アグリコ日記

岩手の山里からお届けするさまざまな動物や植物、生き物たちとの共同生活。

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人種差別撤廃提案の顛末

2009-01-28 21:41:45 | 思い
 リンカーン、マルコムX、キング牧師、ケネディ・・・。これらの人々の共通点は何かと問われれば、アメリカ史に詳しい人ならば間髪をいれず「黒人開放のために闘った人々」と答えるだろう。「有色人種への差別をなくすため」と言い替えてもいい。そのとおり。彼らは人が奴隷として使われることに素朴な疑問を感じ、人間の平等と尊厳を守るために活動した心ある人々の象徴なのだ。この当たり前のことを当たり前のことにするために、既に500年以上が経過したのだが、しかしそれは今に至っても充分成し遂げられたとは言えない。アメリカの社会は良心というものに対して決して寛容ではなかった。
 ささやかな人類愛を体現するために、彼らは時として生命を投げ出さねばならなかった。それはこの4人がみな暗殺されたという事実が雄弁に物語っている。このうちマルコムXについては、彼が元所属していたイスラム系過激派組織による犯行と言われているが、同時にCIAやFBIの関与も取りざたされている。不思議なことに国家的重要人物が暗殺される際には、往々にして暗殺者の身元や黒幕などがうやむやになってしまう場合が多い。ケネディの場合などは、未だに事の真相がわからないどころか、国家当局が事実の隠蔽に一枚噛んでいる節まで伺われる。
 いずれにせよ米国には、植民地時代から現代に至るまで「力のある人間平等主義者」を生かしてはおかない気質があった。その根源がどこにあるかというと、当然現在被差別側にある黒人や黄色人、インディアンやヒスパニック系にあるわけではなく、生粋の白人側にあると考える方が正しい。宗教上の差別から逃れてやってきたピルグリム・ファーザーズの子孫たちは、差別されることに肯んぜずとも自らが他を差別することには躊躇しなかった。その対象は常に彼らの持つ力で容易に屈服せしめることのできる経済的・社会的・数的弱者である。また最近私は、その対象が単に「人」に限らなかったということにも気づいた。人種差別主義者の前に立ちはだかる者は、相手が人であろうと「国家」だろうと、等しく殺戮と虐待の対象となりえたのだ。

          ☆        ★        ☆
 
 当時、有色人種による国の中で、国際舞台で唯一対等に発言できる国は日本だけだった。第一次世界大戦が終焉した、今からおよそ100年前のことである。辛くも列強の植民地化戦略から免れ、国内において強引な富国強兵策をとり日清・日露と勝ち抜いてきた日本は、少なくとも軍事力の面では米欧の大国と比肩しうるほどになっていた。が、それは、非白色人種によるたったひとつの近代国家という、奇異で孤独な立場であった。
 1919年大戦後のパリ講和会議において、アメリカのウィルソン大統領は「国際連盟」の設立を提唱する。日本は牧野伸顕男爵を全権として会議に臨み、その席上で「人種平等条項」を規約化することを主張した。その主旨並びに背景については、当時の朝日新聞がよく説明している。

 我全権が最も注意と努力を要するものを問はば、(中略)人種的均等待遇に在ると答ふるならん。(中略)蓋し国際平和を害し、四海兄弟主義を打破する重大なる要素は、人種の不均等待遇若しくは人種的軋轢たり。(中略)世界人口14億5千万中9億即ち6割2分を占める有色人種の為めにも(中略)真実なる実現を期せず可からず。

 日本は白人至上主義と不平等条約に長年悩まされてきた経験から、人種差別撤廃という理想を実現したいと同時に、カリフォルニア移民問題に代表される米国内での日本人差別問題を解決しようとする意図も持っていた。当時アメリカでは中国系・日系移民に対する国内の反発が強まっており、移民制限や財産没収などの法的措置が採られ始めていた。移民問題については多くは受入国の裁量権限内にあり、日本人側にも若干の問題点はあったとはいえ、日本政府にとって海外で苦しい立場にある自国民(主に日本国籍を有する一世)をできるだけ保護しようと思うのは自然の成り行きでもあった。
 しかし事情や背景のいかんにかかわらず、国際会議において人種差別撤廃が明確に主張されたのは、これが史上初めてのことである。

 しかしこの案に対する列強の反応は、冷たさを通り越してむしろ敵意を感じさせるものだった。特に多くの植民地を持つイギリスやオーストラリアなどは猛反対した。イギリス代表セシル卿は、人種平等に関する日本案には「いかなる形式のものであろうとも、イギリスは絶対に同意しないであろう」、また、これは「極度に深刻な難題」を生むので、討議をいっさい延期すべきと主張した。
 アメリカ代表は「こんな危険な条項を含んでいる規約を批准しようという夢を見るような州はアメリカには一つもないだろう」と。また国際連盟委員会において「ジャップには絶対に喋らせない」とも言っていたという。(特にアメリカの反対には、アメリカ国内で、特に共和党の人種差別撤廃反対論を無視することができなかったなどの事情があったとの見方がある)
 会議は白熱し、議長を務めていたウィルソン大統領は自国としての進退を決しかね、会議を延期して翌日急遽ワシントンに帰ってしまう。そして姑息にも、日本案を黙殺した連盟規約案を印刷・配布することによって、日本の提案を無視した規約の既成事実化を計ろうとした。
 一方、日本代表団は原案では到底採択の見込みはないとして、「人種」という言葉を削除して、「国家平等の原則と国民の公正な処遇」という文言に書き換え、加えて規約の条文から拘束力のない前文に移した修正案をあらためて提出。この提案に関する最終決定は、4月11日の国際連盟委員会において、ワシントンから戻ったウィルソン大統領を議長として行われた。
 日本代表は、今回文言を緩和した修正案は移民制限の問題とは関係なく、国民の平等と各人の公正な待遇の原則を確認する以外の事を求めてはいないと説明。そしてこの原則を拒否することはすなわち、連盟加盟国である他の国を平等と見ていないことを示すものだと主張した。更に「この案は日本国民の揺るぎない意思」だと。
 日本側の地道な説得交渉と理路整然とした再提案に対して、会議参加国は概して率直な反応を示した。イタリア代表は「この修正案が提起された以上、採択する以外に解決策はない」と発言。それまで中立的であったフランス代表は「正義という大原則である。拒否するのや不可能だ」と言い、さらに中国、ギリシア、チェコスロバキアの代表が強力な賛成演説を行った。
 修正案は採決の結果、16票中11票の賛成を得るに至り(反対または保留はアメリカ、オーストラリア、イギリス、ポーランド、ルーマニア)賛成多数により可決かと思われた。しかしこの時一転して、議長であったウィルソンは、それまで全ての議題が多数決で採決されていたにも関わらず、突如「重要な議題については全会一致が必要である」として日本の提案を退けたのである。
 ウィルソンは急いで次の議題に進もうとしたが、牧野全権はそれを遮って激しく遺憾の意を表明し、少なくともこの会議で過半数の賛成票があったことを議事録に記述するよう求めた。これらの事実関係から、アメリカは当時にして今と同じような体質を持っていたということ、同時に日本の方は、今や昔日に比べて気概も外交力も著しく失ってしまったということがわかる。

 アメリカでは折りしも第一次大戦に参加した黒人兵たちが完全な市民権を要求する運動を起こしていたが、自国の政府が人種平等の原則を支持しなかったことに怒りを噴出させた。この年シカゴ、ノックスヴィル、オマハ、それに首都ワシントンで大規模な黒人暴動が発生する。警察、陸軍、州兵が動員され、100人以上の死亡、数万人の負傷者が出たという。
 結果的に、ウィルソン大統領自身が提唱した国際連盟にアメリカは参加しなかったのである。その主たる理由は国家主権と人種差別との関係にあったと言われている。当時アジア系移民が大量に流入していた米国は、なんとしてもその制限と管理を他からの干渉なしに行いたかったのだ。
 米国ではそれまでも州レベルの「外国人土地法」(1913年カリフォルニア州)によって日本人の土地所有を禁止していたのだが、さらに1920年には借地さえも禁止する。続いて1924年いわゆる「排日移民法」を制定し、日本からの移民自体が事実上禁止される。これに対して日本はアメリカに対して外交ルートで断然抗議を行うが、この法によって日本からの移民は以後28年間に亙って完全に遮断されることになる。
 こういった一連の流れと両国の対立感情は、その後の太平洋戦争へと繋がる一因となった。アメリカは大戦の勃発を受けて1942年ただちに日系アメリカ人隔離法を施行。当時米国には日本人移民と日系人約25万人がいたとされているが、そのうちおよそ13万人近くが市民権を剥奪され着の身着のままで各地の収容所に強制収監され、終戦まで抑留される。なお、このような無差別かつ長期に亙る強制隔離は、他の枢軸国側であるドイツ系やイタリア系移民に対しては行われなかった。
 日本はかつて、いささかの思惑と利害はあったにせよ、アジア人としての自覚と使命感に燃えて、悪条件下にある国際社会において高邁な理念を貫こうとしたこともあったのだ。しかし最終的には白人社会に潜む頑強な人種差別の壁に阻まれて、アメリカ国内の人種平等主義者が辿ったのと同じように、「暗殺」同様の憂き目に会ってしまったのである。




*この記事を書くに際して以下のサイトなどを参考にし、文中一部引用しました。
「世界で初めて人種差別撤廃を求めた国、日本」ー日本ハッケン



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