
乳幼児精神保健学会誌Vol.4より、
「子どもと家族に幸せな「子育て」とは-アリシア・リーバマン(カリフォルニア大学精神科教授)
はじめに
今日は皆様と一緒に幸せな育児にどのように取り組むかについて、考えたい。私たちが幸せに生きようとするそのベースは、家族関係であり、お母さんやお父さんと子どもがどのように良い関係で出会っていけるかについて考えたい。
人と人との関係においてはお互いのパートナーシップがあり、それぞれの状態と発達課題がある。育児においては赤ちゃんあるいは子どもの状態と共に、その子の発達課題や発達段階というものがあるし、一方で親には親自身の人生の成熟段階もある。そういうものがどのように組み合わさって良い関係になるかということを丁寧に考えていかなければならない。そこでアメリカの全国的な乳幼児精神保健のセンターでは0歳から3歳までの赤ちゃんの健康的な発達について、このように定義している。第一にその子が健やかに成長し生きること、そして自分が自分であることや相手を愛していくこと、このような力を育むことが大切である。第二に自分に刻々と湧いてくる感情を表現し、相手に届けたり相手とうまくいくように信頼関係をつくっていくこと、そしてうまくいかない時や葛藤がある時に、その葛藤を何とかして伝えたり折り合いをつけたり、話し合ったりしながら乗り越えていくこと、つまり自分自身の内的な日々の揺れを調節していくこと、この二つが大事である。そしてこの二つができた上でその子は落ち着いて外の世界を探検していくことができると定義されている。これらの営みは、その地域や家族や文化に規定されるので、その文化を尊重せずにそれを理解することはできないということである。
親の育児機能と親への支援
普通の育児ではわが子から危険を守り、日々刻々と展開する子どもの要求に応えていかなければならない。子どもを食べさせなければならなし、「ママ、これ何?」と言ってきた時に答えなければならない。洋服を着せたり寝る場所をきちんと作らなければならない。それに加えて育児とは、社会の文化の中で生きていける人を育てようとするので、やってはいけないことまで教えなければならない。この危険から身を守る、そして日々の果てしない子どもの育児の要求に応える、さらにそれらの日々の積み重ねによって子どもが、良い社会人になっていくようにしつけたり、社会的な様々な文化を教えなければならないという3つの機能を果たすことは、とてつもなく大変なことである。その時に親自身がどれほど周囲からの応援があるのか、それとも無いのか、そしてお母さん自身が自分のための一休みを確保できたり一息できたりする時間があるのか、無いのか。また、辛い気持ちを整理する時は、さきほど3つの機能を果たそうと思ってもできない状況になり得る。そこで私たちの役割は、親自身が子どもに対してこのような複雑な育児機能を果たしていけるよう、親をどう支えるかである。その支えとは、私たちが決めたあるべき姿に支えるのではなく、今この状況の親にとって一番役に立っている援助が何であるか、その親が何を目指しているのかをよく考えて、どうしてあげることが一番良いことなのかを考えた応援でなければならない。それぞれの文化における、今の夫婦の目指すものと家族状況をよく理解して、そして親が日々の目の前の子どもに対応できるようにしていかなければならない。
幸せな子育てとは、言うのは簡単が実際にはとても難しいことである。親の子どもを育てる気持ちの準備、子どもの生まれてくる時とが必ずしも一致しないという難しさがあるので、親が親として育児に取り組む姿勢ができていない状況があるんだということを踏まえて、タイミングなどの難しさを私たち援助者がよく理解していかなければならない。
皮肉なことに、赤ちゃんが生まれる時は、人生で最もいのちが危うい時であり、優れた育児を必要としている時である。ところが親は新米である。何人の子どもを育てた経験のある親でも、その子にとっては新米なわけである。赤ちゃんが一番傷つきやすくもろい時に、一番ベストな育児を必要としながら親は新米ということは、親子が共に学び合う、共に理解し合いながら作っていくという姿勢が必要なる。それを支援しようとする私たちが忘れてならないことは、親自身がどのように育てられたか、親自身が赤ちゃんという果てしなく強い要求をしてくる生き物を前にした時に、その人自身が何を感じどのように思っているかということである。そして親が親になろうとする時はやはり張り切るので、とても強そうに、そして前向きに見えるが、実際はどの親も心の中はびくびくしていて、赤ちゃん以上にてんてこまいしている、それをよく理解していく必要がある。
育児の問題を脳の発達から捉える
人生の最初の5年間は、脳が最も急速にそして急激に変化する時期であり、この時期の脳発達の一つの特徴は、いろんな状況の中で、脳の使い方によって脳が作られていくということである。例えば赤ちゃんは泣いて表現することを覚えるとその表現力は発達するし、思いやることを覚えていく。また、一緒に分かち合うことを覚えれば分かち合っていくし、という風に、実際に日々体験の中での脳の使い方自体がその子の脳を発達させていくのである。遺伝的な要素のどの部分がスイッチオンしたりスイッチオフするかということは、その周囲の環境が何を刺激するかによる。幸せに生きるということを刺激されれば脳は幸せに生きることを覚え、幸せに生きる脳を発達させていくけれど、我慢すること、苦しむことを練習していくと脳はそのようになっていく。環境との関係で遺伝的な素因が生きたり生きなかったりするので、遺伝子だけでは人間はつくられないとはっきり言われている。既に体内で脳は刻々と発達していくため、生まれおちた段階で赤ちゃん自身は、痛みや危険や快・不快の刺激をきちんと識別する力をもって生まれてくる。痛みや危険を感知する場所としては扁桃体が中心にある。赤ちゃんは体内で脳を発達させ、間主観性という能力を持って生まれてくる。人間の赤ちゃんは人に対してよりはっきりと心のアンテナを張り、相手が自分がどんな気持ちで見ているのか、その笑顔の奥にある気持ちやその眼差しの奥にある気持ちなどを非常に注意深くみることがある。例えば音にしても、お母さんの声などをよく覚えており、特に明るくリズムやメロディのある声によく反応する、3日目でお母さんの体やお乳の臭い、肌のぬくもりがついているものにはっきりと関心を示すようになる。特にお母さんを五感で理解していくというアンテナをもっている。赤ちゃんは生まれたおちた時から記憶がある。この記憶の鮮明さを私自身が実感したのは、生後6週目のNICU(新生児集中治療室室)の赤ちゃんによってだった。この赤ちゃんはNICUで色々な点滴やチューブを挿入され、大変な思いをしていた。しかし無事退院し、家に帰ったが、水曜日の8時になるとギャーとすさまじく叫び出していた。そこでよーく見てみると、水曜日の8時に来る清掃車の奏でる音がNICUの機械音とそっくりだった。よく小さな子どもたちが訳のわからないむずかり方や泣き方をするが、よーく考えて「あ、そうだんな。これは清掃車の音のピッチがちょうどNICUのピッチと似ている機械音だったからこの子はフラッシュバックのように思い出して怯えているんだ」とわかると、子どもの示す問題行動と片付られやすいものは、実はちゃんとした生きてきた経験の中で貯えられた記憶に基づいて子どもが反応し、助けを求めていると分かる。こういった理解を、物言わぬ赤ちゃんたちに対して丁寧に行っていくことが大事である。
赤ちゃんは記憶があると同時に、一人ひとり違うので、個人差が豊にある時にそのような赤ちゃんの性質をよく理解した出会い方をすれば良いのである。ところがお母さんたちは必ずしもそこまで理解しないで育児をしようとしているということがある。そこで私が今思い出すのは、赤ちゃんがどうしてもミルクを飲んでくれないというお母さんの家庭訪問をした時のことだ。そのお母さんはとてもエネルギッシュで快活で、元気に赤ちゃんをあやすのが大好きというスポーツウーマンの方だった。ところが赤ちゃん自身はおっとりゆったりタイプだったのだ。お母さんが一生懸命頑張ってあやしているのに、赤ちゃんは、緊張して固まってしまってミルクを飲まなくなっていたのである。そして、そういう子どもを見てお母さんは、自信をなくしていくという状況になっていた。そのことを家庭訪問で観察して、親子のずれやミスマッチを確認することができた。そこで私が行ったことは、ゆったりと座ってお母さんの気持ちを聞いた。お母さんの好きなこと、好きなもの、さらに赤ちゃんの好きなこと、好きなものを聞きながら、お母さんの本音を聞いていった。そうすると、「実はわたし、育児がつまらない。この子からは反応がないから」という本音が出てきたのだ。この時に「お母さん、本音が言えたわね。あなたは快活なのが好きなのね。でもそれに応えてくれない赤ちゃんだったらあなたが傷つくわよね」と、ありのままの人には言えないお母さんの本音を聞けた時に、お母さんは「実はそうなんです」と、自分の否定的な気持ちが出せたのだ。そして本音が出せた後、なんと、赤ちゃんの良いところを見つけようという気持ちになり、そのことから赤ちゃんもお母さんの働きかけに応じるようになり、二人が良い具合におさまっていったのである。家族関係は大変複雑である。お母さんと赤ちゃんが関係を作ろうとする中にも家族関係の影響はある。このお母さんの場合も「この赤ちゃんを見ていると誰を思い出すの?誰に似ているの?」と聞き、お母さんは「夫に似ています」と答えた。「へー、ご主人はどんな方なの?」と聞くと、「私の夫は私をよく守ってくれます。ちゃんと稼いでくれるので、専業主婦で育児をしています。私の夫はすごく良い人です。だけど、とってもスローでとっても静かで・・・」と言ったので、「んー、赤ちゃんと何か似ていますか?」と聞くと、「お父さんと赤ちゃんはとっても仲良しです。すごく馬が合っちゃって、阿吽の呼吸です。私は時々寂しくなります。私ははじき出されたような気持ちになります」と語られた。こんなふうに話しながら、どうしたらお互いにしっくりした関係が見つけていけるのかと探り合ったわけである。そしたら彼女は、「夜になったら私が授乳するように夫にも授乳してほしいです。そしたら私も一休みできますから」と言った。そうしてご主人、つまりお父さんがどんな時に入ってきたらお母さんにとって一番良いのか、またこの親子がそれぞれの自分の特徴を生かしながら、お互いに排除し合ったりせずにしっくりいくかということを家庭訪問の中の和やかな会話から解決していった。これは日々家庭内で行われる葛藤の事例である。お父さんもお母さんも人格障害や精神障害ではない普通の人だ。しかし育児をしていると日々刻々といろんな問題が出てくる。この問題をこうやって一つ一つ乗り越えあっていく、その一つの良い例である。
育児の問題を脳の発達の側面からまとめる。扁桃体は恐れを感じさせる所、辺縁系は危険等から自分を守る所である。扁桃体も辺縁系も旧脳に属するが、この発達は生まれてから1歳までに出来あがる。そこで自分を守るはずの父母が暴力的であると、子どもはふっと身を引き守りが無い状態から本能的に心を閉ざす。そうすると臨床的な知見で子どものIQは見事に下がる。少なくともIQは10くらい下がり、子どもは健やかな認知を発達させられない。このような家庭内の危険、恐れ等は治療が必要である。父母がゆったりと赤ちゃんを安心と守りの中で育児をし社会に子どもを出す機能を果たせる家族になると、またIQが戻る。つまり脳は環境の中の危険に多大なエネルギーの費やし消耗してしまい、その分健やかな発達が犠牲になる。人間の赤ちゃんは、生まれた時から危険や恐怖という自分自身に痛みを生じさせるものに過剰にアンテナを張り、身を守っている。そういう意味で育児に不安や危険、痛みを生じさせるものに過剰にアンテナを張り、身を守っている。そういう意味で育児に不安や危険、痛みがあるとき子どもは健やかな発達がしたくてもできないことを常に覚えていてほしい。
子どもの不安や恐れが果たす役割
生後一年目の発達の中で不安や恐れが果たす役割が大きいことについてお話したい。生後一年目の不安や恐れの一つは、痛みについての恐れだ。もう一つは分離である。痛みは、先ほどのNICUで大きくなった赤ちゃんの例が当てはまる。分離の恐れは、私の親友の生後2か月の赤ちゃんを例にお話しする。リリーちゃんはとても敏感であったため母親がいないとだめであった。リリーの母自身もリリーが離れるとリリーがとても辛がることが分かるだけに、母自身どうして良いか分からなかった。ある日母親は3時間どうしても会合に出なければならなくなった。リリーは絶対耐えられない、どうしたら良いかという時、私が「お引き受けするわ。私は乳幼児の専門家でリリーをどう受け止めるかは分かっているから」とお預かりした。預かった最初の30分間、普通の人では全くだめなリリーはとてもお利口さんだった。ところが30分後母が帰ってくるまでリリーはぎゃんぎゃん泣き通した。何をやってもだめだった。一般論として痛みや分離の不安があっても、子どもの資質や感性によりその度合いは全く違う。それはその子がわがままだ、母親が悪いという問題ではない。
リリーは、赤ちゃんは大人に良い母親、ひどい母親という感情を引き起こすことを教えてくれた。リリーと最初の30分間うまくいったはずの私は、その後泣きわめくリリーを抱き、「あんたはひどいお母さんだ」と言われたようだった。正直なところイライラで私はリリーをぐーっと揺さぶりたくなってしまった。その時私は自分の専門性や知識があっても、泣きわめく赤ちゃんがこのように悪いお母さん、悪い育児者に思わせられた体験の最中で、「あ、専門家でもない普通の母親がサポートなく一人ぼっちで赤ちゃんが泣きわめくと自分が否定されたと思い、思わずゆさぶってしまう。それが世間一般のいう虐待に繋がる」としみじみ感じた。そこで私は泣きわめく赤ちゃんの母親に赤ちゃんからの刺激をお母さんがどうシグナルとして受け取るか、拒否かまたは「助けて」というシグナルかを丁寧に聞き、母親の気持ちをたどることにした。生後2年~3年目の子どもの恐れの一つに、自分の体が傷つけられる恐れがある。これはその子に必死で、爪を切る、髪の毛を切られるとこの時期子どもは抵抗する。ある子どもはうんちは自分の体の一部分で、うんちが出て水洗便所の水で流されると自分の体ごと流されたと感じ不安になる。これはS.フライバーグ先生がおっしゃっていたことだ。子どもの体が傷つけられ、自分の体がどうなるか不安を乗り越える際、お母さんたちはちゃんと分かるよう話す必要がある。うんちは、「このうんちはいっぱい食べていらなくなった食べ物だから出て大丈夫。また新しいものを食べられるからね」と、子どもがうんちを出し流された時に感じる不安を乗り越えさせてあげると、子どもは母親の話を一生懸命聞き、体にそういうメカニズムがある、そうかと納得し安心してうんちができるようになる。あるいは「また生えてくるから大丈夫。お爪さん、いっぱい生えてね」とやっていくと良い。日本で「痛いの痛いの飛んで行けー」という言い方がある。別の文化では「痛いね」と言いながらキスをする。この時期のこどもの体に対するダメージに対し何とか包んでいこうとする仕方がそれぞれの文化の育児として発達している。この理解がとても大事である。
最初の1年間は分離不安があり、2年目になると体のダメージの不安があるが、もう一つの不安は、ちょうど1歳半から3歳にかけて親の愛情を失う不安がある。親に嫌われる不安である。子どもがはっきりと自分の自発的な好き嫌いが出てくる時期と、自分の大好きなお母さんとの好き嫌いが一致せず、また気に入られなくなり愛されなくなる不安が同時に進行するため、子どもはとても深刻な状況になる。S・フライバーグが書いた『マジックヤーズ(魔法の時間)』にあるように、親はしばしば「これやっちゃダメ」、「これ食べちゃダメ」とNO、NO、NOと子どもに言う。しかし大人がやっていることを子どもはやりたがる。むしろ大好きな親のようになりたくて、真似して自分からNO、NO、NOとやる。だから親はこんな反抗的で私のことなんて嫌っているはずと見える子どもも、実際は親のようになり親を取り入れたい、親に承認されたいと気持ちが旺盛なのだ。それと同時に親に承認されたい気持ちが旺盛なのだ。それと同時に親に承認されない、否定される、嫌いという不安が強まる。人は怒りの最中で相手に対する愛や信頼を覚えていることは難しい。2~4歳の子どもは、親が怒っている時お母さんは僕のことを嫌いと思いがちである。父母が子どもを叱るとき、「それはだめよ。だけどあなたのこと大好きだから、大好きなあなたが又こういうことしないように、ちゃんと言ってあげるからね」と愛に基づき叱ることを伝えられると、子どもは怒りの最中もその裏に消えず崩れない信頼関係、親があることを感じ取りとても安心する。怒りの最中実は赤ちゃんは親の愛を見失い親に嫌われたと思い込むものだ。特に2~4歳の子ども達にとって致命的な不安になるので、ここがうまくいかないとその子は一生不安に取りつかれ生きていくこともある。4~5歳児になると世間の期待、つまり良い子にならなければならない気持ちも出てくる。そうなるとその子は自分がいたずらをして悪い子であるので世間から見捨てられないかと心配する。またこの頃の子どもは「お母さん、お父さんは死んじゃうの?」と死の不安を口にする。これは実は1歳2歳頃の基本的な不安がさらに複雑になって現れる意味で発達の一つである。しかし子どもにはとても大変な事だ。例えば私が知っている3歳半のある子どもは、家の目の前でお母さんが泥棒に遭い、お母さんが泥棒にボカボカ殴られ、大事なものを取られた上逃げ込もうとした時泥棒も追いかけてきたのを目にした。その事件の直後その子どもは言葉を話せなくなった。治療に来て、私のプログラムに入った。その遊戯治療で子どもはたくさんのクッションで砦を作りその中でじーっと縮こまっていた。治療では私、母親、担当治療者が「出てきてね。あなたがいないと淋しいわ」と根気よく繰り返し言い、子どもはちょこっと出ては戻ることを繰り返し、4か月後くらいにその子は出てくることができた。出てきたとき母親は「あなたが悪くないの、良く出てきたね」と抱き締めた。抱きしめてすっかり良くなったときに初めてその子は「あの日あの時、私がドアを占めてママを守れなかったからママはひどい目にあった」と話した。そこでお母さんは「強盗はものすごい勢いで入ってきて、仕方なかったの、誰もドアなんて閉められっこなかったの」と応えた。父親が「俺の帰りが遅いからこうなった。ごめんね。これはお父さんの責任だよ」と言った。家族は子どもも親も、自分の大事な家族がひどい目に遭うと自分のせいにしてしまう。その思う気持ちは既に4、5歳児からある。大事なのは誰のせいでもないと話、自分のせいだとしょい込むんじゃないよと話し合いと克服によって乗り越えていく。
親が安定した愛着関係を作れるように
子どもは自分が不安な時この人だと一番安心する状況を子どもは自分で選ぶ。子どもは愛着を複数の人に示す。研究者マイケル・ラムは「例えば子どもはお腹が空いた。寒い、心細いときはママ。遊びたい時にはパパと。子どもは時と場合で取捨選択があり、複数の愛着がある。しかしどうしても辛い時この人でなければならない側面もある」と言う。愛着は、子どもの選択で「これはこの人に」となるが、両親間に嫉妬を引き起こす。「遊ぶ時はパパと言う。本当にどうしようもない時はママと言うのに」と母親が苛立ち、逆に父親は「僕がお風呂に入れたいのに、この子はママでないと嫌なんだ」となる。そういう時に、子どもの親に対する愛情にはこうでなければならないというのはないから、それぞれがその子にとって一番良いことをやれば良いという、現実的な折り合いがとても大事になる。では親子で愛着が出来ているかをどのようにして見るか。一つは愛着がある人から離れる時に嫌がる、もう一つは、エインズワースが言っているうに、愛着があると安心てその人から離れて探索行動ができる。安心している時は遠くに出ていくことができ、不安定だったり怯えていたり困っている時には帰ってくる。港のように行ったり来たりということが、愛着ができている人との間で起きる。愛着は、安定か不安定かに別れる。親が不在にし、その後戻ってきた時に、親に対し心からの喜びが溢れている場合は安定型愛着という。一方、嬉しいけれども遠慮がちで「また行かないでね」という戸惑いや、「よくも言ったな」という怒りが出て、嬉しいけれども喜びより遠慮や不安、怒りが勝つ場合は不安定型愛着と言う。ここでお断りしておかなければならないのは、子どもが不安を示すこと自体が親に良く分かってもらいたいというサインなので、不安型愛着は悪いということではない。また、不安定愛着かどうか、よく丁寧に何回も見る必要がある。くれぐれも、安定型と不安定型で、その親子に白黒つけるような扱いは絶対にやめていただきたい。なぜならば、子どもは今その時の自分の気持ちをしっかりと母親に分かってもらいたいから、不安定な時に不安だと言っているだけの話だからだ。しかし、親子でそこに行ける瞬間は多くはなく、上手くいく瞬間、上手くいかない瞬間が混在する。子ども自身が感じていることを表しているのだから、そこから変えていけば良い。育児の最初の1,2年は、赤ちゃんのサインをよく読み、その気持ちになってあげ、泣けば抱っこし、おむつだね、おっぱいだね、ときちんと対応してあげれば、赤ちゃんは心地よくなって安心して安定型愛着ができる。安定型愛着を作り上げると、思春期に非常に自信があって穏かで、協調性があって、何か物事をやろうと思ったら最後まで粘り強く達成できる子どもに育ちやすいことが、愛着研究で明らかになっている。親は言うことを聞く子どもを育てようとするが、実際には0、1、2歳の時に赤ちゃんのサインを大人がよく聞いてあげて、それに応じ、赤ちゃんが安心して心地よくできるようにすると、安定型愛着の形成によって、思春期に大人が言うことがよく分かり、協力しようとする子ども達が育っていく。私たちが、0、1、2歳の赤ちゃんをもつ親が、子どものサインをよく読み、安定した愛着関係が作れるように応援することが、とても大事で、私達の責任は重い。
自我の芽生えからセルフコントロールの獲得へ
生後0~1歳までの、親子の良い愛着関係形成が一番効率がよい。なぜならば、2、3歳になり、自我が目覚めると、子どもの健やかな発達として、「嫌だ」「嫌い」と自分の感情の好き嫌いを出す段階になる。その時期に不安定な愛着関係があると、育児がどんどんしにくくなる。例えば2歳児は、お母さんが大好きでも”嫌だ嫌だマン”になる。そうなると親も、「そんなに嫌だって言うなら私だって嫌よ!」となり、現実的にはキレやすくなる。そして、「警察呼ぶぞ」「出ていけ」「一生面倒は見ない」などと言って、本当に脅かし始める。子どもは一度親に言われるとそれを信じるから、親から好かれていないんだと四六時中心配しながら生きていく人生を送らなければならないし、それは消えない。その前の段階で、どんなに育てにくい赤ちゃんであっても安心して「良い子だね。分かるよ」とやっていくと悪循環に陥らなくて済む。
自我の芽生えの頃の子どもが、大人の叱る行動を、大人の立場にたって理解することは難しい。往々にして、親に嫌われた、見捨てられたと思いがちなので、育児では、あなたを守り、危ないからだよ、と普段からよく心をこめて本気で話す。そうすると、子どもは叱られても聞き入れやすい。例えば、大人が道路をぱっと渡ろうとすると、よちよち歩きの子どもは自分もやりたいから手を振り払って渡ろうとする。大好きな大人の真似をしたいのに、止められる。その瞬間に、普段から危ないことをよく伝える関係ができていると、子どもは受け入れやすい。しかし現実的には、例えば父親が飲んでいるウィスキーを子どもが飲もうとすると、丁寧には言えず、「あっちに行け、お前にはかんけいない」となりやすい。そうすると途端に子どもは、嫌われた、見捨てられた、否定された、侮辱された、だからお父さん大嫌い!となる。このように、2、3歳の頃の子どもは、大人とは違う観点から人生を見ているので、そこでぶつかり誤解が生じると、親子の信頼関係のひびになっていく。それを、こちら側がよく理解して、配慮の下で、子どもに「安全のために守っているからね」とよく伝えていくことが必要だ。
1、2、3歳児の癇癪は、育児の中で親子ともども一番苦しいと感じる。この癇癪を問題行動と捉えるのではなく、子どもが絶望や無力感をうまく言えなくて困っている状態だと理解できる、それが子どもにも伝わり、乗り越えやすい。癇癪は、旧脳で起きている原始的などうしようもない感情であり、それは言葉で整理できる脳の部分から隔絶している。しかし、癇癪は本当に辛いから、親の側の怒りを呼び、「ダメだ」と否定していき、親子関係において悪循環が起きやすい。それを防ぐためにも、癇癪というのは、どうしてもうまく言えないその子が「お母さん分って!」と言っていることが、という風に受け止める。その子が落ち着いて癇癪を乗り越えられるまで放っておく場合もあるし、しっかり抱きしめて、「決して見捨ててないよ、でも、これはだめだよ」と言わなきゃいけないこともある。要は癇癪には意味がある、訳があると理解することが大事だ。注意深く癇癪の直前の行動を見ていくと、必ず引き金がある。それすら理解できれば、癇癪を起こしても、あるいはその前に、その子の辛さ惨めさ絶望感を理解してあげられる。そして、うまく言えない子どもの思いがそこにはこもっているのだから、分からないにしても思いやりを持って包んで行こうと接することが、やがて自分自身の中のキレやすさを自ら包んでいける、調節能力の高い子になることに繋がる。
親が子どもの良い対象になれるような支援
もうお分かりいただけたと思うが、幼い子ども達の中には秘密の世界がある。親に嫌われているのではないかと思ったり、あの時に私がああしたからこんなことが起こったんじゃないかと思ったり、もし私が悪い子だったら私は死ぬのかしらと思ったり、たくさんの不安や恐れの中から派生するたくさんのびくびくした生活がある。こういうものを受け止める親の側も大変複雑な機能が必要とされる。「ここは譲るべきかな、それとも断固としてダメだと言うべきかな」、「ここは一貫性を示して、ここは柔軟になるかな」、「そうだそうだ。お前の言うとおりだ」など、いろいろ考え、試される。乳幼児の非常に豊かで奥行きのある秘密の世界と、親のどれといった答えがない時のとっさの判断とのせめぎ合いのなかで育児は展開していく。この複雑さを私達がよく理解し、尊重していくことが大事だ。
最後に、ワシントン大学グループのセーフティサークル(安全の一つの輪)に触れたい。そこには標語として「親はより大きく、より強く。より賢く、よりやさしく」というのがある。より大きくより強い親は、子どもからみて守られている感じがする。そして、より賢くより親切な親を見て、子どもは自分もそうなろうとする。子ども達は感化され、真似していくのだ。その良い対象になるよう、私達が親をサポートすることがとても大事なのだ。私達が、この時代の育児に伴う痛い実や日々の大変さを、親身になって思いやることにより、親がより大きく強く、そして賢く親切になれるようにしていくこと。それが、難しい育児の状況に対する一つの解決策だと思う。」







