《女3人、ランドローバーを走らせる》
著書、アーリーン、ナンシー、そして運転手のカディールと共にアイハヌムに旅立つ。
アイハヌムは、アフガニスタンとソ連との国境線になっているアムダリア、別名オクサス河とバダクシャン地方より流れ出るコクチャ河の合流点に位置する。1963年に偶然発見された広大な遺跡。古代ギリシア都市の特徴をもちながらも地方の特色を兼ねた、いわゆるアレキサンドリアの一つとも考えられている。
以来、アフガニスタンに駐在するフランス考古隊のポール・ベルナール教授によって、毎日発掘が行われている。
《東西文明の交流点、アイハヌム遺跡》
-ついに発見されたバクトリア時代の遺跡-
バクトリア地方は、ヒンドゥークシ山脈とアムダリアとの間にある地域で、古代より交通の要地として知られている。アケメネス王朝のキュロス王の時、ペルシア帝国の一州として併合された。西暦紀元前4世紀、アレクサンドロス大帝に征服され、後にはマケドニア王国に属していた。が、しばらくしてからセレウコス家のシリア王国に支配され、ヘレニズム文化の流入で、ギリシア人植民都市がつくられた。紀元前3世紀の中頃、ディオドトスはこの統治にあきたらず立ち上がり、始めてここにギリシア・ベクトリア王国を設立した。
その後、デメトリオス王の時代、紀元前190年頃、当時衰微してきたマウリア王朝に代わって、インダス河流域に侵入し、支配権を得た。
”ミリンダ王の問い”で有名なメナンドロス王も紀元前163年頃即位し、パンジャーブ地方に君臣した。しかし、王位が争われ、権力が分散し、王朝の力はしだいに衰えていった。これに乗じて西よりパルチア国が、北からスキタイ諸部族が侵入し、ついに紀元前189年に滅亡した。