた頃は年末の休暇が12月29日からだったのが数年前28日からになってしまいました。会社の労働組合が交渉した結果休暇を一日多く勝ち取りました、ということでしたが、時給で働く私にとっては給料が減ることを意味しました。派遣元の有給休暇は会社の稼働日しか使うことができず会社がやすみになってしまえばどれだけ有給休暇がたまっていても消化することはできません。5月1日がメーデーとして公休日となってしまった時も同様でした。固定給でボーナスもあった特定派遣から登録型派遣へと移籍してまで同じ会社で働き続けてしまった私は社会に対する認識が甘すぎました。法に触れるようなこんなばかなことはすべきではありませんでした。私一人で勝手に移籍したわけではなく、会社の当時の上司がすすめたことですが会社には責任なく、私の自己責任として争いは帰結しました。一応派遣元が泥を少しかぶるかたちでしたが実態とはあまりにも大きくかけ離れた結末でした。

 昨日の若松英輔さんのお話の中に、「エラクなると人は人生からの問いかけを見逃してしまう」という言葉がありました。キリストの弟子たちは最後の食事の時にも、だれが一番エライかということをお互いに言い合っていたのだそうです。知りませんでした。人の世の愚かさは一世紀から変わっていないのでしょうか。目の前の数字にとりつかれたエライ人たちが組織の意思決定を担っている日本という船の行き先が心配です。どこへ流れ着いていこうとしているのでしょうか。私がエライ人になることなど無論ありえません。人生からの問いかけに耳をかたむけながらひっそりと誠実に妹の分までこれからも歩いていきたいと思っています。

楽しみ

2016年04月10日 15時22分34秒 | ミュージカル・舞台・映画
『1789バスティーユの恋人たち』。帝国劇場で開幕しました。ツィッターなどあれこれみていると今までの帝劇にはないミュージカルに仕上がっているようで楽しみです。明日初日のチケットをもっていましたが、繰り上げ採用となってしまったのでなくなく弟に譲り、火曜日が初観劇です。小池ロナン二回、加藤ロナン一回観劇予定です。アントワネットは花ちゃん、オランプは気がついたら三回とも沙也加ちゃんです。『ベルサイユのばら』でアントワネットを演じた花ちゃんがどんなアントワネットを魅せてくれるのか楽しみ。沙也加ちゃんは見事に母から自立していつの間にかミュージカル女優になっていますね。昨年夏のエリザ以来の帝国劇場。久しぶりの心のエネルギー補充です。こういう息抜きの時間もないと自分がこわれてしまうのでお給料が減りますが休みを取って観劇します。

 2014年4月-5月は茨の道を歩み始めた頃、花ちゃんがWキャストで主演の『レディベス』を3回観劇しました。団体交渉にのぞむ前に帝劇によってチケットを購入し、自分へのご褒美を用意してのぞんだりしていました。私を誹謗中傷し全人格を否定してくるような権力との闘いの始まり。全くそんなつもりではなかったんですけどね、そうなってしまいました。ご褒美を用意しないと乗り切ることなどとうていできない困難の連続でした。深い想いがあれこれとめぐる中で、帝劇の舞台をみつめ、心のエネルギーをもらっていました。

 2015年6月-8月はズタズタになり疲弊してしまった自分から立ち直っていこうともがきながら『エリザベート』を7回観劇しました。観劇日記はなんどもこのブログに書いていますが、妹と自死によってお別れしていることもあり、深い想いがあれこれとめぐる中で帝劇の舞台を見つめ、心のエネルギーをもらっていました。はなちゃんシシィはすごかったし、舞台全体がクオリティ高く素晴らしかったです。

 そして今地味で全く陽のあたらない、評価もされない、時給も安い仕事ながら社会の中でまた必要とされる場と出会い、どうにかこうにかやっています。ずいぶんと心が元気になりました。疲れますが体重が増えたおかげか今のところなんとか乗り切ることができています。こんな私で観劇します。ミュージカル役者と共に歩む人生の道のり。その時々の自分と出会いながらの観劇はやめられません。楽しみ・・・。

写真は東宝の公式ツィッターから転用しています。
劇場内の巨大パネルですね。

第1章性別職務分離の状況_⑨根強い性差別

2016年04月10日 13時05分02秒 | 卒業論文
 私の会社には、年に一回、上司に自己申告表の提出と面談がありました。
私はそれを自己深刻表と呼んでました。だって年を重ねるごとに、だんだん上司もこっちも深刻な顔つきになってゆくんだもの。
現在の仕事に不満はないか。やりたいと思ってる仕事はないか。会社への要望。問題点。名目上はそんな感じだったけど、上司が知りたいのはもっと別なことです。知りたいっていうより、お願いしたいって感じかもしれない。
つまり「結婚の予定は?」ということ。でも、さすがにそれを露骨には口にできないらしく、遠回しに、
「来年度に一身上の都合はないかね」とか、
「もし補充人員が必要な場合、早めに人事に言わなければならないから今のうちに言ってくれ」
なんてことを言うのです。早い話が肩たたきです。
「そろそろ考えたらどうなの、君。もう25だろう」
と言っているのがミエミエなのです。 1)

 ここに紹介したのは、今から25年ほど前、短大卒業後地方銀行に就職した作家唯川恵が自らの経験を記した『OL10年やりました』の中の一節である。これまで見てきたように、根強い性別役割分業意識のもとで、労働市場において女性に対しては、男性とは異なる様々な差別が形成されている。男性が、就職面接時に、あるいは社内での上司との面接時に、結婚の予定をたずねられることはまずないだろう。男性は、結婚と仕事とは切り離して考えることができる。それに対して、女性は結婚・出産を含む私生活と仕事とが深く結びついている。近代産業社会は、男性に労働市場を女性に家事・育児を割当てる一方で、市場における生産労働を、家庭内における労働力再生産のための労働よりも、高く位置づけていた。家事・育児に専念する女性は夫に依存せざるを得ず、社会的・経済的評価も低く位置づけられる。また女性が職業の場へ進出したとしても、併せて家庭内性役割を課せられるため、職場において男性と同等の地位を獲得することはきわめて困難である。その上、職場のシステム自体が性別役割分業を再生産し、女性の性役割を低く見積もっているから、どこまでいっても男女差別はなくならない。

 1986年の男女雇用機会均等法は、雇用における男女平等の思想が定着していなかった日本の企業そして政府が、女性労働者に制度面で影響を与えるきっかけにはなった。女性が労働に参加することは、女性の経済的自立を確実に、飛躍的に高める。女性の経済的自立が高まればこれまで機能してきたその社会固有の男女の役割は大きく変わってくる。その結果、それまで構築されていた様々な私的・公的な制度は見直しが求められることになるはずである。しかし、同法の施行を契機として、導入された「コース別人事管理制度」は、実質上男女差別を残し、同法は女性に男性と同等の雇用の機会を与えるものではなかったことはこれまで見てきたとおりである。

 最近では、マスコミで女性の起業家が取り上げられるなど、なにかといっては女性の元気さが話題になり、日本経済再生の鍵になるのではとも報じられている。その一方で、少子化問題もますます深刻になりつつある。だが、働く女性が子どもを産みにくい労務政策は続いている。社会や企業に母親が働きやすい環境は依然として整っていない。産休を取った女性が、会社に出て行った時には机がなかった 2)という事例など、会社は育児に対して冷たい。保育園に子どもをあずけることもままならない。保育園数のみではなく、ゼロ歳保育、延長サービスにより受入れ児童数が限定され、保育園に入れない待機児童が全国で約4万人おり、そのうち0~2歳児が6割以上も占め、しかも大都市に集中しているのである。3)

 また、現在の日本の職場では、人員がギリギリな為一人が産休・育休を取得すれば、その分の仕事が他の社員にのしかかってくる。人員を増やすなどの根本的な解決策はとられない。その為、仕事が増えた女性の憤懣は休んだ女性へと向けられる。その上に、同じ「子どもを産める性」であるがゆえの同性への苛立ちが重なり、事態は一段と深刻である。女性が、子育てをしながら働き続けるには、保育所の増設など社会的な環境を整えると同時に、職場の制度と雰囲気を変えていかなければならない。長時間労働要員としてより、知識や創意にすぐれた人材を発掘する面からも、女性を真の意味で活用することは、ますます避けて通れなくなる。

 すでに、国際的な男女平等の考え方は、女性の働き方をこれまでの男性の働き方に合わせるのではなく、女性が働きながら安心して子供を産むことができ、さらに女性と男性が共に家庭と仕事を調和させて働いていくことができる労働条件を確保すべきだ、というものである。しかし、日本では、2002年の時点においても、就職の面接時に女性は結婚の時期を尋ねられ、採用を考慮されるのだ。4) 日本型企業社会はまだ本気で女性の潜在労働力の必要性を認識してはいない。この国が本気で女性の潜在労働力の必要性を認識しないかぎり、働く女性たちを受け入れる社会インフラは完備しないし、働く女性が結婚と向き合う有形無形のハンディはなくならない。

引用文献

1) 唯川恵『OL10年やりました』113-114頁、集英社文庫、1996年。(原著は1990年)

2)『Yomiuri Weekly 2002年10月20日号』読売新聞社。

3) NHK放送文化研究所編『現代日本人の意識構造[第5版]』日本放送出版協会、2000年。

4) 幸田真音「さらりーまん生態学」、2003年3月27日付日本経済新聞。

ようやく一日が終わります

2016年04月09日 23時25分42秒 | 日記
 朝8時半頃から夕方5時半頃まで、お昼休みをはさんでびっちり忙しく、頭くらくら、喉ガラガラ、すごく疲れました。疲れた体を引きずって夕方7時からはカルチャーセンターで若松英輔さんの『ヨハネの福音書を読む』講演へ。駅ナカで夕方だというのにアメリカンとサンドイッチを買って腹ごしらえし、しばらくかたまったまま動かず休憩。あまりにも疲れている時は少しの間こうするだけでもいくらか疲れがとれます。といってもほんとに疲れてしまい、正直きつかったです。こんな仕事後の疲れ切った頭ではなく、もっといいコンディションで聴きたかったですが、出勤日だったので仕方ないですね。心に残る言葉がたくさんありました。すごく自分を肯定できるお話でした。自分の言葉が本になって印税が入ってくるとか、そんなことにはならなくてもこうしてブログを通して自分の言葉を書き、読んだくださる方の背中を押すことに少しでもなれば、一人でもなにか励ましをもらったとか思っていただけるなら、それだけでもすごいこと。慟哭のような想いの中から生まれ出た私だけの言葉。それは私にとって必要だったということ。そして、同じような境遇におかれたどなたかが必要としてくださるかもしれない言葉たち。自分の中がどうにもならなくなったとき、書くしかありません。書かずにはいられません。読む=吸う、書く=吐く、吸うと吐くの呼吸が大事で、読むばかりではよくない、書くことが大切だという若松さんのお話でした。

 記者さんが郵送してくれた紙面が届きました。スキャンしたファイルも送ってもらっていますが載せることはできないので、引用というかたちで出典元を記載して自分の声を載せたいと思います。紙面のなかのほんの一部分ですが、この裏には同じ会社(名目上は派遣先っていいますが・・・)で心の血を流しながら10年以上働き続けた日々があります。10年以上の歳月はやはりどっしりと重く、そんなにかんたんに忘れられるものではなさそうです。必要なことはこれからも機会があれば細々と発言し続けていくかもしれません。社会活動家とかではないので、あくまでも普通に生きている人として。普通に生活できることが当たり前のようでいて一番むずかしいのです。書き始めると止まらなくなりますが、疲れているとお風呂の中でまたねむってしまいそうなのでまた明日あらためます。きゅうじつはあっという間でしょうね。『バスティーユの恋人たち』。すごくいい舞台に仕上がっているみたいで楽しみです。部屋に戻ってネットをみるまで完全に忘れていましたが、今日プレビュー初日。私は来週まずは観ます。楽しみ…。

金曜なのに木曜のような・・・

2016年04月08日 22時05分45秒 | 日記
 街や駅は週末のまったりモードに満ちていますが明日も出勤なので私の中では木曜日。つらいですね。思っていたとおりに忙しい一日でした。交替で振替分の休みをとるので、今日は稼働人数がもっとも少なくなる日にあたりました。(私が休んだ一昨日もそうでした。)他の人たちがおトイレにいったり水を飲んだりするのを我慢しながらやっている時に、自分だけなんども席をはずしてしまうのは気が引けるし、タイミングもあるのでおトイレも水を飲みのもずっと我慢した時間帯がありました。引き続き喉の薬を夜だけですが飲んでいるのでよけい喉がかわいてしまうということもありますが、前職からひきずっている空調アレルギーもあり、鼻も喉もすごく渇いています。水分をとれる時は、どれだけとっても足りないぐらいにどんどん飲んでしまいます。それでまたおトイレに行きたくなってしまうのですが、どっちも大切なこと。考えてみれば接客業をやっている人って、みんな同じですよね。私が長い間一般ユーザー相手じゃなく大きく社会に対してあぐらをかいているようなところで働きつづけてしまったがためにこういう感覚を忘れてしまっているだけのことでした。よその台所は勝手がわからず戸惑うのと同じで、慣れきった場所から離れると大量コピーの取り方さえわかりません。全くきいたことのないメーカーのコピー機、勝手知ったる場所とちがってエラーメッセージが出た時にあっちこっち開けたり閉めたりしていいのかわからないし、どこに連絡をとればいいのかわからないし、だいたいエラーメッセージで表示される言葉がメーカーによって違うのでほんとに戸惑い。こんなところからひとつひとつやり直し。これだけで疲れてしまいます。でも、前職にずっとあのまま何事もなくいたら幸せだったのかというと、気がついた時には年をとり過ぎてしまって手遅れになっていたと思います。まだなんとかやりなおしに間に合ったみたいなのでよかったです。さらに年をとってから同じことが起こっていたら、さらにさらにきびしかったです。人生、どこで何が起こるかわかりません。おめでたいだけかもしれませんが、今必要とされている場所でまずは誠実に務めを果たしていこうと思います。いちばん底辺の地味な陽の当らない仕事、たいした評価もされない仕事、でも色々なことの基礎になる大事なことばかり。あれ、前職で同じですか。同じような面もありますがそんなことはありません。自分をさげすむことなく誇りを持ってやっていきたいです。明日も出勤、つらいよー。休まねば・・・。

木曜なのに水曜のような・・・

2016年04月07日 22時08分51秒 | 日記
 昨日休みだったことはそれはそれとして、まだ二日出勤しなければならないので水曜のような感覚です。でも木曜なんですよね。忙しい一日で疲れました。作業自体は慣れれば単純ですが内容はやればやるほど奥深くむずかしいということがわかってきます。毎日が勉強です。詳細を一切書くことはできませんが、来所されたお子さんが幸せであるようにと、心の中で祈らずにはいられないような家族模様がありました。一カ月程前にもそう祈らずにはいられない家族模様との出会いがあり、もちろん口に出すことはありませんが事務手続きをしながら、書類の中に名前が記載されている、出会ったことのない小さいお子さんが健やかに成長し幸多き人生であれと心の中では涙がでるような想いで祈らずにはいられなかったことがありました。私の想いが目の前にいらっしゃった方に伝わったでしょうか。どうか小さいお子さんを愛してあげてほしいと心の中で祈りました。

 今日も終わると喉はガラガラ。水飲めないまま一時間あまりどどっと業務を進めていかなければならずでかなり辛かったです。明日もたぶんそうなるので、明日はたぶん今日以上に大変なので辛いなあと思います。現職のパスワードが英字と数字の並びで、前職のくさりきったような会社の部署コードとよく似ていることに気がついてしまいました。私の頭はもう忘れたい、忘れていたのに、なんと手がおぼえていて不意に思い出してしまったようです。いやですねー、まったく。ほんとに無意識でした。それぐらいあちこちに何百回と入力をしていたことだし、書類もほんとにどっさりと毎日作成し続けました。その結末が、いつでも簡単にお取り替え可能なモノ扱いだったというのがどれだけ考えても哀しすぎます。悪い夢をみていたと思って忘れたいです。明日と明後日出勤。いろいろと気になることはあれどまずは休むしかないですね。

『バスティーユの恋人たち』の動画、ゆっくりみたいー。エリザベートの抽選予約にアクセスが集中しすぎたんでしょうね。東宝のサーバーに不具合発生。やっぱりすごい。帝劇一カ月は短すぎます。