高橋尚子応援ページ

世界新記録を達成したベルリンマラソンを1キロまで一緒に走りました。Qちゃんが北京五輪出場されるまで一生懸命応援続けます。

高橋尚子選手渡米

2007-05-30 21:33:24 | Weblog
女子マラソンのシドニー五輪金メダリスト、高橋尚子(ファイテン、本社客員)が29日、高地合宿のため米コロラド州ボールダーへ向けて出発した。

 北京五輪代表選考会を兼ねる11月の東京国際、来年1月の大阪国際、同3月の名古屋国際の3大会のいずれかに出場し、2大会ぶりの五輪出場を目指す。

 高橋は成田空港で「まだ出場レースは決めていませんが、狙っているのは五輪出場なので、どこかでちゃんと決めたいし、元気な姿を見せて、パワーを感じ取ってもらえるレースをしたい」と語った。

 8月末から9月にかけて米国内で練習の一環としてハーフマラソンを走り、9月末には出場する選考レースを決める予定。昨秋のようにボールダーに寒波が早めに訪れた場合は、10月初めに帰国し、温暖な中国・昆明の高地に移り合宿する。

 今月で35歳になった。「ここ2、3年の内容にこだわらず、(陸上を始めてからの)22年間を振り返りながら、バランスの取れた練習をしたい」。経験を生かして北京行きの切符獲得へすべてをかける。


「トラックで言えばあと1周。最後の鐘は鳴っている」

2007-05-12 20:27:59 | Weblog
女子マラソンのシドニー五輪金メダリスト、高橋尚子(ファイテン)が5日、横浜市内で行われたイベントに参加。6日が35歳の誕生日となり「節目の年、大切な1年になる」と目標の北京五輪へ向け気を引き締めた。
 五輪代表決定は来年3月で残り1年を切っており、「トラックで言えばあと1周。最後の鐘は鳴っている」。関係者によれば、今月下旬に米ボルダー合宿へ出発し、夏に米国、欧州、国内のいずれかでハーフマラソンを走る予定だという。
 この日はトリノ五輪女子フィギュアスケート金メダリスト、荒川静香からメッセージ付きのケーキを贈られるなど、一足早いお祝いも受け「一日一日を悔いなく過ごしたい」と誓いを立てた。軽視していた日焼け止めなど紫外線対策も「考えていく」と、悔いも肌のシミも残さないつもりだ。

「チビリンピック2007」

2007-05-10 21:52:19 | Weblog
シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子(35)=ファイテン=が5日、横浜市の日産スタジアムで行われた「チビリンピック2007」にゲスト参加し、6日の35回目のバースデーをひと足早く祝福された。
 来年の北京五輪出場へ向けて正念場となるこの1年について高橋は「とても大切な時間になると思う。与えられた24時間で悔いが残らないよう、胸を張って過ごせていけたら」と思いを明かした。
 年齢の重みは感じているが、決して後ろ向きではない。「同世代のヌデレバさん(ケニア=アテネ五輪銀、34歳)やラドクリフさん(英国=05年世界選手権金、33歳)が世界のトップレベルで頑張ってるのは励み」と力強く話した。
 高橋は今月末、恒例の高地トレのため、愛犬ラッピーとともに米ボルダーへ渡る。7~9月ごろに国内または欧米で行われるハーフマラソンに出場後、五輪選考3レースから絞り込む予定。
 「今までは四捨五入して30代だったけど、明日(6日)になったら四捨五入という言葉を忘れたい」。笑顔で放ったジョークは負けん気の証し。Qちゃんはまだまだ進化していく。

高橋尚子

2007-05-04 21:08:08 | Weblog
高橋 尚子(たかはし なおこ、1972年5月6日 - )。マラソンランナー。2000年9月、シドニー五輪女子マラソン優勝。この時の優勝タイム2時間23分14秒は現在も五輪記録。またこの五輪金メダルは日本の女子陸上種目としては初の快挙であり、この功績により国民栄誉賞を受賞。爽やかな笑顔と前向きな生き方から誰からも愛され、Qちゃんの愛称で親しまれている。2006年、自身の母校である大阪学院大学の特任教授に就任。

[編集] 来歴
岐阜県岐阜市出身。血液型はO型。母親は青森県出身。

岐阜市立藍川東中学校から陸上競技を始める。岐阜県立岐阜商業高等学校を経て大阪学院大学商学部卒業。

1997年1月26日の大阪国際女子マラソンが初マラソン。翌1998年3月8日の名古屋国際女子マラソンでは、2時間25分48秒という、当時の日本最高記録を4秒更新してのマラソン初優勝を果たす。同年12月6日のバンコクアジア大会女子マラソンは、最高気温30度を超す猛暑のレースとなったが、2時間21分47秒の驚異的な日本最高記録(当時)を達成。一躍シドニーオリンピック女子マラソンの金メダル最有力候補として注目される。2000年3月12日、シドニー五輪の選考会となった名古屋国際女子マラソンで優勝。これにより、五輪代表の切符を獲得。

2000年9月24日のシドニー五輪女子マラソンでは、ルーマニアのリディア・シモンと激しくデッドヒートを演じるが、34Km過ぎで銀メダル獲得のシモンを突き放し、そのままトップでゴール。つねにレースを引っ張る堂々たる走りは、ゴール後のさわやかな笑顔とともに、世界のマラソンファンに強い印象を与えた。高橋の五輪での金メダル獲得は、日本マラソン界の長年の悲願達成であるとともに、日本女子陸上界においても史上初の快挙だった。またゴールタイムの2時間23分14秒はジョーン・ベノイト(米国)がロス五輪でマークしたタイムを16年ぶりに更新する五輪最高記録である。これらの功績により、女子スポーツ選手として初めて国民栄誉賞を受賞。

2001年9月30日にベルリンマラソンで女性初の2時間20分突破となる、2時間19分46秒の世界最高記録(当時)をマーク。

2005年5月、リクルート時代から約10年に及ぶ小出義雄監督との師弟関係を解消。2005年6月、ファイテンと2009年5月までの4年間の所属契約を結んだ。なお同社陸上部とは別に「チームQ」として活動。

2005年11月20日、「2005東京国際女子マラソン」に出場。体調は万全ではなかったが、2時間24分39秒の1位でゴール、2年ぶりのマラソン復帰レースを優勝で飾る。2006年11月1日には、1年間の期限付きで母校大阪学院大学の特任教授に就任。

2006年11月19日、「2006東京国際女子マラソン」に出場したが、右足ふくらはぎに抱えた怪我もあり3位という不本意なフィニッシュとなった。本来なら、調整ミスのため、不参加の決断が適切だった同大会であったが、スポンサーとの関係などのため強行出場だった。しかし、重要な大会を前に毎回何かしらの故障を起こす現状に、チームQ、ひいては高橋自身の自己管理の甘さを指摘する声も挙がった。翌2007年3月11日の名古屋国際女子マラソンへは欠場したため、同年9月2日に開催される世界陸上大阪大会女子マラソンの出場を断念。2008年北京オリンピック女子マラソン代表入りは、その後の国内選考レース(2007年11月東京国際、2008年1月大阪国際、同3月名古屋国際)で挑戦する事となった。

高校の同級生にはプロ野球選手の和田一浩がいる。ただ、高橋と和田は高校時代は互いに面識こそあったものの会話をしたことは一度もなかったという。母校では高橋と和田一浩、高木守道の3人をまとめて“ビッグ3”と呼ばれている。2004年11月23日、地元の岐阜メモリアルセンターでこの3人のトークショーが行われ、このイベントは大盛況のうちに終わった。ただ、“ビッグ3”と言われながらもこの3人が顔を合わすことは滅多になく、3人がトークをするシーンが斬新だったと言う人も多かった。


[編集] 戦績
年月 大会 記録・順位
1997年1月 大阪国際女子マラソン 2時間31分32秒 7位
1998年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間25分48秒(当時の日本最高記録) 初優勝
1998年12月 バンコク・アジア大会 2時間21分47秒(当時の日本最高記録) 優勝
2000年3月 名古屋国際女子マラソン(大会記録) 2時間22分19秒 優勝
2000年9月 シドニーオリンピック 2時間23分14秒 優勝、五輪金メダル獲得
2001年2月 青梅マラソン(30km) 1時間41分57秒(当時の日本最高記録)
2001年9月 ベルリンマラソン 2時間19分46秒(当時の世界最高記録) 優勝
2002年9月 ベルリンマラソン 2時間21分49秒 優勝
2003年11月 東京国際女子マラソン 2時間27分21秒 2位
2005年11月 東京国際女子マラソン 2時間24分39秒 優勝
2006年11月 東京国際女子マラソン 2時間31分22秒 3位



巨人5000勝

2007-05-03 13:23:23 | 巨人軍応援ページ
<中日3-5巨人>◇2日◇ナゴヤドーム
 巨人が中日との延長11回の激闘を制し、プロ野球史上初の球団通算5000勝を達成した。3-3の11回表、2死一塁からデーモン・ホリンズ外野手(32)の右翼線三塁打で、一塁走者・鈴木尚広外野手(29)が一気に生還。最後はストッパー、上原浩治投手(32)が3連投、プロ初セーブで締めた。ウイニングボールは原辰徳監督(48)に手渡された。まさに今年の巨人を象徴する戦い方で、歴史に残る1勝を飾った。(日刊スポーツ)