私が「オーブ」関連の記事を書き始めてから4ヶ月近くなる。
サイドバーの「マルちゃん・ストーリー」に収められている作品を数えてみると16にもなっている。我ながら不得手なテーマながらよくやったものだ。
しかし自己評価とは裏腹に、昨日で校了した「風雲!山ノ神」などは記事4日分で反響が無きに等しい。これも我ながら驚いたことだったが、結果的に私がBLOGを始めて以来の一番「詰まらない」記事になってしまったことになる。
これは自分が傍目からは「オーブ」というイベント性に群がる人のひとりになってしまったのだろうということだし、また心に引っかかるものを持って書いてもいいものはでき難いということでもあろう。今回改めて自分のBLOGに対する関わり方を見直させられることになった。
それと、「もう、いい加減こんなことはやめなよ!」という内なる声を耳にしたことも事実である。
私には初めから「戦隊もの」の、正義や平和を振りかざして敵を殺す状況設定には全然ついていけないところがあった。その意味でマルちゃんを書くことは、実は私にとっては心に無理を伴うことだったのである。
ではなぜ、今日までこんなに記事を書き続けたのか。
それはひとえに、消極的だったにせよオーブの登場人物「猫家マル」に名前を貸してしまったからに他ならない。
これは私のオリジナル漫画、猫家を舞台にした「マルダヌキ物語」から付けられたものである。そのことが無ければ私が戦隊ものに関わることも無かっただろう。
「マルダヌキ」は一昨年の夏から私がコツコツと描き続けて来た、自分にとって殊更思い入れ深いものだ。インターネットを始めたのも、いずれその物語を公開しようということが動機にある。
「猫家マル」が現れた頃、既にマルダヌキの物語の荒筋はできていたし、下絵も200枚を越していた。
ゆくゆく何らかの形で発表しようとしているマルダヌキにとって、先行する「猫家マル」に対してのイメージが将来何がしかの影響を及ぼして来ることは充分あり得ることだと思った。
ところが無闇に正義を標榜して敵を叩くアメリカ的な発想は、マルダヌキの主要なテーマとまったく噛み合わない。そもそもこれが悪、こちらが正しいという現代の日本にも蔓延っている価値観に一石投じようとした試みが、漫画の構想の中にある。
そこで実際困ってしまったのだが、ここは一番思い切って自分が「猫家マル」のキャラクター作りに積極的に関わってみようと思った。
マルちゃんにはただ可愛く、かっこよく悪を倒すヒーローではなく、命の本当の尊さをわかり集団が省みない小さなものにも心を留め、時には敵であろうとその心中を推し量るような人物像になってもらいたいと思った。
そのような試みの中で、私の「マルちゃん」は描かれ続けたのである。
でも今となってみれば、オーブ全体の意思の中でそのような人物像は次第に受け容れられ難くなって来ているようだ。
そして私自身、もうこれ以上自分の心に無理をすることができなくなっている。
オーブの「猫家マル」はこれからもたくさんの人たちの思いの中で動き、活躍し、変貌していくだろう。
しかしマルちゃんは、いつまでもそこに生き続けることができない。
都会の喧騒と人々の争い、さまざまな思惑のせめぎ合いの中で、彼女のような人間はその人格を維持できないのである。
マルちゃんは、ある面から見れば私の心の無理が産み出した中途半端な存在ではあるけれど、猫家の世界ならば再び居場所を見つけることができるかもしれない。
そして今、マルちゃんはふるさとに帰って来る。
今まで「マルちゃん」を呼んでくださった方々、短い間でしたがどうもありがとうございました。
前作が私のオーブ関連、最後の作品になります。
サイドバーの「マルちゃん・ストーリー」に収められている作品を数えてみると16にもなっている。我ながら不得手なテーマながらよくやったものだ。
しかし自己評価とは裏腹に、昨日で校了した「風雲!山ノ神」などは記事4日分で反響が無きに等しい。これも我ながら驚いたことだったが、結果的に私がBLOGを始めて以来の一番「詰まらない」記事になってしまったことになる。
これは自分が傍目からは「オーブ」というイベント性に群がる人のひとりになってしまったのだろうということだし、また心に引っかかるものを持って書いてもいいものはでき難いということでもあろう。今回改めて自分のBLOGに対する関わり方を見直させられることになった。
それと、「もう、いい加減こんなことはやめなよ!」という内なる声を耳にしたことも事実である。
私には初めから「戦隊もの」の、正義や平和を振りかざして敵を殺す状況設定には全然ついていけないところがあった。その意味でマルちゃんを書くことは、実は私にとっては心に無理を伴うことだったのである。
ではなぜ、今日までこんなに記事を書き続けたのか。
それはひとえに、消極的だったにせよオーブの登場人物「猫家マル」に名前を貸してしまったからに他ならない。
これは私のオリジナル漫画、猫家を舞台にした「マルダヌキ物語」から付けられたものである。そのことが無ければ私が戦隊ものに関わることも無かっただろう。
「マルダヌキ」は一昨年の夏から私がコツコツと描き続けて来た、自分にとって殊更思い入れ深いものだ。インターネットを始めたのも、いずれその物語を公開しようということが動機にある。
「猫家マル」が現れた頃、既にマルダヌキの物語の荒筋はできていたし、下絵も200枚を越していた。
ゆくゆく何らかの形で発表しようとしているマルダヌキにとって、先行する「猫家マル」に対してのイメージが将来何がしかの影響を及ぼして来ることは充分あり得ることだと思った。
ところが無闇に正義を標榜して敵を叩くアメリカ的な発想は、マルダヌキの主要なテーマとまったく噛み合わない。そもそもこれが悪、こちらが正しいという現代の日本にも蔓延っている価値観に一石投じようとした試みが、漫画の構想の中にある。
そこで実際困ってしまったのだが、ここは一番思い切って自分が「猫家マル」のキャラクター作りに積極的に関わってみようと思った。
マルちゃんにはただ可愛く、かっこよく悪を倒すヒーローではなく、命の本当の尊さをわかり集団が省みない小さなものにも心を留め、時には敵であろうとその心中を推し量るような人物像になってもらいたいと思った。
そのような試みの中で、私の「マルちゃん」は描かれ続けたのである。
でも今となってみれば、オーブ全体の意思の中でそのような人物像は次第に受け容れられ難くなって来ているようだ。
そして私自身、もうこれ以上自分の心に無理をすることができなくなっている。
オーブの「猫家マル」はこれからもたくさんの人たちの思いの中で動き、活躍し、変貌していくだろう。
しかしマルちゃんは、いつまでもそこに生き続けることができない。
都会の喧騒と人々の争い、さまざまな思惑のせめぎ合いの中で、彼女のような人間はその人格を維持できないのである。
マルちゃんは、ある面から見れば私の心の無理が産み出した中途半端な存在ではあるけれど、猫家の世界ならば再び居場所を見つけることができるかもしれない。
そして今、マルちゃんはふるさとに帰って来る。
今まで「マルちゃん」を呼んでくださった方々、短い間でしたがどうもありがとうございました。
前作が私のオーブ関連、最後の作品になります。
まぁ、あれです。私もマルタの記事(終わってないけど)ほとんど反響が無かったですから(笑)
今は波が凪になっているので、また次の波を待っています。
アグリコさん、無理なさらずに。マルダヌキ結構好きですよ。絵本となって、ハードカバーになれば、アダン。に見せてあげられるのに・・・
マルタを読みたくていつも開いていたんです。
最近マルタがなくなってしまって、残念に思ってました。
事情を聞いてたから急かすのも気が引けたしね。
連載ものの場合、読んでる方は毎回コメントを書きづらくなるのでコメントが少なくなることは止むを得ませんね。
今でも私はマルタを待ってますからね。
正直に申し上げますと、「風雲!山の神」は、ちゃんと読んでいないんですよ。
誤解しないでください。言い訳になってしまいますが、忙しかったので、「物語としての長文」は、もうすこし後で読ませていただこうと思ってたんです。
先週、ブログの本格移転を決めまして、全データを移そうとしたら、コメントがうまくできなかったんです。そのため、約10ヶ月分の全コメントを、テキストエディタで読み込んで、ひとつずつ手作業で改行部分をタグに置換するという馬鹿くさい事をやっているんです。
アグリコさんを初め、たくさんの方からいただいたコメント。大切な財産ですし、変換しながら10ヶ月間の反省をしたり、思い出が甦ったりして、楽しい作業なので苦にはならないのですけど、なにしろ、毎日2時間近くかけて、1日につき1ヶ月分を新サイトに持っていくのがやっとです。
でも、自分のところのコメント転送編集をして懐かしんで「コメントは財産」とか言っているのに、アグリコさんにはコメント書いてあげられなかった。矛盾しているかもしれませんね。
ただ、解ってください。
こんな状態で、力作の小説を読ませていただいても、「面白かったです」という程度の、おざなりの言葉しか書けないような気がして。それこそ、アグリコさんに失礼ですから。
俺がこんなことをいうと生意気ですが、オーブ全般について、停滞期なのかなとも思います。4ヶ月ですもんね。
でもね、ペースダウンしても、もう少しは続く気配・手応えも、確かにありましょう。だから、アグリコさんも、「風雲!山の神」をお書きになったのでしょう。
いや、誰がどうしようと、その方の自由なのは言うまでもありません。止める気はありません。
ただ、俺の気持ちを、少しでも解っていただきたくて。本音で書かせていただきました。
アグリコさんの「命の尊さ」「自然愛」みたいな物は、マルを通して、伝わったと、俺は思いたいです。
「心に無理を伴うものだった」と吐露されるのは否定しませんが、どうか、「BLOGを始めて以来の一番「詰まらない」記事になってしまった」なんて悲しい事は言わないでください。
生意気言ってごめんなさい。
俺は、もう少し、オーブ関連を続けます。「猫家マル」も「大岳あぐり」も、動かします。
ともかく、お疲れ様でした。
「オーブ」に限らず、また、楽しくて暖かい作品を読ませていただけることを願うばかりです。
そんなことがありますよね。
今回はいいきっかけを得たと思っています。
驚くような偶然と見えるものの重なりの中で針の穴ほどの可能性の扉を叩く時もあります。
でも、それは不思議でもなんでもなく、自分が心の中で望んだ道を選ぶのに、そうせざるを得ないような状況を無意識に作っているのかもしれません。
オーブに関わったのも、記事を書いたのも私自身の選択の中でしたことであり、充分に楽しいこともありました。
そして今、またひとつ自分の選択を積み重ねていっているのです。
びといんさんに巡りあえたことを感謝してますよ。決して気に病まないでくださいね。
それは私のために起こるべくして起こったことなんです。
今回も身につまされたのは、
自分を偽りながら心を込めた作品を産むことはできない、
ということでしょうか。
「正義の味方が悪と闘う」ことを認めない自分には、どだいオーブの物語は書けなかったのです。
時に体に纏い付き、体を凍えさせる雪ですが、溶ければ水となって体を潤す。
誰もが持っているそんな二面性、多面性を承知した上で、できるだけ「丸ごと」すべてを受け容れたい。
そんなメッセージをマルダヌキは持ってるのですよ。
これからも付き合っていきましょう。
うう・・・
agricoさんのマルちゃん、
苦悩しながらも誰かを守るために敵と戦う姿勢が
とても好きだったんですけど・・・。
残念だけど、agricoさんのお気持ちもなんとなく理解できそうです。
お疲れ様でした。
楽しませてくださって、
ほんとうに、ありがとうございました。
また、マルちゃんに会える日もあるかな?
作品には自分にあるものしか出せない。
例えまったくの創作として描いたとしても、
どこか自分の見えない部分が表れてたりしますね。
だから誰しも、自分の作品を自分のことのように大切にするんですね。
マルちゃんにも私の持っている悩みや葛藤が出てたのかもしれません。
あん♪さんの絵にはいつも小さな夢がたくさんありますよ。
そんな小さなものを育てて、いつか大きな夢のある創作を作って行きましょうね。
長い間、オーブに良質の物語を御提供頂き、本当にありがとうございました。
アグリコさんのおかげで、「猫家マル」は、もっとも人間味溢れるキャラクターとなりました。
ある意味、それに甘えてしまって、きちんと感想やコメントを返せなくなった事が、アグリコさんの折角の気を削いでしまった形となり、とても申し訳なく思います。
そこで、こんな事は言えた義理ではないと思いますが、できれば「最後」なんて言わないでください。
長い長い九才ということで。^^
そして、また、気が向いたら「戦隊」のマルでなくても構いません。
田舎で「生きている」マルを書いて欲しいなと、思います。
最後に、改めまして、これまで本当にありがとうございました。
是非、またの機会に
といっても、ネットで公開できるまでにはまだまだ時間がかかりそうですけどね。
今回オーブに関わらせてもらって、自分を見直す面でいい経験になりましたよ。
正直言うと、あのようなBLOGの使い方は自分の向きに合っていないみたいです。
わざわざありがとう。
ようやく復活しつつあります。
マルちゃんへ向けての僕なりのメッセージを
物語にしてみましたので、
よかったら、お読みくださいまし。
という驚きをくれたagricoさんにまず感謝します。
そして、文章も、自分を偽りながらも、こんだけのレベルの話を書いていたということに驚きます。
その時間の苦しみは、わかるとまではいいませんが、想像できます。お疲れ様でした。
書きたいものを書きたいときに書けるだけ書けるのがアマのいいところなのに、創作物をひねり出すプロの苦悩を強いてしまった一因が私にもあるんじゃないか?と少し責任を感じます。
実は私も、昨年末に一度、最終回を書くことを提案したのです。
最終回を書いて、一度広げた風呂敷を閉じて、そこから広がるのであれば広がるし、終わるのであれば、その時期であろうと考えたわけです。
しかし、あの水彩画タッチで描かれた戦車の挿絵が、私の中では強烈に残っております。