たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

旅の思い出_美ヶ原高原美術館

2019年07月13日 16時19分45秒 | 小さな旅の思い出
 連休二日目、山奥じゃないけど歳をとってから車がないと不便で不便でどうにもならない田舎生活は過酷すぎるとあらためて実感させられた昨日、すごく疲れているのに、すごく眠いのに眠剤半錠で寝つけなかった昨夜、なんとか生きている休日。明日朝早いのに大丈夫かしら、関西は暑いっぽい、大丈夫かしら。

 家にまだ残っていた旅日記を少し整理。20代前半、まだ家で暮らsしながら銀行に勤めていた頃、銀行の先輩が教えてくれたユースホステルに宿泊してよく一人旅に出ていました。往復はがきで予約をとっていました。一泊二日で800円。ユースホステルなんて今もあるのかしらね。もうとっくに時代に合わなくなり消滅していますかね。振り返ると必ず最寄り駅まで父に車で送ってもらっていますね。そりゃそうだ。遠くって遠くって他に手段はありませんでした。家族は幸せなものだと信じていた頃、母がまだ元気だったころ、自分の家はふつうだと思っていた頃、人ってほんとに死ぬんだって知らなかった頃。

 かすかな記憶で美ヶ原高原は『アモーレの鐘』という城戸真亜子さん主演の映画をみて一度行ってみたいと憧れました。行ってみたらたしかにアモーレの鐘はありましたが売店の一角でした。パンフレットや領収書を全部糊付けして保存していた旅日記を読み返してみると今ひとつの旅でした。一度行っておけばよかったかな。若気の至り様々。若かったですな、自分。


「1984年8月21日(火)くもりのち雨

〇〇6時38分→▽▽7時15分→▲▲8時00分特急→松本10時19分着

松本バスターミナル10時40分→美ヶ原高原11時52分着

美ヶ原高原-王が頭-美しの搭-山本小屋-高原美術館

美ヶ原高原美術館16時30分発→三城YH17時10分着


ひたすら寒い一日であった。
雨が降り、霧が出て、景色はあまり見れなかった、残念。
バスから外を眺めていると、別天地にいるんだなという気分。
標高2034メートルとあってやはり寒い。
あまりの寒さにトレーナーを買った。
今もペンを持つ手が震えてる。
風邪などひかぬよう気をつけよう。

美ヶ原高原美術館は面白かった。わけのわからない彫刻が野外にあちこち立っていて、ゆったり回れれば2時間ぐらい。楽しめそうだ。もう一度行きたい。明日はどこへ行くかまだ考えていない、どうしようかな。


1984年8月22日(水)

6時45分 起床・食事
8時00分 車で高原美術館へ(社会人2名、浪人生2名と同乗)
11時00分 車で高原美術館から松本へ向かう 途中車が故障 松本市内で食事
14時4分 松本
16時40分 ●●●
18時20分 ▲▲
19時20分 自宅着

 今回の旅はかなり体調が悪く、思うように食事も喉を通らなかった。一泊ということでかなり気軽に考えていたのはよかったけれど、特急を利用したのがいけなかったな、やはり鈍行でのんびり気ままに行くのがいいな。
ところが帰りがけにわけのわからない奴に●●●までずっと見られ続けていやだった、なんなんだ、あいつは・・・。とっても不愉快。
天気がずっと悪かったのもかなり残念だった。
着いた頃は、時折晴れ間もあり、楽しめたけれど、雨が降ってからは寒さにふるえて旅を楽しむ気分ではなかった。
しかし、風に吹かれて霧がさあっと消え、山並が見えるというのもまた楽し。
牛が間近に見られたのも楽しかった。
大きい生き物だった。
二日目はどこを見るということもなく過ごした。
YHで一緒だった人たち4人と車に便乗させてもらって松本まで行った。
途中、下りが急でタイヤから煙が出たりして
立ち止まっていたので、汽車に乗り遅れてしまった。
でも、はじめて会った人と山の中で緑をながめながら喋るのも楽しいものだ。
浪人一年生の二人、なかなか楽しかった。
またどこかで会えたらいいなと思う。
登山の好きな大工、かなり変わっているみたいだけど、賢そうな人だった。
山へ連れていってくれるかもしれない。
また、気ままにひとり旅を楽しみたいな。」

 今ならストーカーみたいな危ない目にあっていたことに当時は気づいていませんでした。ただ少し離れたボックス席からずっと視線を感じて席を移ったらまた向こうも席を移って見られ続けていた記憶があります。乗り継ぎのタイミングでようやく巻くことができたんだったかな。危なかったですね。誰かに言っても何もしてもらえなかったと思いますが何かあった時のために誰かに言うべきでした。車に同乗した人たちの顔などもう全く思い出すことができません。同級生の顔だって思い出せないのだから当然ですな。山好きの大工のおじさんに電話番号を教えてしまい、その後一度だけ電話がありました。もちろん当時は家の電話。山に誘われたのを親に怒られて行かなかったのは正解だったんでしょうね。振り返れば若気の至りで危ないことだらけでした。

 美ヶ原高原美術館は当時まだ行ったことがなかった箱根の彫刻の森美術館と姉妹、経営母体が同じということですね。

















 国内のユースホステル旅日記、ほぼ整理しましたがどっさりありました。この世にいる間にいつかこのブログで少しずつ振り返っていけるといいかな。生き延びていけたらいつかね。



この記事についてブログを書く
« 来年の5月まで死ねないや | トップ | 宙組『オーシャンズ11』_気が... »

小さな旅の思い出」カテゴリの最新記事