いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

真尾倍弘・悦子夫妻のこと

2019-03-04 08:56:11 | Weblog

                                           分類:PV                                                                         真尾倍弘・悦子の会                                                                           連絡先  0246-56-2596(鞍田方)


 いわきを、こよなく愛した二人の足跡                                   真尾倍弘(ましおますひろ)・悦子夫妻は、東京の出版社で編集の仕事に携わっていたが、その後に土浦(茨城県)を経て、昭和24年(1949)3月に平市(現・いわき市)に引っ越してきた。                              最初は旧城跡の丹後沢の畔にあるボート小屋を借りての生活だったが、倍弘は4月に 「いわき民報社」 に職を得ると、間もなく 『現代詩研究会』 を発足して詩誌 「氾濫」 の準備号を作った。                           しかし、倍弘は持病の喘息が悪化して新聞社は1年ほどで退職。住む家は大町、六人町、平窪へと引っ越しを繰り返し、最終的には胡摩沢に落ち着き、出版社の 『氾濫社』 を立ち上げて「氾濫」第1号を発行した。悦子が書いた小説 「たった2人の工場から」 はこの頃で、NHKで放映された。                                                                                                                      《手動式印刷機と文選棚の前で作業中の二人》  


 悦子は苦しい生活の中で裁縫の内職をしたり、結婚前に誂えた着物を質に入れたりして、夫婦で手動式の活版印刷機で 「月刊いわき」 を発行したり、詩集や歌集などを次々に出している。                  昭和34年(1959)頃には、好間の菊竹山にある吉野(三野)混沌・せい夫妻を親子で訪ねて、その当時の模様を 『悼(いた)み』 という作品の中で書いている。                                                                       《左の2番目から三野(吉野)混沌、真尾悦子、吉野せい》 


  いわきに13年間住んで苦労した場所だったにも拘わらず、 『気ままの虫』 (影書房・刊)では、悦子が七十歳を過ぎてから、いわき平の思い出を回想している「引っ越しごよみ」というエッセイがある。                                                               〝東京へ戻ってきてから三十年近い年月が過ぎたが、そこ(平)はいまも何だかだと訪ねる機会が      多い、生まれ所在にも似た身近な町なのである〟 と、その思い入れの深さを記している。


 真尾倍弘・悦子の会は、夫妻の活動や作品について、年に4回(3/6/9/12月)会員が気楽に集まって、夫妻を偲び功績を讃え、活動しているサークルです。                                       真尾夫妻についてご存知の方、どんなに些細なものでも結構なので資料をお持ちの方、興味のある方は、前述の開催月の第1土曜日13時30分に、いわき総合図書館(ラトブ5階)のグループ閲覧室までお出で下さい。(・分からない時には受付でお聞きください)                                                                                                                     


    FACEBOOKでの 真尾倍弘・悦子の会  もご覧下さい                                            


 


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