朝霧深く立ち込めた朝、少し山に分け入ってみようと思った。
最近山林地主が木を売ったと聞いた。山裾に重機が並んでいる。もう丸太が積まれているところを見ると、たぶん現場はそんなに遠くはないのだろう。
お供はいつものスヌーピー。それと猫のマスキー。
山を歩くときは体中で山を感じながら歩くといい。歩くことばかりに気をとらわれず、自分が今山や木々の只中にいることを肌や内臓で実感して歩く。そうするとあまり疲れないし、山の本体というものに少しでも近づくことができる。
バックホーで俄か普請した道はくねりながらどこまでも続いていく。竹林を抜けて雑木山を越えて杉木立を進み、水の流れのあるところには細い丸太を横に並べてその上を越えれるようになっている。こうすると流れをせき止めることがない。
ホオの葉がカサリと音を立てて舞い落ちる。名も知らない鳥が突然けたたましい声で啼いた。霧は次第に晴れて木立の梢が陽射しを浴びてきた。
それまでおとなしくついてきたマスキーが、時々差し迫った声で鳴くようになった。足を止めて待っていると彼女は逡巡しながらもまた先へ進む。どうしたんだろう。彼女は元来冒険好きな猫だ。誰も行かないようなところに好んで行きたがる癖がある。
ようやく伐採現場に着いた。
径の大きい松の丸太が累々と横たわる。白い切り口がまるで傷口に覗く脂肪の肌のようだ。想像してはいたけれどやはり殺伐たるものだ。山の尾根から下へ向かって細長く植えられた、樹齢100年と言われる松の林が残らず倒されている。辺りの杉木立の中に、ここだけ日差しが入り込んで眩しい。
私たちの生きる生の一歩一歩の後ろには、いつも屍の山が残されていく。
そうか、マスキーは山の叫びを聞くことができたのだろうか。それとも松の魂が見えるのだろうか。どこか落ち着かな気だけど丸太にピョンと飛び乗って下界を見下ろしたり木の香を嗅いだりしている。芦沢のが遠い麓に霞んで見える。
山から降りるときはとても早い。行きの何分の一かですぐ麓に着いてしまう。だから山に登るときは、登りのひと足ひと足をじっくりと楽しむのが一番いい。下りは当てにできないんだ。マスキーさえも小走りになっている。
きっと私たちの生も、登りが一番楽しめるのだろう。それが険しければ険しいほど、いい。
冒険マスキー、少しだけポーズ
ちょっと肩に力が・・・
最近山林地主が木を売ったと聞いた。山裾に重機が並んでいる。もう丸太が積まれているところを見ると、たぶん現場はそんなに遠くはないのだろう。
お供はいつものスヌーピー。それと猫のマスキー。
山を歩くときは体中で山を感じながら歩くといい。歩くことばかりに気をとらわれず、自分が今山や木々の只中にいることを肌や内臓で実感して歩く。そうするとあまり疲れないし、山の本体というものに少しでも近づくことができる。
バックホーで俄か普請した道はくねりながらどこまでも続いていく。竹林を抜けて雑木山を越えて杉木立を進み、水の流れのあるところには細い丸太を横に並べてその上を越えれるようになっている。こうすると流れをせき止めることがない。
ホオの葉がカサリと音を立てて舞い落ちる。名も知らない鳥が突然けたたましい声で啼いた。霧は次第に晴れて木立の梢が陽射しを浴びてきた。
それまでおとなしくついてきたマスキーが、時々差し迫った声で鳴くようになった。足を止めて待っていると彼女は逡巡しながらもまた先へ進む。どうしたんだろう。彼女は元来冒険好きな猫だ。誰も行かないようなところに好んで行きたがる癖がある。
ようやく伐採現場に着いた。
径の大きい松の丸太が累々と横たわる。白い切り口がまるで傷口に覗く脂肪の肌のようだ。想像してはいたけれどやはり殺伐たるものだ。山の尾根から下へ向かって細長く植えられた、樹齢100年と言われる松の林が残らず倒されている。辺りの杉木立の中に、ここだけ日差しが入り込んで眩しい。
私たちの生きる生の一歩一歩の後ろには、いつも屍の山が残されていく。
そうか、マスキーは山の叫びを聞くことができたのだろうか。それとも松の魂が見えるのだろうか。どこか落ち着かな気だけど丸太にピョンと飛び乗って下界を見下ろしたり木の香を嗅いだりしている。芦沢のが遠い麓に霞んで見える。
山から降りるときはとても早い。行きの何分の一かですぐ麓に着いてしまう。だから山に登るときは、登りのひと足ひと足をじっくりと楽しむのが一番いい。下りは当てにできないんだ。マスキーさえも小走りになっている。
きっと私たちの生も、登りが一番楽しめるのだろう。それが険しければ険しいほど、いい。
冒険マスキー、少しだけポーズ
ちょっと肩に力が・・・
あらためて考えれば、私が自信を持って言えるのは岩手県北のこの地方のことだけです。私の住む江刺は伊達藩のちょうど北辺に位置します。
稲架掛け(棒掛けを含む)は刈り取った稲を穂ごと乾かす作業です。だから脱穀した後の藁は軒下や牛小屋などに仕舞うか、またはそのスペースがない家では田んぼに数束ずつ円錐形に立てかけておいたりします。こうすると腐りがたいので後で入用な時に藁として使うことができます。
所によっては蕎麦や雑穀などを刈り取り後にこのように円錐形に立てて乾燥させたりしますね。でも稲の場合はあくまで稲架や棒掛けのようにして乾燥させますよ。穂が垂れるからなのかもしれません。
ハンノキのことを土地の古老に訊いてみました。そしたら昔は湿地によく生えてたけれど、最近は見ないなあとのこと。またこの地方では立ち木に直に稲をかけるやり方はしてなかったそうです。どこの家も稲架を組んだみたいですね。
またハンノキは細く長い反面木の筋目が螺旋状に捩れていて、折れにくく曲がりにくいようです。成長がとても速いとも言ってました。でも薪にも炭にも建材にも向かない木だったから、昔林業の盛んだったここではあまり役に立たない木だったそうです。
松脂ハンダのご説明、どうもありがとう。なんとなくわかりましたよ。
畦道の榛の木の枝に横木を渡して刈った稲を干す「はさ」(貴地では「はせ」というのですね)は新潟で見かけ、いまはもう木が残っているだけです。刈った稲は太陽に干すと美味くなるといって、自家用の米だけは今でも干しているところがあります。ただし越後では榛の木だけとは限らないようです。で、確認ですが、棒掛けはすでに脱穀した藁を積み重ねるのですよね。
松脂ですが、それ自体が半田付けの接着剤になるのではありません。接着するのは鉛のような金属で、金属と金属をくっつけるのですが、松脂は半田鏝に鉛がくっついてかたまらないようにするための「緩衝材」(?)のような役割を果たします。油が円滑剤となるような感じでしょうか。ちょっといまうまく説明できませんが。
秋に新幹線に乗ったりするとこの稲架の様子で通過位置がわかるんですよ。子どもの頃に面白いなと思ってました。
榛の木(ハンノキ)だったですか。生きてる木に直に掛けるのは見たことないです。でも昔はやっていた可能性もあるので、いずれにせよ古い人に訊いてみます。おっしゃるとおり何でも機械化で、畦畔の草刈も刈払機でやるものだから木が生えてると邪魔なんですよ。それで無くなった風習の可能性もあります。しばらくお時間ください。
松脂がハンダに使えるとは驚きです。なるほど時間はかかるでしょうが、固まればくっつくのですね。
もう秋も深まりました。今日冬支度で薪割りをしましたが、松や杉のヤニが手についてなかなか洗い落とせません。
歩く道、旅する道でいろいろなものに目を留めるのは楽しいですね。私もいつかまた旅をして歩きたいです。
その前のことは知らないのですが、雪国に行くと、田んぼの脇にすっくと立った木が植わっていて、これを軸にわらを積み重ねているところがあります。たとえば琵琶湖の湖北なんか。
最近は機械化が進んでいるでしょうから、こうしたことも消えてしまったでしょうが、田んぼの脇に植えられて、稲乾しなどに使われたのが、おおくハンノキです。自生のものが山間の低地にはけっこうあって、20mくらいの高さになります。
この樹皮がはるか昔から、染色用に使われていました。そんな風習がお近くに残っていないだろうか、松のついでにふと思いついたものですから。
松といえば、樹液を採集して子どもの頃にハンダ付けに使っていました。いい香りなんですよ。岩手辺りに多いメノウはこの化石だそうです。このメノウを燃やすと、やはり不思議な香りがします。
俗に「松喰い虫にやられた」と言われる松枯れ病ですね。こちらでも毎年見回りが来て枯れた松から倒していってます。原因は何なのか、何年か前に耳にしたのは「線虫」によるものだとのことでしたが、実際はどうなのか私もよく知らないのです。
榛は「ハシバミ」と読むのでしょうか。木にはあまり詳しくないので、今度よく知ってる人に訊いてみます。私の知ってる木といえば、家の周りにあるか食べれるものばかりですから。もしハシバミが食べれるもので近くにあるとするならば、とても関心があります。俄然調べる意欲が湧いてきました!
東北の松も松枯れ病にかかっているときいたことがあります。松島の松も防戦中だとか。何十年もまえから九州辺りでスタートした症状が徐々に北上していったようです。かつては線状の小さな虫が原因といわれていましたが、いまではもっと正確な原因が確定されているはずです。手当てがめんどうだから、枯れる前に伐採する手がよく行われているようです。
ところで岩手辺りには、榛の木はありますか? 田んぼの畦に植えられているものはあるでしょうが、山間に自生したものって、日常的な材木として利用されているでしょうか? ついでで結構ですので、もしご存知なら、教えてください。