たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『東北学/文化と震災からの復興』=4回目

2013年12月31日 14時56分44秒 | 東日本大震災
2012年秋、慶応義塾大学 日吉キャンパス公開講座「日本ってなんだろう」より

9月29日赤坂憲雄「東北学、新たなステージ」レジメより引用しています。

「コミュニティを支えているのは、神社と寺である。
 
 当たり前に過ぎることだが、地域の精神的な拠りどころでありつつ、実質的にも集会所や公民館のような役割を担ってきたのが、神社と寺であった、という現実を再確認することになった。高台にあって生き残った神社や寺はみな、ことに初期には避難所となり、救援物資の受け入れ先となって、コミュニティの中核的施設であることをさりげなく示した。

 その神社や寺のなかには、厳しい被害をこうむったケースも少なくはない。被害は当然とはいえ、津波だけではなく、地震による損壊や放射能による汚染といったものまで広がり、その詳しい被害状況はまるで明らかにされていない。その再建に関しては、宗教的施設という条件ゆえに公的な資金が導入されることはむずかしいとされ、東日本大震災復興構想会議においても議論のテーマにすることさえ拒まれたのだった。数百キロにわたる海岸沿いに点在する神社や寺のなかには、おそらく再建されずに放置されるケースが多数出現することになるだろう。

 むろん、南相馬市などでは、神道関係者たちが全国に呼びかけて、流された神社の再建のためのプロジェクトを持続的に行っており、神社が瓦礫の山の下に埋もれることだけは避けることができたようだ。それぞれの地域で、そうした地道な試みが始まっている。気仙沼ではすべてが失われた廃墟の町のなかで、鳥居を見かけて近づいてみると、流された神社の跡に粗末な鳥居やご神体などが集められ、聖地として小さな復活を遂げていた。
ここに、もう一度町を再建する、という人々の意志の結晶のように感じられた。
 
 高台移転や「仮の町」といった構想が語られているが、宅地造成をおこないインフラを整え、復興住宅を建て並べただけでは、コミュニティの再建はありえないのだということを肝に銘じておきたいと思う。」

 

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