利久(Rikyu)の「エイジング・サポート実践研究会」ブログ

エイジングする人とまちをサポート
看取り援助から地域居住へ・・・情報&ネットワーク、エイジングの新たな価値創造へ

マズローの欲求階層説から考える生活援助

2014年08月21日 | 日記
特養入居者のニーズを心理学者マズローの「欲求階層説」(図表)に照らし合わせて考え、日ごろのサービスを構築してみると参考になります。





まず、入居が必要な状態になった時期から入居した初期は第一階層の「生理的欲求」への対応です。

これは生きる上で必要な根源的な衣食住などに対する欲求といわれています。
高齢期を迎え、病気や転倒などの家庭内事故をきっかけに心身に障がいをもつリスクが高まります。
たとえば、今まで住んできた自宅において、一人で食事や排泄をすることが少しずつ難しくなっていく。
最初は介護保険の在宅サービスを利用して、何とか頑張って自宅での生活を継続してみます。
しかし、だんだん衰えていくという不安に苛まれ、日々「これからどうして生きていこうか」と葛藤するようになります。
こんな状態が長く続くことによって、心身のダメージは大きくなります。
高齢者本人だけではなく、同居する家族の大きな「心身の負担となっていきます。離れて暮らす家族にも影響を与えます。
ところが、在宅から特養へ入居するとどうなるでしょう。この不安や負担に対する「生理的欲求」は、すぐに満たされることとなります。
特養入居それ自体が欲求を満たすことになるわけです。

しかし、入居後しばらくすると「安全の欲求」という第二階層に入ります。

身体機能に合わせて安心してお風呂に入りたい、車イス利用中に転ばないように移動したいなど、安全・安心の維持への対応が求められます。
その後、この二つめの物質的な欲求も満たされるようになると、精神的な欲求へと変わり始めます。

第三階層は「親和欲求」といわれるもので、集団に帰属し、他者との関わりを求める社会的欲求です。
特養も共同生活の場です。職員の言葉遣いへの不満や、入居者同士のトラブル発生もこの欲求が起因していると考えることができます。 

さて、特養の生活も数カ月経ち、安定してくると、他者から認められたいという第四階層の「承認欲求」へと進みます。
私たちはおひとりお一人をきちんとお名前で声かけをし、いつでも「あなたを大切に思う」というユニットケアの基本思想である「個別ケア」の専門性をもって接することが必要になってきます。

これが満たされると、欲求はさらに高まり、第五階層の「自己実現欲求」へ移行していきます。
障がいがあっても自分の残存能力を発揮して創造的活動をしたいという最も上位にあたるものです。施設で暮らす高齢者に「どう生きたいか」という質問をすると「人の役に立ちたい」と答える方がたくさんいらっしゃることに驚きます。
最初は「家族へ迷惑をかけたくない」というネガティブな発言が、段階を経て人間の存在価値を示すポジティブな表現へと変わっていくのです。

さらに上の欲求「看取り」に応える

私は、特養で暮らす高齢者には、「自己実現欲求」のさらに上の欲求が存在しているように感じています。

それは「後悔なく人生の最期を迎える」という「死」に対する欲求階層があるのではないか、と考えています。
あるいは自己実現欲求の理想的な到達点といってよいのかも知れません。

この考え方は、特養の看取り援助によって人生の幕を閉じられた入居者に教えられ、援助を重ねるたびに確信に変わってきました。

ユニットケア考~家族の単位

2014年08月21日 | 日記
ユニットケアは
もともとケアに対する考え方でした。

ユニットケアとは個別ケアのことです。
あくまで一人ひとりの生活を支えるために考えられた手段でした。

一人ひとりの高齢者の生活に向き合うために必要とされた個室。

1人の介護職員が個別ケアができるのは何人までなのか?
その視点でユニットの人数は何人までが適正なのだろうか。
お母さんが家族1人ひとりに対応できる食数は?
すなわち家庭内の人数。
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、子ども4人くらい、そして犬が1匹。
介護職員がお母さん代りになるために必要なことは何だろう。

地域ごとに生活文化があります。
その歩みは伝統となり、歴史を作り上げてきました。
人の数だけ生活があり、それは物語となりました。

しかしそれはユニット型特別養護老人ホームという制度となり、こうあらねばならない、という制限ができてしまいました。
特別養護老人ホームは生活の場であり、地域福祉のための生活文化拠点です。

そろそろ我々のユニットケアの歩みを尊重して規制緩和してほしい。
高齢者の生活を支えるためです。




第三回一般社団法人日本ウエルエージング協会セミナーで講演します

2014年08月20日 | 日記

第三回一般社団法人日本ウエルエージング協会セミナーのご案内


2014年9月10日(水)18時~21時
会場;アルカディア市ヶ谷


今回のセミナー・テーマ
「あなただって認知症にならないとは限りません」

〔第一部〕小川の講演テーマ
「認知症になっても諦めることはありません」

〔第二部〕司法書士;勝猛一さんとのリレー講演です。
「認知症になっても安心、の任意後見制度とは?」

参加希望の方
メールかFAXで申込みできます。

メールアドレス
office@wellaging.ne.jp

FAX番号
03-5371-1410









一般社団法人日本ウエルエージング協会は、小川利久は理事を務めております。



距離感から考える生活援助(介護)

2014年08月20日 | 日記
生活援助(介護)の仕事は高齢者のパーソナルエリアに行わることが多くなります。
特に個別援助を行う際にはその頻度が高まります。

ソーシャルエリアでの接し方とは異なるはずです。






すなわち手が届く範囲に入り込み、触れ、服を脱がせ、抱き付き、陰部まで触れていきます。

そこでは信頼関係をとっておかなければ援助(介護)拒否や抵抗が生まれてしまいます。

パーソナルエリア内で行われる個別援助は目線を水平から下に保ち、息づかい、声のトーンまでを合わせなければなりません。

そして共感・共振し、寄り添うのです。

それが個別援助の基本です。









「メラビアンの法則」から考える生活援助(介護)

2014年08月19日 | 日記

メラビアンの法則という心理学から職員が高齢者へ接するときのポイントを考えてみます。

言葉の情報は7%しか伝わらないと言われています。
表情は38%、態度は55%をシェアしています。





この法則を知っておくと
言葉遣いのほかに笑顔で接するということ、目線を合わせて接するという重要性がわかってきます。

高齢者介護施設で暮らす高齢者は職員と接するときにメモをとってくれる訳ではありません。
しっかりと向き合うことが必要です。

生活援助(介護)の基本はコミュニケーションのとり方から始まります。




ユニットケア考

2014年08月18日 | 日記
全室個室ユニット型特別養護老人ホームにおけるユニットケアとは
もともとケアに対する考え方でした。

簡単に言えば、個別ケアのことです。

あくまで一人ひとりの生活を支えるために考えられた手段でした。

一人ひとりの高齢者の生活に向き合うために必要とされた個室と小規模な生活空間。

1人の介護職員が個別ケアができるのは何人までなのか?
その視点でユニットの人数は何人までが適正なのだろうか。
お母さんが家族1人ひとりに対応できる食数は?
すなわち家庭内の人数。
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、子ども4人くらい、そして犬が1匹。
介護職員がお母さん代りになるために必要なことは何だろう。

地域ごとに生活文化があります。
その歩みは伝統となり、歴史を作り上げてきました。
人の数だけ生活があり、それは物語となりました。

しかしそれはユニット型特別養護老人ホームという制度となり、こうあらねばならない、という制約がたくさんできてしまいました。
まるで生活とサポートが犠牲になってしまったかのようです。

特別養護老人ホームは生活の場であり、地域福祉のための生活文化拠点です。


そろそろ我々のユニットケアの歩みを尊重して規制緩和してほしい。
高齢者の生活を支えるためです。


ユニット型特養は第二ステージへ。



ユニットケアは個別の生活単位と介護単位を一致させるための手段











この図は京都大学大学院外山研究室作成のものに加筆修正したものです。

生活援助の基本サポート

2014年08月18日 | 日記

エイジング・サポート実践研究会がサポートする生活援助の基本を以下のように考えています。

(1)笑顔
(2)あいさつ
(3)言葉遣い
(4)姿勢
(5)身だしなみ


高齢者の三大生活援助は食事援助、排泄援助、入浴援助と言われていますが、

この5基本項目を徹底して身に付け、
おひとりお一人に向き合うための全人的な援助をサポートします。







もし、みなさんが老人ホームを訪問した際に、良い施設かどうか、適切なサービスをしてくれるのかどうか見極めることができますか。
それができない場合は、高齢者のいのちに関わることになってしまうのが老人ホーム選びです。

まずは、上記5項目を判断基準の基本にしてみてください。

意外と違うということに気が付くと思います。





AAIF2014(シンガポール)参加報告

2014年08月16日 | 日記
ご招待を受け、昨年に引き続き、シンガポールで開催された
AAIF(Asia Ageing Investment Form)2014
に参加してまいりました。
2014年3月31日~4月3日



日本からご一緒した
東北大学特任教授の村田裕之さんの基調講演を受け、
オリックスリビングの森川悦郎社長
木下介護取締役の福元均さん
Japanセッションを担当しました。





私は
日本におけるユニット型特養、そこで行われている看取り援助の情報を提供をさせていただきました。







参加して思うのは、アジアの中で日本の高齢者福祉、シニアビジネスは群を抜いて進んでいるということです。
シンガポール、香港、台湾などの国土の狭い国の高齢社会には、日本の、特に東京・首都圏が先行モデルになるはずです。

ただし、英会話の課題がありかなりオーストラリアがビジネス介入をしてきているようです。

シンガポールの高齢者施設を視察させていただきましたが、私がこの仕事を始めた頃の20年前の日本に似ているように感じました。
まだサービスの多くは医療の中に組み込まれ、生活の場には活用がされていません。


もちろん、現場のスタッフの方々による多くの努力がなされています。
しかし高齢者のための住環境づくりはこれから学びの中で改善されていくのだと思います。





日本にもまだたくさんある多床室です。カーテンによる個別空間化のための仕切りという意識が薄いようです。




個別対応型車いすなどの生活補助具の活用はこれから期待される分野です。





特に、私が情報提供をした口腔機能嚥下評価や看取り援助などもまだ医療の中にあります。

医療は進んでいるようにみえますが、高齢者介護との連携はまさしくこれからです。

ただしこのようなフォーラムに参加している経営者層は完全なイノベーターであり、その勢いは日本より優っているくらいです。
おそらく相当な速さで変わっていくだろうと感じました。

日本のシニア・ビジネスのノウハウはアジアから世界へどういかされていくのでしょう。
英会話の必要性を感じます。




会場は有名なベイ・マリーナ・サンド・ホテル
屋上にプールがあります。











第二回エイジング・サポート・セミナー1129開催のご案内

2014年08月15日 | 日記

エイジング・サポート実践研究会では第二回エイジング・サポート・セミナー1129を開催いたします。

超高齢社会を生き続ける努力の営みを「エイジング」ととらえたい。

東日本大震災、この事実に驚け!
「災害から学ぶエイジング」
~災害に強いまちは医療・福祉が良いまち~

まずは
たくさんのいのちを失うことになった災害の事実から真摯に学ぶことこそ、「地域包括ケア」、「地域居住」の原点に立ち返ることではないでしょうか。


宮城県南三陸町は東日本大震災の被災地のひとつの町です。






津波で一瞬のうちにまちは流されてしまいました。







街並みも、人も、生活も、その歴史さえも流してしまったのではないかと思われるような状況でした。
しかし、そこに暮らすひとと、そこを支えるひとによって復興の道を歩んでいます。






今回は東日本大震災の事実を知りたいと思います。

そのために、その支援から復興に携わってきた二人の医師から活動報告をお聞きする機会を設けました。






(基調講演講師)中村幸夫医師
(講演テーマ)被災地・南三陸町でエイジングを愉しむ
 ~医療で震災復興を!」から「支援から協働へ

(リレー講演講師)川島実医師
(講演テーマ)
災害支援医師が経験してきた地域医療といのち、そして家族

また様々なセミナー企画を考慮中です。
皆さまと共にいのちを語り合いたいと思います。

是非、ご参加を賜りますようお願い申し上げます。

参加申し込みは本Facebookイベントページから参加申込みをしていただくか

エイジング・サポート・セミナー事務局へ
お名前
参加者数
所属・専門職区分
メールアドレスを添えて
メールにて申し込みをしてください。

エイジング・サポート・セミナー事務局
メールアドレス
ageingspa@gmail.com


※「生き続ける努力の営み」という言葉は、
「草刈十字軍」、「農業開発技術者協会」主宰者の足立原貫先生(もと富山県立大学短期大学教授、同学部長)のお言葉をお借りして使用しています。

第二回エイジング・サポート・セミナー1129開催案内(中村医師の紹介)

2014年08月15日 | 日記

基調講演;中村幸夫医師の紹介です。

ご本人から直接いただいた自己紹介文の一部をご披露させていただます。

(以下、中村幸夫医師の自己紹介文の一部)


~被災地で暮らしていると、地元の方以外に支援つながりでお会いする方も大勢いる。
さらには、インターネットのフェースブックで情報交換をしているうちに、実際に会ってお話をすることも増えてきた。
この出会いを大切にしようと思い、南三陸町で活動する際、いつも三種類の名刺を持ち歩いている。

常勤としての「社団医療法人啓愛会介護老人保健施設ハイムメアーズの施設長」

そして「公立南三陸診療所レディース外来の非常勤医師」と「特定非営利活動法人オールラウンドヘリコプター(ARH)のメディカルアドバイザー」である。

三枚目のARHというのは、震災後に開設された医療用多目的ヘリコプターを運用するNPO法人である。
この医療用多目的ヘリコプターを利用して、南三陸町の震災復興を支えるため、三陸沿岸地域相互さらに岩手県内陸との連携を図っているので報告する。






【震災と医療弱者】

2012年2月末から1年あまり、岩手県陸前高田市で県立高田病院の臨時医師として支援を続けた。

被災地域で生活して改めて気づくのは、医療サービスが十分でなかった地域が、震災でさらに不自由さを増している現状だった。

そこで宮城県気仙沼市へ拠点を移し、医療弱者の代表である老人に生き甲斐を持って生活して貰えるようサポートしてきた。

2014年1月から南三陸町にも足を伸ばし、公立南三陸診療所で「レディース外来」を始めた。

15年前から産婦人科診療が提供されていなかった地域で、女性の心身の悩みに応えるという、女性のプライマリケアを目指している。さらに医療支援を強化するため、4月に南三陸町へ引っ越しして、老健「ハイムメアーズ」に拠点を定めた。

66歳の元産婦人科医は、「医療で震災復興を!」と叫びながら、医療弱者の老人と女性を応援したいと覚悟したのである。~

(以上が、中村幸夫医師の自己紹介文の一部)



第二回エイジング・サポート・セミナー1129開催のご案内(川島実医師)

2014年08月15日 | 日記
リレー講演を引き継いでくれる川島実医師は
もとプロボクサーです。
ウエルター級西日本新人王に輝きました。

今もアスリートです。









リレー講演;川島実医師を紹介するために、
以下の記事の一部を抜粋し投稿させていただきました。

日経メディカル、2012年1月号「家庭医のススメ」
「町民全体の家庭医を目指す 現場ルポ(1)」


(以下、川島実医師のコメントの一部です)

~僕はそもそも地域医療に興味があったので、本吉にとって最善の地域医療を実践することに注力しました。そのひとつに在宅医療があります。

まず、震災によって自宅や交通手段を失って病院に来られない人がたくさん増えたので、院内の診察に加え1日5~6軒、患者さんの自宅や仮設住宅にうかがって診療してきました。

また、基本的にどの地域も同じだと思いますが、お年寄りの患者さんは自宅で面倒を見るのが難しくなると病院に連れてこられて、殺風景な病室のベッドの上で全身を点滴の管に繋がれてそのまま亡くなってしまいます。それは現代の医療では当たり前のことなんですが、僕はそれがすごく寂しいような気がして嫌なんです。

入院していても具合が悪くなると住み慣れた自分の家に帰りたくなりますよね。それは間違っていないんですよ。その望みを叶えてあげたい。

僕の祖父は住み慣れた自宅で、家族に見守られながら亡くなったのですがそれが人の死に方としてすごくいいなと思ったんです。
だから本吉病院が入院可能になってからも、基本的に療養は自宅でしてもらって、家族がたいへんなときに病院で預かって休んでもらうという、在宅医療のためのベッドにしたかったんですよ。~

(以上、川島実医師のコメントの一部です)





第二回エイジング・サポート・セミナー1129開催案内(中村医師との出会い)

2014年08月15日 | 日記

第二回エイジング・サポート・セミナー1129開催案内


〔中村幸夫医師との出会い〕

実は昨冬、北海道岩見沢市にある「ささえるクリニック」の村上智彦医師を訪ねた際に、対談風景の「Ustream(ユーストリーム)」放映を中村幸夫医師が視聴されていたそうです。
その後、私は中村幸夫医師とFacebookで友達になりました。


私がFacebookでつぶやいた一言に反応した中村医師に誘っていただき
2014年6月20日、南三陸町を訪問しました。

それは中村医師が主宰する「荒砥塾」に「看取り援助と経営マネジメント」の情報を届けるためでした。
お会いしたのはその時が初めてです。

そのご縁がつながって、こうしてまた別な形となって広がっています。

その時に見たこと、聞いたこと、感じたことをたくさんの方に伝えたいと思いました。

それは中村医師や南三陸町の佐藤町長、宿泊した漁家民宿やすらぎの女将さんたちが是非、伝えてほしいと言われたからです。

「必ず、日本のどこかでまた同じような災害が起きる。私たちの経験を生かしてほしい」

みなさん、引き継ぎませんか?

東日本大震災・南三陸町の経験といのちを・・・

投稿写真は老人保健施設ハイム・メアーズのバルコニーで海をバックに撮影したものです。