女の一生

銀も金も玉も 何せんに まされる宝 子にしかめやも

命の輝き

2009年12月28日 | 雑記
仮定の話が無益だとは思えません。
僕はおそらく、東山さんという女の子のことを一生考えて生きることになるでしょう。
もし、たら、だろう。
こんなことを考えてばかりいるのはやめろ、という人は負い目を持たない人です。
あるいは、「一瞬」を持たない人です。
この間、いろいろ考えてきましたが、僕は自分の抱えた負い目と共に生きる決意をしました。
その思いは時に強くなったり、薄まったりするかもしれませんが。
桐野夏生『リアルワールド』より



いったい何から話したらいいのでしょう・・・。

双子の赤ちゃん、9月19日土曜日の朝、二人とも旅立ってしまいました。
この少し前から、切迫流産と、一卵性双生児特有の病気で「双胎間輸血症候群」という病気になっていました。
予断を許さない状況で、入院し24時間点滴、絶対安静にしてたのですが、結局この日の前の晩から陣痛がきてしまい、破水、出産となってしまいました。
妊娠20週、6ヶ月に入ったばかりで、当然外に出ても生きることはできず、死産でした。
345グラムと300グラムの可愛い可愛い女の子達で、二人とも顔がそっくりでしたよ。
まゆ毛が濃いところがお兄ちゃんの康平に似てるかな。
こんなに可愛い赤ちゃんは見たことないってくらい可愛くて可愛くて、泣かないのが不思議なくらいでした。
一緒にお家に帰って家族で過ごし、数日後、家族だけで火葬して見送りました。
二人の棺に、たくさんの花と、家族や親戚の写真、おもちゃと、手紙を入れました。
今、二人は同じ骨壷に入って、家にいます。
あんなにあたしのお腹は大きかったのに、信じられないくらいとても小さな骨壷だよ。

あの日から、果てしない悲しみと虚無感を抱えながら過ごす毎日です。
それでも康平がいてくれるので、忙しさに紛らわされたり、可愛さに心癒されたりしてます。
でも正直、康平だけでは、心がすべて満たされません。
もしあの子達がいたら、と考えない日はありません。
さすがに人前では泣かなくなったけど、一人涙することもしばしばです。
夜寝る前、お腹の中を掻きむしられるような恐怖に襲われることもしばしばです。
みんな当たり前のように、子供が出来たら生まれるように思うけど、無事に元気に生まれることってどれだけすごいことなんだろう。
本当に奇跡、だと思います。
命の大切さというものを身をもって感じたよ。

ある日、康平を寝かしつけながら、ぎゅっと抱きしめながらしんみり言いました。
「康ちゃん、本当に元気に生まれてきてくれて、健康でいてくれてありがとね。
 康ちゃんの可愛い妹を元気に生んであげられなくてごめんね。」
当然康平にはまだ意味も分からないでしょうが、何と言ったと思いますか?
「ママ・・・























 チンチン ぶらぶら

 チンチン ぶらぶら

 チンチン ぶーらぶーら」


ふき出しました。(笑)
この子に心救われているのもまた、事実です。

9月から、私の体調悪化もあって、康平を短期で保育園に預けていました。
最初は泣いてばかりの康平も、今では元気に楽しそうに毎日通っています。
あたしの体ももう元気になったので、保育園は今月いっぱい、今日で最後になりました。
この4ヶ月間で、康平も立派なお兄ちゃんになりました。
初めての集団生活、運動会、遠足、ママがいない日々も頑張ってくれました。
小さい体でいっぱいいっぱいパパとママを助けてくれます。
かけがえのない命です。

そして、あたし、あの子達二人にもとても助けられました。
ひどい状況下でしたが、妊娠したとわかった時、「嬉しい!」そうとっさに思ったんです。
20週と5日の短い生涯でしたが、共に過ごした時間は本当にかけがえのない大切なものでした。
二人ともせいいっぱい頑張って生きてくれました。
二人の名前は「希美(のぞみ)・歩美(あゆみ)」です。
入院中、女の子だとわかって、あたしが名づけました。
つらい入院生活の中、二人はあたしの希望の光で、おそらく小さく生まれてくるだろうけど、一歩一歩力強く人生を歩んで欲しい。
そんな思いで名づけました。
どうかみんなの心の片隅にでも、希美と歩美のこと、覚えてくれていたら、嬉しく思います。

年の瀬ですね。
何だかあっという間の一年間でした。
寒さ厳しい折、皆さま健やかに新年をお迎えくださいね。
あたしは大丈夫です。
平均寿命でいったら、人生まだ折り返し地点にも立ってませんから。
焦らずぼちぼちやっていきます。
いつかあの世で我が子たちに会える日を楽しみに、頑張って生きます。


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