たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

ヒルティ著『眠られぬ夜のために(第一部)』より_緒言二

2023年12月26日 19時14分33秒 | 本あれこれ

「しかし病気による不眠の場合でも、すでに言ったように、精神の気分をたかめ、強めることによって病気の治癒そのものが容易となりうること、そしてこの点を従来よりも一層深く顧慮すべきこと、これは将来かならずや真実として証明されるであろう。このような精神的助力は欠くことのできないものであって、病人自身の中なる自然の治癒力が、外からの医術的助力を迎えるというのでなければならない。

 このような力が内部に存在しない場合に、「気力を集中する」ように勧めたり励ましても、この力はわいてこないし、また日常の経験でもわかるように、哲学や精神的教養によってもこの力は得られない。むしろ反対に、哲学や教養は、教養ある人たちがみずからのうちに完全な無力を感じるやいなや、全く用をなさないことが多い。そのような力を得るには、ただ、われわれの外にある、ある力(それは無尽蔵に存在し、そしていつでも与えられる)にわれわれが自発的に近づき、ゆるがぬ信頼をよせるよりほかはない。この偉大な力が「弱った者に力をあたえ」(イザヤ書40の29)、また、人間の精神に弾力性とさらに心の喜びをも授けることができ、これによって肉体の病いが征服されないまでも、少なくとも軽減されるのである。」

「およそ人間の精神が非常に力強くなって、肉体を完全に支配し、ついには道徳的不正を肉体的不快、嫌悪感、神経の衰弱として感じ、反対に、真や善の行いを体の力や元気、頭脳の明晰、静かな心臓の鼓動として感じうるほどになるならば-これは人生の正しい道を進むにあたって大きな助けとなるであろう。そうなれば、肉体は精神の真のしもべとなり、担い手となって、精神の働きを妨げるどころか、これを助けることとなる。従って、大部分の病弱について、人はむしろ神に感謝し、正しい道においてその治療を求むべきであろう。そして、その病気のより高い目的をいい加減に誤解して、病気に含まれている警告や要請をかえりみないで、それを外的方法によって取り除こうとしてはならない。」

 

(ヒルティ著、草間平作・大和邦太郎訳『眠られる夜のために(第一部)』岩波文庫、16-17頁より)

 

 

 

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