たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

モネ展_最晩年の作品群

2015年12月24日 09時09分09秒 | 美術館めぐり
「咲き乱れる美しい花々、目が覚めるような鮮やかな色彩の乱舞、息を呑むような光景-。いたるところ、花、また、花、あふれるばかりの色、また、色。まぶしいくらいの色彩だった。雨あがりのなかで光を浴びた花々は、一段と美しかった。私はそこで、洗い出されたような光り輝く色彩を全身に浴び、絵画的な光景によって包みこまれたのである。

 ときは四月の初め、ところはイール=ド=フランスの一地点。セーヌの流れにほど近い美しい田園風景の土地だったが、セーヌ河に注ぐ支流であるエプト川のほとりに、その花園は姿を見せていた。私たち家族はパリ、セーヌ右岸にあるサン=ラザール駅から乗車して、河畔の田園風景を楽しみながらセーヌ河の流れを下り、ヴェルノン駅で下車してこの地を訪れたのである。

1993年春、クロード=モネゆかりのジベェルニーを訪れた日のことが、昨日のことのように思い出される。バスがジベェルニーに到着したときには、まだいくらか雨が残っていたように思われる。モネの屋敷の庭に入った時には幸い雨があがり、日が射しはじめ、咲き誇る花々とあふれるばかりの美しい色彩は、光を浴びながら、浮かび上がってきたのである。

 空がしだいに明るくなり、生まれたばかりの光といいたくなるような気
か持ちのよい、おだやかな陽光のなかで、モネの花畑が目の前に開けたのである。感激の眺めだった。最高の条件で、夢かと思われるほどすばらしい花園を目のあたりにすることができたといえるだろう。(略)

 かなり手入れがゆきとどいているように思われたが、花壇を目にしたわけではない。私たちの視野に広がったのは色とりどりの花が咲き乱れている花畑だった。花々はきちんと種類ごとに植えられていたから、無秩序な色の広がりが見られたわけではないが、花壇の花々よりもはるかにのびやかで開放的な姿で、親しみやすい花がいたるところに姿を見せていたのである。

 あたり一面花畑といった景色であり、広大な庭園ではないものの、堂々とした花の庭だった。さまざまな花のなかを散策し、色彩と花々の匂いや香気に包み込まれながらも花から花へと花園をたどるときには、楽園に遊ぶ気分だった。夢見心地での楽園の散策だった。パラダイスがあるとしたら、ジヴェルニーのモネの庭こそ、その名に値するものといえるだろう。

 
 豪華というよりは清楚で彩り鮮やかな花畑だった。モネ自身が生活していた当時の庭とはいくらかの変化がみられるのかもしれないが、モネの当時を容易に思い浮かべることができるような心くばりが行われていたのではないかと思われる。あくまでもモネの庭、モネの花畑といった趣が漂っていた。

 
 イール=ド=フランスという言葉があるが、これはパリを首都とする革命以前からのフランスの州名である。今日でも用いられている名称だが、パリを中心として、セーヌの流れとともにあるような地名である。モネゆかりのジヴェルニーは、イール=ド=フランスの土地であり、エプト川とセーヌ河が目に入ってくるような、ただしセーヌ河とはごくわずかの距離がある風光明媚な地である。モネがこのジヴェルニーの地に家を購入したのは1890年のことである。3年後の1893年、睡蓮の池を造成するために、庭に隣接する土地を手に入れ、やがてエプト川から水を導き入れて、念願の池を完成させたのである。

 フランス語のイマージュという言葉には、水や鏡に映った姿・映像、虚像・実像、作品に見られる姿・像、さらには絵、などといった意味があるが、モネはこのジヴェルニーで、視覚混合(セザンヌの言葉)ともいうべき印象派独自のスタイルで、イマージュに肉迫し、光と色と形のなかに、みごとな花を咲かせたのである。その絵は、あふれるばかりの光と影の、色彩の、大気の開花なのである。一日のさまざまな時間帯において、さまざまな太陽の光のもとで、いろいろな光と影のなかから、モネの色彩と形が、モネの目に<まなざし>と手が、彼の絵筆とパレットが、彼の世界体験が姿を見せたのである。

 モネの選択に誤りはなかった。あまりにも広々とした大地、しかも平坦な広がりのまっただなかにあっては、落ち着き場所を手に入れることは難しいだろう。ジヴェルニーは生活する人びとを手を広げて温かく迎え入れてくれるような、目にやさしい、穏やかな風景を体験させる田園だった。

(山岸健『絵画を見るということ』NHKブックス、1997年発行、172-178頁より、抜粋して引用しています。

 

モネ_最晩年の作品群の展示室より。

≪しだれ柳≫1918-19年、油彩、カンヴァス

≪しだれ柳≫1918-19年、油彩、カンヴァス

≪しだれ柳≫1918-19年、油彩、カンヴァス

≪しだれ柳≫1921-22年、油彩、カンヴァス

 しだれ柳はジヴェルニーの庭の日本の橋の近くに、モネ自らが植えたものだそうです。しだれ柳の輪郭はどんどんわからなくなっていきました。

≪日本の橋≫1918-24年、油彩、カンヴァス

≪日本の橋≫1918-24年、油彩、カンヴァス

≪日本の橋≫1918-24年、油彩、カンヴァス

≪日本の橋≫1918-19年、油彩、カンヴァス

≪日本の橋≫1918-24年、油彩、カンヴァス

≪日本の橋≫1918-24年、油彩、カンヴァス

 モネが浮世絵をみてジヴェルニーの庭につくった太鼓橋と藤棚が描かれていましたが、どこが橋で、どこが藤棚なのか、どんどんわからなくなっていきました。

≪バラの庭から見た家≫1922-24年、油彩、カンヴァス

≪バラの庭から見た家≫1922-24年、油彩、カンヴァス


 家の煙突はわかりましたが、その他は輪郭がはっきりしません。

 1926年に86歳で自宅にて逝去。86歳まで描き続けたモネ最晩年の作品群は、光のゆらめきの一瞬をとらえることを追い求め続けたモネのパレットがそのままキャンバスにのったような絵の一群でした。輪郭はほとんど描かれていないのになぜか不思議と遠くからみると輪郭がくっきりとわかりました。白内障と70代で診断され、ようやく右目だけ手術を受けたモネ。同じ景色なのに、季節、時間によって光のゆらめき、色合いが全く違っているので何枚も描き続けました。作品群からモネの生命の息吹を感じました。モネがそこにいるような、モネと対話しているような、ゆるやかな時間を過ごすことができました。







絵画を見るということ―私の美術手帖から (NHKブックス)
山岸 健
日本放送出版協会

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